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2025年09月26日(金)
『だれか、来る』

『だれか、来る』@SCOOL

SCOOL『だれか、くる』 購入した家に引っ越してきた幸せな(筈の)ふたりと、その家を売却した人物。ゆっくり平易に話される言葉と極力固定された表情がホラーの様相を見せてくる。面白いやら怖いやらで思いの外体感時間は短かった

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— kai (@flower-lens.bsky.social) Sep 27, 2025 at 1:12

というのも、「上演時間は2時間半休憩なし」「非常に眩しい光や大きな音の出る演出があります」と事前にお知らせがあり、かなり身構えて行ったのだ。2時間半という長さはさほど問題ないのですが、会場的に椅子がヤバいんじゃないかと…清澄白河SNACと同じ感じだろうからと思い……。案の定入場してみればパイプ椅子は1列分しかなく、あとは折りたたみ式の小さな簡易椅子とスツール、残りは桟敷と立ち見。背もたれのある、長時間座りっぱなしでもキツくなさそうなパイプ椅子を選んだものの、終わってみれば腰がガッチガチ。暗転時、皆一斉に姿勢を変えるのでギシギシギシと音が響き笑ってしまったが、そりゃそうなる。身体的には結構辛い。案外立ち見がいちばんリラックスして観られたんじゃなかろうか。

とはいうものの、あまりに緊張感のあるシーンが続くので(上演前にも「非常に静かなお芝居です」とのことわりがあった)いやいやいやこれどうなる? 怖いよー! と固まって観ていたら結構あっという間に終わった。すごく面白かった、面白かったといっていいのか? という内容でもあるが。

という訳でお初のSCOOL。SNACクローズ後、しばしの放浪ののち三鷹にオープンしたHEADZと吾妻橋ダンスクロッシング運営のスペース。で! 今回の目玉は!! HEADZ主催である佐々木敦の初演出作品であること!!! 個人的にHEADZといえば音楽という印象が長く、佐々木さんが演劇批評を始めたときには驚いたものだった。その後演劇作品のプロデュースも手掛けるようになり、今回遂に演出家デビュー。出演者はSNAC時代から関わりの多かった飴屋法水、伊東沙保、矢野昌幸。

2023年にノーベル文学賞を受賞したノルウェーの劇作家、ヨン・フォッセの戯曲。調べてみると日本初演は2019年、演出:太田省吾、出演:品川徹、荻野目慶子、綱島郷太郎。その後何度か上演されている。今回の上演を観たあとだと、ああ〜品川さんと荻野目さん、めっちゃハマりそう! などと思う。というのも、敢えて戯曲を読まずに観たので、不思議に思う場面が沢山あったのだ。見たままを、聴いたままを信じていいのか?

登場した飴屋さんは燕尾服のような黒いジャケットと白いシャツ、よく似合ってる。同じく白いシャツに黒いジャンパースカート(ノルウェーの民族衣装、ブーナッドっぽい)姿の伊東さんもとても素敵。ふたりは「やっとふたりきりになれた」「家を買った」「誰とも会いたくない」といったことを交互に話す。この字面だと、結婚式を挙げたふたりが新居に引っ越してきたんだな、幸せなんだな、と思うだろう。しかしどうにも違和感がある、ありまくる。

台詞はひとことひとことゆっくりで、感情はフラット。表情も変わらない。話される言葉とは裏腹に、そこに立っているのは目を見開き前を向いたまま、感情を表さずに話す人物。

やがてふたりは「だれか、来る」と怯え始める。程なくふたりのもとに、この家を売却した人物=彼(便宜上そう書く)が訪ねてくる。夫(便宜上以下同)は会おうとしない。招き入れた妻(便宜上以下同)に、彼は自分が短期間この家に住んでいたこと、その後この家には祖母がひとりで住み、ここで死んだことなどを話す。家を売ったことで「金がある」とも。その後も彼は何度も家を訪れ、ふたりは居留守を使うなどしてやり過ごすが、それも限界となり妻は再び彼を家に招き入れる。夫は妻と彼の仲を疑い始める。

家の外にいる「彼」の描写がめちゃくちゃ怖い。演技スペースは客席と地続きの角地で、照明はそこにしか当たらない。「彼」は照明の当たらない場所にずっと立っているのだ。しかも、暗転を境に少しずつ、ゆっくり動いている。だるまさんがころんだ状態といえば楽しそうだが全然楽しくない、めちゃくちゃ怖い。この「彼」を演じた矢野さんは、開演前の諸注意を朗らかにアナウンスしたり、ひとりでソファやテーブルを動かす等場面転換も担当していたので、最初は演技ではなく何かあったときの対応のためハケないでいるんだな、と思っていたのだ。途中で彼が「来訪者の彼」だと気付いたとき湧き上がった恐怖感を誰かと分かち合いたい。

家に入った彼は妻と話をするのだが、その言動がもうずっと怖い。何する? 何かする? と勝手に想像が膨らみまくって怖い。恐怖の根源ってほんと「わからない、自分の想像が及ばない」ところから来るんだなと改めて実感。だって終わってみれば、彼は別に何かをした訳ではないのだ。家を買った人物に会いにきた、家の思い出を話した、お酒を持ってきて勧めた、電話番号を渡したということだけ。思い出話は世間話の域だったし、お酒は家を買ってくれたお礼とも考えられるし、電話番号は何かあったときの連絡先として。変に勘ぐる必要はない。でも彼の「何かしそうな気配」が妻に涙を流させた。あの涙は恐怖から来るものだったのか、自分の中に不実を感じた申し訳なさからだったのか、ずっと考えてしまう。

見たままだと飴屋さんと伊東さんはとても歳が離れて見える。飴屋さんは長い髪を無造作にまとめたおじいちゃんなルック。これがおじいちゃんを演じているのか、おじいちゃんルックのままで妻と同世代の人物を演じているのか一瞬迷う。動きもゆっくりで、伊東さんに手を引かれて歩いている感じ。え、大丈夫? なんて失礼なことも思ったのだが、途中急に機敏に動くシーンがあり、そこで初めて「ああ、あのゆっくりした動きは意図的なんだ」と納得する。思い返せば7月に観た『塹壕』では、飴屋さんはとても軽やかに動いていたじゃないか。

帰宅後初演が品川さんと荻野目さんだったと知り、では見たままを信じてよかったのか。歳が離れたワケありのふたりが、恐らく周囲からあまり祝福されない形で一緒になり、自分たちを知っているひとがいないところへ引っ越してきたのか。と解釈する。下世話ではあるが、嫉妬深い夫とよろめく人妻の図式も考えられる。だってーーー意味ありげ過ぎるんだもん彼。『郵便配達は二度ベルを鳴らす』みたいだったもん。この家ベルないんでノックだったけど。てか最初にドアがノックされたとき椅子から飛び上がりそうなくらいビックリした! 照明が当たってる方に集中してたから、ノック音不意打ち過ぎた!!

やっと「ふたりきり」になれた、数々の困難を乗り越えたであろうふたりがちょっとしたことで疑心暗鬼になる。人間関係の危うさをイヤ〜な感じで見せる作品でした(身も蓋もないいい方)。だってさあ、彼のこと疑いまくってんのに来訪したら「俺は出ない」って隠れちゃう夫、ヒドくね? おまえ! 出ろよ! 不貞寝してんじゃねえ! なんて思ってしまったもんね。妻はそれでいいんか! 余計なお世話ですか! と思いつつ、そうそうひとって疑い始めると底がないよねーと我が身を振り返ったりもし、しょんぼりした気分になる。それをいったらこの話、実は夫の走馬灯かも知れないじゃんね…妻は彼と出ていき、その後長い間ひとりこの家に暮らし続けた夫が死の間際に見た夢……だから夫だけおじいちゃんルックなんじゃないの……ってえっそれもめちゃ怖い! つらい!

そして日本に住む者からすると、家を丸ごと(家具も調度品も、飾られていた写真も)売る/買うという感覚に慣れないのでそこがもう怖いと思うなど。知らないひとの写真飾ってあるの怖いじゃん。誰! って思うじゃん…ヨーロッパでは珍しいことではないのかも知れないが……にしても彼もさあ、家売るんだったら掃除して引き渡せよ! おばあちゃんが使ってたおまる(尿が残ってる。ヒィー)とか片付けろよ! キエー!!! と、真面目に観乍ら心で叫んでいたことは付け加えておきたい。

ソファやテーブルを移動させ、白いクロスを被せるだけで食卓、リビング、寝室のどこか了解させる演出が達者。食卓の場面だけ、卓上に一輪挿しで赤い薔薇を飾ったのもいいアクセント。映像や照明、音響も手堅く洗練されている。フィヨルドを思わせる映像も美しかった。アナウンスされていた「眩しい光や大きな音」はラストシーンにドカッと来るのだが、修復不可能な人間関係を表しているようなやるせなさがあった。ドロドロ劇といえなくもない作品を、さまざまな解釈を呼び見応えあるものにした初演出に拍手。

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・だれか、来る┃SCOOL
井の頭公園(多分)で、和気藹々とした雰囲気で写真に収まる3人。宣美と作品内容が全然違う、というか想像つかないよ! こんな話だとは! 皆さんいい笑顔。照明が「光」、音響が「音」と表記されているのが興味深い