≪ ≫ 初日 最新 目次 MAIL HOME


しもさんの「気になる一言」
しもさん
MAIL
HOME

My追加

2011年11月09日(水) ■
そんな坊やに興味を示す女にゃ興味ないね

映画「さよならゲーム」(ロン・シェルトン監督)から。
原題の「BULL DURHAM」が、どうして日本語になると
「さよならゲーム」になるのか、理解に苦しんだ。
原題(ブル・ダーラム)はノース・キャロライナ州にある
タバコ会社の名前、であるにもかかわらず・・。
野球好きだからこそ、その結末に期待したのに、残念であった。
物語前半、野球狂の熟女アニーに誘われても、言い返した台詞。
「そんな坊やに興味を示す女にゃ興味ないね」
おぉ、カッコいい・・とメモしたにもかかわらず、
最後には「興味を示す」では留まらず、彼女とセックスまで・・。
最初の台詞は、なんだったんだよ・・と消化不良で観終えた。
野球が好きだからこそ、気になるシーンは多い。
私自身、何度も球場へ足を運んでいるから、いくら映画とはいえ、
そのプレーの甘さに、納得できないシーンが多かった気がする。
スピード感だけでなく、全体を包む緊張感がなかったからか、
イマイチ、作品にのめり込めなかった。
もうしばらく「スポーツ」を題材にした映画を観てみようと思う。



2011年11月08日(火) ■
「多機能携帯電話」VS「電話機能つきパソコン」

今年のヒット商品、ナンバーワンは「スマートフォン」
そんな話題を耳にした。もちろん異論はない。
しかし「スマホ」を日本語に訳すと、意見が分かれる。
その違いが「多機能携帯電話・電話機能つきパソコン」。
スマートフォンを「携帯電話」と考えるか、
「パソコン」と考えるかによって、その定義は変わる。
「スマホ」は「ケイタイ」の「進化系」と考えれば
「多機能携帯電話」だし、
「パソコン」の「超小型化」と考えれば「電話機能つきパソコン」。
私は、後者の定義を支持したい。
逆に「ケータイ」は「インターネット機能つき携帯電話」であり、
小型化されたパソコンの「スマホ」とは、関連がない。
だから「携帯電話」と「スマホ」を持ち歩く人は理解できるが、
「小型パソコン」と「スマホ」を持ち歩く人は理解出来ない。
ただ、先日も「気になる一言」に書いたが、
「スマホ」の使い方くらい知らないと、困るよなぁ(笑)



2011年11月07日(月) ■
教育は、全て強制から始まるんですね。

書籍「夫婦口論」(二人で「老い」を生きる知恵)
三浦朱門&曽野綾子著・扶桑社新書(育鵬社刊・229頁)から。
そうそう・・と思ってメモをした一節。
「教育は、全て強制から始まるんですね。
最初に強制された型があるからこそ、
そこからどう解き放たれるかという自由があり、
はみ出る面白さがあるんですね。
いろいろなものを無理やり押し付けるというのが、
その子の個性を伸ばしていく最大の道筋だと僕は思います。」
その「強制」がなくなり、最初から「自由」になったから、
個性も伸びてこない、という視点であろう。
さらに「損することができる人間を育てるのが教育」、
この言葉に、頷くばかりであった。
「教育」の意味を、もう一度、じっくり考えてみたい。
そして、子どもたちの(学校)教育だけでなく、
職場での(社員)教育、地域での(社会)教育にも活かしてみたい。
きっと、共通項があるはずだから。



2011年11月06日(日) ■
映画レビュー400作品、達成ですね

ネットの世界って、驚くことばかりである。
私でも意識していなかった数字を見つけて、
お祝いのメールが届くのであるから・・。(嬉)
それが「映画レビュー400作品、達成ですね」
1年間、年齢の数だけ映画館で映画を観よう、とはじめた
50歳の2008年(3年前)、秋頃から、せっかく観た映画を
記録に残そうと考え、コツコツとレビューを書き続けた。
私の場合、感想というより、台詞の一部であるが・・。(汗)
その数が、先日「400作品」に達したらしい。
1作品目は、地元シネコン、オープニングイベントで観た
「たそがれ清兵衛」投稿日:2008年9月23日・評価:3.5
「学問したら、考える力がつくんだ」だった。
サイトは「映画.com」(http://eiga.com/)(映画レビュー)
これでは、映画から選んだ「気になる一言」が多いわけだ、と
自分でも、苦笑いしてしまった。
しかし最近は、もっぱら100円片手に、レンタルショップへ。
気になる台詞を、巻き戻して確認するには、DVDが便利だし、
映画館のお客が増えて、暗闇でメモがしにくくなったから。
気になる一言、情報源は映画でも、話題は千差万別だし、
私の人生を豊かにしてくれるから、映画鑑賞は続けていくよ。
目指せ、500作品レビュー。(ぼちぼち、書いていきます)



2011年11月05日(土) ■
子どもたちが、子どもたちの発表を聴く

青少年健全育成の観点で開催する「わたしの主張発表大会」
本年度は、スタッフの提案で形式を変えてみた。
そのコンセプトが「子どもたちが、子どもたちの発表を聴く」。
せっかく学校を代表して話す彼らの主張を、今までは
大人の教育関係者しか聴く機会がなかったが、
今回は、同年代の子どもがどんなことを考えているか、を
実際、同じクラスの子どもたちにも届けたい、ということ。
小さいミスはあったが、結果は大成功であったと思う。
発表する側も、発表を聴く側も、刺激になったに違いない。
2部では、合唱・合奏の発表も加わり、会場は超満員。
自分の学校の発表しか知らない児童・生徒にとって、
他校の演奏は、これまた大きな収穫だったことだろう。
この事業は、誰のために、何のために行うのか、を考える。
民間企業にとっては、当たり前のことだろうが、
長年、恒例のようにやってきたことを変える勇気、
これを我が課のスタッフが持てるようになったということが
私にとっては、一番嬉しい、と記憶・記録に残しておきたい。



2011年11月04日(金) ■
「この選手、誰だ?」「う〜ん、今年も最下位だな」

映画「メジャーリーグ」(デビッド・S・ウォード監督)から。
野球好きにとっては、所詮、映画とわかっていたのに、
途中から「インディアンズ・ファン」になった気分。
プロらしいスピード感、迫力もあり、大満足であった。
メジャーリーグでこんな珍プレーはないだろう、というのも
お愛嬌の部類で、笑って見過ごせた。
選んだのは、作品の冒頭、チームの本拠地で交わされる
地元ファンの会話。(今は、地元でなくても同じだが・・)
「野球シーズンですね、今年のインディアンズは?」
「この選手、誰だ?」「う〜ん、今年も最下位だな」・・
春のキャンプを終え、一軍登録選手の新聞などを眺めながら、
新しいシーズンの成績を予想する時の面白さは、
野球好きならではの、楽しみ方であろう。
当たっても当たらなくてもいい。それだけで楽しいのだから。
また、スポーツ映画にありがちな、序盤苦戦しながら、
最後は、大逆転(さよならホームラン等)で勝つのではなく、
野球好きが喜びそうな、結末がさらに好印象として残った。
おまけのフレーズとして、開幕戦のスポーツニュース、
「インディアンズ 平年並みの負け 9-0で破れました」
これには笑えた、どこかのチームみたいで・・(汗)



2011年11月03日(木) ■
「二度としてはいけないこと」と「一度だって許されないこと」

最近、なぜかこんな台詞を使うことが増えた。
(以前も、時々、使っていたフレーズであるが・・・)
最近、問題になっていることは、果たしてどちらなのか、
自分で判断の基準にしてみるといい。
島田紳助氏の引退原因となった「暴力団との交際」、
これは、厳しいかもしれないが「一度だって許されないこと」、
だから、私たちは、彼の引退に不満が残らない。(残念であるが)
世界陸上のウサイン・ボルト、100m決勝のフライング、
これは、本来なら「二度としてはいけないこと」なのに、
無理矢理「一度だって許されないこと」にしたから、不満が残る。
「自分の中では、セーフだと思っていたが、アウトと言われた」
島田紳助さんの記者会見を、私なりの表現にするとすれば、
自分では「二度としてはいけないこと」と思っていたが、
本当は「一度だって許されないこと」だった、と言うことになる。
世間が「二度としてはいけないこと」だと判断すれば、
自ら反省して、誠意をもってやり直せばいい、ただそれだけ。
難しく考える必要はない、私の判断基準はこれに尽きる。



2011年11月02日(水) ■
セックス依存症のカウンセリング集会

映画「俺たちのフィギィアスケーター」
(ウィル・スペック/ジョシュ・ゴードン監督)から。
ちょっと危ない台詞(シモネタ)のオンパレード。
台詞だけでなく、映像でも・・(笑)
もう「笑い転げるしかない」が感想である。
フィギア・スケートの演技中、手品師のように
コスチュームの中から「鳩」が飛び出てきたり、
館内の周りを見渡してしまうような、きわどいシーンも、
彼女のおっぱいと軽く握手しただけだ、と・・大騒ぎ。
もうこれ以上は、さすがの私も文字に出来ない。(汗)
まぁ、記録に残すような台詞もあまりなかったけれど、
強いて言えば、これかな?
出かけようとする主人公に向かって「どこへ行くんだ?」と
軽い気持ちで声をかけた。
まじめ顔で「セックス依存症のカウンセリング集会」。
彼の座右の銘は「裸で勝負」。
もう、真剣に考えることがバカらしくなるほど面白かった。
映画じゃなきゃできないよなぁ、こんな作品。



2011年11月01日(火) ■
「20:10」「15:14」「10:10」

数字の羅列で申し訳ないが、この数字だけで
「好ましい平等社会」とはどれか・・という話を耳にした。
「平等社会」というと、皆が同じに扱われる社会を意味する、
そう思い込んでいる人たちが多い。
冒頭の数字に「万円」というお金の単位をつけたら、わかりやすい。
「20万:10万」「15万:14万」「10万:10万」の場合、
「平等」と言ったら「10万:10万」だと主張する人がいる。
いやいや、仕事ぶりに差があるのだから「15万:14万」のように
差がある方が「平等」だという人もいた。
しかし「好ましい平等社会」は「20万:10万」だと言う人が現れた。
個人個人に差はあるが、足して2で割れば「1人15万円ずつ」。
他の2つより、1人当たりの収入は多い。
いわゆる「WIN&WIN」の関係とは、こういうことだと教わった。
自分の主張ばかりをしていると、結局は低いレベルで落ち着くことになる。
例えが悪いが、私の脳裏に浮かんだのは「男女共同参画社会」、
声高に「平等」を叫び続けるよりも、男女の違いを認めつつ、
足して2で割る発想があれば、好ましい平等社会の実現がするのになぁ、
そんなことを感じたメモである。



2011年10月31日(月) ■
ばかめ、ばかめが・・日本をどうするのだ・・・

映画「桜田門外ノ変」(佐藤純彌監督)から。
NHK大河ドラマのように、物語が淡々と進み過ぎて
あれっ?、これで終わり?と物足りなさを感じてしまった。
そこで、私が気になる一言に選んだのは、
大老・井伊直弼を桜田門外で襲撃した主人公たちではなく、
殺された「井伊直弼」が籠の中で呟いた死ぬ直前の台詞である。
腐敗した世の中に不満を持ち、その一番大きな原因とされる
大老を殺害することで、世の中が変わると信じて襲撃を企てた。
そして彼らは目的は果たしたが、簡単に世の中は変わらなかった。
逃げ惑う中で、以前「共に手を取り、この国の道を正そうぜ」と
約束を交わした同士に「大老襲撃は本当に正しかったんかいや」
「なんぞ変えることができたんかいや」
「まちごうとりゃせんだかいや」と訊ねら答えられないシーンが
一番印象に残った。
そんな会話を予想したかのように、鉄砲で撃たれ槍で刺されながら
大老が呟く。「ばかめ、ばかめが・・日本をどうするのだ・・・」
正しい、正しくないは、後の人たちが評価するのだが、
少なくとも私は、今の日本をこうしたい、という考えはあったぞ、と
言いたげな台詞であると感じメモをした。
お前たちに任せて、日本は守れるんだな、と念を押されたような台詞。
物語とは関係ないかもしれないが、最後まで逃げ回って終わった結末に
大きな意味が隠されていたのかもしれない。
もう少し、私たちの予想を裏切る結末が欲しかったなぁ。