せきねしんいちの観劇&稽古日記
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2009年03月17日(火) 「昔の女」

 新国立劇場小ホール「昔の女」(作:ローラント・シンメルプフェニヒ 演出:倉持裕)
 日下部そうくんが出演の舞台に、岸本くんと待ち合わせをして行く。
 開演前に加藤裕さん、相楽満子さんともばったり。

<あらすじ:公式サイトより>
 引越しの準備をしているある三人家族のもとに、突然24年前に別れた夫の恋人が現れた。今は長年連れ添った妻も息子もいるという夫に、その女は永遠の愛を誓う約束を果たしに来たと繰り返し迫り、彼を次第に恐怖へと陥れてゆく……。

 余計なものがそぎ落とされたセリフの文体が「ドイツってかんじね」と勝手な印象。
 時間が微妙に行きつ戻りつする構成に、中盤やや集中がとぎれそうになる。ゆうべの徹夜を後悔する。
 日下部そうくんは、息子役。実年齢よりはずっと若い十代の若者をさらさらと演じている。独特なカラダだなあと感じ入る。
 ラスト、「昔の女」を演じる西田尚美が思い出の歌を歌い、夫、松重豊が徐々に思い出していく場面にひきつけられる。
 それまで、やや過剰にコミカルな演技が多かったのが、ここで一気に「本気」になったような印象。俳優の力のすごさ、芸の力を見た思い。感動する。
 昔の女からのプレゼントを開けて焼け死ぬ妻、燃え上がる家、荷物を入れた段ボール箱から息子の死体が現れる。それまでずっと閉まらなかったドアが開かなくなり、夫はドアの前で死んでいく。そして、すさまじい轟音と炎の中、沈んでいく家の装置。ものすごい。
 皆殺しのラストの割に、観劇後の気分が妙にさっぱりしているのは、この芝居が「悲劇」の骨格を持っているからだと思う。
 「昔の女」を主人公として見れば、この戯曲は、ギリシャ悲劇の「メディア」そのものだ。
 息子を殺し、贈り物で夫の新しい恋人を殺し、夫を絶望の淵に沈め、どこかへ去っていく。
 ただ、「昔の女」の怒りと悲しみは、メディアに比べるとかなり不条理に思える。
 ラフカディオ・ハーンの「怪談」の中の「破約」を思い出す。再婚はしないと誓った夫を残し死んだ妻が、新しい妻のもとへ化けて出て、復讐をする。復讐するなら夫の方じゃないかという聞き手に対して、「それは女の考え方ではない」という語り手。しんみりと哀しく怖い話だ。
 めちゃくちゃじゃないか・・と思いながらも、どこかに同情してしまったり、せつない気持ちになったりするのは、なぜだろう?
 ギリシャの哲学者アリストテレスは、「悲劇は観客の心に怖れと憐れみを呼び起こし、感情を浄化する作用がある」という。
 芝居を見て、そんな気持ちになることはあまりないのだけれど、今日の観劇後は、その言葉にとても納得させられた。
 終演後、楽屋にお邪魔して、そうくんに挨拶。お疲れ様でした。
 新宿駅までの道を、加藤さん、みっちゃんとおしゃべりしながら歩いて帰る。


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