前潟都窪の日記

2005年01月30日(日) 密葬 連載の20

事件の背景 寿子と福吉の関係

潮が朝淑子から聞いた話し
事件の背景

 1)寿子には慶応出身の婚約者がいた。
 2)多市に見初められ、家のため説得されて嫁に行った。
 3)姉の久仁子が結婚に反対したので、多市は教師をしていた久仁子の職場まで押しかけ反対する久仁子を懐柔しようとしたことがある。

 4)いやいやながら結婚した夫だから長男福吉が生まれると夫に対する反感から溺愛するようになった。本人の要求には父親に内緒で常に小遣いを与えていた。例えば社長職を継承してからも書家の時岡瑞梅氏の告別式に多市の代理で福吉が行くことになり、淑子と寿子宅で落ち合ったことがあるが、福吉は黙って手の掌を返して出すと寿子は二つの香典袋を渡していた。多市と福吉の分である。淑子が「何よこれ。」と訝ると「何時もこうなのよ」と寿子は言った。例えばガス・水道・電気代・新聞代等についてもすべて寿子負担になっていた。これも父に内緒。

 5)豊岡 潮が退職して京都に隠遁していた頃、淑子も京都に出かけてY市には留守勝ちであった。この間、家政婦を雇いながら、児島稔子が家事を手助けしていた。これは嫁の昌子が世話をしてくれないからである。



2005年01月29日(土) 密葬 連載の19

送りつけてきた密葬の写真

 今岡寿子の密葬を営んだ時、受け付けを担当した従兄弟の良正君が稔子と淑子のところへ密葬の模様を撮影した写真を送ってきた。

 稔子は怒り心頭に達して封を切りかけたが内容は確かめないで、良正へ返送し、余計なことをするなと電話で抗議した。いつものやり口で自分は手を下さず周辺の者を操ってさぐりを入れる多市の策謀だと感じたのである。

 豊岡淑子は開封して確かめてみた。故人の写真は一枚もなく、祭壇に飾られた供花とその名札を見せつけるために送ってきた様子がありありと判る。今岡福吉の親戚が多いのが印象に残る写真ばかりである。淑子は一瞥しただけで破り捨てた。実の父親の愛情がひとかけらも感じられない写真であった。これは懲らしめるためにも山岡検事のアドバイスもあるが、暴行傷害事件について刑事告発しなければならないと考えた。 

 また児島稔子が不在で留守の朝、田舎から従兄弟を呼びよせて49日までに線香をあげに連れてきて欲しいと依頼し、律儀者が男気を出して早朝児島宅を訪問するなどという懐柔策も敢えてとる男である。心の隅に残っていたまさか父がそこまでするかという気持ちが吹っ切れたと淑子は思った。



2005年01月28日(金) 密葬 連載の18

刑事事件として告発を検討

 刑事事件として告発のことも考えて稔子は関係条文を調べてみた。

傷害罪 暴行罪
 こうすれば怪我するだろうと故意に他人を攻撃し、その結果として相手が怪我をすれば傷害罪(刑法204条)となり、10年以下の懲役または30万円以下の罰金か科料。それで死亡させたら、傷害致死罪(刑法205条)となり、2年〜15年の懲役。また、自ら人を傷害させなくても現場で勢いを助ければ、現場助勢罪(刑法206条)となり、1年以下の懲役または10万円以下の罰金もしくは科料。

 これに対し、暴行の故意をもって他人の身体に暴行を加え、傷害するに至らなかった場合は暴行罪(刑法208条)となり、2年以下の懲役、30万円以下の罰金、または拘留か科料。傷害罪には未遂罪の規定がないが、その大部分が暴行罪に該当する。例えば、殴ろうとしたが相手によけられた場合も暴行罪となる。暴行は殴る、蹴るだけでなく、身体に影響を及ぼす病原菌、腐敗物、光、音なども含まれる。

時効
 刑事事件の時効には2種類あり、ひとつが刑事訴訟法250条の公訴時効、もうひとつが刑法31条の刑の時効。
 公訴時効とは、犯人が逮捕されずに、ある一定期間を過ぎてしまうと犯人を起訴することができない時効のこと。一般に時効といえばこちらを指すが、時効の期間は罪状によって異なる。(↓)

 死刑にあたる罪(殺人・現住建造物等放火など) 15年
無期懲役・禁錮にあたる罪(通貨の偽造・変造など) 10年
10年以上の懲役・禁錮にあたる罪(強盗、窃盗など) 7年
10年未満の懲役・禁錮にあたる罪(単純横領など) 5年
5年未満の懲役・禁錮または罰金にあたる罪(暴行など) 3年
拘留または科料にあたる罪(軽犯罪など) 1年

 市の弁護士相談で確認したら暴行と傷害と二つの罪状があるから時効は7年であると確認できたので、取り敢えず内容証明郵便で事実確認と謝罪の請求の文書を発信した。



2005年01月27日(木) 密葬 連載の17

友人の山田検事に相談

 潮が朝4時過ぎに起き出して受信箱を見ると検事の山田からメールが入っていた。今日新横浜で会って意見を聞きたいと申し入れてあったメールに対する快諾の知らせであった。
 プリンスホテルでお茶を飲みながら相談した。
 彼の見解。
 1)内容証明郵便は相手に対して宣戦布告の意味を持つ。従って法律的な対策を準備してから出すのが一般。今回のケースでは相手を硬化させるという結果に終わることが懸念される。
 2)この内容証明郵便は法律的には意味がない。
 3)福吉の書いた相続権放棄の文書は法律的には無効であるが、これはそのことを知っていて書いたとすれば、本人は相当の悪だ。
 4)全体を聞いていてよく判らない点は父親と姉の本心である。
 5)父親に対する正当な相続権は主張したほうがよい。母親の遺産に対する相続権は放棄するという風にでたほうがこじれずに済んだかもしれない。
 6)遺言が公正証書になっているかどうかで相続の様相が替わってくる。
 7)母親の所有になっている土地、建物の登記がどうなっているか調べる必要はある。
 8)株価の評価は類似会社比較法によって算定することになる。
 9)暴行傷害事件は事実として残るから内容証明にする必要はなかった。
 10)血の繋がりは一方的に切ろうとしても切れるものではなく、骨肉の争いになると孫子の代まで関係修復が難しくなる。
 11)淑子の場合は弱い点がなにもないから、関係修復は難しくはない。
 12)福吉の妻彰子が相続の中に入ってくるには母の遺言にその旨が記載されて家庭裁判所で手続きがなされていなければならない。
 大体以上のような見解を示してくれた。



市の無料相談に行く

 Y市に無料弁護士相談というのがあるのを聞いて、稔子は内容証明郵便の原稿をもって相談に行った。一日25人まで受け付けるとのことで3時間程待ってやっと相談できた。身内の暴行傷害事件のことで相談と言ったら、4年も前の暴行傷害事件のことであり、告訴もしていないようなので、それだけでは相談の対象にならないと断られかけた。

実母が死亡したので財産が絡む問題だと言うと相談に乗ってくれた。「無料相談といいながら弁護士も金になりそうな事件しか親身にはならないのよ。その弁護士がいうには、実母の死亡後3ケ月以内にいやでも相続に関して親族の同意書に印鑑を貰いにくるからその時まで待っていればいいではないか」というような話しだった。

内容証明郵便については「期限も切っていないしこれを無視されたときどうするということが書いてないからこれでは無視されたらそれだけのことですよ。」と言われた。訴訟に持ち込むようであれば、有料になるが相談に乗るから私を指名してくれと言って名刺と案内書を渡された。ということであった。稔子の本心は訴訟してまでとは考えていないが法定遺留分だけは貰いたいとの意志である。



2005年01月26日(水) 密葬 連載の16

市の無料相談に行く

 Y市に無料弁護士相談というのがあるのを聞いて、稔子は内容証明郵便の原稿をもって相談に行った。一日25人まで受け付けるとのことで3時間程待ってやっと相談できた。身内の暴行傷害事件のことで相談と言ったら、4年も前の暴行傷害事件のことであり、告訴もしていないようなので、それだけでは相談の対象にならないと断られかけた。

実母が死亡したので財産が絡む問題だと言うと相談に乗ってくれた。「無料相談といいながら弁護士も金になりそうな事件しか親身にはならないのよ。その弁護士がいうには、実母の死亡後3ケ月以内にいやでも相続に関して親族の同意書に印鑑を貰いにくるからその時まで待っていればいいではないか」というような話しだった。

内容証明郵便については「期限も切っていないしこれを無視されたときどうするということが書いてないからこれでは無視されたらそれだけのことですよ。」と言われた。訴訟に持ち込むようであれば、有料になるが相談に乗るから私を指名してくれと言って名刺と案内書を渡された。ということであった。

稔子の本心は訴訟してまでとは考えていないが法定遺留分だけは貰いたいとの意志である。



2005年01月25日(火) 密葬 連載の15

内容証明郵便投函に対するリアクションへの備え

 潮が囲碁会から帰ってくると妻の淑子が考え抜いた結果やはり覚悟を決めて闘うべきだと思いなおし、内容証明郵便を投函してきたという。そこで潮と一緒に今後この結果として発生するであろうと予測される多市、福吉父子の動きに対応する方針を以下の通り打ち合わせした。

1.母親に生前会えなかったことへの怒りが今回内容証明郵便を投函させた行動の原点。

2.多市、福吉父子から5月19日付け内容証明郵便(以下5/19信という) に対する反応があったとき。
 1)多市、福吉父子の考え方(解決案)を内容証明郵便で送って貰う。会って話しをすることには身の危険を感じるし、言葉で言っただけのことは反故にされる虞があるから証拠能力のある文書にして貰わないと信用できないのがその理由。
 2)送られてきた内容を吟味してこちらの返事をする。

3.5/19信に対して何の反応もなく無視した時。
 1)5/19信に対する返事を内容証明郵便で回答するようこちらも内容証明郵便により、期限を切って督促する。
2)期限内に返答のない場合には以下の措置をとることを予告する。
  a 告別式に出席した17人の親戚に対して「稔子、淑子が告別式に出席できなかった理由」と題して真相を説明した手紙に5/19信を添えて送りつける。
  b 東福岡町役場に対して「家庭内暴力を容認する今岡多市のような人格破綻者を東福岡町名誉町民に選任した選任者の責任を究明する」趣旨の文書に5/19信を添えて投書する 。
c 家庭内暴力調査機関、人権擁護団体、マスコミに対して真相究明を訴える。
  d 会社の従業員に対して「会長、社長の偽善者振り」を知らせる手紙に5/19信を添えて投函する。
  e 会社の取引先に対しても上記dと同様の方法をとる。
  f 警察の防犯係、民生委員に会談に立ち会ってもらう。 



2005年01月24日(月) 密葬 連載の14

内容証明郵便発信を一時保留した理由

 潮がボートの練習から帰ってくると妻の淑子が内容証明郵便は出さなかったという。娘の志保が言うには被害者である伯母の稔子がこの手紙を出すのを躊躇しているのはそれなりに理由があると思う。善意でしたことが思わぬところで足を引っ張ることになるよと忠告してくれたのでよく考えてみようと思い投函はしなかったと話した。君の身内のことだから君の判断にまかせるということで話しは終わりにしたが、志保のいう足を引っ張ることになるよという意味がよく理解できなかった。

 昨夜寝つかれないままに考えたらしい。「やはり内容証明郵便はだすべきだと思う。」と稔子は明け方布団の中で、潮に問わず語りに話し始めた。
「多市、福吉の立場からすれば、財産分与のことしか頭にないから守りの姿勢になっていると思うの。私は自然の感情として母親の葬儀にも出席できないような状況を作り出した上、訃報に接して電話した時、開口一番どんなに騒いでも財産は残っていないよと言った父のその言い方が赦せないのよ。財産分与を少しでも欲しいお姉さんとは立場が違うのよ。そこの所は多市も福吉も判っているから稔子に同情して抵抗している淑子を落とすにはどこが泣きどころかと考えると思うのよ。すると私の一番困ることは娘や孫に迷惑が及ぶことなの。まして志保の夫の義久さんは大学の助教授で今が一番大切なところでしょ。怪文書でもばらまかれたらそのことだけでもう教授の道は閉ざされることになるのよ。そのことだけが心配なの」

 この言葉を聞いて昨夜志保が思わぬところで伯母様の足を引っ張ることになるよと言った意味が理解できた。志保は大学関係者に怪文書などをばらまかれることを心配しているのだ。それを婉曲に表現したのではないかと理解した。淑子もそのことは心配している所でそのために思い悩んでいる様子であった。                              



2005年01月23日(日) 密葬 連載の13

豊岡淑子発信の内容証明郵便続き

2)話題は両親今岡多市、今岡寿子の老齢化のこと及び現有財産の現況のこと
であり、今岡多市が話しを始めた。
3)今岡多市の発言中に今岡福吉が突然姉の胸ぐらを左手で掴んで、理由もな
く児島稔子の顔面を二回激しく殴打した。この打撃を受けて児島稔子は隣り
の部屋まで殴り飛ばされ、仰向けにひっくり返った。尾てい骨ひび割れ、左
顔面打撲傷、右手親指ひび割れの傷害を受けて全治3カ月の通院治療を余儀
なくされた。                    
4)この傷害事件に関して被害者児島稔子に対し加害者今岡福吉と招集者今岡
多市からは謝罪の言葉は一切なかった。
5)病院から治療を終えて帰宅後、被害者児島稔子及び現認者豊岡淑子からの
抗議と謝罪の要求に対して会議の招集者として調停すべき立場にある今岡多
市及び加害者の今岡福吉はこれを一切無視した上、被害者へ陳謝の言葉を発
するでもなく、見舞いに訪れるでもなく今日に至っている。
6)この事件以来絶交状態が継続し現在に至っている。

3.事実確認と謝罪の請求
現認者豊岡淑子は再三にわたり、招集者今岡多市と加害者今岡福吉に対して
この暴行事件の事実を認め被害者に謝罪するよう請求したが二人は一切これ
を無視し続けた。今岡多市には会議招集者としての責任から、今岡福吉に対
しては加害者としての責任から、この事件があった事実を認め、被害者に対
して加害者と共に謝罪することを請求する。 以上

4.発信人  豊岡淑子  (記名押印)

5.発信人の住所
○○市○○○町○丁目○○四番地○○号

6.差し出し日 平成一五年五月  日

7.名宛人の住所
今岡多市 ○○市○○区○○町○丁目○○番地○号
今岡福吉 ○○市○○区○鶴町○丁目○○番地○号




2005年01月22日(土) 密葬 連載の12

豊岡淑子発信の内容証明郵便

今岡多市様
今岡福吉様
暴行傷害事件に関する事実確認の請求

冠省 娘としてこのような文書を父親に対して発信しなければならないことを悲しく思います。しかしながら、実母の逝去にあたって生前にお見舞いすることもかなわず、葬儀にも出席できない状況にたちいたった原因は主題の暴行傷害事件にあります。この事件には未だけじめがつけられていないので、人間としての筋を通すため以下の通り、事実の確認を敢えて求めます。なおこの文書の形に致しましたのは、父の招集した一月二十九日の会合に出席を嫌がる姉を説得して出席させ、事件に遭遇しましたので、その場に居合わせた者の責任としてこの事件に決着をつけて頂かない限り同様の傷害事件が再発する可能性を懸念しているからであります。私の現認した事実をお二人に確認して頂かない限り、姉ともども身の危険を感じお二人に顔を会わせることもできない心理状態です。どうか心情をお察しの上、発生した事件の真実を正直に確認して下さいますよう切にお願い申し上げます。敬具

1.暴行傷害事件の発生について
1)日時.平成十一年一月二十九日午後 
2)場所.○○市○○区○○町○丁目○○番地○号
3)加害者.今岡福吉(弟)
4)被害者.児島稔子(姉)
5)現認者.今岡多市(父)
6)現認者.今岡寿子(母,故人)
7)現認者.豊岡淑子(本人)

2.事件の経緯について
1)当日父今岡多市より子供達三人に集まって欲しいとの連絡があったので,姉の児島稔子、弟の今岡福吉及び本人豊岡淑子が上記第1項2)号記載の今岡多市・寿子宅へ集まった。この時会合への出席を嫌がる姉児島稔子を豊岡淑子が説得して会合に参加させた。



2005年01月21日(金) 密葬 連載の11

今岡建設の従業員からの報告

 児島稔子は寡婦である。夫は新進気鋭の医学徒であったが、大学の医局に席を置きながら、開業した診療室での過労がたたって15年前に心筋梗塞で急死した。稔子は夫の死を契機に父今岡多市の経営する不動産管理会社の経理担当者として13年程勤務したことがある。その頃事務所の掃除にパートタイマーとして務めていたオバチャンの国塩玲子から電話が入った。

「このたびはご愁傷さまでした。密葬だったそうですね。今日会社で会長さんと社長さんからお母様の逝去のことが従業員に報告されました。聞けば告別式にも出席できなかったようなので、お話の内容をお知らせします」と切り出して以下のようなことを報告した。

1)従業員全員を集めて会長と社長から今岡寿子さんの逝去の報告があった。
2)従業員に知らせなかったのは故人の葬式は質素に密葬でとの遺言があったからである。
3)葬式は身内だけで営んだが実に心の籠もった素晴らしい葬式であった。
4)赤色の法衣を纏った最高位の法印さま他高位の僧侶が4人も導師を務めてくれた。
5)料理も最高のもので身内をもてなし、参会者は故人の遺徳を偲んだ。
6)以上のようなことであるが、写真をわざわざ見せながら如何に金をかけて葬式を営んだかということを強調していたことが印象に残った。



2005年01月20日(木) 密葬 連載の10

内容証明郵便の発信

暴行傷害事件の事実確認の請求                        
1.日時 平成11年10月○日                       
2.場所 ○○市○○区○○町○○番地                    
3.加害者 今岡福吉(弟) 
4.被害者 児島稔子(本人)
5.現認者 今岡多市(父)、今岡寿子子(母 現在故人)、豊岡淑子(妹)

6.経緯  今岡多市が子供達3人に話しておきたいことがあると言って児島稔子、豊岡淑子、今岡福吉を自宅に招集した。今岡多市から「年をとってきたので今後のことについて話しておきたいことがあるし相談したいこともある」と切り出し1)自分も老齢化したこと、2)現在の財産の現況、3)今後についての相談という順序で話しが進む予定であった。今岡多市が現在の財産の状況について言及中、突然今岡福吉が立ち上がり姉稔子の顔面左側を2回殴打した。殴打されたことにより、児島稔子は仰向けにひっくり返り、尾てい骨ひび割れ、右手親指ひび割れ、右側顔面打撲のため全治3ケ月の通院治療を余儀なくされた。この暴行傷害事件について児島稔子、豊岡淑子、娘児島勝子の抗議と謝罪の要求に対して、今岡多市は会議招集者としてけじめをつけさせる立場にありながらこれを無視した。加害者の今岡福吉も同様、これを無視し、事件はなかったことにしようと画策した。そして現在に至るも謝罪の言葉もないまま絶交状態が続いている。

7.事実確認の請求 児島稔子は今岡福吉に対して上記第6項記載の事実があったことを認定するよう請求する。

8.現認者の証言
  上記6項記載の事実があったことを同席者として現認したことを証言す
る。豊岡淑子(記名 押印)                             
9.名宛人 今岡多市
10.差し出し人 児島稔子
11.差し出し人の住所  ○○市○○区○○町○○番地
12.本信の差し出し日  平成15年5月15日




2005年01月19日(水) 密葬 連載の9

幼友達の田舎の従姉を使って画策

 稔子と淑子の母方の従姉から稔子宛に電話があった。「初七日には叔母ちゃんのところへ線香あげに上京するから稔子ちゃんのところへもお邪魔するわ」と言う。密葬故、告別式に参加できなかったからだろう、田舎の人は律儀だなと思いながら受け答えをした。ところが「稔子ちゃんも事情は色々あるだろうが、そのことは横においておいて線香だけは一緒にあげに行きましょう」と言う。様子がおかしいなと思って詰問すると今岡多市から電話があって、親の葬儀にもでないような親不孝者の娘でも線香だけはあげたいという気持ちは持っているだろう。不義理してきっかけが掴めないでいるだろうから一緒に連れてきてくれないかと懇願されたのだという。
 
「私は弟の暴行傷害事件のけじめをつけて貰わない限り、焼香にもいけない」と断ったのだと淑子に訴えてきた。幼い頃から仲の良かった従姉を使って懐柔しようと画策しているのである。傷害事件に関して謝罪してしまえば、弱みをつくることになるから強弁して事件はないことにしたいのである。そしてそうした伝聞証拠を作るために娘を悪者にしたてあげて色々と画策が続くのである。欲ぼけの権化と化してしまったなとの思いが強い。



2005年01月18日(火) 密葬 連載の8

幸福の四辺形

 今岡一族のあまりにも金銭に執着する価値観に嫌気をを感じて潮は仕事の面では袂を分かち、生活の面では敬遠してきた経緯がある。今岡一族が金銭欲の権化と化していく過程はこれから追々明らかになっていくが、ここでは潮が幸せと考える状態はどんなものなのかを述べてみたい。

 幸福の四辺形という言葉で知られているが、
 その一辺は健康であること。
 第二辺は文化生活ができる程度の多少の金銭があること。
 第三辺は身辺の人間関係がうまくいっていること。
 第四辺は自己実現できていること。
 この四つの条件が整っていれば幸せと考えることにしている。

 最近第三辺に多少ゆがみが生じてきているが、価値観の異なる世界に住む人達とは没交渉であればいい。芭蕉や西行のような境地も悪くないと考え初めている。




2005年01月17日(月) 密葬 連載の7

お曼陀羅

 潮は毎朝起き出したら最初に仏壇に向かってお茶を供え、線香を焚き般若心経を読唱するのが日課になっている。見るとはなしに隣の床の間にかかっている掛け軸を見た。普段は季節折々の軸がかかっているのだが、弘法大師の画像を中心にして四国八十八ケ所の札所のご朱印が取り巻いたお曼陀羅に替わっている。豊岡家の亡き両親の命日でもないし、暦の上でも仏事に関係のある日でもない。このお曼陀羅は9日からかかっている。9日は義母寿子の命日である。告別式に出席できなかった妻淑子の母を失った悲しさと父多市と弟福吉に対する怒りの激しさを表すために豊岡家の床の間に敢えて掲げたお曼陀羅なのだと思うと淑子のいじらしさが不憫に思えた。

 このお曼陀羅は義母寿子が岳父多市とともに生前四国八十八箇所を遍路して廻り、札所で頂いたご朱印を掛け軸にしたものである。車を利用して廻ったであろうから、一日何か所かを巡ったことであろう。丁度その頃、潮の父が亡くなったのでその供養のためにと寄贈して貰ったものである。それほど仏心の篤い岳父と義母だったのに今回の娘淑子に対する仕打ちはちょっとひどすぎる。そんな感慨を抱きながら懐旧の念に浸っていたが、ふと疑念が生じた。これは果たして本人達が自ら一つ一つご朱印を集めてその集大成として軸にしたものだろうか。汚れもなく実に見事に出来上がっている。

 義母寿子の告別式の営みは密葬という不自然な方法で行われたことと思い合わせれば、このお曼陀羅は商売人が売っている完成品を購入してきたものではないのだろうか。世の中すべてが金だという価値観を持っていた岳父多市と一緒の旅だったからありえないことではない。

 そんなことに思い至って愕然とした。今まで淑子が自分の両親のことを悪しざまに批判するのに対して、肉親だからことさらにきついことを言っているのだろうと思っていた。

 潮は淑子とは異なって、岳父と義母の人間性に対する見方はをもっと高く評価しようとしていたのだが、ここに思い至って見方を変えなければいけないなと思った。今は寿子の冥福を祈るのみである。




2005年01月16日(日) 密葬 連載の6

策謀する悪魔の心を持った父子

 淑子が稔子姉と一緒に留子叔母のところへ昌志叔父への線香あげに出かけると言って出かけた。告別式の様子を聞きたいからであろう。
 帰ってきての話しは、以下の通りである。
「9日の今岡寿子の死亡判明直後、朝早くからY市在住の主なる親戚、田中肇、田中ウタ子、登内信子、登内悟志が国光病院に集められ密葬の打ち合わせをした。ここで箝口令がひかれた。そして皆のいる前で児島と豊岡に電話した。

 児島がでたので多市と激しいやりとりがあった。そのとき多市は「6年間も出入りをしないでおいて母親が死んだからと言って親を脅迫するとは何事だ」と大きな声で言って電話をガシャンと切った。傍にいる人には児島の声が聞こえないから多市の激昂した声だけが印象に残っている。

 豊岡のところは留守番電話がでただけなので話しができなかった。

 そのあと豊岡稔子から多市に電話があった。淑子さんからですよと取り次ぐと
「どんなに騒いでも財産は残っていないぞ」と大きな声で言うのが聞こえた。ここでも淑子さんの言葉は聞こえなかったが激しいやりとりだった。

 その後告別式で稔子と淑子は母親の面倒をみるのが厭で6年間も寄りつかなかった。姉の稔子の方は母親の死を電話で告げると財産分与のことで私を脅迫した。

 次女の淑子のほうはファックスを入れておいたらこれをみて電話をかけてきて私を脅迫した。二人とも財産目当ての悪い娘だから告別式にも呼ばなかったと説明した」ということが判った。

 そしてウタ子は今まで食べたこともないような御馳走で精進落としをした。とてもいい葬式だったと言ったと淑子は嘆いていた。

 この場所にはウタ子と留子だけしかいなかった。悟志君は告別式の状況をタイプしておいて渡してくれた。彼は出勤していて不在だった。

 淑子は死んだ母まで利用して芝居をし、実の娘二人を悪者に仕立てあげて、財産を守ろうという気持ちしかあの親子にはない。こちらは財産分与なんか関係なく、自然の情として母親の死を聞いて悲しみを共有しようと電話したのに父の最初の言葉が
「どんなに騒いでも財産なんかなにも残っていないよ」だった。その役者振りには父とは思えない悪魔性を感じた。あれはもう親ではない。悪魔の心を持った人間だ。すっかり吹っ切れたからこれからは、親はないものとして生きていくと寂しそうに言った。




2005年01月15日(土) 密葬 連載の5

親戚縁者も不審に思った密葬

  潮が書斎で新聞を読んでいると淑子が入ってきて言った。
「今朝、母が生きている夢をみたの。そしてお父さんは頑張って一生懸命生きてきたのだから赦してあげてね。これから稔子の所へ行ってくるよと穏やかな顔をしていうのよ」
「夢を見ているのだろうと思っていたよ。お母さん生きているよね。殺されたんじゃないよねという言葉は僕もはっきり聞いたよ。お母さんがお父さんのことを赦してあげてと言ったのはお母さんが成仏して仏に近づいたということだよ。冥福できるだろう」
「この夢を見たからお姉さんに電話してみたの。そしたらお姉さんは夢をみなかったというのよ」
「お姉さんには多少邪念があるからじゃないのかな」

 淑子は田舎の父方の従兄弟の英男に電話したことも話した。
「英男さん母の死に顔はどうでしたか。箝口令が敷かれていて、こちらでは情報が入らないので聞くのだから本当の所を教えて頂戴。殺されたり、自殺したりした様子はなかったですか。」
「叔母さんは小さくなっていたが、穏やかな死に顔だったよ。殺されたり、自殺した顔には見えなかったよ。」
「田舎でも密葬というのはあるのかしら」
「そんなこと聞いたことないな。俺もおかしいから叔父貴に直接何故密葬なのかと聞いてみたら、叔母さんの固い遺言だったと言っていた。福吉君にも別に聞いてみたが、同じように母の遺言だと言っていた」
「俺は合点がいかないのでそれでは改めて本葬があるんだよねと念を押したら言葉を濁して何も言わなかった。帰りの電車の中でも八百屋の康弘君と、金はいくらでもあるのに密葬とはおかしいなと話していたところだ。もう一度叔父貴には確かめてみるよ」




2005年01月14日(金) 密葬 連載の4

淑子の見た母の夢

 未明に目覚めた淑子の夫、潮は日課になっている中国語の勉強のためにボイスレコーダーのマイクを耳に当ててラジオ中国語講座の復讐をしていた。突然、潮は隣に寝ている淑子が夢でも見ているのかうわ言を言ったのをはっきり聞いた。

「お母さん生きているよね。殺されたんじゃないよね。お母さんお姉さんのところへ行くの、送ってあげようか」そして泣き声が聞こえた。

 潮は黙っていて心ゆくまで泣かせてあげようと思った。

 飼い猫の黒猫が空が白んできたのでニャーと鳴いて餌を催促しているのが聞こえた。
「スディンちゃん、オシッコを教えにきたのね。今御飯をあげますからね」と言いながら淑子が起き出していく気配が聞こえた。

 潮は素知らぬ顔をしてイヤーフォンから流れる声に聞き入っていた。




2005年01月13日(木) 密葬 連載の3

宛て名のないファックスによる告別式案内

 今岡寿子(享年85才)
葬儀日程
1.密葬式とする
2.葬儀場
    大本山 広達寺  瑞海殿 
3.告別式 5月10日 後12時〜13時
4.山中火葬場
5.初七日の事(精進落とし)
  同上瑞海殿  5月10日後15時〜

同上日程にて取り行いますので宜しくお願い申し上げます。なお密葬式にて、御供花、御香典等は固く御辞退申し上げます。
                   喪主 今岡多市
                   長男 今岡福吉
                    
やがて上記のような宛て先を書いていないファックスが二人の姉稔子と淑子の元へ送りつけられた。最初の訃報と比べればましな文章であるが、宛書きが入っていない。ということは告別式に出て貰いたい人達には宛書きを個別にしてファックスしたのであろうが、二人の姉に対しては淑子の抗議に驚いて慌てて原稿として残っていた文章に宛書きもせずに慌てて送りつけてきたのであろう。ましてや電話は一切ないので二人の姉は父からも弟からも肉声を聞いていない。

二人の姉は密かに般若心経を唱えながら、告別式の時刻に姉の家で一緒に母親の冥福を心から祈った。




2005年01月12日(水) 密葬 連載の2

疑惑

 稔子も淑子もこの文面のあいまいな表現に疑問を持った。「呼吸停止」したら死ぬのは当たり前のことである。専門用語でいえば呼吸不全というのではないだろうか。また弟が姉達に対して「連絡だけは知らせる」という言葉の用法の間違い、無礼な表現方法とその含む意味である。
 最初に浮かぶ疑念は呼吸停止といえば首をくくって自殺か或いは締め殺ろされたかと考えるのが普通だ。死に方が異常だったから密葬にしたのではないか。
 連絡だけは知らせるというのは「母寿子の死を知らなかったとは言わせないぞ」という言外に含む脅しである。本心は二人の姉に出席して欲しくない事情があるのではないか。
 淑子は性格が父親譲りで勝気である。早速父親に電話した。自宅に何回電話しても誰もでないので、国光病院へかけた。暫く待たされてやっと父がでた。開口一番父の発した言葉は
「淑子よ、財産は全然残っていないよ」であった。

淑子は唖然としたが、疑念をぶっつけた。
「お父さん何故母が生きているうちに知らせて下さらなかったの。」
「6年も出入りしていないで何を言うか」
「出入り出来ない状況を作ったのは誰なのよ。お父さんが自分で呼んで集めた二人の姉達を目の前で殴った弟に対して父親としてけじめをつけさせることができないからでしょう。家長として長男に謝らせるのが当然でしょう。稔子姉さんなんかは尾てい骨骨折で2カ月も治療にかかったのよ。」
「そんなことがあったっけな。年だから忘れた」
「いつもそう言って逃げるから示しがつかないのよ。いくら田舎に寄付してもあなたのやっていることは偽善行為で世間体を繕うだけなのよ。」
「親に向かって何を言う」
「事実を言っているだけですよ。それに今朝、福吉がファックスで送りつけてきた無礼な訃報をみましたか。あれは告別式には出席してくれるなという意味ですか」
「俺は知らせるように指示したが原稿は読んでいないから判らない」
「あなたの妻が亡くなったのでしょう。それを娘に肉声で知らせるのがあなたの務めでしょう。それを欲ぼけした馬鹿な福吉にまかせるからですよ」
「・・・・・・」
「何か言ったらどうですか。」
  ガチャンと一方的に電話が切られた。





2005年01月11日(火) 密葬  連載の1

 悲しき弔い

 今日家族だけの密葬による今岡寿子の告別式がK市の大本山広達寺でしめやかに取り行われた。密葬というだけあって参列者は僅か17人の寂しい告別式であった。告別式も終わり瑞海殿で行われた初七日の法要に集まった親戚縁者は故人の三人の子供の中、長女と次女が揃って出席していないことを不審に思った。

「児島稔子殿          TELXXX-XXXXX  FAXXX-XXXXX
 豊岡淑子殿
5月9日 朝5時33分
母 今岡寿子呼吸停止により国光病院にて死去す。
葬儀は家族にて密葬とする。
連絡だけは知らせる。
             長男 今岡福吉 」

このような無礼な死亡通知が二人の姉にファックスで送りつけられていたとは誰もしらない。






2005年01月07日(金) 自由人となる

 
拝啓 木々の緑が鮮やかに目に映える時節となりました。
私儀、五月二十一日還暦を迎え、○○年間勤務した☆☆株式会社をかねてからの希望通り、定年退職し第二の人生へ船出することになりました。在職中公私にわたり御指導を頂き且つお世話になりましたことに対し深く感謝し厚く御礼申し上げます。

お蔭様で二人の娘達も嫁ぎ、それぞれに愛情豊かな家庭生活を営んでおりますし、私達夫婦とも目下健康体なので、後顧の憂いなく年金生活を迎えることのできる幸せを感謝しております。

これからはこれまでに社会から受けた恩恵や皆様から戴いた御恩に感謝しながら、多少なりとも社会のお役に立てるよう、ボランティア活動等にも積極的に取り組んでみたいと考えております。今後は趣味の方面にもかなりの時間が割けそうなので、生活を楽しみながら心豊かな人生が全う出来ればいいがなあと願っております。

最後に皆様の御活躍を祈念しますと共に、今後とも従前にも増した御厚誼の程をお願い申し上げます。
敬具 
・還暦の送別会や五月晴れ    
 平成九年五月吉日
楽しきかな我が人生 
           都窪  勇  
この挨拶状を投函した時、私は名実共に自由人になったことを実感した。その足でこの日以降一年間だけ住まいしようと予て用意しておいた京都市内中央部にあるマンションへ妻と一緒に向かった。京都で過ごした大学時代に廻りきれなかった史蹟を探訪し、見学出来なかった四季折々の祭りや行事を堪能するためである。健康の為、地図を片手に一日最低一万歩以上歩くことを日課としているので乗り物は市バスと地下鉄以外は殆ど利用しない。スニ−カ−を2足履き潰した程である。訪ねる先々で興趣が湧けば俳句をひねりスケッチ・ブックには下手な水彩画を蓄えた。

京都を足場として熊野古道を歩いたり、テレビドラマ甘辛シャンを見れば丹波篠山へ行ってみたりと近畿各地の観光名所を渉漁するのも楽しいものであった。

その一方で月に二回横浜の鶴見川で催される大学時代のボ−ト部の「OBが漕ぐ会」の練習にも駆けつけてはエイトで汗を流した。約一時間半の激しい運動の後、ビァービレッジで旧友達とジョッキを傾けながら対東大OB戦に関する作戦を語り合ったり、久しく途絶えている琵琶湖周航を復活させる企画の打ち合わせをしたりするのも楽しい一時であった。こうしたとりとめのない談笑の中から夢のような話が飛び出すことがある。それは、英国のテームズ川で行われるヘンリーレガッタにOBクルーを編成して参加しようとか大学後輩の学生諸君が冬場の練習も兼ねて遠征するハワイアンレガッタにOBも応援に駆けつけ、出来ればOBクルーとしてレースに参加しようというものであった。ところがこれが実現したのである。

平成9年暮れの12月24日から新年一月五日まで学生クルー15人とOBクルー14名がハワイへ遠征し、大晦日と正月三日間にかけてアラワイ運河で行われたロイヤル・ハワイアン・ローイング・チャレンジのレースに参加した。  
四日間で十レースに挑戦し、善戦虚しく一勝九敗の結果に終わったのであるが、還暦前後のOB達が体力消耗の激しいレースを誰一人故障することなく漕ぎ切って、爽快な達成感を味わい全員無事帰国したことは一種の奇跡であると言えよう。

今後は毎月一回ずつ十日間前後のツァーを選んで参加し、世界各国を歩く夫婦二人旅を、俳句手帳とスケッチブック片手にエンジョイしようと計画している。いくら喰っても一升半天下をとっても一畳半と喝破した政治家があったが全く同感である。楽しき我が人生に乾杯。  (了)



2005年01月06日(木) 国税局の査察��

「わかりました。資料を提示して下さい。私の知っている限りの事実については喋りましょう」と勇は覚悟を決めて言った。

 勇が驚いたことに提示される資料は全て営業費を捻出するために社長から指示されて比較的利益率の良い工事の原価に算入した架空の外注工事代ばかりであった。国家権力が権限を奮って組織的に動けば、民間の中小企業が小細工を弄してもとても太刀打出来るものではないと思った。

 取り調べが終わり解放されたのは夜の12時を回っていた。社長と話ができたのはその時であった。
「社長、朝、一旦出社されたのにすぐ自宅へ帰られましたね、何か情報が入っていたのですか」と勇は朝からの疑問をやっと投げかけることができた。
「ワイフから電話があって、自宅の回りに見知らぬ男達が四、五人いて様子を窺っているというので、労災事故の補償問題にかこつけて暴力団でもきたのかと思って帰ったんだよ。そうするといきなり、国税の奴達が踏み込んできて、ここへ連れてこられて今までかかったということなんだ」
「そうだったんですか。私は少し考え過ぎたようです」と勇は疑問に思っていたことを口にした。
「裁判になるかもしれないから、税理士とよく相談しよう」
「そうですね。修正申告で済むように運動する必要があるでしょう」

 勇は取り調べの際にいろいろと悩んだ心の葛藤を日記に次ぎのように書きつけた。 
某月某日
 我が最愛の家族に告ぐ。これは貴方がたの夫であり、父である都窪 勇が見知らぬ世界ヘ旅立つにあたっての訣別の手紙と思って読んで貰いたい。
 父は人生の信条として、1)威張らない。2)嘘はつかない。3)人を侮らない。4)人を謗らない。5)人を貶めない。という五つの行動規範を心に抱いて、55年の人生を生きてきました。そして日常生活もそのように行おうと努力してきました。悲しいかな凡人の弱さでこれが全うできなくて思い悩んだことが幾度もありました。

 人はそれぞれに価値観をもって生きていることでしょうから、どの価値観が正しいのかは神様しか判定できないことだと思います。

 父は価値観の根底に二つのものを堅持してきました。その一つは、性善説です。二つめは価値相対主義です。

 先ず性善説ですが、これは遠く孔子、孟子の時代から現代にいたるまでどちらが正しいのか結論の出ていない哲学上の永遠のテーマです。しかし、どちらが正しいか正しくないかは別問題として、人生を生きていく限り、真剣に人生の生き方を考えた人なら必ずぶつかった問題であろうと思います。父も若い頃この問題について友人達と議論しました。結論は出ません。結局は人それぞれの選択の問題に帰着するのです。父はこのテーマについて性善説を信奉することにしました。おそらく大学生の頃だと思います。それ以来性善説を信奉しています。

 その二は価値相対主義です。これはドイツの法哲学者ラードブルフ先生が唱えられた説です。そもそもこの問題は人生もしくは世の中に究極価値というものがあるとすれば、それは絶対的なものだろうか、それとも相対的なものだろうかという素朴な疑問から発したものだと思いますが、よくよく考えてみれば、世の中によくある両者を足して二で割るという選択をなしにするとこのどちらかしかないのであります。

 父がこのラードブルフの法哲学の中でもこの価値相対主義という思想に触れて感激したのは大学三年生のとき加藤新平教授の法哲学の講義を聞いてからです。

 以上父の価値判断の基本原則について述べましたが、大学を卒業して以来今日に至るまで、父の挙措・言動は、すべて以上述べた原則にもとずいて行われていることが理解できるでしょう。世俗の俗物どもにいわせれば、やれ融通がきかないとか頭が固いとか営業センスがないとか言って批判します。しかし、それは人それぞれの見方ですから、謗られようと侮られようと、父は意にも介せず生きてきました。世俗の立身出世は出来ませんでしたが、心になんのやましいことなく生きてきました。人に後ろ指を指されるよう反社会的な行為も悪事もしたことなく、ひたすら愚直に生きてきました。

 このことが父の誇れる唯一のことです。よくきれいな空気だけ吸って生きられるものではないとか、世間を知らなすぎるとかいかにも世間の辛酸をなめつくしたような言い方をする人が身近にいますが、人生に対する或いは世間に対する態度が不遜に過ぎ、人格そのものがうす汚いと言わざるをえません。規範意識が乏しく倫理感の欠如した人問程、哀れな存在はないといえましょう。私腹を肥やす為に脱税行為を頻繁に行い、発覚すると激しい安値受注競争の中で仕事を確保していくために行った必要悪であり、それがあたかも正当な行為で、たまたまバレたのは運が悪かったのだくらいにしか捉えられない破廉恥な人が身近にいることはまことに悲しいことです。

「国はなにもしてくれない。困った時に国が助けてくれたことがあるか、自分で稼ぎ出した金を自分で使うのだから、自然犯とちがってなんら恥じることはない。誰でもどの会社でもやっていることではないか」とうそぶいて懲りるところが全然ないのは考えものです。

 悪法でも国法であると言って敢然として毒杯をあおったソクラテスの故事もあるように、国民である限り、国法には従わなければならないのは明白なことです。これはすぐれてその人が堅持する価値観の問題であり、規範意識の問題に帰するでしょう。規範意識が欠如した社会はアナーキー以外のなにものでもないでしょう。

 権力の頂点にいるものに規範意識がなく自ら、禁則を破っておいて、下の者にだけルールを守れと説いてもそれは通用しないというのが、社会の経験則でしょう。

 あなた方がどのような価値観を持って生きていこうと自由ですが、反社会的な自分の良心に恥じる不道徳な行為だけは絶対にしないようお願いしたい。

 今度の脱税事件はこれから裁判になるでしよう。この日記のこの文章は、父に万一のことがあった場合に、家族の者に読んで貰いたいと考えて認めた父からの訣別の手紙であると思って下さい。我が心中をよく読み取って欲しい。

 この事件があった時、勇は5年後には定年退職事由に該当する還暦に達するので、義父である会長や義弟である2代目社長から慰留されても断固会社を辞めようと密かに決意した。



2005年01月05日(水) 国税局の査察��

 国税局の取り調べ室は四畳程の広さで机が向きあって置かれている。相対して座った担当官は藤村と名乗って今回の事件では勇の取り調べ担当になったと自己紹介をしてから取り調べが始まった。次々と外注工事代の計算書や領収書、振込依頼書の綴りの中から付箋を付けた箇所を開いては突きつけてくる。

「この佐藤、谷山、中山という署名のある領収書の印影とあんたの机の引出しに入れてあった判子の印影が一致するのはどういうことかね」
「ですから、何回も言うように、溶接免許の更新手続きのために預かった判子を返し忘れていたんですよ」
「それでは説明にならないだろう。佐藤、谷山、中山をここへ連れてくることができるかね」
「できますよ」
「佐藤、谷山、中山の所へは裏付けをとりに行かせているから後でわかるだろう。泣き面かくなよ」
「確かめて貰ったほうがこちらも嫌疑が晴れて助かりますよ」
「それでは、この振込依頼書の宛て先に書かれている丸山太一という人に会ったことがありますか。」
「会ったことはありません」
「そうだろう。架空の人間だから会える筈がないよね。この丸山太一の住所の番地には公衆便所が建っているんだ。証拠はあがっているんだ。そろそろ架空取引だったことを認めたらどうだ」

「私は経理マンだから、現場の担当が検印をして請求書を廻してくれぽ金を払い工事番号毎に収支の計算はしているのだから、当然原価性があるかどうかのチェックをしているわけだし、実行予算との対比もしているんだから、架空の工事代が発生する余地はありませんよ。振込先の住所が実在しないといわれるけれども、この業界には事情があって住所を知られたくない人だって働いていますよ。そうゆう人達でなければこん汚くてきつい仕事をする人なんかいませんよ。日本経済の発展はそういう社会の底辺に蠢いている人達が支えているということを認識して欲しいもんですな」

勇は提示された丸山太一宛の振込依頼書をみて、よく調べているなと思いなら知らぬ存ぜぬで通すしかないと腹を決めて、苦しい答弁を繰り返していた。身にやましいところは一つもないので最後には真実を話すしかないのではないかと自問してみる。どの段階でどの程度かが難しい。頑強に否認を続けていても最後には認めざるを得なくなるのではないか。ロッキード事件、リクルート事件のことが思いだされる。最初は頑強に否認していた人達も最後には認めざるをえなくなっていくのがこの種の事件の今までの経緯である。どうせそうなら早い時期に事実は事実として認めたほうが今後の展開を考えた場合得策ではないかという思いがちらつく。新聞に派手に報道されては恥晒しになるし、営業活動上致命的なダメージをうけるであろう。会社を潰してしまっては元も子も無くなってしまうのではないか。囲碁の攻め合いの場面が髣髴と脳裏をよぎる。多少の尻尾は切り捨てても、本体が生き残るほうが勝負の上では勝ちに繋がるケースが多い。

ドアーがノックされて今日始めて見る捜査官が部屋へ入ってきて、向かい側に座っている藤村になにか耳打ちしている。
「都窪さん、社長が白状して架空外注費があることを認めたよ。あんたもよく頑張ったね。会社にもいろいろ事情があってやったことだろうし、社長の指示でやったことだからあなたの責任ではないよ。早く認めて楽になったら」と藤村は勝ち誇ったように優しい声色で言った。

 外界との連絡を絶たれ情報が入ってこないと頭が錯乱する。今の藤村の言葉は罠なのではないか。勇を落とすためのテクニックとしてわざと伝令を寄越させてもっともらしさを装っているのではなかろうか。勇の悩みは続く。
「本当ですか。それで社長はなんと言っているんですか」
「工事会社では仕事を取るために発注先の担当者にいろいろ経費がかかるので、架空の外注工事代を計上してこれを裏金として営業費に使ったことはあると言っっている。詳しいことは経理担当のあなたに聞いてくれと言うことだ」
「社長と話をさせて下さい」
「まだ取り調べ中だからそれはできない。社長がそう言っているのだからあなたは真実さえ話せぱいいんだよ。それに社長は裏金を蓄えていた偽名の通帳と判子を全て貸し金庫から出してきて提出したよ」
 勇は捜査官が言っているのは本当だろうかと一応疑ってはみるものの、事態がそこまですすんでいるのであれば、これ以上頑張ってみても意味がないのではないかと思ったりする。疑わしきは罰せずという鉄則がある。挙証責任は捜査側にあるのだから、自白調書がそのまま証拠に採用されることはないであろうが、事実を曲げて供述すると後でのっぴきならぬことになるのは目に見えている。

 余計なことは言わないで事実だけを認める作戦でいくしかないと心を決めた。一生に一度か二度の重大な決断の時であった。命令を受けてやったことなので、首謀者ではないし、ましてや共犯でもない。例え兄弟であったとしても最後のところでは骨肉相争うことになるのが、人問の悲しい性ではないのか。源頼朝と義経、足利尊氏と直義、歴史にはいくらでも例がある。少なくとも自分の身だけは護り、人を誹らず、貶めずの方針で行くしかないと覚悟した。



2005年01月04日(火) 国税局の査察��

 待たしてあったタクシーで自宅まで帰ってくると既に自宅の中には四人の捜査員が会社に入ったと同じ時刻に乗り込んできて、書斎の机や本箱の中を引っかき廻していた。
「パパお帰りなさい。朝からこうなんですよ。会社の方も大変でしょう。連絡しても電話をかけさせて戴けないのよ。急病人でもでたときにはどうなるんでしょう。連絡できなくて死んでしまったりしたら責任をとっていただけるのかしら。人の命は弁償のしようがないと思いますけどね。それに由紀は受験中だというのに勉強もできないんですよ。入学試験に失敗して浪人でもするようなことになったらかわいそうだわ」と妻の田鶴子も家宅捜査でかなり、気分を壊したらしく捜査員に間こえよがしに皮肉を言って訴える。
「心配しなくてもいいよ。何も悪いことはしていないんだから。何もでてこない所をつつくよりも、住宅金融専門会社の不良債権にまつわる不正融資を徹底的にやってもらいたいものだね」と勇も鬱憤をぶっつけるが相手は反応を示さない。

勇は会社の方はどうなっているのか気にかかるところだが、電話はかけさせて貰えないし、取り次いでももらえないのでさっぱり状況が掴めない。
「都窪さん、この印影はみたことがありますか」と紙切れに押した「中山」「佐藤」という印影を勇の目先に突きつける。その印影は見たことがある。溶接工の免許証の期限を更新するために溶接工から預かって手続きをしたとき使った覚えがある。
「さあ、見たことはあるような気もしますが」と反応を窺ってみる。
「その判子は何処にありますか」
「本人が持っているでしょう」
「中山、谷山、佐藤という苗字はありふれたものだけど、この判子の持ち主はいますか」
「実在してますよ」
「何者ですか」
「溶接工ですよ」
「この判子を使って架空の外注費を引き出していたのではないかね」とその捜査官は勇が架空外注費を作りだして、会社の金を横領しているのではないかというような言い方をする。
「何を。失敬な。でたらめを言うとただでは済ませないぞ」
「この判子があなたの机の引出しから出てきたのは何故ですか」
「免許の更新手続きで預かったままになっているんですよ」と勇は答えたが内心これは大変なことになったと思った。迂闊だった。判子は本人に返しておくべきだった。

「先程までの調べでは、外注工事代の領収書は大半のものが銀行振込になっているから辿っていけば金の流れは判る。しかし幾つかの領収証にはこれと同じ印影が押されている。しかもその判子があなたの机の引出しからでてきた事実をどう説明してくれますか」
「それは、溶接工達は一人者が多く、昼間働いているので銀行ヘ金を下ろしに行く暇がないんですよ。だから、現金で払ってあげている。そのため領収書があるんですよ」
「なるほど、巧く考えたね、だけどこの程度の判子なら何処にでも売っているから簡単に手に人る筈だ。中山、佐藤、谷山という溶接工が実在するかどうかを確認してみなければあなたの容疑は晴れないね」勝ち誇ったようにその捜査官の態度は横柄になってくる。
「ほかにも、これに類したものがあるはずだ。押収した資料ももうそろそろ局の方へ届く頃だから局ヘ一緒に行ってもらってゆっくり説明を聞くことにしようじゃあないか」と捜査官は腕時計を見ながら言った。勇が時計を見ると既に正午ちかくなっていた



2005年01月03日(月) 国税局の査察��

 この頃には社長は代替わりして今村研一の長男今岡福吉が同族会社の事業を継承していた。

 勇は先程、海野が人払いをするかの如く、勇を応接室にわざわざ呼び込んで「否認するなら最後まで否認して下さいよ」と言った意味をどのように理解すれぽよいか必死になって考えていた。

 社長が朝、一旦出社したのに自宅からの電話で慌てて喪服を取りに帰ったことことの意味もよく判らない。確かに古参社員の父親の告別式が今日午後一時よりあるのは事実である。そのことは昨日通夜に出席しているのだから、喪服を忘れる筈がない。するとわざわざ喪服を取りに帰ったと言ったのは口実で、今日の査察についてなにか情報が入ったのでそれを確かめに帰宅したのではないか。政界や中央官庁には沢山の情報ルートを持っているから、ホットラインで何かをキャッチしたのではなかろうか。それが海野をして「否認なら最後まで否認してくださいよ」という一種の暗号として勇に謎をかけてきたのではないかという気がしてならないのである。社長と連絡をとりたい。そうすれば、海野が投げかげた「否認するなら最後まで否認してくださいよ」といった言葉の謎が解けるのではないか。

 一つの解釈は庇理屈でもいいからとにかく事実関係を否認し通すことだそうすれば、政治力が働いて闇に葬り去られるという意味である。

 もう一つの解釈は商売仇による投書があってこれが査察の端著となっている場である。この場合であれば内部に会社の機密を漏らした者がいることが予想されるから充分内部調査をしてから対処しなければならない。どの程度の情報が漏れているかを把握しなければならないから対処の仕方がむつかしくなる。その場合にはむしろ被害が少なくなるように事実関係を素直に認めて修正申告で済ませる方向で決着するよう工作する必要生じてくるだろう。そのためにも社長と早急に速絡をとりたかった。だがそれができないなら自分の判断で最善を選択するしかないなと考えていた。

「都窪さん。金庫を開けて下さい。それから清泉銀行に会社の貸し金庫が有るでしょうその鍵を出してください」と次席捜査員の韮山が勇の側を離れずに指図する。
「貸し金庫には何も入っていませんよ」
「開けて見れば判ることだからとにかく鍵を出しなさい」と次第に命令口調になってくるので、勇の胸の動悸はますます高まってきて、部屋の隅に置いてある金庫を開けようとするがダイヤルの番号を思い出せない。毎日、無意識にダイヤルを回して開けているのに今日は何度やっても金庫が開かない。
「気が動転してダイヤル番号を思い出すことが出来ないので、気を静めるために一服したいから喫煙室ヘ行かして欲しい」
「どうぞ」

勇は海野の言うように本当に各支店にも捜査員が入っているのか状況を把握したいと思って喫煙室の受話器をとると、
「都窪さん電話をかけてはいけません」とただちに、傍らにいる捜査員が待ったをかけるのでどうなっているのか状況が皆目判らない。外部から電話が掛かって呼び出し音がするとすかさず近くにいた若い捜査員が受話器を取り
「こちら今岡建設工業ですがいま取り込んでいますので三十分後に掛けなおして下さい。」と言ってガチヤンと切ってしまうのである。
「大切なお客さんからの電話かもしれないのにそんな応対の仕方はないでしょう。仕事がとんだらどうしてくれるんですか」と営業課の藤本が食ってかかると

「脱税をするような悪い会社なんだから仕事の一つ二つ飛んだって仕方がないだろう」と生意気な答え方をする。
「嫌疑をかけられただけで脱税していると決まってはいないだろう。裁判もしていないし、判決も出ていないのにひどいではないか。国家権力をかさにした横暴は許せないぞ」と藤本も負けてはいない。
「まあまあ、そんなに興奮しないで。工藤さん、相手の名前は聞いてあるんだろう。藤本さんに相手の名前を教えてあげなさい」と白髪頭の年配の捜査員がとりなしたの雰囲気はおさまったが藤本は憤懣やるかたない気持ちを顔に露に示して相手を睨みつけながら部屋を出て行った。
「金庫はまだ開きませんか」と勇に命令した韮山が催促をする。
「支店と連絡を取りたいのだが電話をかけさせて欲しい」
と勇は韮山に訴えた。

「まだ駄目です。何を連絡したいのですか」
「支店にも捜査が入っているのか確かめたいのです」
「支店のすべてと関係子会社全部に捜査員が入っています。全ての取引先銀行と社長と経理担当重役の自宅にもはいっています。先程話したように百人の捜査員が手分けして今言った所ヘ入っているのです。徹底的にやりますから早く真実を喋ったほうがいいですよ」
「社長は自宅にいるのですか」
「社長は自宅で捜査員に調べられていますよ」
「速絡をとらせてください」
「それは出来ません。早く金庫を開けて下さい。もし開けないのなら職権で金庫を壊しますよ。ダイヤル番号を忘れた振りをしても駄目ですよ。都窪さん。観念することですね。」と韮山は勇の魂胆を見透かした口ぶりである。
 勇がダイヤルの番号を思い出して金庫を開けて貸し金庫の鍵を取り出すと韮山の指示をを受けた小鹿という捜査員が貸し金庫の置いてある銀行まで一緒に行って貸し金庫を開けてくれという。勇もこうなったら下手に逆らっても無駄だと思いはじめていた。

「貸し金庫には何も入ってませんよ」
「この目で確認しないと信用できない。捜査とはそういうものです。銀行まで遠いのですか」
「歩けば三十分ほどかかるでしょう」
「会社に車はありませんか」
「全部現場ヘ出ていますから、歩くしかないですね」と勇は少しでも時間稼ぎを試みるが捜査員もそこは見通しである。
「タクシーで行きましょう。公費で処理できますから都窪さんも一緒に乗って下さい」

 清泉銀行に到着して、窓口で今岡建設工業だが貸し金庫を開けたいというと、態度がいつもと違ってよそよそしい。見ると既に別の捜査員が先に来ていて、いろいろ事情聴取されていたようである。早速貸し金庫を出して貰って合鍵であけるが中にには何も入っていない。
「それ、ご覧なさい。何も入っていないと言った通りでしょう。私は嘘と坊主の髷だけはゆったことがありませんよ」と勇は一つの関門を通り抜けたという安堵感に浸りながら言った。
「次は都窪さんの自宅まで御同行ねがいます」と会社から清泉銀行までついてきた子鹿捜査員が、金庫に何も入っていなかったのは理解しかねるといった顔付きで新たな指示をした。



2005年01月02日(日) 国税局の査察��

 ▼国税局の査察
 朝出勤してから一番にする仕事は、手提げ金庫の中の現金を勘定して出納帳の数字と照合することである。今岡建設工事株式会社の経理マン都窪 勇はいつものように一万円札を数えていた。
 晩秋の寒くなりかけた日の朝の出来事である。部屋の入口が開いて人相の良くない二人の男が入ってきた。見慣れない顔である。

 これはおかしいと感じて
「どちら様でしょうか」と誰何した時には本能的に札束を金庫の中に収めて身構えていた。
 勇が最初に考えたのは、暴力団が労災事故を種にゆすりにきたのではないかということであった。

 つかつかと勇の所へ近寄ってきた闖入者の一人がポケットから身分証明書と捜索許可証を取り出して勇の目の前に示しながら言った。
「都窪 勇さんですね。東京国税局の者ですが、法人税法違反の容疑で査察します。そこを動かないで下さい」
 身分証明書には東京国税局査察部第二部長海野一郎という活字が印刷されていた。
「そんな無茶な。悪いことなんかしていませんよ」
「調べれば判ることです。現金を数えて下さい」と海野は都窪の抗議にはとりあわず、事務的に命令する。
もう一人の背の低いほうの男は、何ごとが起こったかとこちらの方ヘ注目している部屋の中の事務員達に向かって言った。
「脱税容疑で査察しますから、皆さんは、仕事を止めて我々の指示に従って行動して下さい。今後暫く電話の使用を禁止します。電話はかけないで下さい。掛かってきた電話は我々が取りますから皆さんは許可がでるまで受話器には一切手をつけないで下さい」
 勇の胸は早鐘を打つように高鳴っていた。国税当局が査察を掛けてきた以上確信をもっているのであろう。証拠もある程度掴んでいるのではなかろうか。架空工事代の計上が見つかってしまったらしいということは容易に想像がつくが、どの範囲までなのだろうか。どのように対応するか。頭は素早く回転しいろんなケースを想定する。

「都窪さんこちらへ来て下さい」と先程、身分証明書を提示した海野一郎が隣の応接間に勇を呼ぴ込んで言った。
「今日は百人の捜査員があなたの会社の本社、東京支店、大阪支店、四国支店、九州支店ヘ手分けして動員されています。脱税容疑です。脱税の事実を認めますか」
「冗談じやありませんよ。脱税なんかしていませんよ」
「確信をもって言えますか。本当に脱税していないというのなら最後まで否認して下さいよ。もしやっているのならあまり手間をとらせないで、今すぐ認めて下さいよ」海野はじっと勇の目を鋭い眼差しで覗き込むようにして言った。
「濡れ衣です。投書でもあったんですか。もしそうならその書類を見せてくださいよ」と勇は食い下がった。

「捜査上の機密ですから教えられません」と言ってとりあってくれない。海野が今日の捜査の責任者らしく、主だった捜査員に指示をすると捜査員達は机の引出しや書棚をを引出しては茶色の封筒にファイル名を転記して、番号を打ち、一件ごとに封入していき、更に段ボールの箱に封筒を格納していく。勇が捜査員の数を目で追っていくと四十人位しかいない。海野が百人と言ったのはこけおどしかハッタりではないのか。それにしても社長はどうしたのだろうか。朝、顔を見たのに「一寸喪服を取りに家まで行ってくる」と言い残して帰ったまま姿を見せない。



2005年01月01日(土) アメリカへ研修出張

勇が初めて海外へ旅したのは一九七六年アメリカ建国二百年祭の年であった。この時は、斉藤栄三郎先生を団長とする経済視察団に参加しての渡米であった。アメリカにおいて発展しつつあったコンビーニアンスストアの現況を視察し、経営理念を勉強してこれが日本の風土に根づくかどうかを研究するという狙いがあった。

当時日本の政権はロッキード疑惑で失脚した田中内閣に替わって三木内閣が政治倫理を唱え田中角栄元総理大臣が逮捕されるという前代未聞の事件が起こったりしていた。経済は不況のさなかにあり大企業の興人が倒産するなど企業倒産が相次ぎ世相は暗かった。国民は政治に失望し、不況にあえぎながらもそのうち景気が循環してまた好景気がくるだろうと明日を期待しているという、ゆとりのようなものがまだ残っていた。日本経済はまだ右肩上がりの趨勢を失ってはおらず、世の経営者達や投資家達は次の時代に流行る事業は何かを模索し探していた。

 今でこそコンビニアンスストアはどんな田舎町へ行っても必ず見かけるほどに普及したが、当時の日本の社会には皆無であったし、言葉自体が新鮮な響きを持っていた。この視察団が帰国して一年経つか経たずしてコンビニアンスストアが雨後の竹の子のように都会地に出現した。この事実を知ったときこの視察団の団長を勤められた商学博士、法学博士、文学博士という三つもの博士号を持つ斉藤先生の炯眼を思ったものである。

 当時先生は参議院議員であったが、旅行中のセミナーで学者が何故国会議員になったかを洩らされたことがある。それは飛ぶ鳥をも落とす勢いのあった田中自民党総裁から「悪いようにはしないから出馬してくれ」という要請があったからだという。先生は総裁が「悪いようにはしないから」という意味を大臣のポストを用意するからという風に理解して出馬したというのであった。碩学の先生にして名誉欲という俗世間的な誘惑に勝てなかったことに人間らしさを感じもし、人間の持つ煩悩のようなものを感じたのである。

 ニューヨークのエンパイヤステートビル近くのホテルに宿泊したのであるが、夜遅くまで続いたホテル内別室でのセミナーが終わり、自室へ引き上げた。

 翌朝目覚めて時計を見ると、やがてモーニングコールがかかる時間だった。髭剃りを始めたところ、激しくドアを叩く音が聞こえた。まず覗き穴から覗いてみると目に飛び込んできたのはパンツ一枚の裸でたたずんている日本の国会議員であり三つの博士号を持つ碩学の斉藤栄三郎氏ではないか。
 慌てて扉を開けながら、押し込み強盗にでも入られて身ぐるみ剥がれたかとの思いが一瞬脳裏を駆けめぐり、胸を早鐘が打つ。
「先生どうなさいましたか」と聞く声にも力が入る。

先生答えて曰く、
「いやー、お恥ずかしい。鍵を部屋へ置いたまま荷物を廊下へ出そうとしたものだから、部屋へ入れなくなってしまったのです。一寸電話を貸してくださいませんか」
 この話は今まで口外したこともないが先生は泉下から苦笑いしながら聞いておられることだろう。

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