紳士服大手「AOKI」のCMで、パジャマスーツなるものが売られていると知る。外見はスーツだが、着心地はパジャマというものらしい。値段もかなり安くて、カジュアルな感覚で着られるのなら便利だろうなと思うし、伸縮性のある素材の服に慣れるともう元には戻れないのである。肩も凝らないし本当に楽ちんである。私はGUとかユニクロでセットアップのスーツをよく購入する。そのときにやはり「伸縮性のある」素材」を選ぶのは、その快適性にもう慣れているからである。
逆ならどうだろうか。見た目がパジャマなのに着心地がスーツ、こんなのは絶対に嫌だ、見た目と実質のギャップはよいことばかりとは限らない。名探偵コナンは「見た目は子ども、中味は天才」だからカッコいいのである。もしも「見た目は大人、中味は子ども」ならなんと迷惑な人間だろうかということになる。ギャップ萌えというのは逆になれば怖いものがおおい。
オレなどは見た目がコワモテに見えるせいか、実際に話してみると驚かれる方が多い。「ブログみたいにいきなり罵倒されるのかと思いました・・・」と言われるのだ。あれはあれで「暴言コラムニスト」という役割を演じているのである。実際のオレは暴言なんか絶対に吐かない、紳士そのもののおだやかな雰囲気である。
「見た目はスーパーカー、動力性能は軽自動車」なんてクルマはいやだ。逆に「見た目は軽、中味はスーパーカー」というのは奥ゆかしい。実はエンジンを載せ替えているとか、見えないところでさまざまなパワーアップの工夫がしてある「羊の皮をかぶった狼」というのはいいものである。「狼の皮をかぶった羊」はダメだ。見た目はスーパーカーだが重すぎてちっとも速くない光岡自動車の「オロチ」なんかがそれに該当するだろうか。もっともオロチは希少価値があるので運転してるとけっこう注目されそうである。
最初のテーマに戻るが。AOKIがそうした「パジャマスーツ」を販売する背景には、紳士服専業ではもう食べていけないという状況があるからだと思っている。なぜかというと、今はワークマンでもGUでもユニクロでも、いわゆるスーツ風の作業服だったりカジュアルウェアだったりする服が買えてしまうわけで、もちろんオレもそういうところで買う一人である。だからAOKIがそうした客に迎合してきたということなのだ。
リモートワークが増えると、いちいちスーツを着て出勤する必要はないわけで、家に居るともちろんスーツなんか着ないし、もしもリモートワークなのに服装だけきちんとしていないといけないなんてことになるのなら面倒くさい。
オレは以前はスーツを着てネクタイをして仕事してることが多かったが、年間の半分くらいを「クールビズ」という世相のおかげで楽なスタイルで過ごせるようになって本当に感謝している。まあネクタイをしないといけないのも退職までのあとわずかのことなんだが。定年後はまずネクタイをすることはないだろう。
見た目はスーツ、着心地はパジャマというのをもっと発展させた先には、見た目はスーツで着心地は全裸というものが来るのだろうか。「まるで何も着ていないような感じ」という究極のスタイルにオレはあこがれる。
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| 2022年10月28日(金) |
維新スピリッツとは何か? |
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維新の会から議員として出馬したいという酔狂というか、向こう見ずというか、騙された馬鹿というか、とにかく哀れな人たちが維新幹部から注入されるのが「維新スピリッツ」というものらしい。オレはかなりそれに興味があるので一度維新塾の講義を聴きに行きたいのだが、きっと怪しいやつであることがバレて門前払いされるだろう。維新議員の何人かはオレをブロックしている。オレが維新の会にとってヤバい人間であることはもしかしたら維新幹部、吉村洋文や松井一郎にとっては常識かも知れない。彼らはツイッターで他のアカウントにはコメントを返しても、オレに対してはいつも無視である。吉村洋文にコメントをつけてもらえるのが楽しみだし、できれば公開の場であの連中とディベートして徹底的に叩き潰してやりたいのだが、残念ながらそういうチャンスは与えてもらえないのである。
福岡市議会議員の堀本和歌子議員は維新の会所属である。この議員は元衆議院議員のある男性の名前を騙って「旧統一教会の式典で祝辞を述べさせていただいた」などと記したビラを配ったとして警察から任意で事情を聞かれていたことが分かったという。市議会議員選挙でライバルになり得る相手を中傷するためのビラを作って配布していたのである。世の中にいろんな卑怯なことをする馬鹿はいるが、さすがにここまで馬鹿なことをする議員というのはないだろう。自民党にはヤクザに依頼して対立候補の陣営の選挙を妨害しようとした安倍晋三という外道が居たが、「ヤクザを使って」妨害工作をやっている時点でまだマシである。堀本議員の場合は本人自ら変装してビラを撒いてるのである。議員本人が犯罪行為をするというのが維新の会の大きな特徴だ。愛知県での知事リコールの署名偽造事件も維新の会の愛知県会議員だった田中孝博がアルバイトを大量に雇って署名偽造を行わせていた。
維新議員のこうした犯罪と、維新スピリッツというものの関係を考えたとき、オレはなんとなくその「維新スピリッツ」の正体がわかったような気がするのである。つまりその本質というのは「平気で犯罪に手を染められる図太さ」なのであり、「ためらわずに嘘をつける卑怯さ」である。スラップ訴訟に協力する弁護士はおよそ社会正義とはほど遠い存在のクズだが、かつて吉村洋文が武富士のスラップ訴訟に関与していたことからもわかるように維新スピリッツというのは「悪いことをためらいなくできる勇気」であるような気がする。
都構想やカジノIRという住民への壮大な詐欺を仕掛けようとすることは、維新スピリッツの反映と考えて間違いない。彼らは政治家をただの金儲けの手段と思っていて、「党勢拡大」だけしか考えていない。そこには住民の存在は全く無視されている。維新はいつのまにか知事選で公明党を抱き込むことで兵庫県への進出に成功した。統一教会の協力と公明党の抱き込みという二つの戦術で維新は着実に地方組織を広げ、全国政党を目指そうとしている。そこで大事なのがこの「維新スピリッツ」なのである。犯罪そのものがOKなのだから、車で人をひき殺そうとした外道でも維新は職員として採用している。選挙管理員会から維新の会の事務員に再就職した連中がいたことが明らかになったが、これはもしかしたら不正選挙の論功行賞人事かも知れない。
維新自治体で不正選挙が行われているという事実は堺市美原区で有権者の告発で明らかになったが、裁判所はその訴えを却下している。おそらく維新の会の連中が裏で手を回して裁判官を脅したのだろう。今の大阪はロシアと同じで警察権力まで維新に支配されつつあるわけで、オレがもしも突然失踪したとしたら、それは維新につながってるヤクザがオレを拉致して殺したということである。それくらいあの連中はヤバい存在であることを大阪の住民は早く気づかないとダメだ。選挙の不正を堂々とやってしまうことがいかに危険なことか。
オレは大阪を救いたい。大阪から維新の会を追放して民主主義を取り戻したい。維新によって破壊された大阪の公教育を建て直し、いじめ日本一、学力テスト最下位、児童虐待件数日本一という大阪をなんとかまともな街に戻したいのだ。夜のコンビニ駐車場で大麻や覚醒剤が堂々と取引され、海外ブランドショップの目の前にうさんくさいキッチンカーが店開きしてるような惨状をなんとかしたいのである。
残念ながらオレにはそうした困難なことに協力してくれる仲間がいない。ツイッター上でフォローしてくれる仲間は居ても、実生活の中でオレと一緒に闘ってくれる仲間にはまだ出会えていない。「なんでそんな危険なことをわざわざ・・・」と止める人ばかりである。普通の人は安定した生活や収入を捨ててリスクを冒さないものである。
だからオレは粘り強くここで「維新スピリッツ」の危険さを訴える。そんなものを語る政治家を信用するなと強く訴えたい。あの外道どもが早く大阪から一掃され、まともな街に戻ることを願っている。どうかこの記事を読んだ人はわかってほしい。反維新の立場で行動する人を一人でも増やして欲しい。大切なことを一言言っておく。維新を支持していた人がそのおかしさに気づいて反維新になったという実例は無数にあるが、その逆のパターンは一人もいないということである。それだけでも維新の会がどういう連中かよくわかるだろう。維新は政党版の統一教会みたいなものである。
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| 2022年10月26日(水) |
野田佳彦というボンクラ政治家 |
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野田佳彦が国会で安倍晋三の追悼演説を行った。すでに実施された国葬という電通の金儲けイベントに引き続き、あの憲政史上最悪の政治家を神格化するというクソイベントの一環なんだが、それにしても欺瞞に満ちたひどい内容だった。野田は安倍晋三を「闘う政治家」だと持ち上げていたが、実際は嘘しか言わない「欺く政治家」だよ。オレは野田佳彦の演説からは怒りしか感じなかったのである。どうせなら追悼演説は山本太郎にしてもらいたかった。山本太郎ならば、安倍晋三がいかに憲政史上最悪の政治家だったという事実を国民にわかりやすく説明できただろう。
安倍晋三にはなんの功績もない。外交と称して世界にゼニを配りまくり、プーチンやトランプと仲良しという印象を振りまきながら実際はとことん舐められていた。北方領土交渉においては2島返還のチャンスがありながらあっさり放棄した。経済政策は円高を解消したものの、円安に触れすぎて貿易赤字を拡大しさらに日本を貧しくした。株式や土地を持っている金持ちはどんどん金持ちになり、その一方で労働者は社会保険や税金の負担増でさらに貧しくなった。貧富の差は拡大し、出生率は下がりまくった。国民は将来の生活の明るい展望を失ってしまったのが今の日本なのだ。失われた30年といわれるが、その30年の責任は安倍晋三にあると言っても過言ではない。しかもそれは彼を裏から操っていた統一教会のコントールの結果なのである。統一教会が日本を支配する上で安倍晋三がどれほど大きな役割を果たしたのか。その事実を今自民党幹部は必死で隠蔽しようとしているが、統一教会が「安倍晋三の偉業」を称えたことからもわかるように、彼は壺支配のキーマンだったのである。
その安倍晋三の神格化にとって「国葬」というイベントは不可欠であり、統一教会にとっても大切な行事であった。そして最後に野田佳彦は国会演説で彼を神格化するのに協力した。なんでこんなクソ野郎が立憲民主党の議員をしてるのかと思うが、彼が立憲潰しのために送り込まれた工作員であるということを思えば今の働きも納得できる。そして今の代表である泉健太もまた工作員の一人である。そんなやつを代表選挙で選んでしまった立憲民主党の連中というのは馬鹿しかいないという気がする。野田佳彦から泉健太へと受け継がれた立憲ボンクラ路線は、維新の会という反社政党との連携によって完全に党を破壊するだろう。その結果日本の左翼勢力はれいわ新選組と共産党と社民党だけになってしまうのである。
オレは立憲民主党はいずれ崩壊すると予測していた。とにかく立憲には人材がない。枝野みたいな馬鹿がかつては代表を務めていたが、もう少しまともな人間が代表ならば選挙もこれほどボロ負けすることはない。連合の芳野みたいな大企業の御用組合代表が敵であることもわからずに秋波を送り、あげくのはてに裏切られた。芳野が勝共連合的な発想しかしていないことは顔に書いてある。壺勢力の一人であるとオレは思っている。壺勢力がもっとも恐れるのは共産党であり、れいわ新選組である。だから壺どもは電通などを動かしてマスコミに山本太郎が出ないようにと必死に画策しているのである。自民党とマスコミを支配している壺勢力はNHKもコントロールしている。オレは長いこと日本の支配勢力は大企業のトップや経団連会長、便所野郎などの財界人だと思っていたが、実は壺だったということが安倍晋三殺害事件後あらわになったのである。
野田佳彦や泉健太というボンクラではなく、真に国民の立ち位置から政治を変えていく政治家を野党・リベラル勢力は必要とした。壺勢力はその動きを封じるために勝共連合を使って「維新の会」という偽野党を作り出した。大阪の多くの人間が単純に騙された。維新の会が実は自民党よりも利権にすり寄ったクズ政党であることに気づかず、地域の代表だと言わんばかりに投票したのである。オレはその大阪で必死で戦っているのである。教育を立て直し、維新を支持するような騙された馬鹿をこれ以上増やさないために。
野田佳彦、早くおまえは消えてくれ。おまえは民主党政権を終わらせるという工作員の役目を果たして用済みになった時点で消されてもおかしくなかった。しかし、あまりにもボンクラすぎて消されるほどの価値もなく、しぶとく議員を続けているだけのゾンビである。おまえの役割は泉健太に引き継がれた。立憲議員の中にいるまともな護憲派の議員は、いますぐに山本太郎に頭を下げてれいわ新選組に入れてもらえよ。そこで一番下っ端からやりなおせよ。このまま自民党が壺問題から逃げ切れば、統一教会は新たな被害者を作り出すことは間違いない。
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なぜDQNという人種はBBQが好きなのだろうか? それはオレの大いなる疑問なのである。
大阪で最大のDQNの祭典と言えばお花見である。浜寺公園の駐車場には泉州地方のDQNが集結して、桜の樹の下は広大なBBQ場となる。桜の季節になると、駐車場はDQNたちが乗り付けたアルファードやベルファイヤで埋まり、道路には駐車場に入りきれない車が長蛇の列を作る。そのまま駐車できなかったらその日のBBQはどうなるのだろうかとオレは余計な心配をしてしまう。
DQNたちがBBQする場所は公園だけではない。野山にどんどん出て行く。河原というのはDQNたちが集まってBBQするのに使われることが多い。もちろんゴミはそこらに放置だ。ダムが放水して水かさが増してもDQNは平気である。増水してるのに川の中州から移動せず、避難勧告に耳を貸さなかった上に暴言を吐いた人たちが流されるという事故も以前に起きている。
奈良県の天川村は村の条例で川原でのBBQを禁止している。ところがここは清流が人気で、他府県から大量のDQNたちが川原でのBBQのために遊びに来る。村の職員は巡回しつつ警告して回るのだが、DQNたちはなかなか注意されても聞かない。
この川原のDQNたちだが、明確な「条例違反」なんだからどんどん罰金を取ればいいのである。罰金10万円ということを明記し、警察にも協力してもらってこのクソDQNからゼニをむしり取り、払わない場合はその連中のアルファードやベルファイヤなどの車両を没収してしまえばいいのである。「川原でのBBQ禁止」と書いてもDQNは文盲率が高く、そういう警告文を読めていないことが多い。注意を受けても「知らなかった」とたいてい言い張るのである。本当に字が読めないのである。
だからもう罰金しかない。「BBQは罰金5万円」と書いてあちこちで取り締まればいいのだ。村の財政に貢献してくれることは間違いない。
DQNがBBQをすればそこら中にゴミを放置してそのまま帰る。普通の人のBBQとは被害の大きさが桁違いなのだ。放置されるのはゴミだけではない。違法薬物が使用されている場合もある。また交通事故などを誘発することもある。危険運転や煽り運転をするのは必ずDQNである。
どうすればこの世からDQNを撲滅できるのか。親がDQNなら子もたいていDQNになる。このDQN連鎖を阻止することはきわめて困難だ。ただ、そうしたDQNの子たちに小中学校で教員が正しいマナーを身につけさせることは不可能ではない。きわめて困難なことだが、それを実現できる有能な教員もごくわずかだが存在する。
DQNたちが起こす数々のDQN行為に対して社会はどう対処すればいいのか。オレはできるだけ実生活でDQNと接点を持たないようにしているが。完全に阻止できるわけでもないし、オレの居住地域はある意味DQNの巣窟のような治安の悪い地域である。深夜のコンビニ駐車場では大麻や違法薬物が普通に売買されている。公営住宅の植え込みには咳止め液の瓶が大量に捨てられている。おそらくDQNたちが使用したのだろう。松原警察や堺警察はとことん無能なのでほとんど取り締まりができていない。彼らのしていることは無意味な交通違反の取り締まりくらいである。
どうやってこのようなDQNの脅威から自分の身を守ればいいのか。治安の悪い地域で生きることは日々が悪との戦いなのである。
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| 2022年10月22日(土) |
DQNはくたばれ! |
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茨城県、千葉県、埼玉県の県境付近の道路で、すれ違いざまに対向車にコンクリートブロックを投げつけるという危険な行為が発生していたという。逮捕された容疑者グループは4人、行為の動機は「車にぶつけて面白がる」ということだったという。1時間以内に同様の被害が6件あったことがわかった。逮捕された解体作業員斉藤雅樹容疑者(22歳)ら4人は8月、茨城千葉県境の利根川にかかる境大橋を車で走行中、43歳の男性が運転する対向車に約2キロのコンクリートブロックを投げつけ、フロントガラスを壊した疑いが持たれている。被害男性と同乗していた娘にけがはなかったという。
このような危険行為に対してオレは厳重な取り締まりを求める。これは市民に対しての無差別テロなのだ。アメリカでよく発生する群衆に向かって発砲する行為と同じである。幸いなことに今回は車が破壊されただけに終わっているが、もしもフロントガラスを突き抜けて搭乗者にぶつかれば死亡事故になっていてもおかしくない。
そのテロ行為の動機がこれまた「面白がる」という愉快犯なのである。軽い気持ちで人を傷づけるようなこんなクソどもをこの世に存在させることが間違いなのである。怪我人や死者がいたかどうかは問題ではない。市民への無差別テロなのだ。このような犯罪はすべて結果ではなく行為そのものによって処罰するべきだとオレは思っている。
高速道路の高架橋から下に自転車を投げ落とすとかね、線路に置き石をするとか粗大ゴミを放置するというのも同じである。甚大な被害を及ぼす可能性のある危険行為に対しては「死刑」を選択できるようにすることが市民社会の良識ではないのか。
京都アニメーションの社屋にガソリンをまいて放火するという事件があった。その実行犯自身も火傷で瀕死の重体だったが回復したと聞いている。ただ、あれほどの事件を起こした男に死刑以外の選択肢はないだろう。そうなると医師は「死刑にするために救命する」という矛盾した行為をしたことになる。あの事件はまぎれもなく無差別テロであるとオレは思っている。大阪市北区の心療内科のクリニックでガソリンをまいて放火した事件も同じだ。
その二つの事件でもしも素早く消火できていたとしても、オレは死刑を選択すべきだと思うのである。無差別殺人になる可能性のある行為はすべて裁判で死刑を選べるようにしてもらいたい。オレは市民社会の安全を守るためにそれを訴えたいのである。
世界の潮流は死刑廃止だという。しかし、この世には命をもってしか償えない罪が存在すると思っている。強盗殺人や強姦殺人、保険金殺人は100%死刑にすべきであるとオレは強く思うし、市民へのテロ行為も同じだ。「市民テロ罪」を新たに設置して、既遂・未遂の区別なく最高刑を死刑にしてもらいたい。軽い気持ちで今回ブロックを投げたようなクソDQNどもはどうせ社会に害しか与えない。そういうクソDQNがこの地球上に存在することだけでもオレは不愉快だ。おそらくオレと同じ感想を抱く人も多いだろう。だからこそこういうDQN犯罪に関しては厳しい罰を適用すべきなのである。
もしも死刑を適用しないならば、このクソDQNどもとまっとうな市民が二度と関わらずに済むように、額に大きく「DQN」というタトゥーを入れてやってくれ。この連中のやったことはそれくらい悪質なのである。
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| 2022年10月19日(水) |
普通に見えるということ |
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オレは子どもの頃から抜群に視力が良かった。視力検査は両眼1.5というのが普通で、めがねをかけることはなかったし、今ももちろんそうである。細かい字を読むときに老眼鏡を使うが、それもかなり軽度のものである。オレの両親もめがねをかけていないし、妻もめがね不要である。ただ、家族全員が老眼鏡のお世話になっている。
ただ、オレも左眼の視力が最近落ちてきて、片方だけ0.7とかいう状況になってきた。なぜか左がアレルギー性の結膜炎になりやすいのだが、眼科で視力検査をしている時に「免許更新の前に来て下さい」と言われた。ずっとめがねなしの生活に慣れていたので運転時にめがねが必要になるというのは困ったことである。
オレは目薬をさすのが苦手だ。眼に異物が入ることを極度に畏れている。コンタクトなど言語道断である。目薬もよくそれてしまうので、人にさしてもらうもらうことがある。家で目薬をさすときは仰向けに寝転んでさす。世の中には自転車に乗ったままさせるとか、二階からさせる猛者がいるというのはオレには想像もできない。
母が老人性の白内障の手術をすることとなった。大学のOB会の時に久々に会った同期の友人がめがねをしていなくて、理由を訊くと白内障の手術をしたからということだった。白内障で人工のレンズを入れるとそれで見えるようになったという。そういう利点もあるのかと驚いた次第である。ただ、調節できないというのは不便なことだろう。オレはいつまでこの見える状態を維持できるのだろうか。
眼科に行くといつも眼圧を測定される。緑内障になると視野が失われてしまうのでこの検査もかなり重要である。オレは定期的にいろんな検査を受けること健康を維持している。かつて十二指腸潰瘍で入院したことが三度もあるオレにとって、定期的に胃の内視鏡検査をすることは必須だし、頭痛持ちなので脳のCTも年に一度は撮影している。
オレがずっと手に入れてきた「普通に見えている」という状態は決して誰でも持っているものではない。そういう便利な人生を手に入れられたことには感謝しないといけない。そして周囲に確実に存在する「見えない人」に対する配慮の気持ちを常に持たないといけない。朝の通勤時に時々見かける白杖の方がいるが、追い越すときは速度を落としてかなり離れて通過するようにしている。
以前にあべのアポロビルのエレベーターを待っていたら、盲人の方の数人のグループが飲食店から出てきたので、「何階に行かれますか?」と私から声をかけたことがある。そして天王寺駅への連絡通路のあるB1のボタンを押して、自分も同じ階で降りたので様子を見ていたら、歩き慣れたコースなのかすぐに乗り換え通路の方に向かっていかれた。店での食事の時に料理が見えていないのにどうして食べるのだろうかとそれがとても気になったのである。
自分にとっての普通のことであっても、誰にでも普通であるとは限らない。クルマを運転すること、スマホを使いこなすこと、確定申告すること、投票に行くこと、そうしたことをとても困難に感じている人も居るのだ。いつか自分も老いる。こんなことを書くとまだ自分が若いみたいだが、オレもすでに老人である。ただ、少し若めの老人であるだけである。まだ電車で席を譲られたことはないが、外見からはそう見えているのかも知れない。
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| 2022年10月18日(火) |
京大サイクリング部の思い出 |
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10月16日(日)、京都大学の時計台ホールでは京都大学サイクリング部の創部50周年記念式典が行われた。1972年に創部して、今年が2022年だから創部50周年ということになる。オレが京都大学サイクリング部に入部したのは1979年の春である。入部したのはもう43年前のことなのだ。
オレは一番になりたかった。誰も行けないようなコースを走り、誰も登れないような峠を越え、誰よりも速く走りたかった、しかし、オレが得意なのはヒルクライムではなく、どちらかというと長距離を高速で巡航し続けることだった。それは中学、高校の時に一人で自転車に乗っていた頃から変わらない。
大学生の時、春や秋にうまく時間を作って、信州の峠を走った。大学には秋休みがあったし、授業をうまくサボって5月や6月に時間を作ることもできた。一回生の秋休みだったか、前期試験が終わった後の休みだ。夜行のちくまで松本に行き、そこから新島々まで輪行して、一気に乗鞍岳山頂を目指した。登山者もそれほど多くなくて山頂まで担ぎ上げた後、乗鞍高原のユースホステルに泊まり。翌日は諏訪湖ユースホステルで休養し、それから大河原峠、八ヶ岳の東側の林道を通ってそこから麦草峠へ、清里ユースホステルから道路最高点の大弛峠をこえたことがあった。
2回生、3回生の夏はどちらも北海道を旅した。礼文島に渡ったり、知床峠を越えたり、広い北海道をダイナミックに走った。サイドバッグを二つ積んだ装備で、襟裳岬から支笏湖までの200�劼�らいの距離を一日で移動したこともある。信州で合宿を終えて、京都までの330�劼鬟離鵐好肇奪廚任修瞭�のうちに帰ってきたこともあった。京都から夜行で信州入りしてソロで峠にアタックするというのはその後も何度かチャレンジし、八ヶ岳の夏沢峠、南アルプススーパー林道の北沢峠、権兵衛峠の旧道、野麦峠などを走った。サイクリング部の合宿でも信州は走ったし、後輩と一緒に東京まで夜行で輪行して、奥多摩から大菩薩峠を越えたこともあった。
サイクリング部の一年先輩には海外ツアーのパイオニアのような方がいて、カナダを横断された時に空港までその旅立ちを見送りに行ったことを思い出す。
当時、部では東京大阪間を何時間で走れるかということにチャレンジする者がいたが、私は箱根峠を越えるのが厳しいと思ったので、標高差の少ない下関京都間をノンストップで走ることにチャレンジして、24時間弱で走りきった。オレが3回生の秋には耐久ランという行事が始まったが、ライバルと思っていた相手が不参加だったり体調不良だったおかげでオレは記念すべき第一回の優勝者となることができた。比較的標高差のない平坦なコースを速く走るということにおいてはオレは部の中で一番自信があった。あと、ヒルクライムは得意じゃないが、ダウンヒルは一番得意で、命知らずの高速で下るのでよく先輩から注意を受けていた。渋峠の下りでは車をスイスイ抜いて走った。絶対に自転車の方が速く下れると思った。
卒業してからもオレはしばらくサイクリングの世界から離れられず、西日本大学サイクリン部連盟(西サ連)のラリーに参加し続けた。教員という仕事のおかげで夏休みや春休みがあったからだ。しかし、体力は確実に落ちていった。現役の時のように練習もできなかったからである。西サ連の思い出を文字として残したくて、『イノコ』という長編小説を書いたのはもう20年以上も前のことである。
最近『弱虫ペダル』というアニメを視て、そこで「ケイデンス(ペダルを回す回転数)」を重視する理論が紹介されていた。自分の走りもまさにそうで、少し軽めのギヤをくるくると回す走り方だった。チェーンホイルのアウターギヤを46T、フリーはシマノ600の13〜21とクロスに組んでいて、一番軽いギヤは26×21という組み合わせだった。(マニアックな内容でごめんなさい)アニメを視ていて「我が意を得たり」という気分になったものである。
旧道や林道、そして担ぎをする自分のスタイルは当時のサイクリング部の中ではかなり変態だと思っていた。しかし、後輩たちの変態度ははるかに想像を超えていた。冬の北海道に出かけたり、八ヶ岳を担いで縦走したり、海外ツアーも普通となり、南米で標高6000mに担ぎ上げるとか、カラコルムを目指すとか、常識外れの後輩たちの活躍にはもう唖然とするばかりだった。
かつて自分が所属した京都大学サイクリング部をオレはとても愛している。50年の歴史を越えてこの部が存続し、そしてこれからも発展していくことを信じてやまない。5年ごとのOB会にもずっと参加し続けようと思っている。そして300�卅�る自信が復活すれば、秋の行事である耐久ランにもOBとして参加したいと思った。60歳を越えた高齢者が若者に混じってまともに走れるはずもないのだが。
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| 2022年10月14日(金) |
下り坂ではエンジンブレーキ |
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自動車の運転教習中には「下り坂ではエンジンブレーキ」ということを習う。しかし、実際は教習中にエンジンブレーキを必要とすることはないし、実際の運転でもめったにない。市街地しか走行しないドライバーなら一生そういう機会がないかも知れない。しかし、旅行の時に山岳地帯をドライブし、関西でも六甲山などを運転することのあるオレにとっては「エンジンブレーキ」というのは当たり前のものであり、今通勤に使ってるダイハツ・ロッキーではCVTながらMTモードがあるので、それをうまく使って減速して下り坂を走るようにしている。
フットブレーキを使いすぎると効かなくなるという。効かなくなるまで多用したことは一度もないのでどれくらい使えるかはわからないのだが、それでも下るときはできるだけブレーキを踏まずに済むように工夫する。それは決して高速で下るという意味ではない。ただ、他の人が運転するクルマの助手席に乗ると言うことがないので、自分の運転での下り方が正しいのかそうなのかは比較できないのである。
静岡県小山町須走の県道・通称「ふじあざみライン」で観光バスが横転し、乗客1人が死亡、35人が重軽傷を負った事故は長い下り坂で起きた。静岡県警は14日午前、バスを運行した「美杉観光バス」本社と営業所(いずれも埼玉県飯能市)に自動車運転死傷行為処罰法違反(過失運転致死)の疑いで捜索に入った。運転手の勤務実態や車両の整備状況などを詳しく調べているという。。
乗客・乗員36人を乗せたバスは、13日午前11時50分頃、富士山の須走口5合目から約5キロ下った辺りで、右カーブを曲がりきれずに横転した。その事故で埼玉県入間市の無職枝川恵美子さん(74)が死亡し、60〜80歳代の女性3人が重傷を負ったのである。
過失運転致傷の疑いで現行犯逮捕された運転手の男26歳は「ブレーキが利かなかった」と供述しているそうだ。この場合の「きく」は「利く」ではなくて「効く」だとオレは思うのだが、記事では「利く」になっていた。おそらく校正漏れだろう。漢字オタクのオレとしては新聞などで正しく表記されてるのかどうかが気になるのである。
この事故もおそらく「フットブレーキを多用した」から効かなくなくなったということではないのだろうか。バスなら排気ブレーキとかは装備されてないのか。あのでかい図体の車体をうまく操縦してカーブの多い道を走るという行為にはかなりの運転技術が必要であるとオレは思うのである。もう時効になるような遠い昔だが、過積載のトラックを運転していてブレーキがろくに効かずに焦ったことがある。
オレのようなベテランドライバーになれば、車の性能が劣ってる場合はそれなりに工夫して走れるものである。以前に三菱FTOのタイヤを韓国製のクムホというメーカーの激安品(4本で2万8000円)に交換したところ、グリップ力が極端に低下して雨の日や高速道路が怖かったことを思い出す。慎重に運転するので事故はなかったが、適度な安全性を求めるなら、タイヤはまともな性能のものを選ぶべきだと痛感した。
観光バスの運転手というプロドライバーの起こす事故が最近は多くなったような気がする。あんなでかい図体のものをうまく運転できているというのは神のように昔は思っていたが、最近はそうでもない運転手が増えたのだろうか。大型二種免許というのはかつてはかなりの難関だったと思うのである。
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我が家は地球温暖化防止に対して非協力的な家庭である。灯油の消費量は莫大であり、家族3人なのになんでこんなに浪費するのかというくらいに灯油が浪費されている。冬になると一ヶ月の灯油代も軽く1万円を超える。灯油はかなり値上がりしてるので、もしかしたらこの冬は二万円に達するかも知れない。北海道ではないのである。大阪なのに大量に灯油を燃やすのである。
だからオレは少しでも石油ストーブや石油ファンヒーターの使用開始日を遅らせたいと思っていたのである。しかし、先日帰宅したらもう使われていた。まだ10月である。なんでこんなに早く石油ファンヒーターや石油ストーブを出すのか。我慢ということができないのか。オレはそれを買わされる側として強い憤りを覚えるのだ。
その灯油の値段だが、たぶん1990年頃は1Lあたり35円くらいだったと思うのである。ガソリンや軽油に比べて灯油は馬鹿みたいに安かった。だから悪質なガソリンスタンドは軽油に灯油を混入させて販売していたという話である。軽油には軽油引取税という税金が掛かるが、灯油にはそれはかからないし何より軽油よりもはるかに安い。それで軽油に灯油をまぜて増量して販売するというひどいスタンドがあったのである。オレの居住する南河内地区でも、そういううわさの絶えない悪質スタンドが存在した。昔何度か給油したことがあるが、不慣れなアルバイトのために車体にガソリンをぶっかけられるというトラブルがあり、そのときに店が何の対応もしてくれなかったので頭にきてから二度と行ってない。なんでぶちまけた分までゼニを払わされるのか。オレが激しく抗議しても取り合ってくれなかったのである。残念ながらそのスタンドはまだつぶれずに営業している。きっと今でも何らかの不正に手を染めてるのだろう。
今、オレが灯油を購入している値段はなんと1L/100円である。20L入りのポリタンを満たすと二千円かかるのである。我が家ではポリタン2個をいっぱいにするので一度に40L購入することになる。その40Lを、ひどいときにはわずか1週間で使い果たしてしまうのである。なんということだ。北海道ならわからないこともないし、北海道でももっと少ない家庭もあるだろう。我が家は温暖な気候のはずの大阪なのである。なんでこんなに浪費するのか。
オレは寒冷な気候にも耐えられる肉体を持っている。しかし、我が家の母と妻は極端に寒がりなのだ。だからガンガン灯油を燃やすのである。結果として我が家は大量のCO2を排出して地球温暖化を促進しているのだ。
地球温暖化を阻止するためには強制的に灯油の使用量を減らすしかない。もしも灯油が配給制になったら我が家はヤミ灯油を購入することになるのだろうか。困ったことである。多少の寒さは我慢してもらいたいのである。
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| 2022年10月11日(火) |
阪神がヤクルトに勝つには |
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セリーグCSのファーストステージ、3位阪神は2位のDeNAと対戦し、おたがいに貧打ぶりを発揮して星を分けた後。10月10日の最終戦で阪神が逆転勝ちして阪神がファイナルステージでヤクルトと対戦することが決まった。
さて、せっかく始まった下剋上である。ついでにヤクルトも撃破し、日本シリーズも制してもらって、初の「ペナントレース5割以下のチームが日本一」という珍事に向かってばく進して欲しいのである。
阪神が強大なヤクルトを抑えることができる方法があるとすれば、それはおそらくこの一つしかないだろう。全打席においてヤクルトの4番村上を敬遠することである。村「神」様には資格はない。うっかり投手がストライクを投げてしまったら全部ホームランされそうなのである。事実、村上にはストライクゾーンの中で打てないゾーンはない。どのコースに来た球もホームランできるのだ。
だったらストライクを投げなかったらいいのである。とにかく勝負しない。走者なしでも勝負しない。高校野球なら批判を受けるかも知れないが、ここはプロ野球なのである。勝つことだけが至上命題の世界で、勝つために行われる戦術はすべて許される。そのうちの一つが「全打席申告敬遠」なのである。
もしも塁が埋まっていたらどうか。たとえば満塁で村上に打順が回ってくればどうすればいいのか。敬遠である。満塁ホームランを打たれるよりは押し出し四球の1点の方がマシである。「満塁でも敬遠」というところでファンは「勝つための大いなる意志」というものを感じるだろう。それが大事なのである。
そうして勝負しないで居ると、村上は調子を落とすはずだ。多少のボール球なら打とうとするはずだ。結果的にフォームを崩して自滅することになるのである。だからこそ勝負してはダメなのである。
投手にとって大切なのはチームの勝敗であって、「村上を抑えてやったぜ!」というくだらない自己満足など全く不要なのである。そんなものがあればトイレに流してくれ。もしも矢野監督が投手に「思い切って勝負しろ」などと伝えたらその指示はクソである。思い切って勝負して打たれたとき、投手が感じるのは限りない無力感とチームメイトへの懺悔の気持ちなのである。「オレが抑えられなくてゴメン」という申し訳なさなのだ。
もちろん勝ち負けは野球の常である。打たれるたびに深い悔恨の情が心を満たすような投手はそもそも野球選手に向いていない。すぐに「なにくそ」と心を奮い立たせないといけないのはわかる。しかし、桁違いの強さの相手の敵に、負けることがわかって立ち向かうのは愚行そのものである。そんなことしないで逃げればよい。野球には「敬遠」という便利な仕組みが存在するのだ。いくらスタンドのファンがブーイングしたとしても、神宮のヤクルトファンなど甲子園の暴徒のヤジに比べれば屁でもない。
そういうわけでオレは期待している。村上と勝負しないで卑怯な戦いで日本シリーズに出るんだと。そしてオリックスと日本一を賭けて戦って欲しいのである。
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| 2022年10月10日(月) |
上本町30分の快楽 |
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クルマで銀行ATMを利用する時にありがたいのは、近隣のコインパーキングなどの無料サービスがついている場合である。30分や40分という短時間だが、ATMで出入金するには十分な時間である。
オレは先日、上本町6丁目のUFJ銀行に立ち寄るために銀行と提携してるコインパーキングにクルマを駐めた。用事はすぐに片付いたが、クルマに戻ろうとしてふと「あと25分ある」ということに気づいた。そのまま戻るのは何かもったいないのである。
そこでオレは上六交差点に踵を返し、横断歩道を渡ってハイハイタウンという雑居ビルの1Fにある「蛸八」という店で明石焼きを食べることにした。しばらく行ってなかったのである。
久々に行く店内には客はいなかった。カウンターに座った俺は「明石焼きですか」と問われて「はい、お願いします」と答え、待つことしばし、目の前には明石焼きとだしを入れる小皿、ショウガと三つ葉の入った小皿が並べられた。これがなんとたったの450円なのである。
明石焼きのよさは、たこ焼きよりも焼きあがるのが早いということである。だから短時間ですぐに提供されるのである。たった25分しかないのに「明石焼きを喰おう」などと考えることができるのは、すぐに提供されることがわかっているからである。店が混んでなかったらなおのこと安心である。
オレは食べる前に明石焼きの写真をツイッターにUPした。それから少し熱いのをハフハフしながらあわてて食べた。タコは少し薄く切られてるような気がしたが、今輸入品の価格がなんでも高騰していることを思えば仕方のないことである。
明石焼きと言えば明石である。本場の明石の明石焼きは昔食べに行ったことがある。大阪の文化はやはりたこ焼きだ。しかし、おいしい明石焼きが大阪にないわけではない。大阪以外でおいしいたこ焼きに出会える可能性は極めて少ないが、大阪では日本中のうまいものがその土地のレベルに匹敵するおいしさで食える。それが大阪の食文化のよさである。もちろんこの上本町の「蛸八」の明石焼きもとてもオイシイのである。
オレは駐車券の残り時間が8分くらいの所で明石焼きを食べ終えて、余裕を持ってコインパーキングに戻った。横断歩道を渡ろうとしたところで信号が変わったので、地下道に駆け下りて待ち時間を節約し、残り4分くらいのところで駐車券を機械に挿入して無事に無料時間内に出庫させることができたのである。
明石焼きのような熱くて食べにくいものをすばやく食べる技術としてオレには「空冷ハフハフ喰い」という技がある。これは食べるときに口を少し開いて、大量の空気を送り込むことで風で食べ物を冷やすという高度なテクニックである。お好み焼きにも有効な技である。銀行がくれるわずか30分の無料駐車時間で明石焼きを食べて戻ってくるというのは誰でも可能なわけではない。どうか早食いの苦手な方はマネしないで欲しい。口内に火傷したとしてもオレは責任をとれないからである。
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| 2022年10月07日(金) |
世耕議員と馬鹿について |
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全く事実ではないことを社会的地位のある人や権力のある人が語った時、周囲はどのように受け止めればいいのだろうか。有名なのは中国の歴史書、『史記』にある「指鹿為馬(鹿を指して馬と為す)」の故事である。
秦の二世皇帝、胡亥の時代、権力をふるっていた宦官の趙高は謀反を企み、自分の味方と敵を判別するため一策を案じたという。彼は宮中に鹿を連れてこさせてから『珍しい馬が手に入りました』と皇帝の胡亥に献じた。皇帝は『これは鹿ではないのか』と大真面目に尋ねたが、趙高が左右の廷臣に向かって『これは馬に相違ないか?』と聞いたところ彼を恐れる者は馬と言い、彼を恐れぬ気骨のある者は鹿と答えたという
誰がまともで誰がそうでないかということを趙高はそうやって区別して、まともな人たち、つまり「鹿である」と正しく事実を答えたものを処刑したのである。「馬鹿」ということばの語源がこれだという説もあるが、そもそも「鹿」の文字の音は「ろく」であり。「馬鹿」は「ばろく」と読むことになるのでこの説は今は否定されている。
自民党の世耕弘成参院幹事長は10月6日の参議院本会議で、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)との関係がクローズアップされている安倍晋三元首相について、「教団とは真逆の考え」だったと全く事実と違うことを語った。
世耕議員がそうして「真逆の考え」だったという根拠だが、代表質問で世耕氏は旧統一教会を「『日本人は謝罪を続けよ』と多額の献金を強いてきた団体」と表現。安倍氏が首相時代の2015年に発表した戦後70年談話で、次世代に「謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」と主張していたということを根拠に上げている。
ところが実際の安倍晋三の行動は、まさに統一教会の広告塔として獅子奮迅の働きをしていたわけである。統一教会票の差配にも関与していて、誰を応援して誰を落とすかは安倍晋三の考え次第、閣僚は壺議員を積極的に起用、警察には圧力を掛けて統一教会を公安の開始対象から外させたのである。
「安倍晋三と統一教会の考え方は違う」という世耕氏の発言と、実際に壺まみれだった安倍晋三の行動と、どちらに真実があるのだろうか。世耕氏がいくら「馬」と言っても実際は「鹿」なのである。ここで世耕氏に賛同して「そうだそうだ馬だ」とほざく議員たちが居たとしたら、まさに趙高に与して秦を滅亡に導いた亡国の輩ということになる。さて、自民党議員たちはどのように行動するのだろうか。
「国葬」を強行することは、壺まみれ、嘘まみれのクズ野郎だった安倍晋三の事実を隠蔽して、立派な政治家だったという神話を押しつけ、偶像化するものである。それは文化大革命で1000万人以上の国民を殺した毛沢東や、大勢の政敵を粛清したスターリンのような外道を崇拝する行為と同じである。まあ安倍晋三のような小物を毛沢東やスターリンと比べるのはかなり無理があるけれども、日本の憲政史上において彼ほどのクズ野郎はそうそうお目にかかれない。森喜朗の悪を5とすれば、安倍晋三は100くらいというのがオレの実感である。
ここまで書いて、オレはちょっと難しいたとえを使いすぎたことに気がついたのである。賢明な読者諸氏にとって、普段のオレの書いてる内容からすれば今日の記事は普通なんだが、ツイッターのリンクからやってきた初めて読むような人にはこの高度な内容はおそらくチンプンカンプンだろうと思うのである。まあそういう場合はしっかり読書してもらって読解力を身につけてもらうしかないのである。なんとも無責任な発言で申し訳ないのである。とにかく壺はダメなのである。あの連中は日本社会から完全に消し去るしかないのだ。共存しようという自民党議員は全員辞任させてもらいたいのである。
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| 2022年10月05日(水) |
維新は統一教会である |
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熱心な維新の会の支持者というのは、維新の基本政策にすべて賛成である。公立学校潰しも、公園をどんどん金儲けの場にすることも、木を伐ることも、日本一の死者を出した大阪のコロナ対策も、なぜかすべて支持しているのだ。もちろんカジノや万博に関しても同様である。なぜそのようなことになるのだろうか。
自民党支持者の中には、安倍晋三に批判的な人もいるし、政策にすべて賛成しているわけではない。是々非々という態度が普通である。ところが維新支持者にとって吉村知事はイケメンの神であるし、松井一郎は頼れるアニキなのである。オレから見れば吉村知事はただのテレビに出たがりのナルシストで松井一郎は無能なスパ王なので評価が両極端である。どうしてそのようなことになるのか。それは維新支持というのがひとつの宗教みたいなものだからだ。維新教とでも言えば良い。
維新支持者は二種類に分かれる。一つは不動産屋や土建屋などの利害関係者である。この方々はとにかく維新議員とつながれば利権にありつけるわけで、ゼニだけが目的だ。ある意味御しやすい存在とも言える。別の利権をちらつかせればすぐに離れていくので、決して鉄板支持層ではないのである。
やっかいなのはもう一方の勢力だ。貧乏なのに維新を支持してるという馬鹿たちである。吉村を神と崇め、洗脳されて自分の頭では考えずに維新の政策は100%正しいと信じ込み、カジノで大阪は豊かになると思ってる人たちである。たとえば「借金まみれの大阪の財政を建て直した」という維新のプロパガンダは嘘ばかりなんだが、その嘘をそのまま信じ込んで「吉村スゲー、維新スゲー、橋下スゲー」と持ち上げてる人たちだ。
この勢力の特徴、つまり「自分の頭で考えない」という行動はどこからきたのだろうか。オレは最近になってやっとその理由がわかった。それは統一教会の影響である。統一教会と自民党の関係はよく報道されているが。維新と統一教会の関係はマスコミでは一切報道されない。維新の馬場代表は統一教会ときわめて関係が深い人物だが、テレビの報道番組でなどで取り上げられることはないのである。統一教会の関連団体で講演をしているという点で萩生田や細田議長レベルの関与なのに、維新の高木かおり議員は全く問題にされていないのである。
そもそも維新の誕生自体がうさんくさい。維新議員の多くはもともと自民党議員である。どうしてわざわざそんな地域政党を作る必要があったのか。それはおそらく統一協会側からの指示があったのだとオレは臆測している。自民党が下野したとき、焦った統一教会は自民党の代わりのスペアを必要とした。そこで笹川一家と関係の深い松井一郎をいずれ代表にするということで大阪に地域政党の維新の会を立ち上げたのである。橋下が引退して院政を行い、松井一郎を代表にするというのは既定路線である。松井一郎が「引退」を口にしてるのはおそらく自身と統一教会の関係を表に出して欲しくないからだろう。
吉村洋文は元々裏社会の弁護士だが、そのダークな部分を隠して大阪市長にならせ、うまく吉本芸人たちを使ってヨイショさせてるだけの人物である。ヤバい質問を受けたときのあの目が泳ぐ瞬間をオレは何度も見ている。誠実な人間なら絶対にしない嘘とごまかしの表情である。彼が後妻業の弁護士を引き受けた人間であることは大阪の人間にはほとんど知られてない。そんなことが話題にされれば彼が支持を失うことは明らかだからである。
維新はまぎれもなく壺政党だ。その壺率は自民党よりも高い。大阪府松原市に統一教会関連団体の名称が刻まれたプレートが設置されていて府はあわてて撤去した。撤去する必要などないのにあわててなかったことにしようとするのは、その関係性を必死で隠そうとしてるからである。消せばますます広がるのがネットの世界である。
維新支持者はカジノ賛成だし国葬にも賛成だ。そして共同親権推進派(DV加害者擁護)でもある。どうしてすべてにおいて意見が一致するのか。その答えは一つしかない。自分の頭で考えずに教祖を100%信仰しているからである。だから維新の会は統一教会と一心同体なのだ。間違いない。
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オレは無宗教である。しかし、神社には参拝するし初詣にも行く。京都の有名な寺院はほとんど拝観している。如来像の前では自然と敬虔な気持ちになり手を合わせる。そしておみくじを引く人たちの行動を微笑ましく眺めている。大吉が出れば嬉しいだろうし、オレが引いてもたぶん「凶」が出るような気がするのである。
宗教や信仰というのは人に夢や希望をもたらし、生きる活力を与えるものでなければならないとオレは思っている。人生の困難にぶち当たり、苦しんでいる人を救済するものが宗教である。観音様が夢に出てきて道を示してくれる。そのお告げに従って行動すると道が開けていく。信仰とはそういうものではないのか。
ところが統一教会は違う。人を恐怖で支配する。先祖の供養が足りないから不幸が起きるのだとこじつけ、縄文時代の祖先にまで遡って供養させられ、巨額のゼニをむしり取るのである。そうして夢を打ち砕き、人生の可能性を奪い去り、人を地獄に突き落とすのである。そうやって得られた巨額のゼニで韓国の幹部は壮大な御殿のような本部施設を建設し、世界中に支部を作ってカルト教団を広めていくのだ。そんなものは宗教とは呼ばない。ただの搾取である。信者が誰も救われないそんなカルト教団は日本にいらない。日本人はすべての富を韓国の本部に貢がないといけないという教えなんかくそ食らえである。戦時中の罪を償わないといけない言われても、国家間の賠償はすでに決着している。個人レベルで償わせることが目的ならばそれは宗教ではなくて「私怨」である。そんなものは裁判でも起こして勝手にやってくれよと思う。
統一教会というのは宗教でも何でもない。宗教の名を借りた窃盗団である。日本人から財産を収奪することが目的の犯罪組織みたいなものである。そんなものは一刻も早く解散させ、幹部は全員逮捕、そして韓国には外交ルートでゼニの返還を要求すべきである。もしも韓国政府がその要求に応じないならば国交断絶、そして統一教会幹部全員の引き渡しと教団財産を没収して日本へ返せと強く要求すべきなのだ。オレはそれくらい怒ってるのである。この盗人どもを全員捕まえろよ、テレビに出てくるテッシーとかも全員逮捕して20年くらい刑務所にぶち込めよと言いたい。
こんなことを書いたら「名誉毀損」だとかなんだか言って統一教会の連中はスラップ訴訟を仕掛けてくるかも知れない。しかし、統一教会の行為が「単なる収奪」であり、「恐怖による支配」がその信仰の中味であるという事実が、被害をここまで拡大してきたのじゃないか。オレは堂々と受けて立ってやろう。そして維新の会というクズ政党の本質が実は統一教会の作った傀儡政党であり、自民党が倒れたときのスペアとして松井一郎という壺人脈の中心のような人物が党代表に起用されたのだと堂々とオレは主張したい。
その目的が信者からの収奪であり、教義がデタラメという時点で統一教会は即座に解散させていいとオレは理解している。解散命令が出せないと壺の中の人である萩生田は言うが、そもそも首相殺害という大きな事件は統一教会のせいで起きたのであり、そうした国家的不祥事を引き起こす原因を「信者からの搾取」によって作ったという時点で解散要件を満たしているとオレは思っている。
野党は「統一教会の即時解散請求」を国会で要求すべきである。おそらく反対するのは二大壺政党の自民と維新の会だけだろう。公明党は「カルト弾圧」を恐れて反対する側に回るかも知れない。しかし、自民党の中の非壺勢力は解散賛成側に回るだろう。そうして国会が紛糾し、最終的には「れいわの壺解散」という形で総選挙になだれこめばいいとオレは思っている。自民党の歴史的大敗をオレは見たいのである。自民党政治を終わらせるしか国家再生の道はないとオレは大石あきこさんと同じように思っている。
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