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2025年03月24日(月)
『IT’S NOT ME イッツ・ノット・ミー』先行上映+レオス・カラックスQ&A

『IT’S NOT ME イッツ・ノット・ミー』先行上映+レオス・カラックスQ&A@ユーロスペース シアター2

『IT’S NOT ME イッツ・ノット・ミー』先行上映+Q&A、カラックスの希望で本日は日本語の質問に英語で回答。デリケートな質問にも誠実に答えてくれた。「クリアな目を持ち、クリアな耳を持ち、クリアなヴィジョンを持つこと。今の世界では困難なことだが、努力し続けたい」という言葉が印象的だった

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— kai (@flower-lens.bsky.social) Mar 25, 2025 at 0:48

字数制限により簡潔に書いたけど、勿論日英の通訳者がいらっしゃいました。横浜フランス映画祭や日仏会館で仏語いっぱい話したので(臆測)英語で話したかったのかな。

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行けるのがもうこの日しかなかったのでチケットとれてよかった……。隣席になったお嬢さんがフレンドリーな方で開演前いろいろ話してたんだけど、即完したカラックス×黒沢清のトークショウ(後述)は「関係者が殆どだったみたいですよ! 一般にどれだけ出たんだか!」と憤っておられた。成程ね〜、1分もかからず完売したみたいだもんね〜。それにしても楽しいお嬢さんだった。自然と「また〜」と別れた。こういう時間って好き。

という訳で『アネット』から3年、再び桜の季節にカラックスがやってきた。そういえば桜の季節に来日したのは前回が初めてだったとか。桜は見られたかな、ちょっと早かったかな? 堀越謙三さんとの縁もあり、ユーロスペースはカラックス来日時のベースにもなっていますね。

『IT’S NOT ME』はポンピドゥー・センターからの「10分くらいの自画像的なショートフィルムを」という依頼を受けつくられたもの。その後いろいろあって42分の作品に(笑)。中編なので日本公開はあるだろうか、あっても映画祭で数回かも……と思っていたので、公開が決まってうれしかった。

リアルとフィクション、自作も含む膨大な数の引用。映画への愛と、戦争の世紀でもある20世紀への怒り。ときに自身へも向けられる、男性への怒り。娘と動物たち。闇、疾走、回転、デヴィッド・ボウイ、カイリー・ミノーグ、スパークス! 音楽! 音楽! 音楽! その繰り返しが映画になる。映像と音声のコラージュは、ゴダールへのオマージュ。「たった一度の主観」はジュリエット・ビノシュ。ギョーム・ドパルデュー、ジャン=イヴ・エスコフィエ、カテリーナ・ゴルベワへの悼み。瞬きについて。そして最後、サプライズのポストクレジット。20世紀から21世紀へ、次世代へ託したい希望がそこにはあった。涙が流れる。

映画館の闇のなか、観客のひとりひとりは孤独に作品と向き合い、ときには死者と、ときには架空の、或いは実在する人物と対話する。スクリーンは闇へと戻り、拍手が起こった。

上映後のQ&Aを終え外に出ると、出待ちのひとたちが揃って高揚した顔で向かいの駐車場を見つめている。カラックスがタバコ休憩中だったのでした(笑)。下のカフェにスペースをつくってサイン会が行われたようです。すごい行列になってたけど全員に対応したんだろうか。

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Q&Aの内容はこちら。

・レオス・カラックス、最新作「イッツ・ノット・ミー」を語る「私自身がものすごくカオス。この映画はカオスがそのまま生きて描かれている」┃デイリースポーツ online

意外にも(失礼)デイリースポーツの記事がめちゃ詳しい! いちばん詳しいかも! この記事を参照しつつ、各質問に対する反応、興味深かったことなどをメモ。

・なかなかないといっていいくらい、良質な質疑応答だった。自分語りをするでもなく、長々と感想を喋るでもなく、どのひともカラックスとその作品に敬意を持ち、そのうえで思慮深くかつ鋭い質問を投げかけていた。豊かな時間だった

・司会は安心と信頼の矢田部吉彦さん。質問を募るとじゃんじゃん手が挙がる。男性からの質問がずっと続き、「日本に女性はいないんですか?」とカラックス(苦笑)。矢田部さんが気を遣って「女性の方いらっしゃいませんか?」と客席へ声を掛け、最後に女性からの質問がありました。結局女性からの質問はそのひとりだけだった

・「鑑賞は二回めなのですが」「私も二回めの鑑賞ですが」……全通の猛者もいたのかもしれない(笑)

・ベイビー・アネットの制作者/人形遣い(エステル・シャルリエとロミュアルド・コリネ)が本当に大好きなことが伝わった。公開時も「出演者もスタッフも、みんながアネットに恋をした」っていっていたものね
・「ベイビー・アネットのシーンは本当は使う予定じゃなかった」という話を受けて、矢田部さんが「残してくれて本当によかった、有難うといいたいです」って。深く頷いたよ……(思い出して今また泣いてる)
・ANNETTE PUPPET┃la pendue & Estelle Charlier
シャルリエとコリネの人形劇団『ラ・パンデュ』のサイト。アネットの制作プロセスやドキュメンタリーが掲載されています

・「人生を振り返ってみると、映画を作っていない、作れない時期の方が長かった。それでもいいかなと思っている」。実感がこもりすぎててドスンときた言葉
・「映画を発表してない期間が長いからといって何もしてない訳じゃない、ずっと準備をしている。構想を練ったり、協力してくれるひとと会ったり、毎日仕事はしている」ともいってた。これ『アネット』のときもいってたな…ですよね日々創作してるんですよね……

・ビノシュ、エスコフィエとの別れについての質問は、質問者も慎重に言葉を選んで話していた。「全作品観ています、失礼な質問かもしれませんが、興味本位ではないことをご理解ください。作品を観るうえでどうしても気になっていることです。答えたくなければそれでも構いませんので……」といった感じ。通訳者もかなり気を遣ったんじゃないかな。矢田部さんも真顔になり、客席中に緊張感が走ってました。「ゆ、勇者……」って感じ
・長い沈黙のあと、ふう、とひと息ついて「……それが人生ですよね。皆さんもそうでしょう」と答えたのが印象的だった
・「兄のような存在だった」エスコフィエの死と、カラックスがフィルムからデジタルの撮影にすんなりと移行した(ように感じる)ことは繋がっているのだろう。「私はフィルムはエスコフィエと撮るから」といった
・てかデイリーさん、一連の答えの最後に「(笑顔に)」って書いててすごい読者への配慮が感じられる。わかってる〜というか。いい記者さん!

・「カオスの中で生きていると、一緒に何かを作ってくれる人たちが出てくる。そのカオスを理解してくれる、共有してくれる人が出てきて、私がカオスに形を与えることを助けてくれる」。創作は孤独なものだけど、映画はひとりではつくれない。そしてカラックスのもとにはひとが集まってくる。しみじみ

・作品と「孤児」の関係について。確かにカラックスの作品は両親がもともといない、母親は死に父親は破滅し、といったものばかりだが、指摘された本人は「それは知らなかった」なんていう
・しかし続けて孤児になりたかったこと、名前を変えたことを話し、全ての子どもが姓を自分で選び、変えることが許されればいいと断言していた
・「作者は殆ど死んでいるような昔の映画も、映画館に行けばそこにあった。映画は美しい墓場のように感じた」とも。彼にとって映画が親なのだ

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・『カンヌ映画祭2024日記 Day6』矢田部吉彦┃note
(2024年)「カンヌ・プレミア」部門で、レオス・カラックス監督新作『It's Not Me』。(中略)上映の前に、係の人が「クレジット後にサプライズがありますので、そのままお残り下さい」とアナウンス。昨日のプレミア上映ではティエリー・フレモー氏が言ったらしい。フランスの観客は本編が終わると速攻で席を立つので、そう言っておかないと逃してしまうのだ。そして、そのサプライズのサプライズたるや!これは本当に驚いたというか、幸せだった!どんなに予想しても絶対に当たらないと思うので、もし日本で見られる機会が訪れたら、本当に楽しみにしてもらいたい!
ホントそうだった、絶対クレジット流れ始めても席を立たないで! 涙ドー

・Q&A後にフォトセッション(マスコミのみ)があったんだけど、最近ではマスコミもスマホで撮影するので、カメラのシャッター音だけでなくLive Photosの「ピコン」という音も鳴りまくる。ちょっと異様な光景で、カラックスも居心地悪そうだった。矢田部さんが気を遣って「ポーズの要求はご遠慮ください」といっていた。『アネット』でカメラに曝されるヘンリー(アダム・ドライバー演じるスタンダップ・コメディアン)みたいなシチュエーションだったな……

・レオス・カラックスと黒沢清が対談 ゴダールからの影響や“映画の未来”を語り合う┃Real Sound
いやー詳しい記事! 有難い! 『KK』(・黒沢清マスタークラスが開催、「CURE」「回路」の秘話や影響を受けた映画監督を語る┃映画ナタリー参照)を観られなかったことだけが心残り。まさか上映するとは!
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大都会というのはもう死んでしまっていて、博物館のようになっていると思うんです。今の都会は、お金持ちや旅行者のためのもの。光や雑音、人々があまりにも増えすぎてしまって、不思議と魅せられることがなくなってしまった。清さんだったらそこに“亡霊”を見るかもしれませんね。大きな都市には歴史がありますが、もう何も残っていない。もしかしたら亡霊だけが残っているのかもしれません
小津は『2つの視線の間に目を洗う』ということを言っていました。今はそういうことができない時代だと思います。常に目を開けっぱなしでなければいけない。そうすると見えなくなってしまう。これは大きな問題だと思います。映画が新しくなるかどうかについて、私はあまり心配していません。私が心配しているのは、人々が物を見ることができなくなることなんです
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慌ただしい時間のなか、小津監督のお墓詣りには行けたようです。よかったよかった