Rollin' Age

2004年06月26日(土)
 好奇心という才能

 学生時代、新聞社やテレビ局を志望する学生を対象とするゼミに所属していた。夏が終わるにつれ、俺も含め皆に焦りが出始める。どうして彼が受かって私は落ちるんだろう。彼と私とで何が違うんだろう、というように。誰かが先生に尋ねた。「新聞記者に向く人って、いったいどんな人なんですか」。先生が答える。「それは、フットワークの軽さと粘り強さ、そしてなにより好奇心を持ち続ける人ですよ」

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 新聞記事の構成というのは、きわめて単純だ。いわゆる5W1H。だれが、いつ、どこで、なにを、なぜ、どのように実施するのか。そしてその影響は。取材先にそれらすべてを尋ねることができるのならば申し分ない。だから、論文を書くとか、小説を書くとか、同じ「書く」にしても、記事を書くのはとても機械的な単純作業のはずだ。だけど、なぜだかこれが意外に難しい。

 例えばどこかに取材に行って、いろいろと根掘り葉掘り聞いてくる。それから会社に戻って、さぁ記事を書くか、となると、あれ?この点って、どうなってるんだろう?5W1Hのどれかが抜けている、もしくは不十分、ということがよくある。取材先と対面で話をしているときは、分かったような気になっていても、実は分かっていなかったりする。だから、あらためて電話で追加取材をする、というように、みっともないことになること、しばしばある。

 という状態に陥ってしまうんですよーと先輩に相談してみると、「何か一つ聞き出したら、さらに”?”を重ねるんだよ」というアドバイス。こちらが質問したことに対して、一つの答が返ってくると、「質問に対する答えを得られた」という事実について、満足してしまいがちだ。しかし後で吟味してみると、こちらの聞きたいことに対する答としては少しずれている、もしくは答になっていないということがよくある。

 もちろん、新聞記者としての取材であって、単なる雑談ではないのだから、ノウハウというものがある。上に挙げた5W1Hのように、「これは聞かねばならない」とか、「こういうふうに質問すればいい」とか。今は、そうした技術を教わったり学んだりして習得する過程。いずれは、一つの記事を書くために必要な情報を、一回の取材ですべて聞きだせるようになるだろう。

 しかし、それは小手先の技術。

 冒頭に挙げた先生の言葉。新聞記者の条件。それは、自分が納得できるまで質問を重ねること。あらゆることに問いを発し続けること。実際にこの世界に入って感じるのは、好奇心旺盛な人ほど、良い記事を書く、のではないかという感触。そしてこの好奇心という奴は、いろんなノウハウとは違って、学びようがないじゃないか、どうしようもないじゃないかという、軽い絶望。


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