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2004年03月04日(木) |
たったひとりのクレオールを読み終えて |
分厚い本だが、一気に読み終えた。
聴覚障害にたいする教育方法として、「聴覚口話法」「トータルコミュニケーション法」「バイリンガル/バイカルチュラル法」と分類した場合、長男は多分トータルコミュニケーション法をとってきた。
音声日本語が絶対いいと思って今までやって来たが、確かに長男は聴者とのコミュニケーションも難しいし、手話もできない非常に中途半端な状態だ。唯一「書いたものを読むとか字幕を読む」という書記日本語の読解力だけがある感じだ。
著者はバイリンガル/バイカルチュラルをいいとしている。まず、聾者の言語である「日本手話」を母語として身につけたうえで、書記日本語をマスターするという形だ。
トータルコミュニケーションがめざしているものは、音声日本語をマスターし、その上で日本語対応手話でなんとかやっていこうとするものだ。が、この方法は確かに音声日本語がうまくマスターできないままだ。文法構造としての日本語を重要視するやり方だが、完璧かといわれると、はなはだこころもとない。
「ううん。。。」と考えこんでしまう。でも、さっき子どもと話をしたが、長男の場合は結構文法構造をマスターしている方だと感じる。もう少し読書に熱中してもらうように最近は本をどんどんあたえている。公文の国語も始めた。
学校はろう学校だから、日本手話をもっと先輩達から学んでほしいと思っている。
が、その先輩である高等部が分離するという話になっている。手話の継承が学校を分離することで途切れてしまわないか心配だ。教育行政は一体どういう理由でこういうことをしてしまうのだろう。世の中が中高一貫教育に変わってきている時代にわざわざ分離するのは何故?僕たちは何を信じて子どもに教育をすればいいのだろう。。。。
◇◆今日の読書◆◇
「たったひとりのクレオール」 上農正剛著 ポット出版 読了
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