霞的迷想



本は私の鎮静剤

2003年07月30日(水)

または、精神安定剤。
 時によっては作品世界に引きずられて泥沼の感情にどっぷり浸かってしまうけれど、本を読んでれば鬱々としたときもむかついてたときも、通常のテンションにシフトさせることが出来る。というか、自然とそうなる。

 なんて、こんなことをいきなり書くと、前のタイトルとあいまって、地震による精神的被害がそこまで大きかったのか、なんて思われるかもしれない。
 けど実は、それとはまったく無関係だったりする。

 昨日は一月だけお世話になった山彦関連のお仕事の人たちと飲み会だった。
 昨日のことなんだから昨日の分に書けばいいのに、今日の方に書くのは、これから書くことがその出来事に連動していることだからで、今更別々に書くのも何だかな、と感じたから。

 最初私は、飲み会に参加する前にはってことなんですが、一次会終わったら即帰る気十分でした。
 理由は仕事終わらせたのと同じ、帰りの交通機関がなくなるから。
 けど、もし終わりが引きずられそうだったら、このご時世、単身夜道を帰宅するより、いっそのことみんなで騒いで朝を迎えてしまったほうがはるかに安全なんじゃないかな、とも考えてた。

 だから参加した飲み会で、新しいお友達(女の子だぞ)ができた一方で、もともとそれが目的だった、親しい人と顔をあわせて話をするっていうのが果たせなかったからには、二次会以降に参加したいっていう気分になるのはごく当たり前のことだった。

 それでも、家族に心配かける無断外泊だけは絶対すまいと思ったから、一次会終了間際、朝になったらちゃんと帰るから気を揉まないでくれと電話を入れた。


 そしたら。

 はじめに出たのは父親。「駄目だ」ってただ拒否しただけなら「伝えといて」と切り返すことが出来るのに、いちいち母親を呼んで電話を変わって、そこでまた母親が「駄目だ」の一点張り。ちゃんとどうしてそう決めたのか説明しようとしても聞く耳を持たない上に、会話が止まったと思ったら次は何故か兄が受話器を奪い、そこでまだ「駄目」って。


 おとと。閑話休題。
 まあそこまでは結局、「過保護」とか「ありがちで底の浅い勘繰り」って言葉で片付けられる内容だから、「またかよ(−−)」とか「俺はローティーンのジャリ餓鬼?」とか悪態つくだけで終わりなんだけど。

 問題は───

 友達とか、このページとか各所で、結構言ってたと思うけど、私があの仕事をやめたのは、時間的な問題と、肉体的な問題、その二点からなんですよ。
 同時に何度も繰り返して主張してたのは、一緒に働いてる人たちと出会えたのが、一番の収穫だったってこと。


 それなのに。


 そんなわけで昨日の夜から今日にかけて各所にしたメールは、いつもにましてどこかなんかおかしなところがある。
 受けるのは飲み会に行った人中、メアドを知ってる人たちに送ったメール。
 一人目には──普通に、「お疲れ」って内容のメール。
 二人目には──アドレスだけ変えた同文メールで、最後にちゃんとそのことも付け加えた。
 そして三人目──件名とか始めの部分は二人と同じで良いや、と思ったのが間違いの元。三人目に送ったのは飲み会の幹事の人で、「お疲れ」の内容も当たり前に参加者だった一人目・二人目とはちがくなったわけなんだけど。
 下敷きに、二人目に送ったメールを流用したんですよね。
 もはや「同文メール」とは呼べないほど付け足し削除手を施されてる中身なのに、文の末尾には何故か「同文メールです」という注意書きが(爆笑)
 ありえない!
 おまけに、昨日帰宅して即充電してから、友達へのメール打ったりなんだりするうちにまだ起き出す前に電池残量が少なくなり、もう一度充電。(このときは完了まで待たなかったのもあるんだけど)起きて出かけて、まだ日のあるうちに気がつけば目盛りが減っていて、七時前には目盛りが一つに! ありえない(笑)

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