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2025年02月08日(土) ■ |
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東京バレエ団『ベジャールの「くるみ割り人形」』 |
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東京バレエ団『ベジャールの「くるみ割り人形」』@東京文化会館 大ホール
それでも人生は一度きり。舞台もそう。この日の彼らには二度と会えない。
東京バレエ団創立60周年記念シリーズ、締め括りとなるその12。長いな(笑)。それだけ代表作を多数抱えていること、ダンサーたちの充実と層の厚さが窺える。古典の『くるみ割り人形』はクララという女の子が主人公だが、モーリス・ベジャール版の『くるみ〜』はビムという男の子が主人公。ビムはベジャール自身。7歳で母を亡くし、バレエに魅入られ、「バレエと結婚」したベジャールが『くるみ〜』を通して人生を振り返る。母との別れ、父と妹の存在、少年時代の思い出の数々、バレエとの出会い、戦争、そして旅、旅、旅。人生は旅だ。
死、そして戦争の色が濃い。ボーイスカウトがキャンプで入る寝袋がハートロッカーに、合唱隊は死者を送る聖歌隊に見えてくる。思えば『バレエ・フォー・ライフ』でも、遺体を覆うシーツが出てきた。戦争に関しては「中国」のシーンで軽やかに暗示されるが、そのさりげなさが逆に強い印象を残す。ベジャールが71歳のときに創作された今作は、20世紀という歴史を俯瞰してもいる。人民服と自転車の中国、神秘的なアラブ。ロシアは現在のロシアではなくかつてのロシア帝国のことを指し、振られる国旗はソ連のものだ。
クリスマスの夜、まどろむビムは夢のなかで母と再会する。ボッティチェッリの『ヴィーナスの誕生』がモチーフだろう、巨大なヴィーナス像が現れる。その胎内で抱き合う母子は幸せな、同時に再びの別れを予感しつつひとときを過ごす。母に美しいものを見せたい。母が不在の間、どんなことが起こっていたか知らせたい。僕はバレエに出会った、マリウス(・プティパ)に出会った、さまざまな美しいものに出会った……ビムは世界を駆け巡る。そんな彼に飼い猫のフェリックス、光の天使と妖精たちが寄り添う。
いやもう、池本祥真が少年も少年だった。7歳!
実は池本さんはフェリックス役だと思っていたのだった。いや…小林十市が踊った役を継承していくのだろうという勝手な思い込みがあり……。それだけ『M』の「シ」が強烈なインパクトとして残っているということだ。あれから4年半、プリンシパルとなった池本さんは、ベジャールの分身でもあるビムを演じる。母を失った寂しさ、心躍るバレエの世界を全身で表現する。なんて瑞々しい踊り、瑞々しい表情。バレエを習い始めた頃のビムも演じるのでちょっと下手ッピなふりもせねばならないのだが、そのどれもが愛らしい。ボーイスカウトに入って集団行動を学び、厳しいM...に接して右往左往する。「ママー!」と叫べども母は死の世界へと去っていき、手元にはヴィーナス像が残る。少年の心と母への思慕を持ち続け、それをバレエに昇華する芸術家へと成長していく……。思い出すだけで涙が出てしまうビム像だった。余談だが舞台上での衣裳替えというかもはやこれは着替えだろうという場面も多く、その段取りも大変だよなあなどと思った。音楽が鳴っている状態なので、ちょっとでも着替えがもたったら舞台そのものが止まってしまうものね。
フェリックスは宮川新大。ダブルキャストだったダニール・シムキンが怪我のため降板、全公演を宮川さんが踊ることになった。いや、これが……! 客席を沸かせる沸かせる。美しい跳躍、まっすぐ伸びる脚に加え、あ〜猫〜! という仕草を随所に加え、マジ猫〜! と瞠目するばかり。「あし笛の踊り」では拍手喝采! M...にキスをしたビムに、僕には? と頬を差し出したのにキスされなくてフテるところもかわいかったな。M...は大塚卓。いやこれもイケ散らかしててたいへんだった。優雅さと激情が炎のように立ち上がる。ヴァイオリンを弾く場面では、弓が切れて舞っていた。いつでも傍にいる気まぐれな猫と、大人の世界を教えるM...、そしてあらゆる場面に現れては去っていく光の天使(岡﨑司、中嶋智哉)と妖精(伝田陽美、三雲友里加)の存在が、子どものビムを見守る存在として鮮烈な印象を残した。
そして母、柳優美枝。クラシックなファッションとボブヘアは文字通りその時代を象徴する美しさで、若くして幼い子どもたちを残して世を去らねばならなかった女性の儚さを体現していた。「花のワルツ」の場面で、死者を迎えるような燕尾服姿の女性(配役表になく気になったが、米澤一葉とのこと。格好よかった!)に手をとられたときの「ああ、もう時間が来てしまった」とでもいうような表情、鏡越しにビムへ別れの手を振る仕草。母を失くした(またはいずれ失くす)観客たちの、さまざまな感情を引き起こすものだったと思う。私の母は40代で亡くなったが、彼女にとってその人生は充分たるものだっただろうか。自分が母の年齢を追い越した今、そう思わずにはいられない。
といいつつあの場面、『神と共に』の「あなた死ぬの初めてですか? 大丈夫ですよ〜」を思い出しちょっとニッコリ。沢山の心残りがあるだろうけれど、せめて心穏やかにこの世をあとにしてほしいと願わずにはいられなかった。
事程左様に死が横たわっている作品なのだが、新しくその列に加わった人物がいる。2022年に亡くなった飯田宗孝だ。『ベジャールの「くるみ割り人形」』には、彼のためにつくられたマジック・キューピーというキャラクターがある。ジル・ロマンの客演が決まったとき「え、ということはジルがマジック・キューピーをやるの?」とweb上で話題になっていたが、その後稽古が進むにつれキャスト表には「?」という役名が。初日直前になって「プティ・ペール」という新たな役が発表された(プログラムでは「?」のままだった。印刷に間に合わなかったんだな)。
一幕最後の場面はBéjart Ballet Lausanne(BBL)版と東京バレエ団版のハイブリッドともいえる構成になっていた。橇に乗って登場するのは、BBLはアコーディオニスト、東バではマジック・キューピーなのだが、当然そこにはジルが乗っている。橇から降り立った彼はアコーディオンを奏で、切れ味鋭い踊りを見せ、疾風怒涛の勢いでクリスマスの祝祭空間を現出させる。現実の人間たちも、幻想の世界の住人たちも、そこでは共にいることが出来る。溢れる笑顔、舞い散る雪。サンタの扮装に着替えたプティ・ペールは、橇に母とビムを迎え入れ去っていく。笑顔で手を振る。笑顔で見送る。
照明が落ちていく、幕が降りていく。二度と戻らない時間、二度と現れない空間。ここにいさせてくれて有難うという思いと、待ってくれ、行かないでくれという思いがぐちゃぐちゃになって押し寄せる。涙が溢れる。休憩のアナウンスを呆然としたまま聴く。あちこちに目頭を押さえ鼻をすすっているひとがいた。
あまりにも感情を揺さぶられてしまい、その後はもう憑き物が落ちたように笑顔で観た。特に二幕はビムが世界のあちこちでクラシック・バレエの真髄を目撃する場面が続くので、優れたダンサーたちの高難度な技に感心しうっとり見入る。金子仁美と安村圭太のグラン・パ・ド・ドゥ、手を繋ぎ輪になって踊る母たちの幸福に満ちた光景に胸が躍る。母子の別れにはその切なさにやはり涙してしまうが、同時にビムの輝く未来を思い清々しくもあった。
作品を彩る名曲の数々にはアレンジが施されており、特にオーケストラのみのオリジナル曲が広く知られている「雪片のワルツ」や「花のワルツ」にアコーディオンが加わるとこうなるのか、という新鮮な驚きがあった。衣裳の数々も素敵なものばかり。個人的には合唱隊のケープとショートパンツ、ビムの妹クロードの緑の衣装がお気に入り。かわいい!
舞台はこのときこの場所だけのもの。ひとの命もそのひとだけのもの。替えは利かない。ベジャールは自分の人生を重層的に世界へと映し、観客に差し出してくれた。スケジューリングが難しいと思うが、なるべく早くシムキンを迎え再演してほしい。そのときにはきっと今日と違う光景が見られ、今日とは違う感情が生まれるだろう。待っています。
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・しかしプティ・ペール、今後の上演ではどうするのだろう。もうあの役、ジル以外には考えられないじゃん……再演する毎にジルが来てくれたらうれしいですね
・小林十市が語る、ベジャールの魅力と『くるみ割り人形』」イベントレポート&小林十市さんインタビュー┃バレエチャンネル 「ダンサーが自由に、自分なりに解釈して表現できるのがベジャール作品の良さだと思う。ただ、それはベジャールさんがそこにいるからできること。(中略)ベジャールさん以外の人が振り写しするとなると、そこまで自由度は広がらない。難しいところです」。
・ジル・ロマン&柄本弾が語る、“ベジャール作品を踊り継ぐ”ということ 東京バレエ団「ベジャールの『くるみ割り人形』」┃ステージナタリー 柄本 舞台は踊るたびに新しい発見があって「今回の舞台は完璧だったな」ということはまずない。多分ほかのダンサーも同じだと思いますよ。 ロマン “完璧”は存在しないですよね。ダンサーは踊りながらいつも頭のどこかで自分を批判しているものです。絶えず研究というか、より良いものを探し求める。私は今まで数え切れないくらい「アダージェット」を踊ってきましたが、まだ踊りたいですよ(笑)。 乗越 舞台芸術の場合、作品そのものに時代を超えるだけの力があったとしても、それを踊り継いでいくダンサーたち、あるいは上演するバレエ団がなければ、やはり残っていくのは難しいことだと思います。その最も重要な過渡期を、ジルさんと柄本さんはまさに今、ベジャール作品を未来に手渡していくためにご尽力されていると思います。
今回観られなかったけど、柄本さんはM...初役。ベジャールから直接指導を受けていない世代です。ベジャールが亡くなって今年でもう18年ですから、今となっては現役ダンサーの殆どがそうかもなあ。“ベジャールの時代”を知るダンサーは、数十年後には誰もいなくなる。それを目撃してきた観客もだ。乗越さんが指摘している「作品を未来に手渡していくため」の試行錯誤は、世界のあちこちで続けられている
・これを知ればもっと舞台を楽しめる! ベジャールの『くるみ割り人形』┃NBS日本舞台芸術振興会 『くるみ〜』自体が初見だったので非常に参考になりました。クリスマスの夜のお話ということで、各バレエ団の年末恒例プログラムにもなっている本作品。秋にバレエの公演に行くと、そりゃもう大量の『くるみ〜』公演案内チラシを受け取りますよね。クラシック界の『第九』みたいなものでしょうか。古典上演もいずれ観に行きたいな
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