おぎそんの日記
おぎそん



 さよならだけどさよならじゃない

なんつーのがおよそ10年ほど前にありましたね。
山田邦子がもてはやされていた頃です

今日は姫(YUZUKIさんのページを参照して頂けると幸いです)が卒業ということでした。
いつものことながらこのオレンジメンバーってホントにいい人だよなぁと思います。宮本輝の「私たちが好きだったこと」に出てくる感じです。
そのコピーに私たちって自分では気がついていないけれど人のために苦労するのが好きなのねってあるんです。
まぁ、苦労なんかしちゃいない(とゆーかしててもそれを相手に苦痛と感じさせない)のがオレンジメンバーは素敵だなぁ、と。

おぎそんは人と別れるのが苦手です。
そりゃ、ミッチー(黒い念)ほどじゃありませんけど(人を引き合いに出すのは卑怯だと思うけれど)やっぱり普段の「じゃあね」だったらまだしもこういう改まってのさよならが苦手なのです。

意外と思われるかもしれませんが、春という季節は好きではなにです。
誰もが心浮き立ち、これからなにかが始まりそうな予感がする時期ですが、なにかポツーンと取り残された気がしてならないのです。
自分を取り巻く透明な壁の向こうに見える春めいた光景。
手を伸ばしても、声をかけても、そこは別世界。

そんなイメージがあるのです。

もちろんこれが会えなくなるわけではありませんし。なにせオレンジ
またの再開を楽しみにしています。

2003年01月31日(金)



 うだうだとアノ話題作を観た感想

日本テレビがなぜか躍起になって「千と千尋の神隠し」を宣伝してました。まぁ、テレビ放映によってまだ購入してない層の取りこみを狙ったんだろうけど、他の作品の立場が無いかなぁ、と。
視聴率はどうなったんでしょうね?40%超えを狙っているようですが・・・。

おぎそんは以前にも書いたのですがジブリ作品であろうとあまり映画を見ないのでどうでもよかったのですが、生徒が観るのは決まっていますし、本当に赤みがかっているのかを検証するために観ました。
とは言っても眠かったので少し観てないところがあるかもしれませんが。

あ、感想です、感想。

1:自分の望みが相手に受け入れられない時の悲しみ・絶望感がカオナシなんだろう。誰の奥底にあるものの具現化。
蛙など飲み込んだものが<死>ではないことに微妙な救い。
また、あるべきところにおさまるといった解決策。
でも、それが自分にとって「正しい」場所でないとわかったときはどうなるか、が描かれてないのは微妙。
まぁ、それは他の作品で表すかもしれないけど。

2:「汚れた神様」を掃除するときに、千自身が何とかしようと(仕事意識を持って)しているけれど、もっと湯婆(?ゆばーば)の「帰りたいとか言ったら・・・」云々のトコロが活かされてもいいかも。
これだと、千自身の強さであって、他の場合に重ねられないのでは?
ゆばーばが後ろから覗いているのでゆばーば自身はどっちでもいいのかもしれないし。
3:神様の世界(?ともかく異世界)から逃れる時の「後ろを振り向いてはいけない」
これって日本の神話・ギリシャ神話にもある使い古されたフレーズ。まぁ、こうすることで緊張感を増すし、千自身が「もうここには帰れない」との思いを強くすることに働いているのだろう。

4:千とハクとの関係があっさりしているため、なんか感情移入しづらい。てかしたくも無いけど。
「きっと」「いつか」の言葉は強い言葉であって、時にはその人を縛り付ける呪文のごとく。
それを千が使うのはどうかなぁ、と。そこまでの覚悟はあるんかないな?まぁ、銭婆(?ぜにーば)のところに行くことからハクを救いたい、との思いはあったんだろうけど。

5:子ども特有のカンで、「なんかいやだ」「気味が悪い」などを描くのは流石に上手い。てかロリ?
それをあしらう父・母もよく出来てはいる。でも、声優さんの立場は微妙てか完全に低いだろ。それなのに日テレのゲスト(この映画のための特番?)はどうかと思いますよ、内藤さん。

6:夢オチはいかんだろ。いや、そうじゃないという人もあるだろうけど、少なくともおぎそんはそう思った。(夢オチだと)

7:やっぱ赤みがかってると思いますよね?
日本テレビは、ジブリから渡されたマスターテープをそのまま放映するって言ったのでこれは明らかに作為的。
てか、そんなところで話題をよんでもなぁ・・・。

8:数々の広告で使われたシーンがやっと納得いった。てか、思ったより違うところで使われていたのでいい意味で騙された。まぁ、それと作品は離れてしまう、おぎそんの作品とは違っただけのこと。

こんな感じです。

2003年01月24日(金)



 期待されているもの

えー、最近微妙に検索で引っ掛ってくれてます、この「おぎそんの日記」。
といっても、共通のキーワードで来ていただいております。
もちろんダイレクトに「おぎそんの日記」「おぎそん」で起しいただいているのが大部分なのですが。

家庭教師

グロップ

トライ

ベネッセ

といったもので引っ掛ってくれます。
とくに、グロップ&家庭教師は1件目です。申し訳ございません。

まさか、こんなに(毎日一件はこの話題で見ていただいているようです)来るとは思わず。
たった1日の日記の為にお越しいただき申し訳ない次第であります。
そんなわけで今日は微妙に好評だった家庭教師第2弾ということで。



2003年01月21日(火)



 世界に一つだけの花

2/19にSMAPの新曲としてリリースされるそうです。
実は、昨年発売されたアルバム「SMAP015/DRINK!SMAP!」からシングルカットという形になります。
確かに発売当初からファンの評判もよく、昨年のコンサートにおいてもラストナンバーに選ばれるほどメンバーも気に入っていたようです。
が。
何を問題とするのか、であります。

この曲は槇原敬之が書き下ろした曲であるのが微妙に問題というかなんというか。
いや、おぎそん自身も槇原敬之のアルバムを買いますし、好きなんですけど最近の彼の書く曲を見ていると微妙に言いようのない居心地の悪さを感じるのです。

とりあえず、この曲の歌詞をみてゆきましょう。(なんか著作権とかにひっかかったら速攻で消します)


世界で一つだけの花/作詞・作曲:槇原敬之

花屋の店先に並んだ いろんな花を見ていた
ひとそれぞれ好みはあるけど どれもみんなきれいだね

この中で誰が一番だなんて 争うこともしないで
バケツの中誇らしげに しゃんと胸を張っている

それなのに僕ら人間は どうしてこうも比べたがる?
一人一人違うのにその中で 一番になりたがる?


そうさ僕らは 世界に一つだけの花
一人一人違う種を持つ
その花を咲かせることだけに
一生懸命になればいい


困ったように笑いながら ずっと迷ってるひとがいる
頑張って咲いた花は どれもきれいだから仕方ないね

やっと店から出てきた その人が抱えていた
色とりどりの花束と 嬉しそうな横顔

名前も知らなかったけれど あの日僕に笑顔をくれた
誰も気づかないような場所で 咲いてた花のように


そうさ僕らも 世界に一つだけの花
一人一人違う種を持つ
その花を咲かせることだけに
一生懸命になればいい


小さい花や大きな花
一つとして同じものはないから
No.1(ナンバーワン)にならなくてもいい
もともと特別なOnly 1(オンリーワン)


はい。なんとも教育委員会が推奨しそうな歌詞ですね。
いや、そんなことではなくて。

もともと槇原敬之は歌詞から曲を書いているのでまずテーマありきなわけです。で、それが初期の頃(1stアルバム〜4thアルバム)においては
君と僕
の関係に終始しているためメロディにおいてもスムースでありポピュラリティを獲得していたかのように思います。実際、アルバムはミリオンセラーになりましたし。

が、そのテーマをだんだん山下達郎の如く「世に対してなにか訴えたい」とか思い始めたのかきな臭くなってきます。
顕著なのはワーナー復帰後(アルバム「太陽」「Home Sweet Home」「本日ハ晴天ナリ」でありますが、その萌芽はソニー時代の「Such a lovely place」にありました。
インタビューにおいて「自分の大切にしていたものが誰かに壊されたとするじゃない。で、大概は壊した人を責めるんだけどやっぱ壊されてしまうようなところに大事なものを置いてしまった自分もやっぱ悪いと思うのね。いいことも悪いことも自分で引き受けるってことは凄く大事だと思う」という趣旨を発言してからエスカレート。

まぁ、もともとワーナー復帰後のアルバムはほとぼりが冷めるまでどれだけ懺悔をするかと期待するもののいささかはずれチック。
自分の思うことを主張するにはさらけ出さねばなりません。
信頼を得るために自分をさらけ出し相手をどれだけ納得させるか、だと思うのです。
が、アルバム「太陽」において自分のやったことはタイトル曲に集約しているものの普遍的な内容にしてしまったがために説得力が薄れてしまったように思います。
別にヤクをやってたのはほかにもたくさん居ますし(長渕剛・研ナオコ美川憲一・尾崎豊などなど)、これに関してはもっと個人的なものにしたほうが説得力はますだろう、と思いますし。
まぁ、聞く人が皆ヤクをやるわけではないですし(もちろん金太郎君とも付き合いません)その犯罪を「僕らに降りかっかた雨雲は 僕らを試した」とだけで誤魔化すのは如何なものかと。
その後「Home Sweet Home」で自己の内面を見つめなおす内容のため、聞き手を疲れさせるアルバムになってしまい、昨年発売されたアルバム「本日ハ晴天ナリ」もやはり歌詞の点でひっかかりが多くあるように感じてしまうのです。

もちろん、随所において「らしさ」はあるもののどちらかというと少々説教じみているものがあるといわざるを得ません。ex)これはただのたとえ話じゃない/雨ニモ負ケズ
(今回のアルバムのベストトラックは「縁」ですが)
山下達郎の「蒼茫」や「セールスマン・ロンリネス」のように思想が入るとちょっと素直にリスナーが楽しめなくなるなぁ、と。

その延長線上にある提供曲であるこの曲。
ドラマタイアップということで印税も少々入ってくるのでしょうがこの曲での槇原敬之にはあまり魅力を感じないと思いました。


2003年01月17日(金)



 やっつけ更新〜プライオリティを探る

あなたは、ウマ、ウシ、トラ、サル、ヒツジの

5匹の動物を連れて、ハードな旅をしています。

それを、心に思い描いて下さい。



ある時、5匹の動物を連れていては旅を続けることが

困難になったあなたは、動物を1匹捨てることにしました。

さて、あなたはどの動物を捨てますか。

うま さる うし ひつじ とら


・最初に捨てる動物

・その理由(簡潔に)

例:うるさそうだから、のろそうだから なんとなく など



旅を続けているところをキチンと思い描くのが

納得感のある判定を得るポイントです。

競馬が好きだからウマは捨てないとか、

恋人がサルと似ているから捨てるとか、

そういうのは、×。

ウマはサラブレットかだとか、オスかメスかとか、

余計なことも考えないようにしてください



4匹の動物を連れて旅をつづけていたあなたですが、

またまた旅が困難になりました。あなたは仕方なく、

もう1匹動物を捨てることにします。

さて、あなたはどの動物を捨てますか。


二番目に捨てる動物

その理由




さて、またまた旅が困難になり、もう1匹捨てるとしたら、

あなたは、どの動物をすてますか。


三番目に捨てる動物

その理由





四番目は?

四番目に捨てる動物

その理由





最後まで残した動物は何だったでしょう。

そして、最後まで残した理由は?


最後まで残した動物

残した理由


お疲れさまでした。以上のことを踏まえて以下のことは反転してください。(全選択しても可能です)

<解説>
ウマは仕事を意味しています。ウマを最後まで残した人は、仕事優先のシゴト人間かも。
サルは子供です。サルをあっさり捨てちゃった人は子育てがキライなんでしょうな。
ヒツジは、親です。ヒツジを捨てた人は自立心が強い!?
トラは、プライドです。トラを最後まで残した人は、あくまでも自分のプライドが大事なのです!
ウシは、恋人や配偶者などのパートナーです。あっさり捨てちゃう人は、相手への依存心が少ない人かな?


先に捨ててしまったモノほど、優先順位は低くなります。

逆に、最後まで捨てずに残したものが、

あなたのファースト・プライオリティです!!

理由としてあなたが書いたモノが、それぞれに対して

普段あなたが抱いている感情です。


「自分はサルを残したけど、恋人の方が大事だ」なんて

思う人がいるかもしれないですが、あなたの恋人は

あなたにとって、子供のような役割を果たしていたりしないでしょうか。

「シゴトなんてちっとも大事じゃないよー」なんて人も、

配偶者や両親などから、大きな意味で生きる糧を与えられていたり

しないでしょうか。それとも、本来はヤリガイのあるシゴトを

求めているのに、いまの職場が気に入らないとか。


えー、おぎそんの回答は次の通りでした。

最初に捨てる:さる→生活が似ているので食料を防ぐ(食糧危機に陥らないため)
2番目に捨てる:ひつじ→必要性を感じない
3番目に捨てる:とら→肉食だからいかんとも。(他の動物を捕食する危険性/自分の食料を得る時は役に立つが)
4番目に捨てる:うし→雌牛ならともかくジャマ。この辺でうしを食うのもあり

最後に残ったもの:うま→移動手段。わらしべ長者でも重要動物。


えー、どうも餓鬼は真っ先に消去しているので嫌いみたいです。どうなっているのやら。
おぎそん自身、そう仕事人間ではないと思うのですけど・・・。
皆様はどうでしたでしょうか。

なにかございましたら掲示板に書き込みして頂けると幸いです。


では、やっつけではありますが失礼させていただきます。

2003年01月11日(土)



 もうグダグダ

えー、冬期講習も無事に終わりその翌日から通常の業務も始まり生徒も大変だけど講師も大変なのよ、のおぎそんです。

そのせいかは知りませんが本日はメールの対応がグダグダです。

昨日YUZUKIさんから「卒論終わったよー&中島の地上の星がTOP10」を頂きおぎそんは「おっつー&中島はファンの二枚買いかもよ」と返答。

が、なぜか今日。
YUZUKIさんに「卒論おっつー」を送ってました。
なにしてるんだか。てか全く昨日のメールを失念していた可能性大です。

おそらく、親玉氏やしんもっちが卒論終了したということでついでに書いてしまった模様。

それだけでおさまればいいのにたまっていたメールの処理でつい日付を(おぎそんはメールの最後に日付&おぎそん と入れるので)こともあろうに

2002/01/17

?まだ2002はわかるんですけど、17ってなによ?
しかも送ってから気づく始末。
受け取った あずさ よ。許せ。

正直すまんかった

2003年01月10日(金)



 ごめんなさい、そのキーワードって

http://www.goo.ne.jp/default.asp?MT=%A5%D9%A5%CD%A5%C3%A5%BB %C1%CF%B2%C1%B3%D8%B2%F1&act.search=%A1%A1%B8%A1%BA%F7%A1%A1&SM=MC&DC=10&_v=2&base=30
で来た人ごめんなさい。

どこにそんな語句がこの日記に含まれているのか本人がわかりません。
てか福武さんと創○学会さんの組み合わせで来られるなんてなかなか凝った考えをお持ちのようで・・・。

2003年01月03日(金)



 今年の運試し?

腐れ縁のあんまんと今年も仲良く初詣です。
うちから50メートル先の神社であります。昨年は年明けも一緒に迎えるほどの仲(泣)でありますが今年はおぎそんが今日実家から帰る、ということで昨日の夜に会いました。

お御籤を引いた後、夕食を取ろうとするも何故かだだ混み。大晦日に親玉氏やsaisonとすかいらーくで食事したときは空いてたのに・・・。地域差があるのか知らん。


そんなこんなで用事は済みましたので早速帰宅です。時刻は18時17分。
が。
高速に乗ろうとするも最寄りのインターから渋滞20キロとか出ているんです。
しょうがないんで、浜松くらいまでは一般道でいいだろう、ってことで本坂トンネルを抜け三ケ日。
が、まだ混んでいる。
じゃあ磐田まで行ったら流石に空くだろうと思い、磐田へ。
が、なぜか磐田から渋滞。
しょうがないので静岡までは頑張って行こう、と考え静岡についたのが21時43分。
もうここまで来たら富士まで一般道であとは都留を経由して帰ろう、てことで富士に到着したのが22時27分。

さすがに一般道を4時間はキツイっす。これからあと3時間くらいかかるんですよ?
泣き言を言っても始まらないので仕方なく都留の文大前デイリーまで行くともう0時。
家に辿り付いたのが結局1時27分でした。

高速代金が3650円ほど浮いたとはいえ疲れました。
3650/7=・・・。
びみょー。
休み休みでしたけど高速のほうが飛ばせるからいいなぁ。
いや、国道1号でもバイパス部で飛ばせますけどイマイチです。
139号も富士からとばせすけど路面が凍ってますから微妙です。
てか―7度とかありえないし。

混雑前に帰ってきましたけど皆考えることは同じっぽいですね。

2003年01月02日(木)



 福祉村病院

帰りたくなーい。
と言いながら結局いつのまにやら実家にいました。
いや、紅白の中島みゆきを見るために高速を無駄に160キロ/hとかで飛ばしましたけど。

そんなことはどうでもよくて。

実家に帰らないとならなかったのは昨年の7月に書きました祖父・祖母の件があるからです。
祖母がどのようになってしまったのか、という現実を受け入れるのが怖かっただけなんです。
母から聞くと入院当時(8月)は6階だったのですが12月の始めには4階と症状が進んだらしく病室も変わり(症状が重くなると階数は下がるそうです)そのことを聞いただけでも心配になります。
とはいえうちの兄貴も1回もお見舞いに行っていないらしくおぎそんだけが「行きたくない」とは言えず(そもそも行きたくないなら実家に帰らなければいいのです)おぎそんの運転で病院に。

祖父は足腰が弱いため普段は寝たきりになっています。しかし、リハビリも兼ねて祖母のところに車椅子で散歩がてら行くのですが(祖父と祖母は病棟が異なります)、最初の頃は祖父自身を認識してくれずかなりのショックだったようです。
現在、祖父は84歳です。60年近く連れ添った時にその対応は(わかっていたとはいえ)ショックだったようです。

今日、祖父に会いに行くと元気な様子でおぎそんにもいろいろ話をしてくれました。ただ、どうしても自分のことよりもおぎそんのことを気遣ったりとなかなか心苦しかったです。
しかし、こう話してくれることもあまりないため―そもそも会話を交わす機会が無いのですから当たり前かもしれませんが―手を握ったりしました。
おぎそんはそのような対応をしていたのですが、問題というかなんというべきか兄貴。
微妙に遠巻きに観ているのです。いや、兄貴だけではありません。オヤジもです。
母方の祖父ですから父からすれば舅。とっつき難いのはわかりますが兄貴はなんなのでしょう。
愛想笑いが苦手とかそういうことじゃなくて祖父がおぎそんたちに対する心遣いを凄く冒涜しているように思ってしまいました。
もちろん、おぎそんだけが「いい子ぶってる」ていうのもあるかもしれませんがでも、相手の誠意に対してこちらも答えるべきなのではないのでしょうか。
祖父に対して明確な思い入れ(思いでというべきでしょうか)はありませんけど、いままで居るのが当たり前と思っていた存在が突然なくなってしまったりした時のあのなんとも言えない気持ち―喪失感かもしれませんが―は味わいたくないのです。
もちろん、無理なしかも自分勝手な考えだとはいえ正直な気持ちです。
でも、だからいつだって誰に対してもいい格好しい、かもしれませんけど(おぎそん自身が)。

祖母の病棟にいくと祖母は寝ていました。
正直なところ、寝てるなら会って行かなくても・・・と思ったのは確かです。
でも、母が起したところ、祖母はおぎそんを認識し記憶も少し残っていたようで会話ができました。
驚きました。もうちゃんとした会話ができないだろうと―勝手に―覚悟を決めていたのでちょっとした天の配剤―そんなものを信じるほどおぎそんはロマンティックではありませんが―かもしれません。ありがとう。
祖母は祖父とも会話を交わし、これだけでもおぎそんが帰省した意味があったかな、と思いました。
もちろん、おぎそんたちが行った時に祖母が会話できた―会話が成立した―のは偶然であり、今度の夏もそうとは限りません。

でも。
でも、人は想像することができる。
もしかしたら。
もしかしたら。
祖母は祖父との思い出を想いだしまた祖父と会話が出きるかもしれない。
まやかしの希望は絶望より邪悪であるかもしれない。
それがまやかしでなかったら?
それは深川七不思議の「消えずの行灯」かもしれないのです。

新年最初からこんな個人的な話題でごめんなさい。


2003年01月01日(水)
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