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東日本大震災2 - 2011年03月23日(水) 前回の続き お店を探すまで、携帯の充電器買ったり、お金をおろしたりしながら、結局PRONTOへ入り休むことに。 とはいっても、店の中は非常に混んでて、相席は当たり前状態。 しばらく席を案内されるまで待つことに。 そこで初めて、テレビをじっくりみることになった。 津波の映像をみて、信じられなかった。なにこれ。 津波10メートル!? 席に案内されるも、非常に狭くて、6人掛けのテーブルの真ん中を案内される。 片方は、中国人女性二人組だった。 外国でこんな目にあったら怖くて仕方ないだろうなと思った。 自然と、会話をするようになり、やっぱり怖くて中国に帰りたいと言ってた。 日本語ペラペラだった。 もう片方も女性二人組だったが、こっちは、友人同士でもなんでもない感じ。しかしお互いとも同じ行動してた。 地図と、路線図をにらめっこしてた。ここから歩いて帰るつもりか。 夕方の7時。。ぐらいまでいた。 余震も多く、そのたびぞっとした。 家族とは連絡とれず。ドコモ全滅。災害用伝言板があったはず、しかしつながらない。 くだらない、広告はでてくるくせに、災害用伝言板は表示されない。 いらつく。 U子ちゃんのiphoneは、ネットにつながってた。メールもきてた。 どうぞ使ってくださいと、貸してくれた。 お借りして、妹と、旦那にメールがやっと送れた。 無事を確認。 バスが動き出したとのこと。隣のテーブルにいたおばさん一人が歩いて帰るわと、動き出した。「今日中に帰れなくなるから」と言い出した。 こういうとき、近い場所なら、歩いてもいいが、遠いなら無理して歩くな!ということを聞いたことがある。 自宅が10キロ以内なら全員帰れるが、そこから20キロまで1キロ距離が増えるごとに10パーセントが帰宅困難になる。20キロ以上は帰宅できないらしい。 結局、バスがどこまで動いているのかなど確認するために、駅へ戻る。 すんごい行列。渋滞。 あきらめて、駅にいるか、避難所へいくかなど悩んだ。とにかく情報がない。 マンガ喫茶も、ホテルもいっぱいだそうだ。 携帯は、充電がなくなり、充電しながら使っていると、携帯が熱くなってしまい、勝手に電源がきれてしまう。 最後のかけで、都内にいる友人に、泊めてくれとメールした。 なかなかメールが送れず、非常にストレスがたまる。 またメールが送れたとしても、気づいてくれるだろうか・・ 風が強くなり、一気に寒くなってきた。 とにかく、寒さをしのげる場所へ行こうとした。 このとき、非常に頭が痛くなってきて、熱があるかもな、やばいな思った。 友人は、ありがたいことにメールに気づいてくれた。しかし、道路がまったく動かないから避難所へ行った方がいいかもと勧められた。 確かに道路は混雑してたし、私は頭も痛くなってきて動けなくなってきたし ちょうど、母親から避難所の場所がメールで送られてきたので、その友人に避難所わかったから大丈夫だよありがとう、ごめんねと伝えた。 ここで、母から聞いた避難場所が実は自分の母校の系列の専門学校のことだったんだけど、私は勘違いして、隣の母校へ行った。 すると、びっくりしたことに、入り口は、ひとつにされていて、その前に男性が4、5人で構えていた。 なんと、「学生証がないと入れません」「教員と学生だけです」「ここは避難所ではありません」と威圧的に叫んでいた。 張り紙も「ここは避難所ではありません」とわざわざ貼ってある。 なんかもう一気にがっかりした。この非常事態に・・わざわざ人員を確保してまで、追い返すんだ。 呆れた。嫌な思いをした。一気に疲労が。 今調べたら、この日卒業式だったらしい。自分の大学の生徒や保護者を保護していたからだろうけど。知らない人より、自分のとこの生徒や保護者の方が大事ってことね。それは、当たり前かもしれない。 でも、ものすごく冷たいと思ったし、がっかりした。 そして、また駅へ戻り、南口の地下へ続く階段で休むことにした。 この辺で、疲労がピーク。 驚くことに、おにぎりを配ってる人がいた。 このころもう、コンビニは何も売ってない。 しかもおにぎりの中身はいくらと鮭!! 毒が入ってたらどうしようとU子ちゃんとそこまで疑心暗鬼になりながらもおいしくいただいた。そういえば、ずっと何も口にしてなかった。お腹痛くなったら嫌だったから。おにぎりうれしかった。 自分の身内以外は、出ていけと言う人もいれば、だれかれかまわず、おにぎりを配ってくれる人もいる。 こういう非常事態にこそ、人間性てでるんだね。個人だけでなく団体や企業の体質もね・・ もう、小田急線は動かなさそうだった。 線路にヒビが入ったそうで。 駅で、待とうと覚悟してたけど、やっぱり辛い。 ダメ元で、都内住みのもう一人の友人にメールする。 おいで!私も歩いて帰ってきたんだよ。とメールが返ってきた。 友人に感謝である。 でも、U子ちゃんのことも言わなきゃと思った。 U子ちゃんは、「私はいいんで、どうぞ、ご友人のところへ行ってください」と言っていた。 そりゃ、遠慮するよねと思った。私がU子ちゃんの立場なら、そう言うし、申し訳なさすぎて辛い。 だから、友人に、U子ちゃんも大丈夫か聞いた。 返事はオッケーだったので、Uちゃんに大丈夫だよと伝え、歩いて向かう。 Uちゃんのiphoneが、大活躍。友人の家の住所を入れるとナビしてくれた。 すごいね。 私の携帯なんかより充電もつし、ドコモより、メールも使えた。 iphoneって、色々電波ないとか、使えないとか聞くけど、んなことなかった。欲しくなったわ。 なんせ、私だけひとりだったら、友人宅にはたどり着けなかった。 友人の実家の方へきて!ということだったので、向かった。 新宿から4キロという近さ。 友人も、おじさんもおばさんも起きていて出迎えてくれた。 もう深夜1時過ぎだった。申し訳なくて、ありがたくて、泣きたくなった。 お風呂も、布団も用意してくれてた。いたれりつくせり状態だった。 U子ちゃんは、友人宅の立派さにびっくりしてた。 お風呂入って、寝ようとした。 U子ちゃんは寝た。私は眠れなかった。 そしたら、緊急地震速報がなり、部屋にあったテレビをつけた。 明け方まで余震は続くし、だんだん明るくなってくると同時に、テレビの映像はヘリからのきれいな朝焼けと同時に対照的な壊滅的な景色が映り、無性にくやしくなって、涙がでた。 朝になって、真面目なU子ちゃんは、仕事場へと新宿へ行くことに。 友人に二人でお礼を言って、朝8時には出た。 U子ちゃんと、家についたらお互い連絡頂戴ね!と約束して私は電車に乗った。意外に新宿駅は混んでなかった。 本当に、U子ちゃんには色々救われた。 旦那に駅まで車でお迎えしてもらった。 缶コーヒーを持ってきてくれて、そんなこと初めてだったので、気を使ってくれたんだなと思った。 大変だったでしょ、気が張ってたんじゃないのって言われて、つらかった。 一気に怖くなって、生きててよかったとか、みんな無事がいいよとか思って、涙がでた。 ...
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