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■ ヌルい仕事してんじゃねーよ
ぬるい仕事しているのを見るのが嫌なのだ。 自分自身の言動を振り返れば人のことは言えないとは思うのだけれども、それでもなんというか人を不快にさせるレベルの仕事っていかがなものかとある意味感心してしまう>もちろん皮肉。
そりゃ、たかが(この言い方はホントは嫌いなのだ)バイトの仕事にカッカとしてもしょうがないよなんて意見があるのは十分すぎるほどわかっている。自分が望んでいる(接客であったり、仕事に取り組む意識の)レベルでないことに怒るということは、他人に対して甘えがあるのだと思う。 他人に期待をしすぎる、というか。
でも、忌憚なく言わせてもらえば、お金をもらっていようがいなかろうが「与えられた仕事に報いる」ことに誠実に向き合うというのはボクにとって譲れないラインなのだ。 そこが果たされていないところに腹が立つ(何度も繰り返すが、自分勝手な想いだと承知しながら、だ)。
お金をもらう仕事のほうがはっきりしている。 そのお金の分だけ働く、という「プロ」はいる。 それはそれでプロ意識なんだろう。(ただ、何処でその対価を判断するのか、その判断に妥当性はあるのか、などの論議はあるがとりあえず) でも、それじゃなんだか嫌なのだ。
ボクが思うのはお金がもらえなくてももらえても「やってしまう」人が「プロ」なのだと思う。 その対価に惑わされることなく、その状況においてどうすればベストを尽くせるのか。その場限りでない、先を見据えた状況判断。 これを「やってしまう」人にどうしても、情が湧く。 その人を信じたいと思う。 結局、見合った対価でなくとも自分の中で達成感があるというか、満足感(まぁこれも、自己満足かどうかの判断をどうするのか、がつきまとうけれども)があって”武士は食わねど高楊枝”が好きなのだ。
対価は人が決めるもの。 せめて、せっかく自分が取り組むものだからこそいいものにしたい、相手によく思ってもらいたい、助けになりたい。 いくら傲慢だ、と非難されようとも基準は自分が決めるのだ。 自分が今居る場所で、どうしたらその矜持(誇り、でもいい)をもったままでいれるのかがボクの判断基準なのだ。
2005年09月08日(木)
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