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しもさんの「気になる一言」
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2011年08月31日(水) ■
いいね、お前の苦しそうな顔、凄くいいよ

映画「蛇にピアス」(蜷川幸雄監督)から。
金原ひとみさんが芥川賞受賞の時、原作を読んだけれど、
さっぱりわからなかった。
なかなか自分で映像化できず、苦労した小説だった。
そういう意味では、今回は映像化されたので、期待した。
けれど、やっぱりわからなかった。(汗)
私の感性が、理解するまで達していないのが原因だが、
たぶん、死ぬまで理解できない気がする。
特に「痛い」のと「苦しい」のと「辛い」のに弱い私には、
「痛くないと、感じない。」という感覚が、わからない。
首都圏の電車が、蛇のように線路の上を動くシーンだけが、
妙に印象に残った。
この作品を思い出すのに選んだ、気になる一言は、
サディストの彫り師シバの台詞である。
「いいね、お前の苦しそうな顔、凄くいいよ」
「俺は、お前の顔を見ていると、Sの血が騒ぐんだ」
「もし死にたくなったら、俺に殺させてくれ」等々、
理解できない台詞は、増える一方だった。
単語では、やっぱり「スプリット・タン」かな。



2011年08月30日(火) ■
やばい、SB・PBだよ・・・体重が(汗)

まったく影響されやすい性格だ、と自分でも呆れる。
世界陸上のテレビ観戦で、何度も耳にしている単語、
「SB」は「シーズンベスト」「PB」は「パーソナルベスト」。
もうすぐ夏が終わるというのに、食欲は衰えるどころか、
冷たいビールと家内の手料理で、ますます増してきた成果が
体重となって現れた。
体重計に乗った私は、ひとりで悲鳴をあげてしまった。
「やばい、SB・PBだよ・・・体重が(汗)」
増えることが、ベスト記録とは言えないから、
使い方を間違えたな、と苦笑いしながらも、
この臨機応変な単語の使い方に、自己満足している。
今年は、この単語をうまく使いこなしてみたいな、と思う。
自分も、体重やアルコール量ではなく、何かに挑戦して
「シーズンベスト」「パーソナルベスト」という単語を
正しい使い方で口にしたい。



2011年08月29日(月) ■
訓読みの『くん』も音読みだったよ

母が、クイズの本を抱えて、私に質問してきた。
「ねぇ、ちょっと教えて」と言いながら。
どうせ、クイズだから簡単だろうと思っていたら、
「音読みの『おん』は音読み、では、訓読みの『くん』は?」
「えっ?」と一瞬固まってから「訓読みでしょ」と返した。
でも、それではクイズにならないな、とネットで調べたら、
なんと、訓読みの「訓」(くん)は音読みだった。
訓読みとは「漢字の持つ意味を日本の言葉に当てはめた読み方」
音読みとは「漢字の中国語での発音を日本人なりに言いやすくした読み方」
「音訓」という言葉自体が中国から入ってきたもので、
その言葉を日本でもそのまま使っているため、
音読みのまま現代に伝わっている、との説明があった。
なるほど・・とメモして、自慢げに母に伝えた。
「音読みの『おん』は音読み、訓読みの『くん』も音読みだったよ」
まぁ、こんな雑学、仕事には役に立たないけれど、
呑み屋では、ちょっとネタになるかも・・・(汗)
でも「温玉」(おんたま)「薫玉」(くんたま)の方が、ウケるかもなぁ。



2011年08月28日(日) ■
海江田氏"逆ギレ"に「弱さ」も

昨日「民主代表選共同記者会見」をテレビで観続けた。
(政治ネタは、あまり書きたくないけれど・・)
この様子が翌日、どう表現されるのか、興味があったから。
地元新聞の見出しは「政策 独自色見えず」
あれっ、そうきたか・・が私の感想。
どんな国を作っていきたいか?という質問はなかったし、
夢を語る場面もなかった、と思うが、そう表現するのか。
特に、海江田氏に対する「小沢関連質問」は、
私が見ていてもしつこいな、と感じるやり取りで、
「公平に質問して下さい」と言い返したシーンが
「海江田氏"逆ギレ"に『弱さ』も」と表現されている。
勿論、質問にあたった有識者がそう採点したのだから、
報道の自由、表現の自由はあることだし、異論はないが、
なにか、スッキリしないものを感じている。
あのやり取りが、どうして「逆ギレ」なのか、説明願いたい。
今の政治に必要なことは「根本的な問題解決をすること」
いつまでも「脱小沢」「親小沢」「反小沢」と騒いでいるならば、
小沢氏に党員資格を与えて、一度、首相にしてみればいい。
そうすれば、国民にも小沢氏の実力がはっきりわかるのだから。
「国を立て直せるか、どうか」
こんなにわかりやすい、判断基準はないと思うのだが・・。
これでは、あまりにも短絡的だろうか。
安倍晋三氏の「『美しい国』を作ります」が懐かしいなぁ。



2011年08月27日(土) ■
河川敷には、トランペットだよね

今週1週間は、早朝の5時に起き、6時半のラジオ体操に備えた。
青少年健全育成会の事業であるが、担当課長としては
だまって寝ているわけにもいかず、毎回現場に顔を出すことに。
今週は、あいにく天候に恵まれず、屋根のある施設に場所を移して
実施することが多かったが、今日は曇り空ながら、
なんとか、狩野川河川敷(ふれあい広場)で、実施することが出来た。
(2回目は、開始3分前に突然雨が降り出し、
参加者、約250人が体育館へ移動というハプニング付き(汗))
ラジオ体操も無事終わり、片付けを終えてその場を去ろうとした時、
河川敷から、トランペットの音色が・・。
「こんな早朝から・・」と呟いた私の横で、知人が諭してくれた。
「河川敷には、トランペットだよね」
どこの河川敷にも、トランペットの練習がつきもの、とばかり。
そう言えば、同じような光景を全国各地で見たことことがある。
それも、練習する楽器がフルートやクラリネット、サックスではなく
なぜか「トランペット」(笑)
これって、なにか意味があるのだろうか、不思議だよなぁ。



2011年08月26日(金) ■
物(もの)は言いよう・気は持ちよう

あるコンサートで耳にしたフレーズ。
「よく、うちのおばあちゃんが言ってました。
物(もの)は言いよう・気は持ちようだって・・・」
これを何回も繰り返して使うと、ギャグになります。(笑)
ところで「物は言いよう」が気になった。
私が最初に浮かんだ「物は〜」は「考えよう」だったから。
そこで調べてみたら、2つとも意味があった、ホッ。
「物(もの)は言いよう」は
同じことでも言い方によって、よくも悪くも印象が変わる。
「物(もの)は考えよう」は
物事は考え方しだいで、よくも悪くも受け取ることができる。
なるほど・・とメモしたが、今度は「気は持ちよう」が気になった。
私の中では「気の持ちよう」であり、
「気は持ちよう」は、ちょっと違和感がある。
この使い分けは、まだ理解できていないし、ネットでもわからない。
誰か詳しい方、教えてください。



2011年08月25日(木) ■
丁寧は仕事の基本である

書籍「大人の流儀」(伊集院静著・講談社刊・189頁)から。
書店で見つけ、図書館にリクエストしようかな、と思いながらも、
なぜか、すぐに購入し、一気に読み切ってしまった。
この「大人の流儀」というタイトルや表紙に惹かれて読んだ人は、
ちょっと物足りないかもしれないが、あの夏目雅子さんを惚れさせた
彼の男っぽさは、充分に堪能できる内容ではないか、と思う。
相変わらず、私のメモは増えたが、一度、書き写し、
さらにパソコンに入力した読後メモを眺めていたら、
何度か登場する「丁寧」と「誠実」いう単語が、目についた。
「清潔、身綺麗は、丁寧につながる」「丁寧は仕事の基本である」
「丁寧は人間の誠実が、これをさせている」「誠実は生きる姿勢である」
「人に文章で何かを伝えたいなら『誠実と丁寧』が基本だ」・・
いつものように、気になって調べてみたら
「丁寧」とは、細かいところまで気を配ること。注意深く入念にすること。
言動が礼儀正しく、配慮が行き届いていること。また、そのさま。
彼が言いたかったことは、これか・・と頷いた。
「流儀」もいろいろ意味があるが「心構え」なのだろう。
「大人(特に男)の流儀(心構え)」とは、単なる器が大きいだけでなく、
「誠実・丁寧」を常に根底に置き、
行動ができる男こそ、その人間の魅力を倍加させる、
そんな意味に理解したがいかがなものか。



2011年08月24日(水) ■
女のいやらしさを出さないと・・女よ、女

映画「櫻の園 −さくらのその−」(中原俊監督)から。
おじさんだなぁ、と思いながらも、
やっぱり、若い女の子の一所懸命の姿はいい(汗)。
この中から、未来の大女優が生まれるんだろうなぁ、
そんな視点で観てしまった作品である。
菊川怜さん扮する坂田先生が、
「稽古のときは、デビル坂野って呼ばれてたんだから」と
ピチピチの女子高生に、演技するシーン。
もちろん演劇作品はロシアのチェーホフ原作「桜の園」。
「ここは本気に助けてって言っているわけじゃないの、
女のいやらしさを出さないと・・女よ、女」・・と叫ぶ。
これには笑った。
そうなんだよ、女はいやらしいんだ・・と頷いた訳じゃない。
でも、インパクトあった台詞を、物語に関係なく選んだ。
このフレーズだけで、この作品を思い出せそうだったから。
「舞台立つの、すごく興奮するよ」も台詞もいいな。
でもどうして、若い女の子の作品って「桜」「桃」ばかりなんだろう。
映画「フレフレ少女」の主人公は「櫻木高校の百山桃子」、
愛読書は「櫻文庫」。今回の主人公は「櫻華学園の結城桃」。
なんとなくわかるけど・・ここまでしなくても・・(笑)。



2011年08月23日(火) ■
掛け算ができない子が大学に入っている

ある大学教授の呟きである。(すみません、情報源はご勘弁を)
「掛け算ができない子が大学に入っている」
しかし、それは例えの1つであり、もっと驚くような
子どもたちが大学生になっている、ともいう。
大学に限らず、社会人だって同じことが言える。
「おまえ、大学出てきたんだろ?と叫びたくなる奴、
うちの会社にもいるよ」とは友達の嘆き。
極端なことを言うと「一般常識のない子どもたちが、
教育関連の大学に入り、教師となって子どもたちを教えている」
それは、日本の教育力の低下に繋がる由々しき問題だと、
酒を飲みながら、現役教師と語ったことを思い出してた。
では、その原因は・・となるのだが、大学の乱立により、
誰でも行けるようになったこと、と結論づけた。(汗)
大学試験が難しかった時代、勉強嫌いの学生は、
ほとんど高校を卒業後、就職をしたのだが、
今は、その選別が出来ず、勉強嫌いの子どもたちも、
親のすすめで「とりあえず」大学生になり、
4年間、何も考えず遊ぶ。そして「とりあえず」就職する。
(今は、就職難だけど・・)
日本の将来を考えた時、この部分を直さないと、
とんでもない社会になってしまう気がしてならない。
「履歴書は役に立たないな」と誰かが言っていたっけ。



2011年08月22日(月) ■
感動を支える人がいる。感動を拡げる人がいる。

たぶん・・サッポロビールのCMだった気がする。
これも、箱根駅伝のメモと一緒に書かれていたから(笑)。 
どうして、このフレーズに反応したのか、自分でもわからない。
ただ、自分の役割として考えていた「感動を支える」から、
「感動を拡げる」へ、意識が変わってきたからだろう。
「2番目、参謀、副○○、補佐」が得意だったはずの私が、
最近、妙に前に出る機会が増え、
気がつくと一番前で、旗を振っているケースが多い。
しかし、以前のように、トップ役を毛嫌いするすることもなく、
これまた、神が私に与えた役割として、素直に受け入れたい。
こう考えることにより、これまた楽しい人生が送れるに違いないから。
もちろん、これからも「支える役」は、続けていく。
しかし、時には「拡げる役」を演じ、社会のために役に立ちたい。
そんな気持ちの変化が、このフレーズを、このタイミングで輝かした。
「感動を支える人がいる。感動を拡げる人がいる」
人には、その年代で与えられた役割があるのかもしれないな。