京のいけず日記

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2004年10月13日(水) 赤ちゃんと、ワタシ。

歳三さんの赤ちゃん時代
昼下がり。
二階で洗濯物を取り入れていると、赤ちゃんの泣き声がした。

斜め向かいンちの赤ちゃん。お兄ちゃんだか、お姉ちゃんだか、確か、上に
もう一人子どもがいた。

泣き声はかなり長い間続いていた。そして、その声は、だんだん激しくなっている。ありとあらゆる絶望が押し寄せてくるように、ゆうに20分ぐらいは泣いていたんじゃないだろうか。


ホギャァ…ッ…ウギャァン…ンギャアァァ…ウダァァ・ブブブルァバ…!!

言葉もまだ話せないはずなのに、腹立ちまぎれのように文句を言っているような、そんな声さえ混じって、何だか可笑しくなってくる。

だんだんと、潮を引くように弱まってきたかと思うと、また思い出したように、ホギャァと泣き出したり…その繰り返し。

おかしいな…。どうしたのかな。お母さんはどうしているんだろう?
ふだんの微笑ましい姿を知っているだけに、窓から延々と聞こえてくる赤ちゃんの声に、色々と想像してみる。

虐待?お仕置き?まさかな。事故?…そして思いあたった。

お母さんが居ないからだ。たぶん。赤ちゃんが寝ている間に、母親が近所へ買い物にでも行ったのかもしれない。まだまだ甘えたい上の子を連れて。

目を覚ますと、居るはずの母親の姿が見えない。不安になる。ちょっと泣いてみる。だけど、母親はやってこない。家の中を探しにいけるほど、体は成長していない。どうすればいいのか。ただ、ひたすら泣くだけだ。

誰かが気づいてくれるまで。

しばらくして物音が聞こえて、聞き覚えのあるお母さんの声がした。
途端に泣き声はぴたりと消えた。あんなに激しかったのが、嘘のように。

良かったね、赤ちゃん。安心したね。 泣き止んでほっとした。


どんな母親でも… → ワタシね (^_^.)

赤ちゃんにとって、母親というのは、一時期、絶対的な存在らしい。


親は頼れない核家族だった。初めての子育て。無器用なんで仕事はやめた。ダンナが仕事に出ている間、実質ひとり。24時間、赤ちゃんと私。

寝たままの時は良かったが、寝返りをし出すようになると、目を離した隙に、どんなことが起こるかもしれない。買い物へ行く時にも、起きるまで待つか、わざわざ起こして負ぶったり、ベビーカーに乗せて連れていった。

それでも、あんまりスヤスヤと眠っていると、このままそっと寝かせておいて、出来る用事なら、手早く済ませたい。一人にもなりたかった。

ある日。どうしても欲しいものがあったのか。深く眠っているのを注意深く確認し、そっと抜け出して、ママチャリを飛ばし、急いで買い物へ行った。
10分とは掛からない時間だ。

帰ってくると、マンション前の広い駐車場に、赤ちゃんの泣き声が響いていた。当時住んでいたマンションには10人ぐらい子どもがいたけれど、癇の強い泣き方は、まぎれもなく我が子の泣き声。

すわ。階段を駆け上がり、焦って重たいドアを開ける。すると、寝ているはずの長女が、涙と、鼻水と、ヨダレと、まぁ、ぐしゃぐしゃの顔で、三和土に這い出して来ていた。

ニコニコと得意げにヒコーキの姿勢が出来るようになったかの頃。狭い2DKのこの部屋は、とてつもなく大洋だったはずだ…。

開かないドアの前で、今日の向かいンちの赤ちゃんのように、不安と怒りで泣いていたんだろう。長女の小さな手の下には、薄汚れたスニーカーが押しひしゃげられていた。

抱き上げて。頬づりして。落ち着くと、乳首を含ませて。
責めるように、乳房に小さな指を食い込ませて、すごい勢いで吸い出したかと思うと、泣き疲れたのか、すぐにまた熱い頬を埋めて寝てしまった。

「昨日は虐待かって思ったで」
あとでマンションのお母さん仲間から、笑ってからかわれる。

みんな若い先輩ママさん(結婚も出産も遅かったんで、私が一番年上だったの)。彼女達の逞しさで、どんなに救われたことだろう。

母乳育ちで断乳がうまくいかず、連日連夜、長女を泣かせた時など、えげつなかったもん、泣き方。ほんまに虐待してるようで、一緒に泣いていた。


何となく、そんなことを思い出した。
もう昔。私の赤ちゃん…。今は、もう、いない…。んだよね。

まぁ。ズータイのデカクなったこと。
まる子ちゃんにも抜かされて、今じゃ私が一番チビだわ。

今なら、きっと。
例え、乳首を噛もうが、風呂の中で大を垂れ流そうが、癇癪を起こそうが、
オムツが中々とれなかろうが、ハイハイが遅かろうが、痩せていようが、
その他、モロモロ…。ピリピリしないで、余所は余所。うちはうち。
もっと深く、おおらかに子育てできただろうなぁ。

もう今からは無理だんべ。…ね。ダンナさま?
いやいや。今更、逆戻りの生活は嫌っていう気もするけどね(ほんねのネ)


Sako