≪ ≫ 初日 最新 目次 MAIL HOME


しもさんの「気になる一言」
しもさん
MAIL
HOME

My追加

2011年07月12日(火) ■
勉強カフェ

ラジオから流れてきた情報によると、
最近、都会で好評の、カフェらしい。
勉強好きな日本人らしい発想の「勉強カフェ」。
会員制で、利用者の多くは30〜50代の男性らしい。
簡単に言えば、資格を取るための勉強とか、
自己啓発として「英語」など語学の勉強などが出来るように
工夫されているカフェらしい。(時間制限もないようだ)
この流行は、日本の今の姿を映し出していると言えないだろうか。
仕事では、時間外は制限された上、早い時間での帰宅を促され、
自宅に戻っても、子どもや家族の声、部屋中に響くテレビの音声が、
勉強をする環境を与えてはくれない。
そこで「勉強カフェ」の出現となったのではないか。
今の日本の住宅事情から考えると、よほど大きな家でなければ、
自宅に書斎のスペースを確保するのは至難の業だが、
これからは、通信技術の発達で、在宅勤務が可能となっている。
今回の震災の影響で、その実現スピードは加速しているだろう。
だからこそ、巷で流行の「勉強カフェ」に留まらず、
「自宅の書斎(仕事場)」を確保することを期待したい。



2011年07月11日(月) ■
いい展覧会になるかどうかは、スタッフ・主催者側の想い

30年に及ぶ私の公務員人生の中でも、指折りの企画となった
「牧野宗則木版画展」が、心地よい緊張に包まれたまま、
16日間の展示期間を終え、昨日、無事に閉幕した。
作品搬出の作業を手伝いながら、先生からいただいたメッセージを
振り返ってみると、多くの気付きがあった。
その中でも、特に印象に残っているのは、
著名人の展覧会などはもとより、すべてが初めての経験で、
失敗したらどうしよう、来場者が少なかったら申し訳ない・・
そんな不安だらけの私たちに向けて、先生が励ましてくれた台詞。
(細かくメモした訳ではないので、不十分ですが・・)
「いい展覧会になるかどうかは、展示する施設のレベルや、
どれだけお金をかけたかではないんですよ。
スタッフ・主催者側の想いこそが、一番大事なんです」と。
これには参った。そして「成功させたい」という想いだけで、
16日間、毎日毎日、版画を眺め続けた。
そして最終日、先生から、特別のご褒美をいただいた気がする。
「みなさんのおかげで、いい展覧会が出来ました。
気持ちよく、観てもらえる空間が出来たと思います。
これがきっかけとなって、良い作品展が出来れば私は嬉しいです」
この一言だけで、私は大満足である。
これを契機に「版画でまちづくり」を真剣に考えてみたい。



2011年07月10日(日) ■
図書館は、読んでもらいたい本を置く

講演「生涯学習とボランティア」
(講師・鈴木眞理氏(青山学院大学教授))から。
テンポが良く、ジョークを交えた講演内容は、
日頃、睡魔との闘いになるはずの午後にもかかわらず、
あっという間の1時間だった。
最近、社会教育施設の存在価値を見直さなければ・・と
真剣に考えていたところなので、とても参考になった。
それを端的に表現したのが「本屋と図書館の本質的な違い」
言い換えれば「民間施設と公共施設」の違いである。
「本屋は、みんなが読みたい本、売れる本を置く。
図書館は、読んでもらいたい本、感動してもらいたい本を置く」
この説明で、私の考えは間違いなかった、と再確認できた。
図書館に限らず、公民館や地域交流センター、体育施設も、
同じことが言える。
民間では、どんなに素晴らしい内容でも、採算が取れなければ、
開催しないテーマ・講座・教室を、公共が隙間を埋める。
住民のニーズを把握することも大切だと思うが、
公共がビジョンを持ち、住民に提案していく形は、私の理想だ。
評価は、蔵書の数、講座教室の数ではない。
これを知って欲しいという、職員の意識の高さが求められている。



2011年07月09日(土) ■
自分の優しさが、作品の優しさを見つけ出すからなんです

明日で最終日を迎える「牧野宗則木版画展」、
この期間中、先生が、何度となく(土日に関係なく)
会場である清水町地域交流センターを訪れ、
私たち職員に対しても、丁寧に、そしてわかりやすく
「牧野版画のいろは」を説明してくださっている姿に、
私は、ただただ感謝するばかりであった。
その先生の人柄が、職員を成長させてくれた、と思うから。
そう言えば、先週の「ギャラリートーク」で先生は、
私たち聴講者に「作品の見方」を教えてくれた。
「この作品は、なぜか優しい感じがするなぁ、と思うのは、
自分の優しさが、作品の優しさを見つけ出すからなんです」と。
それは作品の大きさや、版の数、刷りの数、価格に関係なく、
自分の心の中に、大事なもの、大切なものを見つけた時、
良い作品に出会った、と言えるようだ。
さらに「飾りものは、心の中まで入らない」と言い切り
「良い作品に出会うと、人間が豊かになる」とまとめた。
16日間、毎日眺めた「牧野作品」は、私の心を豊かにしてくれた。
そしてまた、関わったスタッフの心まで・・。
残すところ、あと1日。1人でも多くの方に、伝えたい。
「あなたの優しさで、作品の優しさを見つけてください」って。



2011年07月08日(金) ■
織姫と彦星は「恋人」ではなくて「夫婦」です。

昨日の「気になる一言」の読者から、感想メール。
「細かいツッコミですけど」と前置きがあり、
「織姫と彦星は『恋人』ではなくて『夫婦』です。」
そうでした・・事前に何回も確認した七夕の話、
「わし座のα星・アルタイル、琴座のα星・ベガ」を
彦星・織姫にみたてて、理解していたつもりなんだけど・・。
これに対し、私の言い訳は、
「隣にいた、浴衣姿の彼女が、どうしても妻にはみえず、
これは、やばい関係だなぁ・・と1人で考えていたからかな。(笑)」
司会の幼稚園の先生も、子どもたちに
「彦星さんと織姫さんにとっては、大事な時間ですから、
早く二人にしてあげましょう・・」みたいなコメントしていたから、
てっきり、恋人同士・・と勘違いしました。(またまた言い訳)
それにしても、今朝の地元新聞に、
甚平姿の彦星さんと、浴衣姿の彼女がカラーで掲載されてしまった。
(うぁ・・恥ずかしい。)
頭の星飾りがなければ、単なるおじさん。(うっ、危ない)
やはり「星の国からの使者」で頼んでみようかな。
青い服を来た「サンタ」でもいいし。
それにしても、最近、ミスが多いなぁ、ごめんなさい。



2011年07月07日(木) ■
彦星役、初体験(笑)

今まで、何度となく、子どもたちのために
「豆まきの鬼役」、「クリスマスのサンタ役」をしてきた。
そして、その度に、逆に子どもたちに元気をもらってきたが、
今回は「七夕」にちなんで「彦星役」を頼まれた。
台詞は、ほとんどなく、星型の飾りを頭に付け、
ニコニコ立っているだけだから、よけいに辛い。
親子以上に離れている「織姫」相手に、夫婦(×恋人)を気取り、
願いが叶って、逢えました・・というのも照れるし。
まぁ、子どもたちが喜んでくれればそれだけでいいけど・・。
来年はもう少し、考えないとなぁ(来年もやる気でいる(汗))
希望は「星の国の使者」みたいな役柄で、サンタの夏バージョン、
お土産は、天の川からすくってきた、星形のお菓子(金平糖)。
(勝手に、脚本作っちゃおうかなぁ)
何はともあれ、私のコスプレ・レパートリーに
なぜか「甚平姿の彦星」が加わり、
老後の楽しみが、また1つ増えることになった。
来年は、絶対、自前の着物に角帯で、颯爽と登場しようっと。



2011年07月06日(水) ■
襲われたらやり返す。そんな勇気、犬にもあるわ

映画「トロイ」(ウォルフガング・ペーターゼン監督)から。
体力的に弱い立場の女性が、大男たちに襲われたが、
彼らに立ち向かっていく姿を見て、
主人公のブラッド・ピットが「勇気あるねぇ」と呟く。
それに答えて、彼女が言い返した。
「襲われたらやり返す。そんな勇気、犬にもあるわ」
言葉と発想が、私にウケたのでメモをした。
今、殴られても、またあとが怖いから抵抗しない、
そんな人たちが多いからだろうか、
「殴り返す」ことは「勇気」ある行為と表現された。
(ギリシャ神話が元ネタなので、時代背景が難しいけれど)
そんな勇気ある行為に、男たちが驚いていたら、
「そんなことが『勇気』というのなら、
犬だって『勇気』があるってことになる、
生きていて、襲われたらやり返すは、当然でしょ。」
そんな気持ちが、伝わってきた「一言」である。



2011年07月05日(火) ■
「片づけ」とは、過去に「片をつける」こと

書籍「人生がときめく片付けの魔法」
(近藤麻理恵著・サンマーク出版・270頁)から。
はっきりと定義があったわけではないが、
「思い出モノ」を処分できない自分にとって、
とってもスッキリとした考え方が、
「片づけ」とは、過去に「片をつける」こと、である。
けっして、忘れてしまう、ことではない。
自分の心の中で整理をし、いつもでも引きずらない。
それこそ「片をつける」ことになる気がしている。
辞書によると「片をつける(方を付ける)」とは
物事の決着をつける。始末をつける。こととある。
「手紙」「写真」「プレゼント」等は、
私が「捨てられないものベスト3」といっても過言ではないが、
思い出も自分の脳裏に焼き付けることが出来れば、
モノとして残しておく必要は、あまり感じられない。
著者からメッセージの1つとして記されていた
「片付けとは『モノを通して自分と対話する作業』である」
が、心に響いている。



2011年07月04日(月) ■
野球は「8-7」の試合を

ラジオから流れてきた、今年のプロ野球事情。
試合球に、通称「飛ばないボール」を使用し、
今年は、完全に「投高打低」の力関係が浮き彫り、
ゆえに、手に汗握る投手戦が繰り広げられている。
そんな内容だったと思うが、私は野球界に危機感を感じている。
番組内でも、誰かがコメントしていたが、
「投手戦」が好きなのは、私たちのように、余程の野球好きで
投手とバッターとの駆け引きなどを楽しみにしている人たちのみ。
ほとんどのファンは、打撃戦で、点の取り合う試合が好きなはず。
「1-0」より「8-7」の試合の方が、大声を出せて楽しいのだから。
となると、今回の「飛ばないボール採用」は、本末転倒。
試合時間は確かに短くなったけれど、スカッとした試合が減った。
これが、野球離れに拍車をかけている。
サッカーは、最近では「なでしこジャパン」の活躍もあって、
男女とも着実に人気を確保しているし、
ゴルフも、男女の若い世代が実力と人気で引っぱっている。
「1-0」のスコアは、サッカーに任せておいて、
野球は「8-7」の試合を見せて欲しい。



2011年07月03日(日) ■
北斎先生、残念でしたね、自分の思いのままに作れなくて

「木版画家・牧野宗則氏によるギャラリートーク」から。
清水町地域交流センターの展示当初から楽しみにしていた、
牧野先生本人によるギャラリートーク。
人柄とでもいうべきなのか、とてもホッとさせてくれた1時間。
(聴かなかった人、損したなぁ・・と本気で思っている。(笑))
さて、メモしまくりの私が、帰宅してから、
走り書きを整理したら、あることに気がついた。
たぶん先生も、無意識で気づいていないかもしれない。
それは、会話の中に「北斎」「広重」の名が、
何度となく登場することであった。
彼の頭の中には、常に日本を代表する、いや世界を代表する
「浮世絵」の作者「葛飾北斎」と「安藤(歌川)広重」がいる。
2人の作品に憧れて、この道(木版画家)を志し、
2人の技術を習得しながら、2人がなし得なかったことを
自分には出来る可能性がある、と信じて修行を積み、達成した。
その過程では、常に「北斎なら(広重なら)、どうするか」と考え、
「北斎は、こんな場合どう思うか」と自問自答を繰り返している。
今まで誰も出来なかった、絵師・彫り師・刷り師の3役を1人でこなし、
さらに、色の制限があった浮世絵の伝統を継承しつつ、
制限をなくした多色刷りで、作者本来の想いを表現したと言ってもいい。
それを先生の口から発せられたフレーズでメモを探したら、
「北斎先生、残念でしたね、自分の思いのままに作れなくて」となった。
弟子が師匠を超えた・・そんな言葉にも受け取れる。
生涯学習の仕事をし、牧野先生と出会えたことに心から感謝したい。