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2025年05月17日(土)
『マクベス』『ずれる』

彩の国シェイクスピア・シリーズ2nd Vol.2『マクベス』@彩の国さいたま芸術劇場 大ホール

笑って笑ってその直後に襲ってくる巨大な寂寞感。悲劇と喜劇は紙一重、「眼前の恐怖より想像の恐怖」「悪事にかけては小僧にすぎん」、その声の虚しさ。吉田鋼太郎演出は台詞が立つなー(再)!『マクベス』

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— kai (@flower-lens.bsky.social) May 17, 2025 at 22:12

魔女役、当初鋼太郎さんしかアナウンスされてなかったのでキングギドラみたいになるのかしらと予想してたけどちゃんと3人いたわ……キングギドラは夢と消えた。そりゃあの台詞量をひとりでやるのは厳しいですよね。実際聴くと本当にリズムの効いた美しい言葉の連なり。言葉、言葉、言葉の耳にうれしいシェイクスピアを上演する(と勝手に思っている)吉田演出がここを端折る訳なかろう。以下ネタバレしてます。

『笑ってはいけないマクベス』。過去イチ笑った『マクベス』だった。笑ってはいけないという笑わせる演出で、観客に罰ゲームはないので遠慮なく笑った。すごいのは演者たちだ、あれだけ笑わせといて瞬時にシリアスな本筋へと観客を引き戻せる。一幕最後、狂乱の宴席シーン。二幕序盤、魔女たちと戯れ幻覚を見るシーン。笑いとどよめきに溢れた客席が静まり返る。

幻覚に惑わされ醜態を晒すマクベス、フォローしようにもしきれないマクベス夫人の右往左往はスラップスティックコメディーそのもの。その後が見事。客人が帰ってしまい、めちゃめちゃになったテーブルを前に語り合う夫妻。あーやっちまったという後悔、今後は上手く立ち回れるだろうかという不安、縋れるものは互いしかいないという荒涼。世界にふたりだけ取り残されたかのような藤原竜也と土屋太鳳の寂しい会話、そして沈黙。静寂とともにすうっと消える照明。二幕で起こることを予感させる、ゾッとする幕切れだった。幕間なのに拍手が起こった。宴席後のやりとりは大好きな場面。暗転のなか気分が昂揚する、ひとりニヤニヤしてしまう。

魔女たちとマクベスがマイムマイムを踊る(!)二幕序盤でも、そのトーンは一貫していた。幻は消え、魔女たちは去る。なんだったんだ、あれ……と狐につままれた気分の客席を前に藤原さんが「……楽しそうにしやがって」とぽつり。ドッと沸く笑い。しかし間髪入れず放たれた「……皆行ってしまった」のトーンは、観客をあっという間にシリアスな物語へと引き戻してくれる。

藤原さんの声を堪能。明晰な台詞まわしとこいつやべーぞという叫びを地続きで聴ける。気味が悪い程の長い呻きは、崩壊していくマクベスの精神世界を見せられたようで身震いした。悲劇がいかに喜劇を孕んでいるか、あるいはその逆か。笑わせにかかる演出、それに抗う演者、そのせめぎあいこそが吉田演出の狙いだろうか。一歩間違えば芝居そのものが破綻するスリリングな手法だが、演者の力量を信用しているからこそのワザでもある。舞台に置かれた鏡に象徴されるように、マクベス夫妻の栄華には常に背中合わせで破滅が待ち構えている。そのどちらの絶頂も、観客は見せてもらえる。

伝達力のある台詞、喜劇へのアプローチ以外にも唸らされた演出がひとつ。終盤、バーナムの森がどう表現されるかな〜と楽しみにしていたところ、その前に頭をぶん殴られるような場面が待っていた。見どころはそこだけじゃねえぞといわれた気分。夫人の死が伝えられる場面だ。書き割りの屋台崩し(美術:松生紘子)にこれだけのインパクトがあるとは……マクベスの思い描いてきた未来が“堕ちた”瞬間が可視化されていた。あくまでも軽やかに、しかし徹底的な破滅。以後のマクベスは死ぬために生きているようにしか見えなかった。

そうそう、個人的にこの作品の贔屓はバンクォーとマクダフなのだが、そのうちのひとり、バンクォーを河内大和で観られてニコニコ。いやーホントこの方の口跡と立ち姿、所作は“鑑賞”に値する。鑑賞といえば土屋さんも姿勢のバランスがよく、登場時の背中が大きく開いたドレス(衣裳:西原梨恵)が映えていた。土屋さんはコメディエンヌの才もあるな。廣瀬友祐演じるマクダフも魅力的だった。ネクストシアターOBの面々も活躍されていてうれしい限り。

音楽は東儀秀樹。スコットランドから日本へ、バグパイプにも通じる音色の篳篥が悲劇と喜劇を彩る。雅楽アレンジのなかにメタルなギターが入ってくるところも東儀さんらしくて面白かった。

余談。ベトナム戦争終結50年ということで開高健の『輝ける闇』を再読中なのだが、『マクベス』の森に触れている箇所が出てくる。「森そのものが流れ、移動し、包囲している」。その後開高は森についてこう書く、「熱帯は冷酷なまでの受胎力にみち、屍液も蜜も乱費して悔いることを知らない」。

想像する。森は敵も味方も覆い隠し、夥しい数の死体は葬られることなく置き去りにされる。誰かの記憶に残るならまだいい、「彼はあのときここにいた」と伝える役割が存在し、生き残ったということなのだから。誰にも気づかれないままの骸は、森の住人=動物と植物の糧となる。まーた戦争か、ずーっと戦争か。こいつら戦争ばかりしよる。ただの肉となった人間を綺麗さっぱり呑み込んでくれる自然は、人類にうんざりしているだろうか?

「眼前の恐怖より想像の恐怖」により戦争は起こる。恐怖のあとには死体ばかりが残る。

お参り

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— kai (@flower-lens.bsky.social) May 18, 2025 at 2:26

5月だからか(祥月命日は5日前)普段よりお花が多く、新緑の森のようだった。蜷川さんが描く森、大好きだった

・そういえば照明が原田保/原田飛鳥となっていたけど、飛鳥さんは保さんのお子さんかな

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イキウメ『ずれる』@シアタートラム

ADが鈴木成一さんじゃなければこんな細い罫線出ねえよって印刷所からつっ返されそうな宣美。写真は水谷吉法さん。イキウメ『ずれる』、センスオブワンダー極まってました。これでしばらくお別れ、さびしいけどこれからも楽しみ

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— kai (@flower-lens.bsky.social) May 17, 2025 at 22:13

このデザインにこの印刷、そして用紙の選択。光を反射する紙で、どの角度から撮っても何かが写り込んでしまう。かといってwebにある画像は“これ”とは違うもの。“現物”を観る演劇を表すかのような、宝石のような宣美。そして上演された作品も、宝石のような演劇だった。今作をもって定期公演はひとまずお休み。そんなこともあり、うわーイキウメの集大成ー! という思いと、うわー休止前にこんなのをやるかー! という思いで胸がいっぱいになってしまった。以下ネタバレあります。

光に包まれる通路(シアタートラムのここ、偏愛してる)を抜け、劇場へと足を踏み入れる。客席に向かって45°で設えられたリビングが目に飛び込んでくる。見上げた天井には水槽。空間認識がバグる。美術はお馴染み土岐研一、最高! イキウメの作品は、こうして現実から虚構へと観客を招待してくれる。観客もそれに応えたい。この日は開演数分前からもう客席が静かだった。客入れのBGM(音楽はお馴染みかみむら周平、今作のためのオリジナル)に聴き入る。これから舞台上で起こることを楽しみに、場のコンディションを整え「待つ」空気があった。鴻上尚史いうところの“第三舞台”の出現を待つかのよう。

この世界に生きる葛藤がある。この世界に人類は不要だという確信がある。新しい命を「こんな酷い世界に招待するのは忍びない」という選択を否定しない。しかし生まれてきたからには生きるしかない。だからこそ、諦観はあくまで楽観的に。死は終わりではなく、違う場所へ移動するだけだという感覚をもち、トライ&エラーを繰り返す。トライし続けるタフネスがある。金輪町は災害に見舞われ、山鳥と時枝がやってくる。お馴染みの地名、お馴染みの人名。彼らは何度でも舞台で生まれ変わる。

理詰めのセンス・オブ・ワンダーは、今回かなりスピリチュアルへと寄っていた。こう書くと随分気難しい印象を持たれるかも知れないし、胡散臭いと敬遠されてしまうかも知れない。しかし、舞台に載った彼らはとても愉快で軽やかなのだ。バイアスを取っ払うことに関しては他の追随を許さないこの集団は、淡々と、ツッコミを駆使し、ときにはボケにボケで返して世界の不条理を追究していく。今回は「あれは搬送先が決まらないんだな」が大ウケだった(笑)。阿吽の呼吸、絶妙な間合いで行き交う言葉。

前川知大の作品はプロデュース公演も含め多数上演されているが(そのどれにもとても愛着があるのだが)、やはりイキウメで観るのがいちばん好きだ。前川さんをはじめとする劇団員、客演の役者たち、そしてスタッフにより、クオリティの高い作品が定期的に上演されてきた。彼らは誠実に、自分に酔うことなく他者を観察し、観客は信用に値すると示す作品をつくる。その信用を裏切るようなことはしたくないと思わせてくれる。なんて贅沢な時間を持てたことだろう。感謝しかない。

当て書きか、或いは稽古していく過程で人物像が醸成されていくのか、安井順平の「何かを失った経験がある」瞑さみたいなものは歴代のイキウメ作品の中でも群を抜いていた。『地下室の手記』のときにも感じられた、たったひとりの「好きなひと」。そのひとに理解してもらいたい、一緒にいたい。それが最後の最後、叫びとなる。その人物の背景に興味を抱かせる。

人外のような達観と人間としかいいようのない執着をゆらゆらと行き来する、その揺れが色気となる浜田信也。達観達観ああ達観、個人的には理想の人物像、森下創。社会的な人物を演じることが多いように感じていた盛隆二が、その社交性をゴリゴリの活動家として表出してきたのには驚かされた。そして末っ子の身勝手さと不自由を痛切に投げつけてきた大窪人衛。今作における演者それぞれの魅力と技術は、これから個々の活動へ旅立つ劇団員の名刺の一枚にもなるのかも知れない。

『CO.JP』でのイキウメンの姿を思い出しセンチメンタルになったりもしたが、彼らがそれぞれどんな新しい場所へと踏み出していくのかワクワクしている。そしてまた、イキウメの公演で会えることを楽しみに。

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・Yoshinori Mizutani┃水谷吉法┃KAWAU (HANON)
今回の宣美に起用されている水谷吉法さんの「KAWAU」。「HANON」はピアノ教本のアレですよね、鳥たちが電線に乗っている様子が五線譜のように見えるということ。かわいいな

・Yoshinori Mizutani┃水谷吉法┃The birds
色鮮やかな「The birds」シリーズもとても素敵


余談。ふびん。ピングー5歳だって。大人でも泣きたくなるわ。
となると火を消したり電話に出たり頭をなでたりしてくれるのが浜田さんになるのだが……と書くとなんだか微笑ましいですが、舞台上のふたりの関係はそんな単純なものではないのであった。業務として世話を焼く山鳥と、山鳥が何者か気付いていても「自分を安売りして」傍に置く小山田(兄)の心情を思う。
山鳥フルーツって響き、なんだか胸に迫るものがありました

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濃いハシゴだった……てか手違いでハシゴにしてしまったので間に合うかヒヤヒヤした。与野本町から三軒茶屋って乗り換えは少ないけど何せ遠いよ! 埼京線が遅延したら(止まりやすく振替輸送路線がない)もうアウトだったよ! さい芸のカーテンコールも全部観られましたが、三茶に到着したときはもうトラムの開場時間だった。

何か食べとかないとお腹が鳴りそうだったので、劇場近くの今川焼(SePT行くひとはご存知のあそこです)を買って食べる。同様に立ち喰いしてるひとが結構いて、こぞってトラムに入っていく(笑)。静かなシーンでお腹鳴ったら恥ずかしいし、芝居の空気にも影響するもんね、わかる……ここの今川焼初めて食べたけど旨かったな! また食べたい!