ニュースでも放送されているとおもいますが、ヨハネ・パウロ2世が亡くなられました。 私は昨年、ヨハネ・パウロ2世が著したといわれる本を教科書に、又レポートを書きましたから、彼のしたこと、されたことに触れることも多々ありました。 私自身は無宗教者でしかも専門は仏教な人間なので、彼の宗教的な意味合いでの偉大さは分かりかねますし(客観的には理解しえても主観的な意味では無理と言う意味)また論じられる立場ではないと言うことは分かってますが、やはり彼の偉大さについては感じられずにはいられません。 私が感じるのは宗教的偉大さではなく、社会的な偉大さです。 ローマ法王というのはカトリックにおいてもっとも頂点に立つ人です。 その影響力は多大なものがあります。 それを彼自身も分かっていたのでしょう。 もう無理のきかない体を押して広場に向かって手を振り。 死すときの最後のひとことは「アーメン(まことに、確かに、そうなりますように)」といわれています。 56歳と言う若さで法王になり、455年ぶりの非イタリア人、初のスラブ民族でした。 就任直後から、祖国ポーランドでの民主化運動を精神的に支え、東欧諸国で共産主義政権が次々と崩壊する後押しをしたといわれています。 また、104回の外遊をこなし、「空飛ぶ聖座」と呼ばれ「法王外交」を展開しました。81年には日本を訪れ、昭和天皇と会われました。米国によるイラク攻撃に反対するなど、国際政治舞台で発言を続けていました(記憶に新しいですね)。 宗教間対話に努め、ローマ法王として史上初めて、ユダヤ教とイスラム教の礼拝所を訪問したり、また、2001年には、東西教会の分裂(1054年)以来、ローマ法王としては初めて東方教会の拠点であるギリシャを訪れ、キリスト教会再統一を目指す強い意欲を示しました。 和解のためには、カトリック教会の過去の過ちを謝罪することをいとわず、その対象はユダヤ教徒、東方教会、19世紀から20世紀初めの中国での布教活動にまで及びました。2001年(だっけかな?)にはガリレオに対して公式に謝罪してましたね。ローマ法王が謝罪をする、ということはとっても大変なことなんですよ。 そういえばカトリックの法王で始めて「他宗教」というのを認めたというのを聞いたことが在る。授業でだっけかな? だが、東方教会内で最大勢力のロシア正教会はカトリックの教勢拡大を恐れ、法王のモスクワ訪問を拒み続けたようです。また、カトリック教会の活動を規制する中国に対し、外交関係の樹立を働きかけたが、かなわなかったみたい。 ヨハネ・パウロ2世は、社会問題では保守を貫き、同性間の結婚、人工妊娠中絶や、神父の結婚には反対し続けました。このため、ローマ法王庁内には「先進国の若者のカトリック離れを食い止められない」との批判もくすぶったみたいです。まぁこれは宗教的にしょうがないのかも(法王が認めたら宗教的に根本から揺らぐと思うし) http://www.nikkei.co.jp/news/kaigai/20050403AT2M0300F03042005.html とりあえず今はそういうことをいっている時じゃないと。 場の空気が読めないのかなぁ? 「平和主義」という路線をつらぬき通した第264代ローマ法王ヨハネ・パウロ2世に追悼の意を示したいと思います。 (ちなみにヨハネ・パウロ2世を「彼」といったり特に尊称を用いていないのは意図的にです。あしからずご了承お願いいたします)
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