Estrellitaの日記
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2001年12月11日(火) |
大変な1日(八丁堀の弁護士の元へ) |
朝11時起床。 今日、本当は松元さんの自宅へ行って伴奏合わせをする予定だったが昨日の電話で予定を変更してもらった。 起きてから、今日弁護士へ提出する書類を整理した。 日中はかなり暖かく過ごしやすかった。
4時父と家を出発。 青物横丁から京浜急行、都営地下鉄で東銀座へ行き、日比谷線に乗り換え八丁堀まで行った。 東銀座まで360円かかったが、そこから160円かかる。わたしはお金が足りなくなり、父から160円借りた。
父 これは貸しだからな。
わたし 12月21日演奏会に出て2000円もらったら返すよ。
父 楽器はだめだ。他の仕事を見つけなさい。 このような口論が続いた。
八丁堀に着いてから場所を見つけるのに時間がかかった。 昨日、父が一人で弁護士会の相談に出かけたので地図を持っている。
わたしはそれについていくだけだった。
父と一緒に歩くのは、わたしが留学から帰ってきてから千葉の病院に入院するとき以来だ。あいかわらず元気に歩く姿は変わらないが、もう69歳だ。横断歩道を走っていく父を見て思わず「無理しないで」と少し涙混じりに言った。 弁護士の事務所に、5時に着いてから、30分ほど待たされた。 その間、父と話したが、わたしには「楽器の差し押さえ」がいつも気になっていた。
今わたしが1番大事なものは「楽器」、「楽譜」それから自分の演奏の「録音」だ。
その中でも「楽器」だけは何とか死守したい。 弁護士との相談はかなり短かった。
今までの債務の総計、わたしがそれだけの債務を背負った原因、自己破産に関する弁護士受任の契約書の説明。 6時には終わった。
帰りは、お金がなかったのでわたしは東京駅まで歩いた。父は有楽町駅まで行った。 そのとき、ふと父が「食事はうちですればいい。」と言った。
わたしはうれしかった。
家族とともに食事するのは、わたしにとってとても本当にうれしいことだ。
いつも母から「お忍びで」ご飯とおかずをもらっていたのは本当につらかった。 そのため、外食で浪費することもしばしばあった。
夕食はかつお、漬物、味噌汁、ご飯だったが本当においしかった。
こんなおいしい食事は久しぶりだ。
20時半〜21時半練習。ロングトーン、長音階。使用リード4,6、7、8、2(6/4)。 全体的にあまりよく鳴らなかった そのあと、楽器の手入れもした。 浜岡さん、占部さんから電話があった。 さすがにわたしが多重債務を抱えていることは言えなかったが、「現在求職中で12月21日の演奏会は出たいのだが難しい、2,3日様子を見たいので待ってください」と伝えた。 そのあと床に着くが、眠れずこの日記を書き出した。
もう1時過ぎになる。
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