私の友人の「漱石マニア」からいつも聞かされていた漱石エピソード。 漱石が授業で「I LOVE YOU」を学生に和訳させ 学生は「我、汝を愛す。」と約した。 漱石は「日本人はそんな無粋なことは言わない。 日本語で『I LOVE YOU』は『星がとっても綺麗だね』と約すのだ。」 と言ったそうです。 好きな彼女と居る時に彼が「星がとっても綺麗だね。」と言ったら それは「I LOVE YOU」と同じこと。 ちょっと前のトリビアでも取り上げられていてその時は「月」だったけど 別に「月」でも「星」でもいいのですが何て「粋」な授業なんだろう と思います。 同じく明治の文豪二葉亭四迷は訳書の中で「I LOVE YOU」を (厳密にいうとツルゲーネフだからロシア語ですが) 「死んでもいい」と訳しています。
先日、日本語がどうのと酔っ払いの戯言みたいなことを 色々書いてしまいました。 書いているうちに愚痴みたいになってしまい気を悪くされた方も いらっしゃるのではないのかと思います。 国語に携わっているわけでもなく国文学を専攻していたわけでもなく ただ私のこだわりであるだけです。 時代の流れと共に言葉が変化していくのは仕方ないことだと思います。 「ら」が抜けていようが「さ」が入っていようが構わないので 日本語のいいところは残っていって欲しいです。
ライブの時に木村さんが叫ぶ「みんな、来てくれてサンキュー!」 もきっと「I LOVE YOU」 「愛している。」と言うことだけが「I LOVE YOU」 なわけではないんですよね。 きっと色んな「I LOVE YOU」があるのだと思います。
「チョナン2」 チョナンの肩を触ると幸せになれるらしいです。 もの凄く触りたい、触らせてくれないかな。 お正月に初詣に行き手を合わせた時 ただ漠然と「幸せになりたい。」と願うことがあります。 「幸せの定義」って本当に人それぞれですよね。 「強いの定義」も然り。 「愛」であっても「お金」であってもそれで強くなれるのなら それでいいんでしょうね。
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