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■ バスがだめなら飛行機があるさ
進路の節目において自分だけが取り残されたように感じることがあります。 もちろん、それは試験の合否ということもさることながら自分のやることに対する苛立ち(自分がやってるくせに)・もどかしさを感じるからであります。
周囲の人や親しい人がバスに乗って目的地に行ってしまうのに、なぜか自分はバスに乗り遅れている。
そんな気がしてならないのです。
そんな鬱な時に牧田興一郎(元 三菱重工社長)はこういいます。 「バスがだめなら飛行機があるさ」
たしかにそうなんです。 次々に来るバス。でも、それが自分の行き先かどうか確認できないときに。 とりあえす乗ってみるのも手です。 あってるかもしれない。
次に来るかもしれないバスに期待をかけるのも手。 でも、そうやっていたらいつまでもバスに乗れない。
おぎそんの愛読書である「ななつのこ」(加納朋子・東京創元社)にも同じシュチュエーションがあったような気がします。なんとなく。 中島みゆきの「あのバスに」(アルバム「心守歌」収録)にも
選ぶほどたくさんのバスがあるわけじゃないから 目の前に来たバスに乗ることだけを考えた
あのバスの行き先を見もせずに急いでいた
とあって興味深いところ。
でも、もし違った時はどうすればいいのでしょう?引き返せるのでしょうか? 帰るバスがあるとは限らないのです。
別に急いでるわけじゃないのだけど皆と同じトコロに行けないのが悔しいだけなのかな。 最終目標が違うのは当然。 でも、どうして人と比べて一喜一憂したりするんだろう。 どうして人の目を気にしてしまうのだろう。
そんな自分が一番廻りに踊らされている。
2003年02月26日(水)
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