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2003年10月26日(日)
諦めたりおいしいものを食べること
■ 昨日は土曜出勤日だった。午後4時半まで働いてから帰宅して、父に実家に呼ばれた。いつの間にここまで料理ができるようになったのか、父は鯛を煮たり、ほうれん草をひたしたりしていて、沢山の品の料理を作って出してくれた。あまりに多くて食べきれなかったけれど、おいしかった。久しぶりに話をすることも出来て良かった。一人暮らしの部屋に帰ってからは、下らない映画を観ている途中で眠くなってしまって、そのまま朝まで寝た。

■ 僕の勤めている会社はファッションに関連があるのに、会社のホームページはファッションとほど遠いところにある。ホームページを更新、運用する部署は僕のいるところと別だけれど、どうにかして更新の機会を貰えないかと思っている。せっかく質もデザインもナイスな商品を扱っているんだから、それを広告するツールは存分に活用すべきだ。

■ 先週の日曜日、久しぶりに文章を一つ書いてホームページに載せることができた。半年近くも更新できなかった原因は、パソコンが壊れていたことも一つにあるけれど、文章を書く気持ちがまるで湧いてこなかったのがとても大きい。別に小説家でも批評家でもないので執筆が人生そのものと言うつもりは毛頭ない(それに、もし小説家だとしても執筆が人生とイコールだとしたら寂しい)けれど、僕にとって文章を書くエネルギーは生きるエネルギーと比例関係にある。文章を書く気持ちは生命力を計るバロメーターだ。

■ 人と接する時の気持ちの持ち方を変えることにした。仕事をしていて「なんでこんなことも分からないんだ」と苛立ってみたりしたけれど、その背景には「自分を理解してほしい」という期待、願望が顕在していた。誰かが誰にでも理解を求める姿勢を示すと嫌気を覚えたが、僕も同類だったことにようやく気付いた。他人は自分のことを分からない。何も言葉で伝えていなければ、それは更に当然だ。誰も僕を分からないし、僕は誰のことも知らない。だからこそ、言葉や時に身体を使ったコミュニケーションが必要となる。相互理解が足りないことを認めるのは一種の諦念だ。けど、その諦めがあるからこそコミュニケーションの必要性を理解することができる。それだけ考えたら、この1週間は明瞭な気持ちで過ごすことができた。

■ 今日は、友人の通う高校が文化祭を催しているのを見に行った。パンもビーフシチューもおいしかった。 //


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