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2025年04月26日(土) ■ |
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『リンス・リピート ―そして、再び繰り返す―』 |
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『リンス・リピート ―そして、再び繰り返す―』@紀伊國屋サザンシアター
自分を律するというと聞こえはいいが、それは自分を追い詰めることにもなる、ということに家族で気づいていく話。この劇場、この5人の出演者で観られてよかったなあ。美術も強烈。観客の集中力も高く、とてもいい時間でした 『リンス・リピート ―そして、再び繰り返す―』
[image or embed] — kai (@flower-lens.bsky.social) Apr 27, 2025 at 2:45
いやー、これはしんどい。観終わってみるとタイトル(邦訳サブタイトル含め)にも含みがあってしんどい。しかしとてもいい作品だったし、とてもいい公演だった。
リハビリ施設から4ヶ月ぶりに帰ってきた摂食障害の娘。自立した生活への足がかりとして、“おためし”の一時退院だ。優しく気遣う両親、ズケズケと本音をぶつける生意気な弟。会話のなかから徐々に浮かび上がる家族の問題。果たして娘はスリップせず、健康な生活を続けられるのか。数日後にはカウンセラーがやってくる。
摂食障害の治療は非常に難しいというが、育て育てられてきた親と子どもの関係を解決することも、とても困難なことだ。あんたのせいだとか私のせいにされるとか、それで片付けられれば楽だし簡単。しかし何故そうなったのか、ということには自分で気づかないとどうにもならない。そして、その状況を打破する決断を下すのも、やはり自分しかいない。子どもは親の所有物ではない。子どもは親を見捨てていい。厳しいことだが、たとえ自分がそう育てられ大人になったとしても、その連鎖を断ち切らねばならないのはやはり親の方なのだ。
母と娘だけの関係ではない。理解があるように見える父にも大きな問題がある。妻と夫、妻の母、夫の母が互いに及ぼす歪な関係が見えてくる。家族は機能不全に陥っている。バランサーは息子だが、その息子も父の抑圧から脱することが出来ない。移民、不妊治療、夫婦間格差。彼らの会話から、一筋縄ではいかない問題が少しずつ露わになっていく構成が見事。
その上で、親も子も「繰り返」したくないからこそがんばってる。それが痛い程観客にも伝わる。この痛みを観客に伝える実力が演者になければ「ははーん、毒親ね」「アダルトチルドレンね」とイージーな印象しか持たれない。名前が付いたことで安心するひともいれば、そんな名前を付けて解った気になられてたまるかと思うひともいる。名付けの功罪を思う。
演者たちにはその「簡単には片付けられない」微妙なラインを表現する力量があった。「自分は問題に立ち向かい解決してきた。そんな私の子なのだから、それが出来ない筈がない」と真綿で首を絞めるように娘を追い詰める寺島しのぶ。理解のある夫という仮面を被り、さまざまないやらしさで妻への歪んだコンプレックスを解消しようとする松尾貴史。このふたりの実力は勿論だが、姉弟を演じた吉柳咲良と富本惣和も素晴らしかった。弟の遠慮のなさはある意味姉を安心させる。興味がなさそうで、弟は姉のことを注意深く見ている。だから姉は、両親にはいえないことを打ち明けられる。ふたりの間には“こいつにだけは話せること”があり、同じ親から抑圧を受ける“同志”のようだった。そして閉鎖的な家族に風穴を開ける外部の人間であるカウンセラー、名越志保の声の説得力!
脚本はドミニカ・フェロー、演出は文学座の稲葉賀恵。胃壁にも子宮にも見える、“内臓”のような舞台空間をつくりあげた美術(山本貴愛)と照明(横原由祐)が強い印象を残す。チェロのボウイングによるロングトーンは不安を掻き立てるが、それがやがて美しい旋律となり、家族の未来に仄かな光が差す。音楽は西井夕紀子、音響は星野大輔。とてもいい座組だった。
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「観劇をさらにお楽しみいただくためのご案内」という紙が配られていた。スマートフォンの電源はOFFに、客席での飲食はNGといった鑑賞時のマナー(映画館でも流れているアレですね)と共に、あらすじというにはかなり踏み込んだ作品解説も。これは親切過ぎないか、想像力の幅を狭めやしないか、と戸惑う。舞台に載る情報から登場人物の背景を読みとっていくのも観劇の醍醐味だと思うのだが……。演劇鑑賞の敷居を下げたい、間口を拡げたいというホリプロの配慮というか熱意は感じた。
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2025年04月12日(土) ■ |
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『ベテラン 凶悪犯罪捜査班』 |
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『ベテラン 凶悪犯罪捜査班』@新宿ピカデリー スクリーン1
スンワン監督は爽快な活劇であり乍ら苦い話を撮るところが好き❤️思えば『生き残るための3つの取引』撮ったひとだもんね。そしてポストクレジットにどよめきが……エンドロール途中で出ない方がいいですよ! 『ベテラン 凶悪犯罪捜査班』
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原題『베테랑2(ベテラン2)』、英題『I, The Executioner』。2024年、リュ・スンワン監督作品。『ベテラン』から実に9年、あのチームが帰ってきた! 前作はシネマートでの公開だったけど今回はシネコン、しかも初週はいちばんデカいスクリーン1! リュ・スンワン監督と主演のファン・ジョンミン、チョン・ヘインが来日してのジャパンプレミアや舞台挨拶も行われ感慨深い…というかその舞台挨拶のチケット全然とれなくて呆然……(転売いっぱい出てたな! 怒)。いやーでも今回の来日、『密輸1970』のときチョ・インソン連れて来たスンワン監督が手応えを感じてジョンミンさんを誘ってくれたんじゃないかなーと思う……有難や有難や。
あとやっぱずっと地道にアジア映画を紹介し続けて観客の裾野を拡げたシネマートの貢献は大きいよ。感謝してます愛してます! これからも宜しくお願いします!
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劇中の時系列は前作からそんなに経っていない設定なのかも知れないが、9年の間に社会は大きく変化している。その変化に対する迷いが率直に現れているなという感想を持った。なかったことにはしない。ではどうしたらいいんだろう。安易な答えを出さず、迷いをまるごと観客に差し出している。そこに感銘を受けた。
リュ・スンワンといえば、のアクションはゴリゴリに堪能。いやーハード、いやーヘヴィー。柔術、パルクールを応用した格闘技に加え、飛び降り、階段落ち、雨の中の乱闘とシーンに応じた多彩なアクションが満載。これを大画面で、いい音響で体験出来るのは劇場鑑賞の醍醐味。あとめっちゃ寒いなかで撮ってるな! というのがヒシヒシと伝わり、観てる方も身体がガチガチ。しかしヘインさん曰く「こんなに安全な現場初めて」。演者のケア含め、徹底したプロの仕事をするのがスンワン組。こういうところ信用出来る。
しかし今作の脚本も書いているスンワン監督は、その肉弾戦に自ら水を差している。ジョンミンさん演じる主人公ソ・ドチョルは、ときには拳が出ちゃう人情派。明洞のド真ん中で繰り広げられたカーアクションと殴り合いは前作の名シーンだった。マ・ドンソクみたいに屈強じゃないドチョルはずっと傷だらけ。あまりの痛々しさにこっちも涙目。そこが魅力でもあった(ヒドい)。
しかし今回ドチョルは、その「やられたらやり返す」が通用しなくなっていることに次々と直面する。ドチョルは自分の息子にも「やられたらやり返せ」といっている。凄惨ないじめに遭っていた息子は反撃する。それが学校で問題となる。折しもソウルでは、法で裁かれなかった殺人犯が殺される事件が次々と発生。彼らが自身の起こした手口と同じ方法で殺されていることから、動画配信者は犯人を“ヘチ”と名付け復讐代行のヒーローに祭り上げる。加害者を警護せねばならないドチョルたちチームは疲弊していく……。
「殴り返せばよかったのに」「死ねばよかったのに」。そんな愚痴をこぼしていたドチョルは自分の信念に疑問を持つ。迷いは観客にも向けられる。裏をとらない噂をイージーに流して煽る配信者。それを反射的に、感情の赴くまま拡散する民衆。その勢いに当のヘチすら乗せられ、フェイクに気付かずターゲットを選ぶ。善悪の基準は何か? 何が正しくて何が誤りなのか? 糾弾とリンチの境目は。登場人物と同様に、観客も無傷ではいられない。
悪をやっつけて喝采、とはならない。だから本国では前作より動員がふるわなかったのだろう(とはいえ大ヒットの域に入るのだが)。それでも、この映画には良心を感じた。このチームは信用出来るのだ。正直にいうと、だからこそオ・ダルスの続投は残念だった。やはり巧い役者だ。劇場映画にはゾーニングがある。メインキャストにも関わらず広告に顔を出していない。本国での舞台挨拶は全て欠席していた。日本のパンフレットの紹介欄も最低限のものだった。だが、しかし。登場人物と同じように観客も迷い続ける。
疲れきったドチョルが帰宅し深夜の食卓で家族とラーメンを分け合うシーン、そのとき語られる言葉。「間違っていた」自分を認め、それをはぐらかさずに伝える。さりげなく語られる、しかし勇気のいる言葉だ。苦い余韻とともに、ささやかな安らぎが残る。
傷だらけのベテラン。監督は、この役はジョンミンさんの実像にいちばん近いという。迷うとき、決断するとき。ジョンミンさんの瞳はその美しい虹彩に、困難な世界を映し出す。
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ええ〜これは早く3を撮らないといけないじゃない…客電ついたあとのザワザワっぷりよ…… そしてそっけないロビーとかいってすまんかった、新ピカのロビーにはサイン入りポスターがあった
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ネタバレするとヘチが脱走します(笑)。これは随分な風呂敷広げたな、こんなん仕込んだら一刻も早く続編作らないといけないじゃん。出来るのか? 待ってますよ〜
・ベテラン 凶悪犯罪捜査班┃輝国山人の韓国映画 いつもお世話になっております。こちらのキャスト表ホント助かる……。 事前にあまり情報入れないようにしていたので、バラエティに富んだゲスト陣が出てくる度に笑ってしまった。そしてワタシは健康なチョン・マンシクを観たことないかもしれない。怪我してなくても病気だったりして、大概すごい死に方をする。死ななかったのって『モガディシュ』くらいしか記憶にない。監督の嗜虐性を刺激する何かを持っているのだろうか……と『ソウルの春』のときにも書いたわね。てかヘインさんとマンシクさん、『ソウルの春』では一蓮托生の仲だったのにねえ(泣)。 音楽は『密輸1970』からチャン・ギハが続投でした。前作のテーマ曲はそのままに(いやー憶えてるもんですね、あのテーマが流れたときはアガったわー)エキサイティングな劇伴を聴かせてくれました
・「先輩は、思春期の少年のような方」ファン・ジョンミン×リュ・スンワン監督『ベテラン 凶悪犯罪捜査班』インタビュー┃ananweb リュ・スンワン (ジョンミンさんは)こちらから見ても痛々しいと思うくらいに、もがいているように見える瞬間があるんですね。プロフェッショナルな方ですから、肩の力を抜いて気楽にやってもいいと思うんですけど、そうしてしまうと、きっと自分自身を許せなくなるんじゃないでしょうか。 ファン・ジョンミン 俳優にとって作品というものは自分の人生の中で、最初で最後のものだという思いがあるんですね。同じ作品は2度とできないと思っています。そういうことを考えると、生半可な気持ちでやってはいけないと思うので、どうしても作品に接する時には怖いなっていう思いが先走ってしまうんですよね。(中略)俳優という仕事は、自分との戦いの連続なのではないかと思います。 「結婚したらいいような関係」(笑)。すごくいいインタヴューだった! スンワン監督のファン・ジョンミン観を引き出してくれて有難うございます〜そしてジョンミンさんってどの記事読んでもガードが堅い印象なんだけど、スンワン監督が一緒だからかいつもよりはぶっちゃけてる気がする。貴重〜! 写真もよい!
この崔盛旭さんのテキストすごく良かった。今回の犯人ではなく、煽る動画サイトやSNS、それを鵜呑みにして乗っかる民衆に焦点を当て、『軍艦島』公開のときに起こったことも絡めて書いてあって溜飲が下がる。その上でも今作は苦いんだよなあ……。個人的には『ベテラン2』迄9年かかったの、『軍艦島』の影響もあるのではと思っている
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2025年04月05日(土) ■ |
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『1980 僕たちの光州事件』 |
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『1980 僕たちの光州事件』@シネマート新宿 スクリーン1
「1980年5月」に「光州」で「中華料理店」を開いた家族の物語。軍部と学生、それに報道側からというのは結構あるけど、もともと光州に住んでいた普通の人々がどう巻き込まれたかを描いた映画ってあまりない(というか初めて観たかも)。つらい。字幕監修が秋月望さんでした 『1980 僕たちの光州事件』
[image or embed] — kai (@flower-lens.bsky.social) Apr 5, 2025 at 18:02
原題『1980』。2024年、カン・スンヨン監督作品。冒頭「史実を元にしたフィクションである」という断りがつく。ファクションの一種ともいえるが、登場人物にはきっと複数の──あの日光州にいたあらゆる生活者たちの──姿が投影されている。
お店の開店日は5月17日。溌剌と鍋を振るお父さん、ひとあたりの良い接客で場を明るくする長男のお嫁さん、結婚を控え浮かれる長髪の次男。お客でいっぱいの店内、子どもははしゃぎ、記念写真を撮り……笑顔が溢れる光景。やがて幸せそうに見える家族にもさまざまな事情があり、それでも懸命に生きていることが見えてくる。
お店を継がずに学生運動に出掛けている長男、お店を継ぎたいけど次男だからと燻る次男。軍人たちが口にする「アカ」という蔑称、「中国メシ屋なんか」継ぎたくないと屈託なく口にする孫。おそらく店主は華僑(或いは北朝鮮出身)なのだろう。勤勉に働き、料理の腕を磨き、念願の店を開く迄の道のりを想像する。妻を亡くした事情や、そのことで次男との間にわだかまりがあることも見えてくる。これから何が起こるかを知っている観客は暗澹たる気持ちになる。そして何が起こるかは知ってはいるが、この家族や近所の人々に降りかかる出来事を観客は知らない。
何故こんなに軍人がうろついているのだろう? 何故外出禁止の時間が早まったのだろう? 町の人々は「何が起こっているんだ?」と囁き合う。デモの学生を取り締まっているだけじゃないのか? ストーリーが進むにつれ、観客は光州の住人とともに驚き、嘆き、歯噛みすることになる。
死者の数は今でもはっきりせず、政府の発表と実情には大きな差異がある。行方不明者も多いという。ウクライナやガザでも同様のことは起きているが、この出来事は国内で、自国の軍によって起こされたものだ。命令に従うしかなかった「仕方なかったいい軍人」の描写がほんの少し仕込んであるのがやるせない。SNSなんて影も形もない時代。接するメディアは情報統制され、地方都市への差別は根深い。こうなる迄何もしなかったのか、何も知らなかったのかと、住人を責めることなど出来やしない。
「光州民主化運動」であって「光州事件」と呼んでほしくないというひとがいることは知っている。だから邦題が少し気になるが、日々のちいさな幸せを呆気なく踏み躙られたあの家族にとって、1980年5月の出来事は事件としかいいようのない出来事だったかも知れない。運動の結果ではあっても事故ではない。取り残された(としかいいようがない)女性たちのその後を思うと胸が詰まる。
先日罷免となった尹錫悦大統領(当時)が昨年12月に宣布した非常戒厳は、国会により6時間で解除された。深夜の発令だったにも関わらず議員たちは議事堂に駆けつけ、軍の侵入を阻むためバリケードをつくった。多くの市民たちも議事堂のあるへ汝矣島へと集まった。あまりにも速やかな、鮮やかといっていい程の行動に、驚くと同時に納得もした。さまざまな映画やドラマで軍事政権時代の作品が作られ続けていることが、こうしたときに力になるのだ、と思い知った。あの時代を知ること、忘れないこと。
脚本も手掛けたカン監督は今回が初の監督作品。美術監督としての長いキャリアを活かし、1980年の地方都市の風景を細やかに描く。字幕には表示されないお店の看板や品書き、子どもが学校から持ち帰るプリントと、細やかな拘りが感じられた。つらい作品だが、二度と繰り返してはならないこととして心に留めておきたい。
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・1980 僕たちの光州事件┃輝国山人の韓国映画 いつもお世話になっております。本国では有名な方ばかりなのかも知れませんが、不勉強乍ら私の知っている役者さんがいなかった。そのことがより「市井の人々」を感じさせたのでした
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2025年04月04日(金) ■ |
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折坂悠太『のこされた者のワルツ』 |
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折坂悠太『のこされた者のワルツ』@NHKホール
重奏+弦楽四重奏の11人編成。NHKホールで二部構成、ご本人「衣裳チェンジなんて始めて…」なんて仰ってましたがいや〜素晴らしかった 折坂悠太『のこされた者のワルツ』
[image or embed] — kai (@flower-lens.bsky.social) Apr 5, 2025 at 1:36
「衣裳チェンジなんて始めて…」→「衣裳チェンジなんて初めて…」です。
----- 折坂悠太(Vocal, Guitar) senoo ricky(Drums) 宮田あずみ(Contrabass) 山内弘太(Electric Guitar) ハラナツコ(Sax, Flute) yatchi(Piano) 宮坂遼太郎(Percussion) 波多野敦子(1st Violin, string arrangements) 鈴木絵由子(2nd Violin) 角谷奈緒子(Viola) 巌裕美子(Cello) -----
--- 「のこされた者のワルツ」に寄せて。
逃げ惑う足。あきらめた顔。 沈みゆく船の上で演奏する音楽隊。悴む手で、今出せる音を奏でた。 それらを見送って、私は生きのこった。 ただ今この時を生きていることを、骨のずいから理解する日が、また来るだろうか。 もう波に溶けてしまったものや、水面に映るその人に、今日も挨拶をしよう。 それでもやっぱ、せっかくなら、明るい顔で。
折坂悠太 --- 昨年秋にチケットをとってから5ヶ月くらいだろうか。その間、折坂さんが出したこのコメントがずっと心の隅にあった。
フェスやイヴェント等で拝聴し、その度畏怖すら感じる程圧倒されていた。なかなか日程が合わず、ようやくワンマン。普段(?)のライヴとは異なる趣向で、折坂さん自身過去最大規模の公演だったそうだ。ストリングスアレンジが施されたアコースティックな音像を、NHKホールが柔らかく繊細に響かせる。素晴らしい公演だった。衣裳替えもありました(微笑)。
幕間15分の二部構成。アンコールの流れも素敵で、実質三部といってもいいかな。演奏と歌唱、そして詩の朗読(ポエトリーリーディングというより朗読と書きたい)。折坂さんはアコースティックギターとマンドリンを使い分け、伸びやかなあの声(あの声!)を遠く迄届ける。ときにはマラカス等のちいさなパーカッションを手に、丸腰で(丸腰いうな)唄う。序盤の演奏には少し緊張感が漂っていたが、それは「これだけ大きな会場で繊細なアレンジが届くだろうか」という心配から来るものだったように思う。そしてそれは杞憂だった。演者だけでなく、観客の集中度も高かった。針一本落としても三階席迄聴こえるのではないかという静けさと、演奏が終わる度沸き起こる雨のような拍手。これからどうしたらいいんだろうと途方に暮れる、「見送って」「生きのこった」人々が集ったかのようだった。使い古された言葉かも知れないが、まるで方舟に乗り合わせたかのような。
今回のライヴの告知にタイタニック号の音楽隊を連想するテキストがあったけど、それこそギャビン・ブライヤーズの『タイタニック号の沈没』を思わせる弦楽アレンジがあってジーンと来たりしていた。思い込みかな
[image or embed] — kai (@flower-lens.bsky.social) Apr 5, 2025 at 1:36
波多野さんによるストリングスのアレンジは、楽曲そのものから曲間のブリッジに至る迄、不穏なハーモニーがあちこちに配置されていた。にも関わらず、不思議と安らぎも覚える。やはり連想してしまうのはギャビン・ブライヤーズなのだった。死の淵は恐ろしく、そして苦しい。しかし死そのものには安息だけがある。そうであってほしいだけかも知れない。エレクトリックの楽器は山内さんのギターだけだったが、リヴァーブを効かせ、テルミンの音かと錯覚するようなスライドバーを効果的に使った「揺れ」と「震え」を内包するロングトーンは、規則的であり乍らひとつとして同じものはない。寄せては返す波、いかようにも形を変える水のようだった。だからあらゆる層の観客の心にするりと沁み渡り、集中を促すことが出来たのだろう。
ここに来れば安心ですよ、なんてイージーなことはいわない。いずれ方舟からは出なければならない。鳩がオリーブの枝を咥えて戻ってくる迄の時間、少しの休息を。そんなときに流れている音楽のようにも思えた。
アンコールは比較的リラックス、笑顔も増え、今月から『みんなのうた』でオンエアされている「やまんばマンボ」を披露。NHKホールで『みんなのうた』なんて絶好のシチュエーションでにっこり。楽しい曲だけど歌詞はちょっぴりさびしくて、マンボといえばの「ウッ!」という掛け声も陽性に振り切れない感じがなんとも不思議な魅力。優しさに溢れたマンボ。
物販の告知がもどかしいようで、「こういう話(宣伝)をしたい訳ではないんですけど……」といったあとハッとしたように「いや、だいじなことですっ。どれもいいものなんです、一生懸命つくったんですっ。気に入ってるんですっ」とフォローを入れたのがおかしかった。人柄が滲み出ている。ショウビズの世界で生きるのはたいへんそうだなあと感じてしまうが、それでも誠実に音をつくり、グッズをつくり、いいものを届けたいという思いはきちんと伝わる。バンド、スタッフ、家族に謝意を述べたあと、「ここにいるひとも、いないひとも、これからのひともこれまでのひとも良い春にしましょう!」という言葉に、このひとの姿勢が表れているように感じた。とてもいい時間だった。
(「やまんばマンボ」のことは書いちゃったけど、セットリストは大阪公演終了後に発表されたら転載しようかな)
(20250413追記)
setlist <第1部>
01. 呼び名
02. ハチス
03. 人人
04. あけぼの
05. 沖の方へ
06. 針の穴
07. 鯱
08. 星屑
09. スペル
<第2部>
10. 世界のつづき
11. 正気
12. 窓
13. 光
14. 朝顔
15. のこされた者のワルツ
16. 鶫
17. さびしさ
<アンコール>
18. やまんばマンボ
19. 坂道
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このヴィジュアルも印象的だった。心構えというと大袈裟かも知れないが、どんなライヴになるのかのガイドになった
NHKホール行ったのすごい久しぶりだったなー。帰宅後調べてみたら『東京バレエ団創立50周年記念 祝祭ガラ』以来、11年ぶりだった。代々木公園でデングウイルスを持つ蚊が発見されて、閉鎖された公園を横目に会場に着いたのでした
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