岸部・・・?
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徹夜明けの今朝、家族の朝食の時間があまりにも平和だったので、「未来からタイムマシーンでやって来た」っていう設定で未来の自分から今朝の朝食を眺めてみる気になった。その視線によると、70歳ぐらいの自分が28歳当時を体験するような気持ちで物事を見ることができる。
母ちゃんを見れば、「ああ…こんなに若かったなあ。母ちゃんの飯うめえ!」とか、父ちゃんが新聞を読み耽る姿を見れば、「いつもこうやって世間の動向に目を向けていたなあ」とか、散らかった台所を見れば、「おお!婆ちゃんも健在やな」とか。家族も、物も、普遍的じゃない全てが、さも普遍的らしくそこに存在していて、すごくいい感じ。
これが普段なら、「母ちゃん老けたぜ!歳はとりたくないもんだな!」「オヤジ新聞の音うるせえ!人の話聞け!そしてお前の話は聞きたくねえ!」「クソババア使い方が汚ねえ!毎度毎度散らかすなこの老いぼれ!余命いくばくもないぜ!」などと、自分を撃ち抜く言葉とも知らずに吐き捨てていたところ。
上記の異常な懐かしみは、自分で作り上げたオナニー的な郷愁とも言えるけど、今いる誰かがいなくなった時に現実に思い起こすであろうものでもあるし、現にある日常を感謝することにも繋がる。父ちゃんがいる風景から父ちゃんを消してみると、父ちゃんがそこにいることが当たり前じゃないことがわかる。でも、今は消してみる必要はない。
そんな風に、家族が健康でいることを感謝したい気持ちで満たされ、うっすら涙さえ出そうになって、その気持ちを家族に披露したいところだったけど、年の暮れに息子が涙目でそんなことを訴えてくれば、当の本人達は、「やばい、朝っぱらから息子がわけわからんこと言い出した。来年から不安すぎる。」などといらぬ不安を抱えることになるので、その自作の郷愁と感謝の気持ちを胸の奥にしまった。
「そうやって家族がおれのこの感謝の気持ちを知らずに死んでいくのはよくないな」と思ったおれは、いっそのことタイムマシーンからやって来たことを暴露して感謝の意を述べてしまおうか(例:「お母さん、おれはタイムマシーンに乗って未来からやってきたおれだ。未来のおれから告げる。ありがとう!」など。)とも思ったけど、その後の気まずさを想像したらそんなこと絶対できん!しかも、そっちの方がよっぽど狂ったと思われて即病院行きやないか!っていうか実際おれはちょっとおかしいんじゃないか?
結果、「日常の平和を噛み締めたい」と一人で呟いてみるに過ぎなかった。その言葉に母ちゃんは賛同したけど、父ちゃんは新聞を読んでいた。人の話聞け!
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