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| 2004年10月26日(火) ■ |
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| 人を信じて裏切られた時は、自分に見る眼がなかったってこと |
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録画してあったNHK大河ドラマ「新選組!」で、 坂本竜馬役の江口洋介さんが、呟いた。 その場面を説明すると長くなるのでしないが、 ドラマに関係なく使える台詞として、メモをした。 「いいのですか?そんな奴、信じて」と仲間は忠告する。 (あいつは嘘つきだから、きっと裏切られますよ) そんな意味のニュアンスが含められていたと思う。 こんなシーンは、私たちの生活でも良くある。 お金を貸したり、保証人になったり、秘密をばらされたり、 トラブルのもとは、信用したのに裏切られるから起きる。 だから、裏切ったあいつが悪い、私は信じたのに・・という フレーズが多くの方の口から飛び出すことになるのだが。 確かに、自分の人間を見る眼がなかったことを嘆く人は少ない。 そういう意味で、今回の一言には「はっ」とさせられた。 生活のいろいろな場面で当てはまるから。 相手の失敗・裏切りを嘆くより、 それを任せた・信用した自分を責める必要がありそうだ。 これだったら、ストレスは溜まらない。 自分がまだまだ甘い、と諦めればいい。 結局、ドラマの中でも裏切られないが、 坂本竜馬は居場所がばれて暗殺されることとなる。 人を信じきり、裏切りによって殺されたわけではない。 そんな結末に、脚本の三谷幸喜さんは何を伝えたかったのか、 ちょっぴりわかったような気がした。
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| 2004年10月25日(月) ■ |
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| 病院では「医療器具が倒れて使えない」と悲鳴 |
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新潟の震度6強地震。 翌日の朝刊はどの新聞も当然トップ記事。 私は相変わらず「1日目のイベント打ち上げ」と称して 軽く飲んでいて、帰宅してから知って驚いた。 地震の怖さを表現するつもりなのかもしれないけれど、 私はへそ曲がりなのか、病院関係者のこのコメントをメモした。 多くの被災者を手当てするはずの病院が、 転倒防止装置をつけていなかったのだろうか、という疑問。 いざという時のために、高い医療費を払っているのに、 その「いざ」の時、倒れて役に立たないのでは困るからだ。 停電しても自家発電で対応する医療の現場、 「野戦病院」と化す可能性も秘めているのに、と思う。 非難するはずの避難場所が、地震で倒れたら大騒ぎとなる。 台風、地震と続く災害に対して、我々が出来ることは 「いざ」という時に、力になれる体制づくりなのだと思う。 そして、この恐怖を体験した人達が トラウマにならないような精神的なフォローが望まれる。 さて、こんな私にできることは・・
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| 2004年10月24日(日) ■ |
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| はでらかす音を聞きたいだけだから |
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週末の土曜・日曜は快晴。まさしくイベント日和。 柿田川公園で開催される「みどりまつり」は 「緑」を愛する(?)大勢の人達で賑わった。 春に続いて、私の担当は「ポン菓子無料配付コーナー」。 2日間で約50回、毎回長い列が出来るほど盛況だった。 「お米がこんなになるの?」と驚く幼児から若い人。 時々、トウモロコシからポップコーンを作ると大喜び。 そんな中、私たちの作業をしている横で じっと見ている中年から壮年の方々。 「無料ですから、並んでください」と声を掛けると 「ポン菓子が食べたいんじゃないの。その音が聞きくて」と 昔を懐かしむ人達が多いことに、なんだか嬉しくなった。 「小さい頃は、お米と薪を持って行ったのよ」とか 「この音を聞くと慌てて外へ飛び出したわよねぇ」と 見知らぬ同士でも、すぐ仲良くなる光景は微笑ましかった。 米が空気に触れて破裂する独特の音、 「爆発音」ではなく「はでらかす音」は会場に響きわたった。 久しぶりに「音」から蘇る小さい頃の思い出に浸った。 若い人にはわからないかな、「はでらかす音」って言っても。 年齢限定の話題だけど、今日はこの一言。 (「はでらかす」って静岡県の方言かな、調べてないけど)
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| 2004年10月23日(土) ■ |
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| おかあさん、それ、選曲ミセス |
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メル友が、NHKのど自慢大会に出るんだと張り切っている。 挑戦する曲目は?と訊ねると、 ペギー葉山さんの「南国土佐を後にして」だと言う。 その選曲に対して、娘さんたちが浴びせた一言。 (もしかしたら「ママ、選曲ミセス」かもしれないが・・) 言葉遊びには欠かせないフレーズとなった。 私にとっては、思わずニヤリの一瞬である。 その発想をキッカケに、いろいろ探してみたら 「選択ミセス」「煩ミセス」「ミセスマッチ」などなど、 応用範囲は思った以上に広かった。 あとは、使うタイミングかな、と感じているが、 これがまた難しい。 まずはオーソドックスに「カラオケ」に行って あんまり上手に唄えなかったら、冒頭の一言をボソッと呟く。 「選曲ミスター」では意味が通じない。 「選曲ミセス」だから、面白いのである。 これからも何度となく登場する、私の言葉遊び。 どうぞ、懲りずにおつきあいください。
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| 2004年10月22日(金) ■ |
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| 「お頭付き」ではなく「尾頭付き」 |
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何気なくテレビを見ていたら、常識クイズをやっていた。 「『おかしら』を漢字で書きなさい」。 てっきり「かしら」を漢字で書けるかな? そんな問題だったと思っていた。 その場に居合わせたメンバーは「お頭」(「御頭」)。 珍回答をする出演者に「お頭」も書けないのかよ〜と みんな自慢げだった。 お祝いごとや神事に使うだろうに・・と解説付き。 しかし、答えは「尾頭」だったから、一同唖然。 たしかに「尾と頭のついたままの魚」。 まるごと一匹のことは誰もが知っていたのに「尾頭」に 気が付かなかった。 そこでなぜだろうか、と考えてみた。 たぶん「尾」から「頭」という視点がなかったのだろう。 「尾」から「頭」という発想をした人は、頭が柔らかいと思う。 全て「上から下へ」「前から後ろへ」が正しいとは限らない。 ついつい長い経験から出来上がった自分の枠の中で、 答えを見つけようとするが、それでは問題は解決ししない。 もう手垢の付いた表現であるけれど 「発想の転換」の必要性を、改めて感じた問題であった。
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| 2004年10月21日(木) ■ |
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| 誰かが死ななきゃやめないんだよ |
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建物の外へ出て、台風の様子を伝える各局のアナウンサー。 暴風に負けず、必死になってその凄さを伝えるシーン。 どの局でも、何度も何度も目にするけれど、 「そこまでしなくても・・」というのが 多くの視聴者の意見ではなかろうか。 かえって「危なくてハラハラする」という意見が多い。 と言うことは、局の意図が伝わっていないということ。 それなのに報道各局は、これでもかこれでもか、と流す。 どうして、こんなことを続けているのだろうか、 どうして、やめることが出来ないのだろうか、 私にとっては、とっても不思議なことである。 ではやめる方法は・・という話になったが、 みんなで考えたその答えが、気になる一言。 その時、国民の多くが 「私もそう思っていたのに」と声をあげるに違いない。 それからでは遅いのに・・と思う。 まさか、ハプニングシーン、NGシリーズで使えるから・・ なんて考えているわけでもないだろうに。 台風の犠牲者の家族の気持ちを考えれば、 一刻も早くやめるべきである。 それでも続けるのであれば、 責任の所在をはっきりしておく必要があろう。 台風は危険だから出ないでと、必死の説得、外でする。
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| 2004年10月20日(水) ■ |
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| 神様が日本に試練を与えているみたいだね |
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今年は台風の当たり年、もう10個目の上陸。 しかし先週、お天気キャスターの森田正光さんは、 もう今年は上陸しません、というコメントをしていたはずなのに・・。 原因は、いろいろ考えられるんだろうけれど、 もう気圧の配置などでは説明できない何かがあるかもしれない。 そんなことを考えながら、農業用水のパトロールをしていたら この台詞がラジオから流れてきた。 面白い視点だな、と思わずメモをした。 今まで、自然の脅威をあまり意識しなかった日本人に、 猛暑の夏と台風の威力を示しているようで仕方がなかった。 地震も台風も被災地でないと他人事、の意識が強い私たちに、 神が平等のように日本各地に台風を上陸させてくれた、 そう考えてみるのも面白い。 危機意識の薄い日本人に、少しは自然の猛威が刺激になって 用意周到な体制の要性を感じたに違いない。 前回の台風の復旧も終わらないまま、また台風上陸。 「神様は、超えられない試練を与えない」 そんなフレーズも私の頭には浮かんできた。 今は、農家にとっても大切な時期である。 国民全体で、この試練を乗り越え踏ん張るしかない。 さて、今夜も水防警備で徹夜かな。朝には帰れるのだろうか。
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| 2004年10月19日(火) ■ |
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| 今どきの肝っ玉かあさんは、スリムだ |
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好きな作家の一人、林真理子さんの「美女入門part3」 (角川文庫・274頁)を読み終えた。 彼女独特の言い回しが、私にはとても勉強になる。 さて今回の台詞は、挿絵だったから、もしかしたら イラストレーター・国分チエミさんの作品かもしれない。 私達の時代、肝っ玉かあさん=京塚昌子さんだったので、 このフレーズが妙に引っかかった。 この「肝っ玉かあさん」の条件は何だろう、と考えてみた。 人情味が溢れ、悩んでいると相談したくなるような女性。 腕っぷしが強く、喧嘩の強い女性ではないことは確か。 いつもはニコニコしているけれど、一度怒らせたら大変。 そんな女性のイメージは、ちょっと太目のほうが似合っていた。 (これは私の独断と偏見で、あまり意味はないけれど・・) しかし最近では痩せていても、こういうタイプの母親がいる。 男性でも女性でも、大人でも子供でも差別することなく 力になってくれる母親は、現代の肝っ玉かあさんに間違いない。 「肝っ玉かあさん」は死語になったのではなく、 形を変えて、私たちの生活の中に生きつづけていると思う。 さらに付け加えて言えば、 今どきの肝っ玉かあさんは、オシャレである。 白い割烹着を着ていなくても、家事をこなす母親が溢れている。 それに比べて、男性は・・ いまだに、太ったままの「寺内貫太郎」か。(笑)
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| 2004年10月18日(月) ■ |
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| 蔵王のオカマは最高だね |
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先週末、中学の同級生で学年全体の同窓会があった。 (というより、単なる飲み会だったかも・・) 今回は、面倒くさいことは一切なし、 場所は公民館、会費は無料(但し自分の食べ物・飲み物持参) 連絡は全て口コミ、(返事も来ないはがきは意味がないから) 2次会はご自由に。これで来れる人は来て・・で企画した。 異論、反論は承知の上、公務員が暇だと思ったら大間違いだ、 それが嫌なら、いつも私任せの幹事をやってみろ、という ちょっと強気の私がいた。 結局、集まった人数は少なかったが、楽しい時間を過ごせた。 今回はその中での会話。 「この間、宮城県へ行ったんだけれど・・」で始まる話に 耳を傾けたら、冒頭の台詞。「蔵王のオカマは最高だね」 「へぇ〜、そんなにきれいなの?」と私。 「うん、最高。一度見ておいた方がいいよ」と友。 「そういえば、上高地も良かったぞ」と別の友。 「へぇ〜、上高地にもきれいなオカマがいるの?」と私。 顔を見あわせる同級生同士のあきれ顔。 「おまえ、ばっかじゃね〜の?」と友、そして大笑い。 私と同じ間違いをした友もいるけれど・・恥ずかしかった。 「蔵王のお釜」といえば、有名な観光名所。 エメラルドグリーンの湖水は、なかなか見ることが出来ない。 それくらいは知っていたけれど、景色は浮かんでこなかった。 酔っぱらっていたとはいえ、またまた失態を・・(笑) この日の楽しさは、何年経っても「蔵王のお釜」で思い出す。 持ち寄った食べ物、美味しいものにいっぱいありつけたし、 やっぱり同窓会もいいもんだな、と万年幹事は思った。
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| 2004年10月17日(日) ■ |
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| お母さんでしか教えられないことを教わっていない |
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「泉のまち わたしの主張」と題する発表会が開催された。 小・中学生や高校生の発表に混じって、高齢者・外国人も 自分の感じたことを丁寧な話し方で、堂々と話してくれた。 中でも、日本に来て10年。町内で英会話を教えているという、 マレーシア出身の女性の主張は 「日本の子どもたちとふれあってみての印象」だった。 他の国の子どもたちにあって、日本の子ども達にないことは 「親を尊敬する」という感覚のようだ。 あまりに、自分の親について説明できない子ども達が多い。 「私のお父さんはどんな人で、お母さんはどんな人」 家族だから当たり前である世界の常識が、日本には通用しない。 家族の会話があまりに少なすぎて、わからないのかもしれない。 その原因を彼女の感覚で表現したフレーズが 「お母さんでしか教えられないことを教わっていない」だった。 なんだろう? なぞ掛けのようなフレーズを真剣に考えてみた。 「子どもが親より高い服を着ているのには驚いた」の台詞で 聴衆者の笑いを誘いながらも、淡々と話す彼女の主張は、 子育てに悩む親にとって、とても貴重な発言が多かったと思う。 新しく始まった「金八先生」を見ながら、 ただただ、うるさく感じたのは私だけだったろうか。 ビートたけしの「TVタックル」の政治家たちも同じ。 人の話をしっかり聴く、ということが出来ていない。 当然、相手の目を見て話すことも出来ていない。 話す時は、相手の目を見て話すってこと。 お母さんが、赤ちゃんに一番最初に教えてあげることだと思う。 これって悔しいけれど、お母さんでしか教えられないこと。 そんな気がしたから、彼女の台詞が妙に私の心に響いて残った。 私の解釈、違うかな?
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