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しもさんの「気になる一言」
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2011年11月19日(土) ■
「Vサイン」と「サインはV」の違い

カメラを向けると、子どもから大人まで、日本人のほとんどが、
「Vサイン」でポーズをとる。
私には、不思議ではならない日本の光景の1つとなっている。
だって「平和」を意味する「ピース」の綴りは「peace」で
単語のどこにも「V」は、存在しない。
本来は「イギリスのチャーチルがドイツに勝つぞ」という意味で
「victory」の「V」を国民に示したとされるのであるが、
いつから「ピース」となったのかわからない。
もちろん、誰が始めたことかわからない。
ネットで調べれば、きっとわかるのだろうが、
私が心配しているのは、本来の意味を知って使うのと、
何も疑問を持たず使うのでは、大きな差があると思うから。
バレーボールのTVドラマは「サインはV」、当然「Victory」の「V」。
しかし、この頃から日本各地に広がったとも言われている。
関連があるのだろうか、ちょっと気になる。



2011年11月18日(金) ■
人生を味わうにはセンスが要ります

映画「100歳の少年と12通の手紙」
(エリック=エマニュエル・シュミット)から。
12日間を一生にたとえて、1日10年として過ごす、
白血病末期の患者、オスカー少年。
提案したのは、ピンク色大好きなピザ屋さんの女性。
1日目は1歳から10歳、2日目は11歳から20歳・・
「今、何時?」「じゃあ、何歳頃ね・・」という
そんな具合で、彼の余命を一緒に過ごしていく。
「15歳、勇気を出して告白する年頃ね」
「18歳の男の子は、疲れない」
「思春期は苦難の世代ですね、こんな時期は一度で十分」
「30代は厳しい、心配の世代、責任の世代だ」
「40過ぎると、男は魔がさすの」
「結婚生活はステキです。50代に近づき、試練を越えた後は特に」
「60歳を過ぎました、昨晩のツケを払っています、身体がだるい」
「歳をとると旅行が嫌いになります」
「人生を味わうにはセンスが要ります」「老いは不快だ」
そして100歳(10日目)を迎えて
「僕を起こしていいのは、神様だけ」と呟く。
そして、彼に関わった人たちが気付いたこと。
「オスカーと出会ったおかげで、私の心は一生愛に満たされます」
これに尽きる。フランス映画らしい作品だったな。



2011年11月17日(木) ■
通称・親不孝横丁

先日、いろいろな飲む理由を考えて、飲みに出かけたが、
1次会の焼肉から、2次会へ向かう途中、
やけに狭い路地と、くねくねした道を歩かされた。
両脇には、いっぱい呑み屋のようなお店がズラリ。
「へぇ〜、三島にもこんなところがあるんですね」と言うと
歳の離れた先輩が、自慢げに、そしてちょっと淋しそうに
「ここは、昔、通称・親不孝横丁、と呼ばれていたんだ」と
説明してくれた。
この横丁に入り込んだら、楽しくて、なかなか家には帰らない、
親には、お金をせびる・・そんな意味も含めて、
「親不孝横丁」とみんなが呼んでいたらしい。
きっと、全国にそんな「親不孝横丁」があるんだろうな、と
ひとりで苦笑いしてしまった。
勿論、カラオケもなく、カウンターしかないような呑み屋って、
全国チェーンの居酒屋よりも、その土地の風土が感じられる。
土地にあった「親不孝横丁」、大切にしたい文化かもしれないな。



2011年11月16日(水) ■
2人とも身勝手すぎるわ

映画「恋するベーカリー」(ナンシー・マイヤーズ監督)から。
メリル・ストリープ主演の「恋愛コメディ」との解説だが、
私の感想は、ちょっと違う。
10年前に離婚した夫婦が、10年後に再会し、
お互い惹かれあい、ラストは結ばれる、という展開であるが、
あまりスッキリとした話には感じられなかった。
それを象徴する台詞は、成人した2人の子どもたちが口にした。
「2人とも身勝手すぎるわ」
一番多感な頃、父親と母親が離婚した事実は、
子どもたちにとって心の傷となって残る。
そんなことも忘れて、また寄りを戻すと言い出した両親に、
言い放った台詞こそ、この映画に対する私の感想に近い。
この台詞を言いたくなった人たちは、彼らの子どもだけでなく、
彼と結婚した若妻、彼女の魅力に引かれた建築士も同じだろう。
心のままに動くのはいいけれど、多くの人たちを巻き込んで、
自分たちだけ、やっぱり元に戻りました・・は、いただけない。
全体を通しての感想も「2人とも身勝手すぎるわ」である。



2011年11月15日(火) ■
学校へのお礼の気持ちが学費納入

書籍「夫婦口論」(二人で「老い」を生きる知恵)
三浦朱門&曽野綾子著・扶桑社新書(育鵬社刊・229頁)から。
最近、静岡県がクローズアップされている、教員の不祥事。
もう策がない、と悩むのもわからなくないが、
それって個人の病気だから・・で片付けるのも、あまり進歩がない。
解決になるかわからないが、本著のメモにヒントを見つけた。
正式には、もう少し長い。「学校に教育してもらうことに対する、
ささやかなお礼の気持ちが、学費納入」とある。
先生と生徒、さらに保護者との理想的な関係を、表現していると思う。
大切な自分たちの子どもを、一人前の人間として教育してもらうから、
学校に、いや先生方に、ささやかなお礼として、学費納入をする。
これが、本来の「学校」と「家庭」の姿なのかな、と思う。
お礼に価する「教育」は、簡単には出来ないけれど、
先生方の一所懸命な姿がなければ、
セクハラ等の不祥事を起こさないがやる気の見えない教師に、
お礼の気持ちは湧いてこない。
それは、公務員の私たちでも同じことが言える。
「まちづくりへのお礼の気持ちが税金」なのだから、
お礼がいただけるように、頑張らなくちゃな。



2011年11月14日(月) ■
「チャレンジ」と「ギャンブル」の違い

同じようなことを、同じような人がしても、
「チャレンジャーだね」と言われる人と
「ギャンブラーだなぁ」と言われる人がいる。
この違いは何だろうか、と真剣に考えていたら、
あるテレビ番組で、これかな?というヒントを頂いた。
(すみません、情報源の番組名を忘れました(汗))
言葉にすると難しい定義も、数字にしてみると
なるほどなぁ、と説得力がある定義になる例えであろう。
ある人からみて「51パーセント以上の確率」があれば
「チャレンジャー」と定義する。
逆に「49パーセント以下の確率」しかなければ
「ギャンブラー」と定義される、というのである。
今日、帰宅してから見つけたYahooトピックスの
「TPP決断を評価51% 読売調査」を見て、同じことを考えた。
確率と評価は、ちょっと違うかもしれないけれど、
野田総理は、TPPに関して、ギャンブラーではなく、
チャレンジャーという評価であったのかもしれない。
しかし、しかし「50パーセントの確率(評価)」と判断したら
何と呼べばいいんだろうか、という疑問にもぶつかった。
面白い呼び名があったら、是非、私に教えて欲しい。
「チャレンジ」と「ギャンブル」の間のこと・・。



2011年11月13日(日) ■
裁判に面白さを求めてはいけない

映画「ステキな金縛り」(三谷幸喜監督)から。
法廷でちょっとふざけすぎたかな・・が第一印象。
「バナナをバナナと言って何が悪い」から始まり、
いろいろなシーンでありえな〜い、と思うことが・・。
もちろん、喜劇とわかっているのだが、
法廷シーンでは笑いきれなかったのは、なぜだろう。
それ以外の笑いシーンは、期待どおり。
「ようこそ 落ち武者の里へ」という観光看板も、
タクシー運転手との会話も、クスッという面白さがあった。
だからこそ、気になる一言に選んだ台詞は、
中井貴一さん扮する豪腕検事が、奇想天外な展開に
呆れて呟いた「裁判に面白さを求めてはいけない」。
理論が必要な謎解きになってしまったからか、
それとも、後半で、センチメンタルになったからか。
たぶん・・・少しだけど、上映時間が長かったからかも。



2011年11月12日(土) ■
私たちの目標は、(みんなで)この舞台に立つこと

清水町芸術祭・発表の部を明日に控え、
私たち、同級生混声合唱団は、6回目の舞台に立つ。
今晩は、入場・退場も含め、総練習で集まったのだが、
指導しているのも、音楽の先生になった同級生。
52〜53歳を迎えた我ら中高年を「女子」「男子」と呼び、
けっこう厳しい中にも、和やかな練習を行っているが、
その彼女が、練習の終盤、私たちに向かっていった。
「私たちの目標は、(みんなで)この舞台に立つこと」。
月に1度の練習であるが、年に1度のこの舞台に立つことを目標に、
自分や家族の病気に休むことはあっても、励ましながら続けてきた。
そしてお互いの「絆」を深めてきた、その喜びが伝わってくる言葉である。
曲目は、今年の1月に選曲した「ふるさと」(震災で脚光を浴びたが・・)
札幌冬季オリンピックの「虹と雪のバラード」。
昨年に比べ、練習不足・メンバー不足と、不安材料はあるが、
それでも、一所懸命、練習をしてきた。(つもり(汗))
明日、2曲を歌い終えた後、みんなでこう言いたい。
「やっぱり、みんなの前で歌うのは気持ちよかったぁ」



2011年11月11日(金) ■
カレーは飲み物だから(笑)

カレー好きって、面白い、いや、可笑しなもので、
どんな食べ物屋に行っても、メニューにカレーがあると
気になって、迷ってしまう。
吉野家に牛丼を食べに行ったはずなのに、
カレーがあると、牛丼カレーにしてしまうって具合に。
蕎麦屋だろうと、ファミレスだろうと、ラーメン屋だろうと、
メニューに「カレー」の文字を見つけると、
一応、試食してみたくなるのが、カレー好きの弱点である。
さらに、自宅では大量に作ってもらい、朝・昼・晩の食事が
「カレー」というのも、そんなに珍しいことではない。
もしかしたら、それが3日間くらい続いても・・(笑)。
そんなカレー好き同士で話をしていて、
「どうして、カレーだとこんなに食べられるんだろうね?」と
何気なく訊ねたら、あっさりと答えを導き出してくれた。
「カレーは飲み物だから(笑)」
そう、そう、その感覚・・と、メモをした。
読者でも、頷いてくれる人がいることを望むけれど、
なかなか理解し難い感覚なんだろうなぁ、きっと。



2011年11月10日(木) ■
未来が見えない社会に震災が襲った

先日、開催された「第60回 静岡県公民館大会」、
記念講演は「3.11以後の社会教育。
新たなる公共の基点としての公民館のあり方」と題して、
NPO法人・教育支援協会代表理事、吉田博彦氏。
いつものように、多くのメモが残ったが、その中でも
「なぜ、東北は復興が進まないのか」という視点が面白かった。
震災から、8ヶ月。阪神淡路大震災の時と違って、
思うように進まないのは、政府の対応の遅れ、と思う人が多い。
実は私も、そう思っていた。
しかし、彼の発言でハッとさせられたのは、言うまでもない。
「どういう復興を成し遂げるかというイメージが、
被災者にできていない」、言い換えれば、
「被災地の多くが過疎などの地域の問題を抱えていた地域で、
そのまま、元のように復興したのでは問題は解決しないまま」
だから「神戸」のように、元のように戻せばいい、という
イメージが出来ていた地域とは違う、ということ。
「未来が見えない社会に震災が襲った」、そう表現した。
そんな視点で、これからの「東北の復興」をみていきたい。