金色の夢を、ずっと見てる

2009年06月05日(金) おじちゃん、さよなら。

昨夜、高校時代の友人キリネからメールが来ました。





『久しぶり。
 今朝ね、父が亡くなりました。
 生前、咲良は元気かって時々言ってたんで、お知らせしときます』





それだけの短いメール。でも、それは私に大きな衝撃を与えました。





キリネとは高校からの友人で、卒業後は大学と短大に進路が分かれたけど、ずっとよく遊んでました。数え切れないほど一緒にライブに行ったし、県外のライブついでに旅行もしました。私と同じサークルの男子とキリネが付き合いだした縁もあって、学校が違うとは思えないほど頻繁に会ってたような気がします。

キリネの方が先に卒業して就職してそのまま数年は友人関係が続きました。キリネの結婚式では友人代表でスピーチもしました。

でもそれからしばらく経って、キリネは何気なく言ったであろう一言が私の胸に大きく刺さり、同時期にキリネの方もいろいろと問題を抱えるようになり、しばらく連絡を絶ってみよう…と疎遠になってるうちにほとんど会わなくなってしまいました。


最後に会ったのは2年半前、ユウが生後半年ぐらいの時に、ユウが産まれて病院に来てくれた時の写真があるから遊びに来ない?と誘われて、ユウの半月後にキリネの次男が産まれてたお祝いも渡さなきゃいけないし…と会いに行った時でした。まだなんとなくわだかまりを抱えててちょっと気が重い再会だったのですが、久しぶりに会ってみたら意外と普通で楽しく話せて、でもそれ以降はまたお互いなんとなく忙しくて会う機会がないままになってました。



キリネの実家はおせんべい屋さんを営んでて、遊びに行ったらよくおじさんがお土産に持たせてくれました。ピーナッツが入ったサクサクの素朴な甘さのおせんべいで、大好きでした。つい2ヶ月ほど前にも、たまたま妹がそれをもらってきて、実家で食べたばかりでした。
「わ〜久しぶりだね〜。おじちゃん元気なのかな〜」
なんて言いながら。



今日、仕事の後にお通夜に行ってきました。



ガンだったんだそうです。場所が悪くて手術も出来なくて、病院嫌いで入院を断固拒否したおじさんは、薬だけは飲みながらも普通に家で生活してたんだそうです。1年前にガンが見つかった時点でもう手遅れで
「半年、もって1年」
と余命を宣告され、それでも1年と1ヶ月頑張ったんだそうです。


喪主は妻であるおばさんだったんだけど、最後の挨拶はキリネの弟である長男さんがしてて。
『闘病中もいつもと変わらず、ランニング姿でうろうろしてはご近所さんと立ち話をし、町内会の行事に顔を出し、亡くなる前日にもせんべいを焼き、最後まで父は父らしく生きました』
という言葉に泣けて泣けて。

私の知ってるおじさんはいつもランニングやTシャツに半パンで、ボサボサの頭で豪快に笑う人でした。でも遺影は妙にきちんとした服装で写ってて、後で聞いたらキリネの長男の節句のお祝いの時に
「親戚が集まるんだから、たまにはちゃんとしたカッコしなよ!」
と半ば無理やり服を買ってあげて、家族皆で撮った写真だったんだそうです。お通夜の後にキリネと少し話した時に
「なんかおじちゃんがちゃんとしたカッコしてるの見た事ないから、違う人みたい」
と言うと
「本当だね」
とキリネも泣きながら笑いました。



帰り際に、おばさんがおせんべいを1袋くれました。おじさんが亡くなる前日に焼いたというおせんべい。
「お父さん、咲良ちゃんの事本当にお気に入りで大好きだったから。よかったらもらってあげて」
そう言って持たせてくれました。帰りの車で食べてたら、また涙が出ました。



あまりに突然で悲しかったけど、でもちゃんとお別れが出来て良かったです。ずいぶん疎遠になってたのに、親を亡くして慌しい中で知らせてくれたキリネに感謝です。

ご冥福をお祈りします。


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咲良 [MAIL]

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