思いつき日記
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「おじいさんが孫と同一人物…」
文章の構成の点から考えてみた。 “わたし”のおじいちゃんのうちの一人は“…の”孫のうちの一人と同一人物。
孫というのは誰の孫か特定されていない!つまり、こうも言い換えられる! “私”のおじいちゃんのうちの一人は“ひいひいおじいちゃんの”孫のうちの 一人と同一人物である。
↑なんてひねくれた考え方だろう…うーん。一つ答えが出たから読んでみても 良いかなぁ。しかしエレガントな答えには程遠いような。くやしい。
しかし就寝前のうつらうつらしている一瞬で思い浮かんで、 嬉しくなって眠れなくなった人約一名。てへ
……
子供のころ、それもいろんな時期にそうねがったとして、あのような人になりたい、 と心に刻んだモデルが、誰にも、幾人かはあるはずです。そして私は自分の生きてきた 日々を検討してみて、まず、あの人のようになりたいと願った誰についても、完全に その人のままにはなれなかった、と思います。しかしそれに続けて、あの人のように なりたいと思った、その人のように少しずつなってはいるようだ、とも考えるのです。 そこで私は、子供の時に、その人の振舞い方、態度について深く印象付けられるまま、 あの人のようになりたい、と決心するのは、良いことだと思います。 人格、人となり、というふうにいってもいいのです。子供は子供なりに、人の内部に あるものについて“かぎつける”ものです。
私の場合、どうにもこのような人になりたい!という強烈な人というのは周りに いなかった。というかその人ほとんど全人格にほれ込む!という人がいなかった。 でもちょっとしたことにおいて、少しでも感動したりいいなと思ったことを無意識に 実行しているのかもしれない。
実在のというか身の回りにいる人で、名前を出せるような人はいない。 でもいいなーというか憧れを持つ遠い人物はいた。 思い出せる範囲で、小林秀雄氏とか知の巨人といわれる立花隆氏とかマスターキートンの 主人公とか。
そうだ!私はどちらかというと身のこなしとかかっこよさとかに憧れるのが多かった ような気がしてきた。例えばバスケットの選手だとかバレーの選手だとか、スポーツ関係 多し。身の回りの人でも運動において、その動きが大好きだというのがあった気がする。
まてよ、後者のほうが私のなかに占める割りあいが大きかった。 私は小さい頃は見てくれ重視というか、そんなことにばかり気を使っていた気がする。 内面が大切なんだと気が付いたのは…はて何時だったか。
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