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2025年08月16日(土)
『八月納涼歌舞伎』第三部

『八月納涼歌舞伎』第三部@歌舞伎座

親は亡くなり子は親になり、というだけでなく仇を討つ役を演じていた役者が討たれる役になり、それを観ているこちらも歳をとり。幾重にも感慨深い作品。ホンは変えず、しかし初参加の長三郎丈には新しく役を書き、それがまた切ッ先鋭い台詞でまあ、まあまあまあ😭『野田版 研辰の討たれ』

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— kai (@flower-lens.bsky.social) Aug 16, 2025 at 22:32

勘太郎丈と染五郎丈のキレッキレの殺陣にどよめきと感嘆の声が上がる。勘九郎丈と幸四郎丈が「あの頃俺たちだって出来たよなぁ」「出来たよぉ」と受ける。笑うところだけど泣いちゃった。

『越後獅子』『野田版 研辰の討たれ』。そもそも若手に活躍の場を設けようと納涼歌舞伎を三部制にしたのは勘三郎(当時勘九郎)丈と三津五郎(当時八十助)丈だった。野田秀樹は最近何かのインタヴューで「俺だけが生き残ってしまった」みたいなことをポツリといっていた。しかし『研辰』初演時にはまだ生まれていなかった役者たちが、役を、作品を受け継いでいく。長三郎丈は「僕の役がない」といい、野田さんは彼に新しく役を書いた。

勘九郎さんの発声に、勘三郎さんよりも野田さんの影を感じたことが驚きだった。勘九郎さんだけでなく、他の役者にもだ。いい回し、声音。ひっくり返したりしゃくりあげたり、囁いたりといった声の技巧が野田さんのそれにそっくりなのだ。稽古の最初の段階で「作者読み」が行われているのだろうが、台詞回しを「型」として吸収する歌舞伎役者の凄みを感じる。

野田さんが勘三郎さんのニンから造形した、野田版の辰次像。どんな局面でもふざけてしまう、観客を楽しませ、自身もとことん楽しむ陽性の辰次は、少し陰のある辰次になっていた。その陰は勘九郎さんのニンだ。職人上がりと蔑まれ、自身を斬るための刀を研ぐ。卑屈は切実さになる。何がなんでも生きたい、死にたくないという痛切がひしと伝わる勘九郎さんの辰次だった。だんまりやスローモーションで駆ける場面では、脚の美しさが『いだてん』を彷彿させる。姿勢を含む姿形を職にしているひとの脚だ。

ホンは基本的に初演から変えなかったそうだ。そのことで浮き彫りになるのは世情の変化と変わらなさ。七之助丈と新悟丈のはじけっぷりに笑い乍ら、「女子アナ」という単語にハッとする。うつろう無責任な世論は、次から次へと生贄の修羅場を嗅ぎ回る。炎上と忘却は繰り返される。喜劇が悲劇に転ずるさまは、瞬時に全景をモノトーンへと変える照明(ナトリウムランプか?)で、観客を我に返らせる。

八景と8Kを掛けた台詞は新しく書いたものかな。長三郎くんに「親の顔が見てみたい」といわせ、得意の子獅子を披露させた粋にほろり。次の代が研辰を上演する頃には流石に俺も生きていないだろう、という感慨と、その死後もこの“野田版”は上演され続けると思える自負に畏怖を感じた。

『越後獅子』は、夜の夏祭を遠景に眺めるような爽やかで華やかな踊り。インバウンドのお客も結構いた。イヤホンガイドがあれば研辰も楽しめたかな。台詞がわからなくても、だんまりが『ウエスト・サイド・ストーリー』の群舞に変化していく場面はインパクトあったかと思います(にっこり)。