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しもさんの「気になる一言」
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2011年04月13日(水) ■
酔っ払った女性は大好きです

ラジオから流れてきて、思わず頷いたフレーズ。
たぶんインタビューした人は「NO」という答えを期待して
「酔っ払った女性をどう思いますか?」と訊いたようだが、
回答者は、軽やかに答えた。「酔っ払った女性は大好きです」。
正確には「酔える女性はいいなぁってこと」だと思う。
アルコールは飲めません、と完全に拒否するよりも、
少しでも飲んでくれて、白い肌が、全体にポッと桜色になり、
ほろ酔い気分に・・。(汗)
それが、私にはとっても嬉しいことなので、同感したのかも。
(勿論、体質的に飲めない人まで強要はしないけれど・・)
しかし、泥酔状態は?・・と訊かれれば、これは、微妙。(笑)
酒を飲むのはいいが、酒に飲まれるのは、男性・女性に限らず、
私は好きではない。
自分の飲める量をしっかり把握もせず、勢いだけで酔いつぶれる。
それは、大人のお酒の飲み方ではないと思っているから。
何度も同じ失敗を繰り返す人は、飲まない方がいいね、絶対。



2011年04月12日(火) ■
整理収納のエネルギー配分5:3:2

以前、お話を聞いた「整理収納」。
「収納の前に捨てられないんですが・・」と質問したら
「整理収納のエネルギー配分は捨てるのが5に対して
分けるが3で、収納が2の割合なんです」の答え。
なるほどなぁ・・と、納得がいく回答だった。
いつか使うだろう・・と考えず、捨てることができれば、
半分の整理収納が達成したこととなる。
逆に考えれば、捨てることに一番エネルギーが必要。
それを乗り切れば「分ける」「収納」は難しくなさそうだ。
捨てるものを選ばず、必要なものを選択する。
このルールに従って「捨てる」だけで、
物は、たぶん半分に片付くのだろう。
この比率を、いつも頭の隅に置いていきたい、と思う。
昔の写真などで、懐かしむ時間さえなければ、
出来るような気がするのだが・・。
あっ、もしかしたら人間関係も、同じ割合かもなぁ。



2011年04月11日(月) ■
バックします。(ガッツ石松)

映画「アヒルと鴨のコインロッカー」(中村義洋監督)から。
原作は、もちろん、伊坂幸太郎さん。
素敵な台詞もいっぱいあったのに、最後に選んだのは
「バックします。(ガッツ石松)」
ブータン人留学生ドルジに、日本語を教える河島。
その1コマだったけど、インパクトが強過ぎた。
「バックします。」を何回も口にしていると、
たしかに「ガッツ石松」に聞こえてしまう。(笑)
教えている河島の方が笑い出してしまうほど、面白い。
この作品を観てから、街中でこのフレーズが聞こえるたびに、
1人で「ガッツ石松」と言い換えてしまっている自分がいて、
どうしようもなく可笑しい。
作品の中では、どうでもいいような台詞だけど、
このフレーズを耳にするだけで、作品を思い出すのだから、
それはそれで、成功なのかもしれないな。
主人公「椎名」の名前を、ブータン人が覚える時も、
「しいな、しいな、おかしいな」と口にする。
これまた、耳から離れない。困ったものだ。

PS.
4月11日は「ガッツポーズの日」
1974年(昭和49年)のこの日、ボクシングの世界ライト級
タイトルマッチで、挑戦者のガッツ石松選手が逆転KO勝ちした。
このときの喜びのポーズが、「ガッツポーズ」と呼ばれ、
広まっていったことから生まれた記念日。



2011年04月10日(日) ■
津波が「第三の波」なのかもしれないな

久しぶりに、私の呟きである。
私が、愛読書として、時折、読み直している
書籍「第三の波」(アルビン・トフラー著」で、
「在宅勤務」の時代が訪れることを、予測している。
「The Third Wave(1980年)」を出版してから約30年。
それが、今、現実のものになろうとしている。
最近、ネットで見つけた記事だが、
「NTT在宅勤務支援、導入希望急増・・夏の停電で」。
これは、大きな産業革命へと繋がっていく予感がする。
郊外のゆったりとしたマイホームに住みながら、
パソコンを使い、在宅勤務を実現していく。
社員は、毎日の通勤ラッシュや、交通渋滞から解放され、
労働が家庭に移れば、エネルギーの必要量が減るばかりでなく、
エネルギーを分散させることにもなる。
今まで少数派だった生活形態が、計画停電をきっかけとして、
ぐっと現実味を帯びてきたとも言えないだろうか。
この震災によって、私たちの生活様式は一変しつつある。
それは、仕事中心の社会から、家庭中心の社会へ、と。
本当に、津波が「第三の波」なのかもしれないな。
神の与えた筋書きとは思いたくないが、
そのタイミングの良さに、私は驚きを隠せない。



2011年04月09日(土) ■
「開始」も突然ならば「打ち切り」も突然

政府と東京電力が「計画停電」の打ち切りを発表した。
需要と供給のバランスを考えて・・らしいのだが、
「開始」も突然ならば「打ち切り」も突然で、
私は、一抹の不安を感じている。
需要のシュミレーションの中に、震災後、1ヶ月間、
まるまる「停電状態」だった、公共施設の夜間貸出し分が、
入っていないのではないか?と。
文化センター、公民館、体育館、ナイター施設等、
公共施設のほとんどが、節電協力で、夜間し出しを不可にしてきた。
しかし「計画停電打ち切り」の報を聞いて、
施設使用(開放)を求める国民(町民)が、公共施設に詰め寄る光景は、
簡単に想像できる。
それに自治体が対応した時点で、電力需要は急増すると思う。
特に、スポーツの分野は、人間のストレス発散方法の1つなので、
早く身体を動かしたい、練習をしたい、という人が溢れている。
来週は、この対応で追われることが容易にわかるからこそ、
計画停電打ち切りについては、慎重に発表して欲しい。
現場は、またまた混乱が始まりそうだから。



2011年04月08日(金) ■
「情け」を上手に受けると、お互いの気持ちが楽になる

ある講演で「情けは人の為ならず」の話が飛びだした。
もっとも誤って使われやすいことわざの一つ。
最近では、雑学やテレビのクイズでよく出題されるから
「情けをかけると、その人のためにならない」の意ではないことは
多くの人が知ってきた。
「情けを人にかけておけば、めぐりめぐって自分に良い報いが来る。
人に親切にしておけば、必ずよい報いがある」
意味として・知識としては、確かにそうだろうが、
「結局は自分ため」という打算が生まれてはいないだろうか。
さて、電車やバスに乗っていて、若者が席を譲ってくれたとしよう。
そんな時、そんな高齢ではないから、という意味なのか、
「いや、けっこうですよ」と断ったりしているシーンを見かけるが、
たとえ本人はそう思っていても、勇気を振り絞って声を掛けてくれた
若者の情けを上手に受けてあげられる大人が増えて欲しいと願う。
だって「情け」を上手に受けると、お互い気持ちが楽になるから。
「情けは情けのためにやる」・・講師がぼそっと呟いた。なるほどなぁ。



2011年04月07日(木) ■
相手を通して自分個人の目標を何か達成しよう

確かめてなく申し訳ないが、今流行の「ニーチェの言葉」らしい。
「夫婦」について語ったようだ。
「相手を通して自分個人の目標を何か達成しよう」
注釈も含めて、正確には、もう少し長い。(ようだ)
「どちらも相手を通して自分個人の目標を
何か達成しようとするような夫婦関係はうまくいく。
例えば妻が夫によって有名になろうとし、
夫が妻を通して愛されようとするよう場合である。」
自分の力で、目標を達成するのではなく、
相手を通して目標を達成していく・・という視点が新鮮だった。
2人とも自立をして、お互い励ましあいながら・・という形が、
夫婦の理想だと、今まで思っていたから。
もしかしたら、自分だけでも出来るのかもしれないが、
そこを敢えて「夫は、妻を通して、自分個人の目標を何か達成し、
妻は、夫を通して、自分個人の目標を何か達成する」。
この関係、距離感が「夫婦」と言うものを深めていくに違いない。
そうか、妻にも、教えてやろうっと。



2011年04月06日(水) ■
「だいじょうぶ」は「大丈夫」とは違う気がする

「東日本大震災救援チャリティコンサート
―やさしさをありがとう―」から。 
高橋誠さんの世界の民族楽器演奏、
特に「インディアンフルート」の音色に心が癒された。
おかざわゆめこさんの「天使の着ぐるみ」の朗読、
これまた、温かくて、涙腺が緩み、言葉にならなかった。
最後は、AMAN瀬戸龍介さん&花世さん親子の歌。
特に、アンコール曲の「だいじょうぶのうた」は、
今でも耳に残って、私の心にしっかり刻まれた。
帰宅してから「だいじょうぶ」【大丈夫】の意味を調べてみたら、
「あぶなげがなく安心できるさま。強くてしっかりしているさま。
まちがいがなくて確かなさま。」
その瞬間、私の中に、違和感が広がった。
その時の気持ちを言葉にすると、
「『だいじょうぶ』と『大丈夫』は違う気がする」
音では同じ「ダイジョウブ」なんだけれど、彼らの歌から感じたのは、
たしかに平仮名の「だいじょうぶ」だった。
辞書に書かれているようには、はっきりと断定できないけれど、
「だいじょうぶだよ」と言われて、ホッとする感覚なのである。
今回の被災者に「もう、大丈夫だから」と言えないけれど
「もう、だいじょうぶだよ」とは言える気がする。
「そばにいるから安心していいよ」という意味なんだろうな、きっと。



2011年04月05日(火) ■
熟年夫婦が楽しめるまち

統一地方選挙が間近に迫り、候補者の公約を目にすることが増えた。
そのほとんどが「こどもや高齢者にやさしいまち」を掲げ、
「青少年健全育成」や「障害者支援」「安全安心」等が追随している。
それを悪いと言っているわけではない。
ただ、みんな同じようなことを目指していたら、
日本全国、同じようなまちが出来るんだなぁ・・と感じただけ。
例えば「(子育てが一段落した)熟年夫婦が楽しめるまち」なんて、
素敵だと思うのは、私たちがその世代だからだろうか。
「どちらか一方が50歳を超えていれば、夫婦割引」の映画館や
数や量はいらないから、ちょっとゆっくりできる小料理屋とか、
お昼に、妻が作ったお弁当を広げられる芝生公園・・など、
落ちついた感じのする「まちづくり」は、私の理想である。
多くの人が集い、賑やかな活気のあるまち、もいいけれど、
しっとりと静かなまち、に憧れる世代になったのかもしれないな。



2011年04月04日(月) ■
彼らも必死で熱をさげたいのです

ある方の日記から。タイトルは「原子炉を愛でつつむ」
「原発は人によって作られて、人のために、
なんと言われようと頑張ってきました。彼らにも意識があります。
愛と感謝の薔薇水でできた雪山を両手でそっとすくいあげ
原子炉を「ありがとう」とやさしく包みこみ
彼らが静かに冷えていくのを手伝ってあげましょう。
彼らも必死で熱をさげたいのです。
嫌って疎んでいたひとに愛をむけ、感謝でつながっていくときです」
こんな視点で、今回の原発問題を考えたことがなかった。
今までの便利な生活を支えてくれていた「原発」を、
今の私たちは「危険」と知った途端、邪魔者扱いをしてしまった。
もちろん、原発がなくても・・という考えはあるけれど、
それは、原発が静かに冷えて、熱を下げてからの話題にしたい。
今は、原発にも愛を・・与えるべきなのかもしれない。