天使のながばなし
maki

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■ ぐるりと見る

今でも心が痛むことはある。
ちょこっと。チクッと。
くぅ〜っと引っ張られてるなぁと感じる。
今となっては大した引力じゃないけど。

物事が多角的に見える。
あそこに立てば丸くて、ここに立てば尖ってて、
あっちなら三角か四角で、まだ見えないところもある。

とゆうことが分かる。
私の感情は私側だけはなくなる。
私はそんなところにいる。

今日はレッスン代講のお仕事と振替レッスンに出かけた。
代講は2回目。
前は1ヶ月前から緊張してたけど、今日はまったく。
2回目だからってことだけではなくて、
最近、自分を置いているところが違うような気が。

忘れっぽいし、すぐ泣くし、すぐ笑うけど、
どこかがずっと落ち着いている。
ぐるりと見ている。
考えて分析しているわけではない。
一度に感じている感覚。

音楽も詩も変にこだわって取り組まなくなった。
ひとつの細い入り口から見えるものや受けるものだけじゃなく、
もっと開いて感じることをそのまま表現していけるんじゃないかなぁ。


そうそう、アルティにお父さんの野菜を持っていきました。
なんと販売していただくことになりました。感謝。
今日は新タマネギ。ぜひご賞味くださいな。


2005年05月31日(火)

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■ やっぱりおもしろ〜い

昼過ぎからお父さんの彼女の子供達のピアノの発表会に行った。
上手いとか下手よりも一生懸命なのを見るのがいい。
技術よりもピアノ(その場)対その子が、
どんなふうに向かい合っているのかを感じていた。
そうして見ると、ホントにひとりひとり違うもんだね。
でも一生懸命ってのはみんな一緒で、
やっぱりいい気持ちになった。

終わってすぐゴスペルのお友達の家へ。
今日は練習会じゃなくて、旅行の土産話&写真大会。

GWに「オペラ座の怪人」を観に、
イギリスひとり旅に出て友達の話を聞いていたら、
10年前に行ったロンドンでのことをいっぱい思い出した。

私もマジェスティックで「オペラ座の怪人」を観ていたのでした。
ロンドンでは確か5、6本ミュージカルを観た。
「サンセット大通り」がすごく良かった。
アンドリュ−・ロイドウェーバーが、
劇場ごと作ってしまったくらい入れこんでいた作品。
朝の空気がとても好きだったロンドン。
美術館が無料で、公園がいっぱいあって、
地下鉄の空気がめちゃ汚なくて、咳が止まらなくなったけど、
とってもとっても楽しかった。

そのイギリスに行った友達が「色」について話していた。
国によって、目にする自然の色が違うから、
写真も映像も絵も、その環境の色彩感覚が出るって。
日本は「青」とか「緑」で、
アメリカなんかは「赤」が強い。
アフリカは大地の「茶色」とか。
例えば同じ「黄色」でも、
「青」寄り「赤」寄り「茶色」寄りでずいぶん違う。
なるほど〜。

それと、知らず知らずのうちに使ってる言葉について。
「何か」「〜感じ」「〜と思う」「〜みたいな」って言葉を、
最近の若者はなぜよく使うのかと、
80才のおじいさんから指摘があったんだって、NHKの番組で。
自信のなさの現れだって。
確かに言い切れないってことだもんね。
私もよく使ってしまう。

ゴスペルのお友達との空間は、
上がってることも下がってることも、
何でもないように、すうっと話が進んでゆく。
固まることもなく、いろんな意見が飛び交って受け入れて。
こないだ誰かが異文化交流って言ってたけど、
そんな感覚だ。
この人たちってやっぱりおもしろ〜い。






2005年05月29日(日)

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■ タンゴ

夕方からタンゴとフォルクローレの演奏を聴きに行った。
バンドネオンとべ−スとギターのトリオ。
昔、少しアルゼンチンタンゴを習っていたことがあって、
アストロリコの演奏を聴いたことはあった。
あとは、ダンスと歌のタンゴステージとか。
もう7、8年前のこと。

しかしバンドネオンをこんなに間近で聴くのは初めて。
アコーディオン部分を閉じる時の音が、
まるで息を吸っているようだった。
ベースの刻む優しいリズムが心地よかった。
テンポが1曲の中でどんどん変わるのも特徴なのかな。
これは踊りがあるとゆうことと関係しているんだろうか。
足がステップを思い出しながら、音楽を感じていた。
哀愁たっぷりなのもいいけど、軽快なミロンガも好き。
ドラマティックな「リベルタンゴ」はやっぱりカッコ良かった。

私の生活の中にはないリズムや音楽に出会うと、
別方向でもイマジネーションが広がるからおもしろい。

2005年05月28日(土)

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■ 人と触れ合うこと

あっとゆう間に一週間経っちゃった。
急にライブすることになったし、練習したいし、
朗読する詩を選びたいし、また作詞したいし、
そんなわけで火曜日に意地でも校正を終わらせて原稿送りました。

今日はうちでユニットの練習。
いつもよりたくさん歌わなかったけど、
ボイトレについてあれこれ話して試していたら、
あっとゆう間に19時になってしまった。
主婦な2人が帰った後、オリジナルの練習をひと通りした。
あまり張り切ると、あとがしんどいので様子見ながら。


ゴスペルを始めるまでは、ほとんど1人で歌っていたけど、
こんなに人と音楽をやることが楽しいなんて思わなかった。
呼吸を合わせたり、声を重ねたりすることは、
ただそれだけのことではない何かがあるんだろうな。
繋がるところに触れられる何かがあるんだろうな。

今は本当に人と人との関わりが大切だなぁと思う。
昔、私はもしかして、今より愛想が良かったかもしれない。
適当にしているつもりではなかったけど、
誠実でも真剣でもなかったように思う。

音楽を通して成長することで、
人と関わることをだんだん怖れなくなってきた。
流さず、逃げず、関わりたいと思えるようになってきた。
緊張することも、舞い上がることも、尻込みすることも、
まだまだあるけれど、それも含めて関わろうと出来る。

それはきっと私が1人で生きていなくて、
すべては繋がっていて、
それでもって回っているんだと理解できたからじゃないかな。
あるべき流れや回っているところに身を置くことが出来ると、
物事が滑らかに進んでゆく。
回ってくるものは、当たり前のように回ってくる。
でも何かが回ってきた時、私側の用意が出来てなければ、
それはまたの機会へ先送りされるんだろう。
だから今やることを精一杯やって私は私側の用意をする。

私の関わるもの、人、すべてが私だ。
私に戻ってくるもので、私から発するものだ。
だから人ときちんと触れ合うことは、
自分自身ときちんと触れ合うことになるんだ。

2005年05月27日(金)

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■ 波打ち際から大海へ

波は次々と、あらゆるタイミングに入りこんでくる。
今まで空いていた隙間をどんどん埋めてゆく。
でもって、私を流しはじめる。

18:00。
長久手のD-Pocketとゆうお店に音源とプロフィールを持っていった。
お昼にもライブが出来るので、いいなぁと思って。

営業担当の女性と話をしていたのだけど。

たまたま社長が来ていて、
今から広告代理店の人が来て、
Radio iの番組枠を持っていて、
それに出演したりするために音源とプロフィールを取りにくると言う。
店で頻繁にライブをしてもらう約束で、
その枠に出演して演奏を動画でネット配信もしていると言う。
そしてたまたま、あなたの音源とプロフィールがここにあるから、
どうか?と言われた。

いきなりな流れですね。
スケジュール的に月に何回もライブをするのは無理なので、
それはお断りした。

社長と広告代理店の人の前で、
出来れば何か歌ってもらえますか?と言われ、
「アカペラで良ければ・・・」とオリジナルを2曲歌うことに。
ビデオも撮っていた。
突然のことに対して、あまり動じなくなったし、
構えなくなったなぁと呑気に思う。
しかしアカペラは難しいね(笑)

まだ一度もライブをしていないのに、
今回は無理だったけど、今後何かあれば話をふるからと言われ、
ボイストレーニングの募集までかけてもらえることになった。
で、もちろんライブも来月と再来月にやります。

のんびりな私を後ろからボンボンガンガン押すような昨日と今日。
ちょっとビックリしつつも、
波にのって大海に出ていけたらと思っています。






2005年05月23日(月)

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■ 覚王山の雨の午後

本屋さんで昼下がりのライブ。
興味をそそられ、知り合いのライブを聴きに行くことに。
どしゃぶりの雨。

覚王山プラザ1Fだと思い、探してみたけど見つからない。
近くのローソンで聞いてみたけど、知らないと言う。
104に電話してみたけど、そんな店はないと言う。

電話番号でも控えてこればよかったんだけど、
用意周到でない私は、そんなことも思いつかなかった。
覚王山プラザ1Fなら分かるから〜とゆう感じで。

辺りを見回してみたけど、それ風の店は見当たらない。
仕方ない。あきらめよう。
せっかく覚王山来たし散策でもしてから帰ろうと、参道に入った。

いつも広小路を車で通り過ぎるだけで、
あまり歩いたことがない。
名前は聞いてたけど、見たことない店を次々発見。
覚王山アパートの小さい看板を発見。
これまた行ったことなかったのでふらふらと入ってみた。

聴覚障害の男の子の作品展をやっていた。本人もいた。
字も絵もなかなか良かった。
万華鏡のお店もあって、
私が足助の蔵の中ギャラリーで買ったようなのもあったし、
すごい数のいろんなのがあった。
2Fにあがると針金の作品のお店があって、
奥の部屋では絵本教室をやっていた。
ライブも出来るらしい。ここもいいな。
狭いところだったけど、やさしくていい空間だった。

ふとチラシなどの棚を見ると「cesta」の文字。
探していた本屋のカードだった。
こんなところで出会うもんかね。
「覚王プラザ1F」。。。覚王山プラザ1Fじゃないんかい。
やられた〜。
ライブ開始時間から30分以上経っていたけど、
お店雰囲気だけでも感じたいと思って、行くことに。

「cesta」到着。
これまたちっちゃいお店。でも良い感じ。
テーブル3つのミニカフェ付き。
そしてライブはまだやっていたのでした。
やっぱりお昼に生音ライブは気持ちいい。

演奏する2人のとなりには知らない女性。
中区のライブレストランのオーナーだそう。
次々といろんな機会に出会うものだ。
で、本屋のオーナーさん(?)には、
詩集や手作り本を置いてもらう約束しちゃいました。

予定通りにいかなかったがため、
思わぬ収穫がたくさんあった覚王山の雨の午後でした。



2005年05月22日(日)

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■ じりじり校正

相変わらず校正が終わらない。
いったい出版はいつになることやら。
「茎のつづき」だから春にピッタリな感じがしたけど、
新緑の季節でもいいし、夏でもいいし、秋だって似合うし、
冬だって雰囲気を感じさせる。
何時ってこともない。
焦っても仕方ない。
納得出来るものが出来上がるようにがんばろう。


2005年05月21日(土)

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■ 此処にいるこの日の私

午前中ゴスペルレッスンをして、
午後はゴスペルの体験レッスン。
私はなぜだかあまり緊張しなくて、楽しくて解放された気分だった。
体験にきた5人の女性は、とても一生懸命歌ってくれて嬉しかった。
ゴスペルの喜びを感じてくれて、
メンバーに加わってくれると楽しいだろうなぁ。

夕方から友達の家へ。
東京に行ってライブ活動などしてる友達が帰ってくる時は、
決まって名駅の友達のところに集まる。
7人集まって、さらに3才までの子供が5人も。
保育園みたいになる。
去年この場にいた私と、この日此処にいた私とは別人のようだ。
同じ環境にいても、私が違えばこんなに違う。

夜、ボイストレーニング教室時代の友達から突然電話があった。
特別な理由はないらしい。
また最近歌いたくなってさぁ・・・とゆう話。
仕事がシフト制で、休みの曜日が決まっていないらしく、
ボイストレーニングに通うに通えないと言う。
自宅でレッスンしていることを伝えたら、
ぜひ来たいとゆう流れになった。
彼女にとってはこの上ないタイミングと偶然で、
それはもちろん私にとっても。
考えてみればすべてがそうなのだけど。



2005年05月20日(金)

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■ 溶け合う音楽

借りていたマイルス・デイビスのDVDを観た。
名前は知っていたものの、まともに聴いたことがなかったし、
すごいすごいといっても、いったい何がすごいのか全く知らなかった。

彼と音楽を共にしたことのあるたくさんのミュージシャンのコメントは、
一字一句逃したくないほど、興味深かった。
それぞれの言葉でそれぞれの考えを話していたけれど、
共通のものも感じた。
まぁとにかくみんなカッコいい。
好きなジョニ・ミッチェルも出ていた。
しかしマイルスの肖像画は上手い。

ワイト島ロックフェスティバルでの、
37分におよぶ「Call it anything」を聴きながら、
私の意識はいろんなところへ飛んで、
1つ大きく感じたことがあった。

それは、音楽と自然が溶け合うこと。
ステージのマイルスの向こう側に、ガムを噛んでいる男の人が映っていた。
それがこの何だかわからない音楽にすうっと合っていた。
次にうちの犬が小さく低く唸った。2回。
絶妙に演奏に入り込んだ。
それから何度か吠えたけど、それも音楽になっていた。
だから私もわざとらしく歌わず、適当に�鼻鮮鼻糎世辰討澆燭蕁�
何とでもなった。
何でも受け入れちゃうんだ。すごいなぁ、これって。

マイルスが、ドラムが、ベースが、オルガンが、
パーカッションが、サックスが、ギターが、
次々と代わる代わる目の前に現れた。

今週は贅沢週間。
カエターノに出会ったことで、新しくスタートした。
これから溢れることがたくさんある。




2005年05月19日(木)

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■ オリジナルと自由とわからないこと

カエターノ・ヴェローゾのライブは素晴らしかった。
私は終始幸せで、感動とゆうよりは浴びていた。

そして心に強く繋がったことは、
オリジナルと自由とわからないこと。

オリジナルの中に流れる、
たくさんのリズムや音色を感じることが出来た。浴びた。
私の中で渦巻いていた色んなことが明らかになった。
音楽ってこんなふうにするものだったんだ。

自由だと思っていたことは、まだまだ小さくて、
本当に自由とはこうゆうことかと思った。
自由も浴びた。

わからないことがたくさんあった。
意識出来るところでも、出来ないところでも。
わからないことに、意味なく惹かれた。
わからないものに意味をつけることなく浴びようと思った。
それを大切にしようと思った。
これからも。

このライブがもたらしてくれたものは、
絶妙なタイミングでなんて大きいんだろう。
オリジナルと自由とわからないことでいいのだから。
何も怖くないんだから。
何も要求しないのだから。

新しい感性は常に開かれているように。







2005年05月17日(火)

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■ 花フェスタ

今日は早起き。
花フェスタ記念公園へ行くためです。
オンドマルトノの若菜さんが、
ジャパンフラワーフェスティバルで演奏すると聞いたので。
花フェスタ記念公園も行ったことがないし、
写真もたくさん撮れるし一石二鳥・・・のはずでした。

11時から演奏が始まるので、9時に家を出て下道で行くことに。
川沿いの冷たい風をうけながら、
すでに自然を満喫しつつ、順調に多治見あたりまで出た。
看板が出てたので迷うこともないだろうと思ったけど、
私の方向音痴のほうが勝っていたみたい。
右折しなきゃいけない交差点になが〜く車が並んでて、
気づいた時にはもう入れない。あ〜。
まぁ、次で曲がって何とかしようとすぐにその交差点に戻りもせず、
呑気に違う道を走っていたら、あっとゆう間に居場所を見失った。。。
反省してあわてて戻る私。

やっと花フェスタ記念公園に到着。
その時点で10:40。ちょうどいい感じ。
でもまたまた甘かった。
すんごい人で、近くの駐車場は全部満車。
臨時駐車場は遠い。山道を歩くのか!?と不安になり、
心の中で「無理、絶対無理」をくり返してた。
花フェスタ記念公園からどんどん離れていくし、
雨まで降ってきて(傘持ってないし)もうへこんで帰ろうかと思った。
どうにか気力を振り絞って、遠くの駐車場に入れて、
シャトルバス乗り場まで急いで歩いて(これも遠い)
携帯を車に忘れたのに気づいて、また軽くへこんで、
すでに11時過ぎ。あ〜。

やっと公園に入ってMAPをもらう。
「プリンセスホール雅」をさがすと、一番遠くの端っこ。あ〜。
ホールを間近にさらに雨に降られて半泣きです。

何とか席に滑り込むことが出来て演奏を聴いていたら、
やっぱり来てよかったとゲンキンな私でした。
花と屋外の開かれた空間とオンドマルトノって合うなぁって。
演奏が終わった頃には、雨も上がってて、
濡れた花びらたちが美しい。
夢中で見たこともないバラたちの写真を撮った。
花いかだの池の周りにはかわいい花がたくさん咲いてた。
淡い緑の中に赤も黄色もオレンジも紫も水色も白も、
パ〜ッて絵の具を飛ばしたみたいに散らばってた。
すごくすごく綺麗だった。
頑張って歩いてたくさん見た。それでも回りきれなかったけど。

どうして花ってこんなにいいんだろう。
可憐だけど圧倒される。
本当〜〜〜に疲れちゃったけど、やっぱり行ってよかったな。
期間中にもう一回くらい行きたい。

2005年05月15日(日)

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■ ありがとう

午前中、病院。
なんでか炎症値(CRPといいます)が倍になってて、
とうとうリウマトレックスを1錠増やして週4錠飲むことに。
日本では増やせるのはここまで。
ちょっと残念。

栄で用事を済ませ、ドト−ルでランチして、
3時から「コトノハ コトダマ」とゆうボイスパフォーマンスを
ちくさ座に見に行きました。
たまたまチラシを見つけただけだったけど、
どんなことするんだろうって感じで。

「しらかば やお」とゆう女の人が教えている、
朗読教室の生徒さんによるものだったのだけど、
案外良かった。
お客さんも出演者もおばさま方ばかりで、
発表会かぁ〜って思ったんだけど。
照明や音響も色々工夫してて、
複数で朗読するのもおもしろかった。

しらかばさんは演劇のような表現方法。
こんなふうな朗読は多分ポピュラーなんだと思うのだけど。
作り上げられて固定したものに、
魅力をを感じなくなったのはなぜだろう。
生徒さん達は逆にそれが出来上がっていない分、
素直な声と気持ちが届いてきて好きだった。
下手でも声が小さくても、一生懸命のそのままがいい。
上手なベールで隠してしまうと気持ちいい揺らぎが見えなくなっちゃう。

チョイスされている詩も、
あまり長くなくてわかりやすいものが多くて良かった。
最後に出演者全員が(何十人もいる)「ありがとう」とゆうテーマで、
順番に詩を朗読していくのを聞いていたら、
私の中をいろんなものが通り過ぎていった。

親、夫、子供など家族に「ありがとう」を伝えるものが多かった。
出会ったすべての人やもの、食べること、音楽、
たくさんの「ありがとう」を感じた。
私があの場で読むなら何にするかな。
考えると1つにはなかなかしぼれない。
そしたらだんだん、どれでもいいやって思ってきた。
どれも「ありがとう」だし、どれだけってこともない。
でもとにかく「ありがとう」っていいなって思った。
気持ちが伝わってきて感動した。
声ってそうゆうものだ。

感謝することに溢れた日常だから、
表現しきれないけれど、
出来る限り言葉や形にして伝えられたらいいなぁ。


2005年05月14日(土)

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■ 愛について

今日は愛について少し話した。

男女の恋愛と人間愛は違う?
むかし私にとって恋愛は何よりも大きかったけど、今は小さい。
大きな愛のほんの一部とゆう感じでしょうか。

愛しいとは何か。どうゆうことか。
優しく抱き寄せたくなるような感覚。
その存在をとてもとても大切に思う瞬間。
とゆう感じでしょうか。
でも電子手帳で調べたら一番目に「ふびんである」って書いてあって、
びっくりした。なるほどね。

今の私の信じるもの、感じるもの、真実は、
どんな愛かなんてなくて、世の中その気になれば「愛」だらけだと思う。
だから私は「I'm In Love」の詞を書いたんだと思うから。
みんなが心を解き放って溶け合った時、
恋人とか家族とか友達とか名前のつくものはなくなって、
もうそんなことじゃなくて、
ひとつの「愛」になるんじゃないかなぁ。
これはただの希望や理想ではなく、
私にとってはリアルの真実なのだけど。


ところで今日は思い込みによる行き違いがあって、
びっくりして心がうわっと落ちた。
落ち込んだとかではなくて、
思いがけず頭をグオ〜ンッてぶつけちゃった感じ。
で、頭重くなっちゃって、しばらくボ〜ッとしてたと。
まぁ、アクシデントは起こるものです。
そしたら、素直に衝撃を受ければいい。
それが過ぎればなんてことないもん。



2005年05月13日(金)

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■ 不自由から自由へ

ここ数年のことをたくさん思い出した。
今に繋がる過去のことを。
それはもう感情を伴う「記憶」ではなくなっていて、
ただの過ぎた「出来事」だった。

だからこそ、きちんと見ることが出来て、
何がどうだったのか、
欠落していた心と、張り付いていた願望、
私のしようとしていたことの空しさや、
それでもそうするしかなかったとゆうことや、
否定も肯定もすることなく、
たくさんのものが見える。

決めようとしていたことは何だったんだろう。
守ろうとしていたものは?
たどり着こうとしていたところは何処で、
そこで何がしたかったんだろう?
そんなところには何もなかったのに。

私は限りなく不自由だった。
私達は限りなく不自由へと向かっていた。
その果てまで行ってしまったから解った。
あなたが先に見つけて、その道を切った。


あんなに手放せなかった、手放したくなかった思いも、
今はもうない。私の中には何もない。
持ち続けるんだと思っていた深い悲しみもない。
淋しさや苦しみもただ風のように通り過ぎるだけ。

一切のことが関係なくなった。
関係しようと思えば出来て、しないでおこうと思えばしないだけ。
私が何であるか、どうであるかを、どんなに語っても、
私自身には関係のないこと。

何もない私がすることと言えば、ただ、思いやりたいだけ。
邪魔するものはなくなった。
そして幸運にも言葉と音楽とゆう道具を使うことも出来る。
もちろんそれ以外のすべても使える。
それであなたをもっと思いやりたい。

私は今、限りなく自由です。
自由の道を歩き始め、また道などなく、何もなく、
何もないからこそ、すべてがある。
そう感じています。


2005年05月11日(水)

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■ それぞれの真実

昨日は一日中家から出ないで、
パソコンで父の退職祝いに渡すものを作っていました。
写真や詩の作品入れる、大きめのフォトフレームの窓は、
大小合わせて10個もある。
ずっとやってて身体が痛くなると、
なんでこんなの選んだろう。。。と思うけど、
作ること自体は楽しい。
ラッピング(これも昔から大好き)まで凝って、
結局夜までかかって完成。

で、今日は父の退職祝い。
歩く100億円社長で有名な「よし川」別館で懐石ランチ。
むかしむかしはグルメ三昧だった私だけど、
最近は素食派で、豪華なお食事は久しぶりでした。
ひととおり食事が出終わったところで、吉川幸枝社長がお部屋に登場。
テレビでは何回か見たけど、生でみるとまたすごいねぇ。
両手にはめてる宝石が大きすぎて、
チュッパチャップス10本はめてるみたい。失礼。
チャンピオンベルトのようなオーダーメイド「よし川」ジュエリーもすごい。

結構長い時間話をしていました。
家族とゆうものが一番大事と言っていた。
家族できちんと出来なかったら、
外で仕事も何も出来るわけがないと。
母と父を尊敬して、その血が流れていると思うと、
「あぁ大丈夫だ」って思うとも言っていた。
今日の席を催した兄が嬉しそうに言葉を返していた。
みんなが少し高揚した感じの中、
私は黙って話を聞いていた。

同じ話の中にいて、それぞれの真実はがあるのを感じた。
会話は一見キャッチボール出来ているようだけど、
投げたボールは風船になって返ってきたり、
また投げたものは、もう羽根だった。
でも一方ではどれもボールで、
もう一方ではすべて風船で、
また一方では全部羽根なんだ。

これは、今日のこの時が噛み合っていなかった話ではなくて、
日常の会話すべてに起こっていることなんだと思う。
その人が見ているものは、その人の内側ですべて。
だから、同じものを見ていても、それぞれの真実しか見えない。
それを越えたところにアクセス出来たら、
共通するひとつのものになるのだろうけど。

私は、家族とゆうものがすごく特別とゆう感覚が薄い。
だから今日の会話には違和感があった。
それも本当だと思うけど、それだけではないとゆう意味で。
その他、私に関するいろんなことが影響して。

変な空間だった。
ある一部分だけをクローズアップしたような。
私はそこにいて、そこにいられなかった。
感情は抜きにして。
否定する気持ちなどは湧いてこなかったけど、
私の真実はそこにはない。


2005年05月08日(日)

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■ ピンぼけの淋しさ

昨夜、眠る時になって、
不意をつかれたような出来事が次から次へと出てきて、
とても淋しくなってベットから起きた。
そして作詞始めてしまった。
書いていたら、また違う気分になって寝ることにした。
何かに夢中になっていても「アッ」とゆう瞬間がやってきて、
そしたら途中であれ何であれ、やめて次へと移る。
最近の傾向。

雨が降ると少し寒くて、出かけるには不自由。
そんな日だけど、たくさんの買い物があって栄へ。
不自由でも楽しくないわけじゃない。
買い物のほとんどがプレゼントで、
あれこれ想像しながら選ぶのが好き。
ひとりでコーヒー飲んで休憩するのも好き。
思ったよりいっぱいお金使っちゃったから、
微妙に「あ〜あ・・・」と思いつつも。

母の日などなどのお花を買いにお花屋さんへも行った。
花束や花カゴを作ってもらってる間、
いろんな花の香りと色に囲まれていい気分になった。
本当に綺麗なんだもん。
愛おしくて、愛くるしくて、美しい。
何色が何色のとなりにあってもすごく綺麗。


ちょっとばかり悲しくて、
淋しいとゆうことが目の前に出てきたのは久しぶりかな。
いつも焦点を当ててるところからずらして、
ピンぼけした自分の全体を見る。社会や感情も含めて。
どちらにしろ、前に戻ることとは違う。
違うことを分かっているから、混乱することもないし。
たまにはいいかもしれない。
今日も淋しい気分に包まれて眠ろかな。


2005年05月06日(金)

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■ 楽しみが押し寄せる

トップを初夏な感じにスッキリしてみました〜。
相変わらずカウンタ浮いてるけど。

・・って、こんなことやってる場合じゃないんです。

作詞もしたいし、校正も途中だし、
明日明後日でプレゼント作品を創らなきゃいけないし、
それなのにトップなんか変えてる。
作詞に苦戦してから、昼過ぎには香嵐渓になんか行ってる。
おいしいカレーなんか食べて、散歩なんかして、
帰りにおいしい珈琲屋さんでカフェオレとケーキなんか楽しんでる。
疲れたからちょっと休んで、
晩ゴハンは朴葉みそ食べて、香嵐渓で買ったところてんをデザートに。

GWはたくさんヒマな時間があると思ったのに、
ない。ぜんぜんない。
知らず知らずのうちに盛りだくさんの楽しみが押し寄せてきて。
気分は最高だけど、身体が微妙についていってないかも。
休憩入れんとね。

といいつつ、また夜更かし。
気になる作詞。気になる校正。
やりたくて仕方ないけど、寝よう。
たぶん。

2005年05月05日(木)

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■ シロツメグサの花輪

シロツメグサで花輪を作ったのなんて、いつ以来だろう。

昼間の自宅レッスンがキャンセルになったので、
畑のほうへ写真を撮りに出かけた。
子供達が畑でランチをした後で、写真を撮る私について回っていた。
途中、四葉のクローバーを見つけたりもした。

花輪どうやって編むの?と聞かれ、手探りで作ってみた。
昔はよく作ったのに、すっかりやり方を忘れてて。
でもやってると思い出すもんで、
楽しくて子供達以上に夢中になってたような。
太陽と風の中で疲れも忘れてやってたもんだから、
夕方からの仕事へ行く時に眠くなってきちゃったよ。

「えいこお姉さんって、何かを作ることが好きなんだね。」と言われ、
「どうも、そうらしいね」と言ったら笑ってた。
(そうなの)って感じじゃなくて(そうか〜)って感じだったから。

1時間もすると、花輪は枯れてきて、
完成したものを大事にとっておくことよりも、
その過程を楽しむことの大切さを見たのでした。



2005年05月03日(火)

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■ 養老天命反転地

昨日はほとんど家で校正作業をしてた。まだ途中。
アイディアは色々浮かぶし、これだ!ってのもあれば、
どっちがいいか考えば考えるほどわからなくなったりもする。
やりだすと止まらない。
最良ってなんだろう。完璧ってあるのかな。
今の自分でしっかり切り取るしかない。
次の瞬間には変わってるもん。
これもまた積極的なあきらめが肝心だ。


今日は「養老天命反転地」に行ってきた。
柴咲コウの「かたちあるもの」のジャケット写真で見ていたし、
以前から興味はあったんだけど、なかなか行けなかったところ。

お父さんの彼女の子供の学校にNHKの「ようこそ先輩」がきて、
その人が「養老天命反転地」を創った荒川修作だった。
放送を見て、とっても興味を惹かれた。
相当足腰を使って歩き回らなければいけないようで、
私の身体では無理かとも思ったけど、
見るだけでもいいやと思い、今日偶然時間が取れたので行ってきた。

メインパビリオンの「極限で似るものの家」と、
どこにも平らな地面がない、芸術庭園のような、
巨大なすり鉢状の「楕円形フィールド」

「楕円形フィールド」の中には、
それ自体オブジェのような幾つもの「刺激」がある。
バランス感覚を失ったり、フルに使ったり、
暗闇や切り取られた視界、ついでに本日の強風。
五感を(第六感も?)どんどん突ついてくる。
工夫しなきゃ進めない。それが楽しい。

でこぼこの急斜面を上がったり下がったりしても、
不思議と関節が痛くならない。
こんなに運動したのは久しぶりってくらい。
でも、痛くならない。なぜだろう。

本当に楽しいところだった。
定期的に遊びに来て歩き回ったら、
身体の痛みがなくなりそうな気さえしてくる。

家に帰って台所に立ちながら考えていたんだけど、
関節が痛くならなかった理由。
なぜ平らな道を散歩していて限界があるのに、
今日は痛くならなかったのか。。。

で、ひとつの結論。
関節に同じ方向に同じ負荷をかけ続けると耐えられなくなる。
でも今日は関節にかかる方向と負荷が変わり続ける。
一秒だって同じじゃなかった。
ずっと不規則なところを歩いて、感覚も変わり続けていた。
身体の感覚も心の感覚も。

それと、とってもごきげんだったから〜


2005年05月02日(月)
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