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しもさんの「気になる一言」
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2003年07月24日(木) ■
夢の爆弾を不発弾にしないために・・

脚本家・内館牧子さんは東北大学大学院文研究科を受験し
合格、現在、仙台に住んでいる。
「ひらり」「毛利元就」などを書いた脚本家、
また横綱審議委員も務めている彼女が、
どうして一番輝いている今、大学院なのか・・私は知りたかった。
人間科学専攻、宗教学専攻分野に所属。
宗教学を専攻する理由については、神事の一環として相撲をとらえ、
相撲に見られるものを通 して日本の文化を見るため、としているが・・
どうもピンとこなかった。
そんな時、この台詞と出逢った。
「自分の抱えている夢の爆弾を
確実に爆発させたい、不発弾にしたくない」
彼女がある方に呟いた台詞だと聴いたが・・わかる気がする。
一つ一つを確実に爆発させていくことは、とても大切だから。
不発弾として残すと、誰かがそれを拾って悪用するかもしれない。
社会に迷惑をかけることになるかもしれない。
だから、自分の目で爆発することを確認する作業は、
とても大切な生き方の一つであると思う。
爆発を確認した時点で、次の夢の爆弾を、自分の心の中に装填する。
だから彼女は、新しい夢の爆弾を見つけに大学院に通っているのだろう。
いろいろなドラマを確実に、爆発させていったから。



2003年07月23日(水) ■
ふみ月ふみの日

今日は、なんの記念日かなぁ・・なんてぶらっと開いた暦。
思わず、笑ってしまったので、今日の一言。
活字、手紙大好きの私が、久しぶりに、本当に久しぶりに
アクセスしたサイトで、一番最初に目に入った台詞がこれ。
なんとなく、誰かに手紙を書きたくなる日となった。
「文雄、文子」なんて名前を見ると、
あっ!この人7月生まれだな、なんて考えた頃が懐かしい。
「ふむふむ」と「ふみふみ」は関係があるのかな?等
「ふみ」に関していろいろな事が、頭に浮かんできた。
そういえば、以前は、バースディカードもメールなんて味気ない、
なんて思っていたけれど、今年の誕生日に届いた多くのメールが
とても嬉しかったことを思い出した。
「ふみ」イコール「手書き文字」ではない。
「ふみ」イコール「相手への想い」と理解できれば、
電子メールでも充分相手に想いが伝わってくる。
多くのカードから選ぶ作業。
そして、相手を想いながら打つメッセージ。
これは、手書きで書く作業と変わらないし、もしかしたら
手書き以上に手間暇を掛けて送っているかもしれない。
さて、今日は誰にメッセージカードを送ろうかな?と悩む、
そんな一日になりそうである。



2003年07月22日(火) ■
「嗚呼」は「鳥」(トリ)ではなく「烏」(カラス)

今回は、ラジオから流れてきた雑学。
「嗚呼」は「鳴く」という字に「呼ぶ」だと思っていた。
漢字でも「ああ」と打って「変換キー」だから、気にしたことがない。
しかし、ラジオから流れてきたおしゃべりは、こう説明してくれた。
烏(カラス)が呼ぶから「ああ」なのだと。(かぁ〜って事かな?)
イメージとして「鳥」では「ああ」という音と合わないのかもしれない。
私は今まで「口に烏」と書く字があるのさえ知らなかったのだから。
思い込みって凄いな、と思う。45年間、間違って覚えていたもの。
ところが、この「嗚呼」という単語。
意外と生活の中で、多く使われているからもっと驚きであった。
今回、この雑学を知ったあなたは、きっと「嗚呼」の単語を見つけた時、
近寄って「鳥」か「烏」かを確かめるはず。
そして「あっ、ほんとだ・・」と呟くことが想像できるから、面白い。
私が、ここ数日繰り返してきたことと同じように。
そして、また誰かに伝えたくなるはずである。
「ねぇ、知ってる?」という短い疑問文の後に・・



2003年07月21日(月) ■
人間は「跳躍」する前に、必ずしゃがむだろう?

就職したくないフリーターが増えて、社会問題になっているのかと思えば、
働きたいけれど、自分が何に向いているのかさえわからず、悩んでいる若者がいた。
そんなフリーターの現状と、彼等の就職をサΓテートするNPO活動をテレビで見た。
今回の一言は「横浜ヤング・ジョブ・スΓテット」という団体が、
必死に就職を探しているフリーター相手に企画した、企業戦士からのメッセージ。
今、就職に対して、必死にもがいている時期。そんな経験も、大切なことだ、
と言いたかったのかな・・とメモをした。
大きくジャンプしようとしたら、現状の体制・姿勢からでは期待できない。
一度、身体を沈める、そう、しゃがんで力を貯めて、ジャンプする。
だから、焦ることはない、しゃがむことは悪いことではないのだから・・、
そんなメッセージが隠されているのかな?と拡大解釈をしてみた。
誰に教わった訳でもないのに、私たちは「跳躍」する前に、必ずしゃがむ。
大きく羽ばたきたかったら、いつもより深くしゃがむ。
生き方も同じ。あまりしゃがむことのない平和な暮らしがいいとも限らない。
深く沈んで、高くジャンプする。波瀾万丈の人生とは、そういうこと。
どちらの生き方が、正解と言うことはない。自分の考え方次第である。



2003年07月20日(日) ■
昭和初期の学校教育「歩行訓練」

一晩中歩く訓練・・そんなことがあったよ、と
昔を思い出しながら、私に話しかけてくれた人がいた。
「へぇ、何のためにするんですか?」という私の問いに
「健康な身体を鍛えるだけでなく、精神面の粘り強さを養成するためだよ」と
答えが返ってきた。
そんな教育を受けた人たちが、今日本の平均寿命を延ばしている、とふっと思った。
痛くても他人の前では、痛い顔は見せない、
そんな我慢強さを持ち合わせている世代なのだと思う。
しかし、もう暫くすると、そんな教育を受けたことがない人たちが高齢者になる。
そう、精神面で弱い世代の人たちが高齢者になった時、
私は世界一の平均寿命が短くなってくる気がしている。
医療技術が進み、なんとか生かされている人が増えて、
その結果、寿命が延びただけであって、
人間として心から「生きたい」という欲望にかけるからである。



2003年07月19日(土) ■
一回完結講座

社会教育に長年携わってきたから、気になる「講座」であった。
何回コースではないので、時間が合わない、という悩みを持つ
主婦やOLに受けている、と新聞で紹介されていた。
なんでも、限られた時間で達成感を得られる、と評判のようだ。
でも、ちょっと待って欲しい。
いろいろなことを我慢して、自分のために時間をつくり学ぶから
その成果が輝いてくるのに、たった一回受講して得られる成果に
達成感なんて得られるのだろうか?不思議である。
初回には出来なかったことが、最終回には出来るようになっている。
知らない間に、同好の友達も出来た。だから、達成感を感じる。
「継続は力なり」という言葉は、決して死語にはならないと、私は思う。
もし、どうしても・・というのであれば「一回体験講座」。
学ぼうと思う講座のエキスを体験し、興味が湧いたら
何回かのコースを真剣に、そして自分のために時間とお金を投資する。
そんな前提があれば、いいと思うのだが・・。
(それとも、ネーミングをいただいて「一回簡潔講座」でもいい)
実は、最近巷で騒いでいる事件の大半が、我慢が出来ず
犯行におよんだものが多い気がしていたので、
これは社会教育の出番だ、と張りきっていたのだが・・。
こんなところまで、我慢が出来ない人種向けのプログラムが
進んでいることに驚いた。
我慢をして、我慢をして・・我慢だらけだったから、
その後に楽しみがあったのに、と思う。
我慢しないで得られた達成感なんて、何の意味も持たない。
私はそう思うのだが・・



2003年07月18日(金) ■
鴻池発言への支持、約85%

例えが悪かったけれど「加害者の親の責任」、私も支持である。
大臣のホームページへ、賛否両論のメールが届いているという。
今回は、その発言に対するメールの割合を、気になる一言とした。
一部の人が大騒ぎし、いかにも問題発言のように取り上げられたが、
国民の多くは「よく言った」が本音なのかもしれない。
私も、誰か責任能力のある人が、被害者に対して、そして社会に対して、
「申し訳ありませんでした」と陳謝すべきだと思う。
小さい頃から「悪いことをしたら、まず、あやまりなさい」と
教育を受けてきた。それは、今も変わっていないはず。
だから誰も謝ることなく、少年法等に話題が移る事は、理解できない。
例えば、浜岡原発は東海地震でも耐えられる、と言い切る人がいる。
地震学者でも想定できない地震の大きさを、誰が被害想定を考え、
もしもの時、誰が責任を取るのか、ハッキリしていない。
すみません・・ではすまされない大規模の事故が起きた時、
言い切った人間は、どう責任をとるのだろうか?
その責任の重さに比例して、給料が支払われているはずだから。
家族でも同じことが言えるかもしれない。
親は家庭内での発言力が強い分、責任も重くなる。
だから、親子関係が成り立つといってもいい。
時々、今の若い親ときたら・・という高齢者もいるが、
その若い親を育てた親は、自分たちであることを忘れては困る。
責任の取り方、今は学校でも社会でも教えてくれないけれど、
もっと身近な事で、責任の取り方を教えたらどうだろうか。
交通事故を起こしたら、その運転手が習った教習所を公表する。
そうすれば、もっと真剣に交通ルール、運転マナーを教えるかもしれない。
家庭も含めた教育現場から変えていく、そして社会が変わっていく。
そんな気がする。
(鴻池大臣、また問題発言をしたらしい・・ふぅ、目が離せない)



2003年07月17日(木) ■
シンクロの顔の表情って採点になるの?

水泳の世界選手権、シンクロソロをテレビで観ていた私の疑問。
だって、解説者はワンパターンのように「顔の表情がいいですよ」
「高いですね」「きれいなスピンです」くらいしか言わないから・・。
以前にも、このシンクロやスケート等の芸術点に疑問を投げかけたが
今回は、特に強く思ったから、再度のぼやき。
優勝したフランスのデデューは、鼻栓(ノーズクリップ)なしで演技。
その他の選手は、鼻栓をしたまま演技。
これって、どう考えてもおかしい、と私は思う。フェアではない。
誰が見たって、鼻栓をしている顔としていない顔では雲泥の差がある。
あまり関係ない、とコメントするのであれば、自分の顔に鼻栓をして
鏡を覗いてみればいい。思わず笑ってしまうから・・。
もし演技の規定がないのであれば、日本の選手も
脚技などのテクニックにこだわる前に、ノーズクリップなしで演技、
これに対抗する策を考慮しなければ、勝ち目はない。
顔の表情が、表現力として採点対象になるのであれば、
今後、プチ整形をしたりする選手が現れるかもしれない。
どんどん、スポーツとはかけ離れた部分で、
熾烈な戦いが繰り広げられる気がしてならない。
シンクロの顔も採点対象なんだろうな、
それでなければ、わざわざメイクして水の中で演技する必要ないもの。
やっぱり良く解らない、水泳種目である。



2003年07月16日(水) ■
どんなに負けまくっても、ご飯を食べて、眠る。

娘が、亡き義父(彼女にとっては祖父)に宛てた手紙の一節である。
「そして、何回もそれを繰り返して、生きていくよ」と続けてあった。
(こればかりは、紹介しようかどうか随分迷ったけれど、
私の今日の記憶にとどめたかったから取り上げることにした。
娘には、後で怒られることを覚悟の上で・・)
彼女にしか書けない弔辞である。しかも、誰にも聴かれることのない
この文面は、封筒に入れられ、棺の中に納められた。
前後の文が紹介出来ず残念であるが、御勘弁願いたい。
「どんなに負けまくっても・・」
この言い回しは、彼女の今の心境を語っていた。
「昨年、美大の受験に失敗し、今年こそというプレッシャーと
もしかしたら、今年もという不安があるけれど、
じいじ、私は負けないよ、私は私なりに生きていく」
そんな想いが込められているのではないだろうか?
両親にも話さない心の内を、
彼女は可愛がっていただいた亡き祖父に向けて発していた。
心の底から湧いてきた感情を文字にした弔辞。全文を読み終えて、
娘が優しい気持ちを持った人間に育ってくれたことを喜び、
そしてなぜか涙があふれて止まらなかった。
まだまだ子供だとばかり思っていた娘の成長を気付かせてくれた
亡き義父に対して、感謝の意も含めて、冥福を祈りたい。



2003年07月15日(火) ■
小さい子供と遊ぶと、こんなに楽しいのか・・

(まず、昨今の犯罪に似た傾向でないことを前置きしておくが・・)
あることで、姪にあたる小学校一年生の女の子と、
折り紙やなぞなぞ遊びをする時間が出来た。
「ねぇ、おじさん、これできる?」「クイズだよ、いい?」
驚きながら遊んでくれる私に、彼女は友達かのように近寄ってきた。
そんな光景を、高校を卒業した私の娘が、
「私は、そんな楽しそうに遊んでもらった記憶がな〜い」と
ニコニコしながら眺めて呟いた。
「そうだろうな、パパも記憶がないもの」と言い返した。
娘が小さい頃は、仕事や団体活動が楽しくて、平日はもちろん、
土日も、朝から晩まで、飛び回っていた記憶しか残っていない。
だから、折り紙したり、塗り絵したり・・
一日中、娘と遊びまくったという時間、そんな思い出が少ない。
近頃、一緒に買い物に出かけたり、映画にも行くようになったけれど、
それは、本当につい最近のこと。
一番、遊んであげなければならなかった時期を、私は自分のために
使っていたようだ。
私の下手くそな折り紙でも喜んでくれたり、
簡単なナゾナゾを真剣に考えてくれる、
さらに「り」ばかりで終わるシリトリにも悩んでくれる。
「へぇ〜」の驚きの次に発した私の呟きが、今日の一言。
若い頃に感じなかった、子供の素直さが、妙に嬉しいし、楽しい。
こんな感覚、女性はいつも感じていられるのか、と羨ましくなった。