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■ ストレスはeeのところに
久しぶりに、ボランティアしました。 とゆーか、たぶん3年ぶりくらい。
偉そうなことはいえないけど、それでもいろいろと人が集まるもの(行事とか)にはトラブルが付き物というか。関わっている人の業の深さや、恨み辛み妬みだったり、思いの深さであったり。
当然のことなんだけど、全くもって(というのは言い過ぎかもしれないけど)立場が違う人がある目的のために共同作業をする。 そりゃ、上手くいかないよな。 なにせ「臨機応変に」ってまかり通っちゃうという時点で。 ・・・どっかで見たような光景ですけど。
とはいえ、それぞれのボランティアは(基本的に)真面目にやってるしそれって凄くもったいない気がする。 「なんとかして」といわれたら”なんとかしてしまう”って能力だし。 指示待ちをしないといけないところもあるけれども、でもそのボランティアの立場だと限られたことしかできないって不満(改善点を思いつく)があると、ステップアップしていくのかな、とも。
それぞれができる範囲で、という「まやかし」はもう通用はしない。 じゃあ、それに対して何処まで腹をくくることができるのか、がボランティアと実行委員みたいなものの境目になるのかもしれない。 なーんてことをコッソリ思ってました。
だって!だって!! おぎそんの分担がいつの間にか変わってるんだものっ! いつの間にか「いない」ことになってるんだものっ(で、代わりの仕事をやる、と)!
もぉ〜。
すべてを名前入りでシフトを組むべき(某委員会とか、某事務局とか)だとは全く思いませんけど(ある程度は必要だとは思うけど)。 でもさ〜〜。
いい年こいた大人たちが一つのことだけぞろぞろついていったり、手持ち無沙汰のときに何もしないってのはどうかなーと思うんですよね。 たぶん、人数の割り振りがキチンと考えてないからなんだけど、せっかくの人手がもったいないなぁ〜と思わされる一幕もあり。 片付けのときに、戦時中の配給 若しくは レミングの行進 さながらの光景を見せられた日にゃなんだかなぁ〜と思わざるを得ないというか。 まぁ、こういう反省点は出ないに一票。
外野の視点を入れると「アレもこれも」となって案山子の如く身動きが取れなくなるのは事実だと思うから、考慮に入れないのも「あり」だな、と思うようになったおぎそんは最近”なげやり”入ってる気がしなくもない。
まっ、たまにはヤサグレってことにしておきましょう。
おぎそんは、純粋無垢なこき使われる(少しは考えたほうがいいと思う)ボランティアの皆様を応援しています!
2005年08月13日(土)
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