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東日本大震災 - 2011年03月22日(火) 「東北地方太平洋沖地震」が正式名称らしい。 3月11日から、11日経ちました。 今、色々と感じることなどはさておき、11日の当日の出来事を覚えているうちに記録しておこうと思いました。 地震が起きた11日は、友人とグッチのファミリーセールに行くために新宿へ。 友人は自分の赤ちゃんを母親に預けてきた。 友人の子供を預ける時間に合わせ、午前10時前に駅集合。 何回か、グッチグループのセールに行ったことはあるものの、セール初日に、しかも開始時間と同時に行くのは初めてだったので楽しみだった。 初日だからか、品物も多かった気がする。 1時間ぐらいみて、会場を後にした。 何も買わず。というか買えずというのが真理。 友人とは、ここで解散する予定だったが、預けた赤ちゃんがおとなしくしてくれていたようで、じゃあ、ランチしよう!となった。 ミロードの上のベトナム料理の食べ放題。 安いし、おいしいし、適当に入ったけど正解だった。 色々あーだ、こうだ話して、あははと笑ってたね。その後のことなどつゆ知らず。 そして、ランチ後解散。また遊ぼう!なんていいながら。 私はここから一人で、新宿をうろうろし始める。 伊勢丹で働いている友人に会いにいったりして。 ちょっと話して、またねー!ってあいさつして別れた。 伊勢丹ぐるっと見て、よしそろそろ帰るか・・ 最後にTOPSHOPのビルでも、のぞいていくかと中へ入った。 2階へ上がるために階段上っていると、反対側にはエスカレーターがあって、あーエスカレーター乗ればよかったなあと思いながら、今度は階段の上の方へ視線をやると 液晶モニターが、ぐらぐらと前後に動いてた。(今考えれば結構な揺れだったはず) なんで動いてるんだろう?と思うくらいで、このとき地震とは全く気が付かなかった。歩いてると気が付かないらしい。 そして2階についたとき、お客さんの雰囲気がちょっとおかしくて、なんだ?と思いながらも、私はまだ地震とは気が付かず、のんきに洋服を手に取ろうとしていると、旦那からメールがきて「今度はでかいぞー!!大丈夫?」とあり 同時に、足元にグラグラッと大きな揺れを感じ、やっと地震と気が付いた。 私は、どうしたらいいのか分からないで、茫然としていた。おそらく10秒ぐらいだろうけど、すごく長い時間に感じた。 気が付くと周りのお客さんは、少なくなっていて、みんな外へ逃げていたのかもしれない。 どうしようとか、怖いとか思いながらその場であたふたしていると、防火扉が私の方へ、開いてきたので、私は小さく「うわ」とか「わわ」とか言いながら手で抑えていた。周りに誰もいなかった気がする。 私だけ慌てて、周りはひどく落ち着いているようにみえた。 そして、誰でもいいから、これ地震だよね!?って確認したかった。 アイコンタクトとりたかった。 すると、私と同じくあたふたしてる人と目があって、その子は手にパンツを持ちながらあたふたしてた。 「地震ですよね!?」とお互い同時に言って、どうしよう!!と話していると、男の店員さんがやってきて 「外へでましょう」と案内してくれた。いないと思ってたお客もいたらしく、お客さんたちがぞろぞろとついてきた。たぶん私が周りを見渡す余裕がなかった証拠だ。 そこでさっき出会った子は「あ、パンツ置いてかなきゃ・・」と言ったので、少し笑って和んだ。 外へ出ても揺れが続いていて、ガラス張りの中のシャンデリアがぐわんぐわん揺れていたのが見えた。 外には、たくさんの人がいて、コックさんらしき人、お店の従業員。 みんな外へでて固まってビルを見上げていた。 しかも、みんな落ち着いてた。キャーとかワーとか特に聞こえず。 再び、大きな揺れがきて、知り合った子と自然に手を取り合って身構えてた。 私は、仙台に数日前に震度5が来て、仙台にいる友人に「大丈夫?」とメールしたことを思い出し、まさか・・と思った。 これは、大変なことになったかもとうっすらと思いながら、電車動かないかもと思った。 手を取り合った子をU子ちゃんとします。 U子ちゃんに、家は近いのかと聞くと、たまたま同じ小田急線だったので、じゃあ、一緒に駅へ行ってみようとなった。 U子ちゃんは、3か月前に三重から出てきたばかりで、今月いっぱいで帰る予定だったそう。 U子ちゃんが、駅に行く前に石鹸屋のLushに行きたいと言い出したので、駅へ向かいがてら、Lushへ。 今月末で三重へ帰る予定だから、たくさん買い物をして実家に送るらしい。 私も、一緒に石鹸を見ていたけど、正直、気が気じゃなかった。 店員さんは、地震におかまいなく、私の手に実習してくれたり、石鹸の説明をしてくれた。 はっきり言って、今一番どうでもよい情報を聞かされていた。 私は一刻も早く、地震の情報が欲しかった。 店員さん、地震怖くないのかな?とか思いながら、私もできるだけ冷静に、慌てているのを隠すように「ああそうなんですかー」なんて相槌うって。 すでに、携帯はパンク。メール遅れず、通話できず困っていると 携帯にウェザーニューズから、震源は宮城北部と送られてきた。 やっぱり・・と思って仙台の友人が気になる。 南口のフラッグスビジョンの下にたくさんの人が集まっていた。 ニュースを流しているんだろう。 買い物を終えたU子ちゃんと、一緒にフラッグスビジョンを見上げた。 津波警報がでてた。大変なことが起きたのはよくわかった。 でも画像が大きすぎてなんだかよくわかんない。アナウンサーの声も何言ってんだかよくわからない。 ちょうどそのとき、またもや大きな地震が起きた。地面がはずむような縦ゆれ。 後ろには、卒業式だったであろう袴姿の女子学生がいて 女性の「キャー」という声を私たちは間近で聞いた。 女性の「キャー」の声は、私の恐怖をあおった。一気に全身の鳥肌がたって、ここにいたくないと思った。 高層ビルは、ゆらゆらとしなり、倒れてきたらどうしよう!!と思った。 何より、ここで密集した大勢が一気にパニックになって将棋倒しになったりしたら大変だと思った。 逃げようと思っても、いったいどこが安全なのか、どこに逃げたらいいのかもわからなかった。 私は、都内で、被災したくないなあと思っていたことが現実になっちゃったんだということに、こんなこともあるんだなと一方で他人事のように思った。 なんかもう、フラッグスビジョンを見上げる人たちが、ゲームとか映画みたいだなと思った。 U子ちゃんと、とにかく階段の上へ行こうと手を取り合ってあがった。 そうしてると、頭にサバイバルだとか、阪神淡路大震災とか、帰宅難民という単語がポンポンと浮かんできた。 そうだ、自分は、帰宅難民だ・・と思った。 U子ちゃんは、食糧について心配しはじめた。 とりあえず、落ち着こうと、たい焼きを食べることに(笑) U子ちゃんと一緒にいて本当に良かったと思った。 私一人なら、どうなっていたんだろうと思う。 深刻になると、何ものどを通らなくなる私とは対照的なU子ちゃんだった。 このたい焼きおいしいんですよっと教えてくれた。 何も食べたくなかったけど、おちつくにはちょうどよかった。 とにかく情報がないのは辛いなと思ったこと、新宿でもここまで揺れたのだから、実家はどうなったんだろうと、ドキっとした。 駅員に、電車の状態などを聞きにいこうとしたら、すでに報道陣がいた。 確か、フジテレビ。 空には、ヘリコプターが飛んでた。 駅前にも小さなテレビがあるけど、何言ってるんだかわかんない。情報がない。 電車が動くまで、どこかで休もうということにした。 ...
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