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しもさんの「気になる一言」
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2012年01月29日(日)
スマホは、片手でとれないから

最近、スマホに変えたという知人に電話したら、
以前なら、すぐに出たのに、この頃はなかなか出ない。
しばらくして、相手からかけ直してくるので
「ごめん、忙しかった?」と謝りながら訊くと、
「スマホは、片手でとれないから」との返事。
スマホの電話が鳴っているのは気付いているが、
あの独特のタッチがうまく使えないらしい。
焦っているうちに、電話が切れてかけ直すパターン。
逆に、電話を掛けるときも、電話のアイコンを選んだ後、
タッチミスで掛ける相手を間違えてしまうこともあるという。
社会全体が、携帯電話からスマホに変わっていると言うが、
以前も書いたように、スマホは携帯電話ではなくパソコン。
片手でも危ない、自転車や自動車の運転なのに、
両手を使って操作するスマホが普及すると、もっと危ない。
スマホの機能を、どれだけの人が使いこなしているんだろう。
私は、自宅のマックと携帯電話で充分すぎるほど、
情報の受信と発信が出来ている。
指も太いし、小さい字も見にくいから、たぶんスマホを持たずに、
一生を終えるような気がしているが、それでもいい。
最近、自宅のパソコンは「気になる一言」を書く以外は、
映画のDVDを観るために使うことの方が多いものなぁ。



2012年01月28日(土)
日は堂々と西へ沈む

書籍「下山の思想」(五木寛之著・幻冬舎新書刊・223頁)から。
「登ったら下りる」こんな簡単なことなのに、
なぜか「上ばかり」を目指し、登ることが「成長すること」と考え、
齷齪(あくせく)した人生を過ごしてしまいがちであるが、
「登山に対して、下山というプロセスが世間にひどく軽くみられている」と
著者は「下山の大切さ」を私たちに訴えている。
下山は「登山という行為の、後半部分というか、しめにあたる重要な場面」と
位置づけて人生と対比して表現しながら
「下山の途中で、登山者は登山の努力と苦労を再評価するだろう」と纏めている。
下山するということは、衰える・恥ずべきことではなく、
「見事に下山する。安全に、そして優雅に。」を目指して、生ききることこそ、
充実した人生を過ごすことと言えそうだ。
そんな気持ちをインパクトのあるフレーズにしたのが「日は堂々と西へ沈む」。
とかく「朝日」がクローズアップされがちであるが、一日を照らし続け、
堂々と西へ沈む「夕陽」に価値を見いだすことも大切であろう。
やっぱりこれからは「下山の時代」だな。(笑)

P.S (もうひとつ、へぇ〜と思ったトリビア)
朝日にかしわ手を打つのが神道で、西の空に沈む夕日に合掌するのが仏教である。



2012年01月27日(金)
「失敗」と「大失敗」の間には、天と地の差がある

映画「エリザベスタウン」(キャメロン・クロウ監督)から。
物語の冒頭、このフレーズで始まる。「誰かが言った。
「失敗」と「大失敗」の間には、天と地の差がある、と。
「失敗」とは、成功しないこと。「失敗」は、誰にもある。
だが「大失敗」は、神話的なスケールの災厄を意味する。
それは、人々の噂の種となり、聞く人に生きてる喜びを与える。
自分じゃなくて良かった、と」
この定義が面白くて、メモをした。
そう考えれば「失敗」なんて、大したことでなくなり、
くよくよ悩んでいたことが、ばからしくなる。
「大失敗」しようと思っても、そう簡単にできるものではないし、
もしかしたら、自分では「大失敗」と思い込んでいるだけで、
他人からみたら「失敗」のレベルかもしれない。
「人生は山あり谷あり」(if it wasn's this..it'd be something else.)
と考えて生きることの大切さも教わった気がする。



2012年01月26日(木)
「帰りました」「お帰り」

映画「天然コケッコー」(山下敦弘監督)から。
田舎の風景・田舎の空気が、作品全体を流れる中で、
私が、気になった会話がある。
子どもたちが、いつものように帰宅するシーン。
「帰りました」「お帰り」
えっ、「ただいま〜」「おかえりなさい」じゃないの?と、
すぐにメモして、ネットで調べたら
「ただいま」は「只今帰りました」の略、と説明にあったので、
「帰りました」は間違いではなく、むしろこちらの方が正しい。
逆に、帰宅した時「ただいま」を連呼する現代人は、
「ただいま」に続く「帰りました」を知らないかもしれない。
実は作品中「いってきます」も「いってまいります」と口にしている。
たぶん、僅かながらその違いがあるのだろう。
田舎らしさ満載の映画であるが、そんな会話にも
3世代同居の家族に、しっかり躾けられた「田舎」が感じられた。
私もこれからは「ただいま〜」と略さずに
「只今帰りました」と最後まで発音したいと思う。



2012年01月25日(水)
連続1万歩超、23日で途切れる

イチロー選手の連続安打ではないけれど、
1月1日から始めていた、1日1万歩以上歩く、が昨日途切れた。
健康のために始めた、ウォーキングだが、
私の弱点は、なかなかやめられないこと。
(普通の人は、続かなくて悩むらしいのだが・・(汗))
続けると決めたら、雨の日も雨合羽を来て外に出た。
2万歩以上歩いた日も2日ほどあり、何よりも優先しそうで
どこかで途切れる日を望んでいたのも事実である。
毎日の生活のリズムに組み込む、といったシンプルな
「コツ」を掴んでいると、いとも簡単に続いてしまうけど、
続けることで、健康を害しては本末転倒になるし・・。
年の初めに決めた目標は、あくまで1年「366万歩」だから、
生活のリズムに沿って、今日もまたいつものように歩き始めた。
お楽しみは、大晦日の(たぶん1人で)達成記念パーティ。
これって、自信の付け方でもあるんだよなぁ、私の場合。
さて今度は、何日連続記録が続くことやら。
ちなみに、今日は「13,511歩」



2012年01月24日(火)
子どもの歳で実感するんだよ、自分の歳を

映画「なごり雪」(大林宣彦監督)から。
大好きな伊勢正三の同名曲をモチーフにした作品とあって、
楽しみにしていたけれど、これほどの名曲となると
自分なりの「なごり雪」のイメージが出来上がっていて、
正直、素直に入り込めなかった、というのが本音である。
それでも時折、おっ、という台詞に出会い、メモをした。
その中の一つが、主役の三浦友和さんがぼそっと呟く、
「子どもの歳で実感するんだよ、自分の歳を」。
「そうらしいな」と、何気なく相槌を打つ相手も50歳間近。
この年代、いくら「自分は若い」と思っていても、
「お子さん、幾つですか」の問いに、答えることで、
「あっ、もうそんな歳なんだ。俺も若くないはずだ」なんて
我に返る瞬間があることを、私自身が思い出していた。
親の年齢でも同じことが言えるな、きっと。
「親の歳で実感するんだよ、自分の歳を」
う〜ん、やっぱりなぁ。



2012年01月23日(月)
職業病というやつです。残念ながら特効薬はありません。

書籍「麒麟の翼」(東野圭吾著・講談社刊・325頁)から。
映画が始まる前に、原作からの一言を紹介しておこう、と思う。
主人公、加賀恭一郎は、彼にしかわからないような、
独特の視点と発想があり、常に「?」が念頭にあるような刑事。
ちょっとした仕草や言葉にも敏感であり、
そこから問題解決の糸口を見つけて、推理を組み立てていく。
そんな様子をみていた女性が「犯罪の臭いに敏感なんですね。」と呟き、
彼は「犬のようだ、とでも?」とサラリと返す。
この言葉のリズムとウィットに富んだ表現が、私は好きだ。
そして、自分でも納得しているのか、こう語るシーン。
「職業病というやつです。残念ながら特効薬はありません。」
レベルの違いはあれ、私も「まちづくり」に関して、
自分でも「職業病だな」と感じる時があるから、可笑しかった。
歩いていても、車を運転していても、お風呂に入っていても、
わが町の「まちづくり」を考えている時があり、これは治りそうもない。
いや、治そうと思っていないから、特効薬も要らないのかも。(笑)
地方公務員の職業病って、こういうことなんだろうなぁ、きっと。

P.S
残されたメモの中で、忘れられないのが
「昭和の匂いがすると松宮は思ったが、看板には大正八年創業とあった」
この視点、この発想、面白いよなぁ。



2012年01月22日(日)
このトランプには、ほとんど仕掛けがありません

第3回地域交流センター寄席・泉のまち古典芸能鑑賞会
出演は、二代目・林家木久蔵さん、三遊亭楽麻呂さん・
マギー隆司さん(マジック)・三遊亭好吉さん。
寒い土曜日、夜7時から、そして天気は雨、という条件にも関わらず、
多くの落語ファンが集まり、粋な時間を過ごした。
その中で、私のメモに引っ掛かったのは、落語以外の出し物、
色物と呼ばれる「マジック」のマギー隆司さん。
(色物とは、プログラムに赤い字で書かれていたかららしい)
師匠・マギー司朗の芸風に憧れ28歳で、自主的かつ強引に入門、
職歴「大工」のプロフィールが、私を思い切り笑わせてくれた。
師匠譲りのトーク爆発。
マジックの常套句「タネも仕掛けもありません」より、
「ほとんど仕掛けがありません」の方が笑えるのは、私だけではない。
マジックの途中で何度か呟いた、
「嬉しいです、今年、初めての仕事だから」は笑っていいのかなぁ。



2012年01月21日(土)
最愛の人が死んだ日にも、人間は晩飯を食う。

書籍「人間臨終図巻」(山田風太郎著・徳間書店刊・333頁)
毎年、恒例のように紹介してきた「○○歳で死んだ人々」。
今回の気になる一言は、
「53歳で死んだ人々」に対する、著者のコメント。
「最愛の人が死んだ日にも、人間は晩飯を食う」
そうなんだよ、人間ってそういう面が多々あるよなぁ、と
慌ててメモをした。
悲しくて悲しくて、食べ物も喉に通らない、なんて光景や
泣きつかれて目が腫れている親族も、あまり目にすることがない。
「人間の死」って何だろうな、と考えさせられたフレーズである。
さて、恒例の他界した偉人であるが、
昨年の私の年齢、53歳で他界した偉人は
諸葛孔明、道元、足利尊氏、喜多川歌麿、為永春水、緒方洪庵、
佐久間象山、チャイコフスキー、ベーブ・ルース、グレース・ケリー、
有吉佐和子。
そして、今年の私の年齢、54歳で他界した偉人は
太田道灌、足利義政、デカルト、中江兆民、ラフカディオ・ハーン、
レーニン、鈴木三重吉、近衛文麿、ヴィヴィアン・リー。
そうそう「54歳で死んだ人々」に対する、著者のコメントは、
死の1秒前の生者「おれを忘れるな、忘れてくれるな!」
死の1秒後の死者「おれを忘れろ、忘れてくれ!」
これまた、なるほどなぁ。(汗)



2012年01月20日(金)
誰でもよ〜い。助けてくれ〜

この台詞は、NHK大河ドラマ「平清盛」の一場面。
自分の出生の秘密を知り悩む、平清盛。
それは、自分の生き方を真剣に考えた人にとって、
一度は陥る悩みなのかもしれない。
「くそ〜、誰なんだ、俺は。誰なんだ」と大声で叫ぶ。
そうだよ、わかる、わかる、お前の気持ち・・と
物語に入り込んでいた私であるが、
それに続く台詞に、思わず吹き出してしまった。
「誰でもよ〜い。助けてくれ〜」
声の主は、落とし穴に落ちて、助けを求めている新興貴族、
信西だが、テレビ番組「マルモのおきて」や
映画「舞妓Haaaan!!!」や「泣くもんか」などで、
独特のキャラクターをもっている大好きな俳優、
阿部サダヲさんだったから、この台詞を選んだ。
一方は真剣に人生に悩み、一方は穴に落ちて困っている。
繋げてみると、その面白さが倍加するからメモにした。
「くそ〜、誰なんだ、俺は。誰なんだ」
「誰でもよ〜い。助けてくれ〜」
これなんだよなぁ、言葉の面白さは・・。