お姉ちゃんが学校の友人関係のトラブルで泣いていた。 話しを聞くとそりゃぁひどい!と私も思った。 でも、そんなことする子のグループに無理に入ってもしんどいだけだし、 人を傷つける人と一緒にいたって、今でなくてもきっといつか傷つけられる時がくると思うから、そういう人とは逆に距離をおくことができてよかったんだよ。 第一印象ってやっぱり結構、当たるんだなと 娘を裏切った友達は私もよく知ってる子だけど、 うーん。この子だけは来年一緒のクラスになりたくないな。と感じたらその子とだけ一緒のクラスになった。 この子のお母さんは悪い人ではないのだけど、マイナス思考ぎみの人で言葉を発した後に必ずマイナスのことを言う。 一緒にいてるとすごくしんどくなる。 この親子が仲悪くて、母親は娘にかまいすぎるし、娘は母親の言うことに反抗するか無視してる。お母さん大嫌い。という波長がでてるのがよくわかる。 私も中学生の時、親が嫌いだったから、自分の母親のことをほめたり大好きっていう友達をみて不思議にそしてうらやましく思ったこともあった。
その娘が何も話さないからとそのお母さんは娘の携帯のメールを盗み見して お母さん同士の情報交換の時にあれこれ言ってる。 娘の携帯をいかに盗み見るかっていうよりも娘の言う言葉に耳を傾ける努力をする方が大事じゃないのかな。 親子だって他人だし、あたしだって娘に言いたくないことあるし、娘だってあたしに話したくないことだってある。 それってもしかしたらお互いに一番知りたい事なのかもしれないけど、 すべてをさらけだせば人間関係うまくいくかっていったらそうでもないだろう。 言いたくない分は自分から話すまで待ち、娘が話したい事にはちゃんと時間を作って耳を傾けよう。と心がけてはいるけど、私が完璧にできてるわけではない。 この人はちょっとと思っても人の悪いとこばっかりみても楽しくないから いいとこを見てつけあっていけばいいと、今までのあたしは性善説だったけど、 今はそんな努力をしたってなんだろう。って思うから みんなと仲良くっていうよりもこの人にはいつか傷つけられるかもって感じた人には近づかないようにしようと 娘はまだ10代なのにこんな風に人との関わりに距離をおいたほうがいいよっていうのはやだなって思うけどね。 あたしが人嫌いなのがこんなところにも影響してるのかもなぁっと。
それでもちょっとひどいな。と思ったので、学校に電話をして担任の先生と話した。娘が体調悪くて休んでる間にグループ分けしちゃうなんてひどくないですか?と 担任の先生は娘とちゃんと話してくれると約束してくれた。 子供のことにいちいち親が口だすべきではないのだろうけど、 あたしは親ばかっておもわれてもあのお母さんですぎと思われてもいい。 あたしが中学生の時に悩んでる時に先生にひどいことを言われてもうちの親は何もしてくれなかった。 自分では抱えきれずにでもどう解決していいかわからなくて、 鼻血が止まらなくなったこともあった。 その後の学校の保護者会で娘の担任の先生にあたしは謝った。 あの時は、感情的に先生に電話をして色々申し上げてすみませんでした。 先生は30代の小学生のお子さんがいる女性で 「お母さんの気持ちはよくわかります。あのグループ分けの決め方はわたしもひどいと思うし娘が傷つく気持ちもよくわかります。 あたしも自分の娘が同じ目にあったら同じように学校に電話してますから。」
その時にあの時のケンブリッジのママの言葉を思い出した。 大学生の時にイギリスにステイした時にこんな事があった。 あれは夕方だったかな。ルームメイトのユーゴスラビア人の子が学校でのダンスパーティがあるので出かけるのにあたしは彼女をバス停まで歩いて見送りに行った。 帰り道独りで歩いてると、家のすぐ手前の角の家の庭ではいつも子供が2〜3人遊んでいて、あたしがその前を通るたびにあいさつ代わりのようにいつもこういうのだった。 「ティング ティング チャイナマン」 最初はなんて言ってるのかわからなかったので子供に挨拶されてると思って 「Hello!」とか「Good morning!」と私は言ってたのだけど 英語の生活のだんだん慣れてきてわかったのは、これは中国人に対する差別用語のようだった。 これはケンブリッジにいる間 その後も色んな場所で言われた言葉だった。 「I'm Japanese!」と言い返したことまあったけど、その子供たちは日本人を知らないからもちろんJapaneseという単語も知識の中にまったくない。 その日もいつものようにその家の前を通ってしばらく歩くと 庭で立ち話しをしてる男の人 二人に話しかけられた。 「中国人かい?」と 一人は老人でもう一人は中年のおじさんだった。 あまり感じのいい人ではなかったので、英語がわからないふりをして通りすぎようと思ったけど ご近所だしなぁ。ステイしてる家の人に迷惑かかってはいけない。とあたしは足を止めた。 訛りのある早口の英語で話しかけられて意味はよくわからなかったけど あたしに対してこの人たちはいい感情を持ってない。というのはわかった。 日本人だというと、日本人ってお金持ってるんだよな。みたいなことを言われて、私の白のパーカーのポケットから半分のぞいてたお財布をぱっと中年の男の人がとって老人に渡した。 「返してください」と言ったけどその老人は自分の頭上でお財布をまわして 返してくれなかった。 あぁこれは返ってこないかも。とPleseを強く言いいながらあたしは泣きだした。 なんだよ。冗談もわかんないのかよ。みたいな事を言われてぽんとお財布を投げられた。 もうその場所から逃げ出したくて、家は目の前なのにお財布を持って、あたしはまたバス停の方に走り出した。 そして、またいつものようにあの子供たちの「チャイナマン」の声の前を通ってバス通りまで全力疾走で走った。 恐怖やら怒りや哀しみがこみあげてきて、わけわからなくなってバス通りを歩いてた。 後ろからきた自転車の男の子が私を追い越して目の前に立った。 えぇぇ 今度は何よ。とポケットの中のお財布をしっかりと握りしめてたら 彼はこう言った。 「タバコを持ってる?」 持ってないと答えると彼はそのまま走り去った。 かなり遠回りをして、いつも通る道ではないところを通って家まで歩いた。 「いったいどこのバス停まで行ってたの?」 ママがこう言った。あたしの帰りが遅いので心配をしてくれてたみたいだった。ママは私に話しかける時はいつも正面から私の目を見て私が英語を理解できるようにゆっくりとはっきりと話してくれる。 そのママのやさしい目を見て私はどひゃぁぁぁっと泣き出した。 今でもその時のことを思い出すと泣けてくるくらいブルーの優しい瞳だった。 今、あったことを説明したいんだけど頭の中はパニックで私の英語力ではうまく言えなくて私は小さな子供のように泣いてるだけだった。 パパのジョンもそばに来てくれて、私をリビングのソファに座らせてくれて ママは紅茶を入れてくれた。 何があったの?と最初はママは何度も聞いてくれたけど私はやはりちゃんと説明できなくて泣いてるだけだった。 ママは日本人の友達の電話番号を持っておいでと私の手帳の住所を見ながら 家から一番近い子の家に電話をしてくれた。 日本語でその友達に事情を話した。彼女とは特別仲良しというわけではなかったけど彼女は私の話しを聞いてくれて、今からそちらに行くよと言ってくれた。 その頃には私もだいぶ落ち着いていて、大丈夫といったら彼女が英語でうちのママに事情を説明してくれた。 電話が終わってママが確認するようにもう一度私の話しを聞いてるうちにだんだんと顔が真っ赤になってきた。 「どこの家?」と今にもその家に行きそうな勢いだった。私は、もう私は大丈夫だからと言ったけど、ママはおさまらなかった。 私はここの家と一緒に歩いていってそこの家を指さした。 ママはどんどんとその家のドアを叩いてすごい早くて強い英語で話しはじめた。さっきの中年のおじさんがちょっとした冗談だし財布は返した。何も問題はない。と言い返したけど、 ママはものすごい怒って相手に抗議をして、最後には 「今度こんなことしたらあんたの鼻をへしおってやるわ!」と 家にかえって、私はご近所づきあいとかが悪くなってママに迷惑がかかるのではと思って何回も謝った。 ママはいつものように私の目をみてゆっくりと私にわかる簡単な英語で 私に謝る必要はない。当然のことをしただけ。 ケンブリッジにいる間は私とジョンがあなたの親だから親としての責任がある。うちのシャーロン(ママの娘)が同じ目にあったら私はそうするし、あなたの日本のご両親もきっと同じことをすると思う。と 私はその時に親はこうやって子供を守るんだ。と感動してまた泣いた。 私はパパのジョンに聞いた。 「イギリス人は日本人が嫌いなの?」と ジョンは「戦争のことがあるから日本人によくない感情を持ってるイギリス人がいるのは事実だ。でも、イギリス人みんながそう思ってるわけではないし、日本人に対しては日本人=戦争くらいしか知識がない人もいる。日本人だからイギリス人だからという事ではなくて、世の中には世界には色んな考えの人がいるということは認識しておいた方がいい。」と シャーロンと一緒にステイしてたイタリア人のラファとエリサは心配して、黙ってハグしてくれた。 弟のボビーはたぶん当時は14歳くらい。 ちょうどラップのCMにでてくる男の子のようにいつも髪を横にぴたっとなでつけてたっけ。 趣味が切手収集でいつも自転車で走り回ってた。 いつも自分からはあまり私に話しかけないそのボビーがあたしに言った「あの老人は庭にある電車のコンテナに住んでるおかしな奴だよ。」と ボビーとはこの事以来、話すようになって、13日の金曜日っていうテレビゲームをあたしにも貸してくれたこともあったな。
その時は、嫌な思いをしたけど、家族みんなの優しさを感じることができた。あぁ一人だけ 私がバス停に送っていったその場にいなかったユーゴ人のマリアだけは、後からその話しをしてもふーん とちっとも関心がなかった。
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