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 うちの会社のHP 〜立ち上げまで

うちの会社のHPは、今死んでる。
でも、立ち上げた1年半程前は、多少は話題になったものだった。
しかし、今や、その歴史を知っている者は、
私とあと数人となってしまった。
いや、コンテンツ成立過程を知っている者は、
厳密に言えば、私だけになってしまった。
誰も知る者がなくなってしまったということのないよう、
会社の人にもわかるように、
ここにそんな思い出を書いておこうと思う。

お堅い業界の片鱗すら見せない奇抜なトップページ
というか、
会社名をあえて半分隠すような形にした構成。
内容も、
ふざけたコラムや突拍子も無いでっち上げ商品を並べ、
起用したタレントは、お笑い系(笑)
しばらくしたら、
ミニゲームも公開する予定だった。

あえて、うちの業界が起用するような製作会社を避け、
エンターメント系に強い会社ばかりに
コンベションさせたのも、
業界の既存のパターンを打ち崩せ
という強い想いからだった。
散々、様々な企業・個人HPを見漁って、
(この時期に、某サイトの存在を知り、所属したのだ(笑))
某大手自動車会社のHP(制作費だけで1億だそうだ)を制作した会社、
某音楽会社のHPの製作会社を数社、
アニメ系に強い製作会社
それと、
広告業界の大手どころ数社にも
コンベションを持ちかけてみた。

うちの会社は、
広告関係にド素人ではあるが、
何の柵もなく自由に制作会社を選定できる
という強さがある。
がために、幅広い考慮が可能だったのは、良かったと思う。
HP制作準備委員会のメンバーは
若手だけで構成されていたので、
熱気のある我儘こだわり丸出しの論議が繰り返され、
最終的に、
とぼけ面白ろキャラを作ってきたアニメに強い某社案
ビジュアルに優れた不思議レトロ調の雰囲気を打ち立ててきた某社案
この2種が残った。
ちなみに、
現在汐留にでっかい悪魔御殿を建築中の某社は、
もう最低の眠くなるようなダサイ案であったのが
ひどく印象的であった。
きっと、うちの会社なんてバカバカしくてやりたくないんだろう
と、選考委員は皆言ったものだ(笑)
あとは、どちらにするかの二者択一という
もうこれは感性の問題でしかないわけなのだったが、
我儘揃いの選定委員たちは、誰も譲ろうとはしなかった。
こうなると、多数決しかない。
が、結果は4対4。
「誰だ?! 委員を偶数にしたのはっ!?」
「俺は、こっちの会社のじゃなきゃ、絶対やらないからな!」
「おー! そんな私情だけなら、やらないでもらおうじゃないの!?」
男女半々、担当職種はバラバラ、年齢も近いがバラバラ。
共通点は、みんな主張だけはすること(笑)
しかし、
うちの会社に現在過去未来に共通な
意見も覇気もないNoから始まる会議
という雰囲気はなく、限りなく熱い会議の日々だった。
結局、広報部長の一票を加算して
レトロちっくなものに決まり、
(私は反対側に票を入れていたりする(笑))
気に入らない人間は書類をぶん投げ、会議室を出て行った・・・(笑)

という艱難辛苦を潜り抜け(笑)
ようやく制作会社を選定した後も、面倒は続いた。
なぜかといえば、
強烈な個性のあるアイデアを持ち出せる会社など
当然誇り高き人々の集まりなわけである。
こっちの要望には、耳を一切傾けようとしないのだ。
「この色、全体的に暗すぎませんか?」
「ふっ・・・ネットではこれくらいがいいんです」
「この字、小さすぎませんか?」
「ネットじゃ、これが常識ですね〜っ」
内容については、何も文句を言ったことはなかったが、
こんな少しの面の注文すら受け付けないのだから、
内容について何か言ったら、タイヘンなことになっていただろう。
うちの会社も含めて、この業界、
ダークスーツ姿にブランドバック&超高級時計で身を固める
というのが当たり前の世界に、
おかしな形の大きなクリスタルのペンダントを下げた
髪の毛ボサボサな黒Tシャツくんや、
オレンジのジャケットにショッキングピンクの鮫肌パンツくんが
本社ビルに入館しているだけでも黒船来襲かと噂になりそうなくらい
カルチャーショックな出来事(笑)であったから、
こちらも萎縮してしまっていたのだろう。
こうして、
選定の時の鼻息の荒さはどこへやら、
完全に向こう主導で、うちのHPは出来上がったのであった。

これが『○○○○○研究所』の立ち上がりまでである。

これがなぜ衰退していったかは、
また次回(笑)

2002年01月17日(木)
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