TRPG回顧録
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2003年07月25日(金) マスタースタイルその2

さて今回は前回の続きです。


前回は具体的な演出的マスタリングと監督的マスタリングについては書きませんでした。


ぶっちゃけ眠かったんで。


前回の道端の石で極端に例えますと



道端に転がる石に絶対に転ばせないと気が済まないのが監督的マスターで


道端に転がる石に意識を向わせてうまい使い方をプレイヤーに考えさせるのが演出的マスターといったところでしょうか?


それで前回全然ふれませんでした戯曲(脚本)に関して申しますと、


定義としましては

作家が上演を目的とした対話や人物の行動を中心に描いた作品ということですが、

この他に言語によって表現された文学作品として必ずしも上演を目的としない読者によって読まれるためのものも含まれます。

加えて脚本に関しましては戯曲を上演用にをト書き入れて文字で表現した物を言います。(意味的には戯曲と脚本はほぼ同一)


それで前回私はRPGと演劇の違いは純粋に戯曲(脚本)の有無だと書きました。


テーブルトップのRPGには便宜的にシナリオ(私はこれを筋書きと解釈します)がありますが、第3者が読むための整えられた文章が存在しない(基本的にシナリオはマスターが自分でやるために(自分で読むために)作成している。)という意味で捉えています。


ただ、コンベンション用に整えられたシナリオはある意味脚本であるとも
いえますがこの場合は正確には台本に意味合いが近くなってきます。

台本:上演に必要な条件、指示などが記入してある脚本のことです。


ま、こうして厳密な意味を挙げて行きますと戯曲(脚本)は確かにRPGの世界には存在しないなと言えます。


それで自分のゲームスタイルについて考えますと、私はその世界の日常の一部分を切り抜いて、そうしてその一部分でプレイヤーの皆さんに遊んでいただくというスタンスを確立していきたいのだなと思います。

自分が今まで見てきた先人のマスタリングを見てきますとそういったスタイルのマスターさんたちに大変影響を受けてきた様に思われます。

そして再度挙げるRPGと演劇の違い。

演劇は上演する物だけに上演時間という尺に縛られています。

その縛りは戯曲によるものだと思います。

(また書いた人間と違う人間が関わって制作していくものだという違いもあるでしょう。)

そして最大のRPGとの違いとRPGの強みは、その設定世界でその物語を納得ゆくまでキャラクターとして遊びこむことができるという違いでしょう。

私が考える演劇とRPGの相違点は一にそこにかかってくるのではないかと思います。


もっと簡単に言える気もするのですが、眠いので今日はこの辺で。


テロ牧師

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