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しもさんの「気になる一言」
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2012年05月27日(日) ■
障害者が社会のために出来ること

今となっては不思議、としか言えないが、
この週末、視覚障害者が私に何かを訴えていた。
土曜日の午後、第276回泉のまち音楽会で、
元ベルリン国立歌劇場の専属バスソリスト「斎求」さんは
舞台中央まで、司会者に手を引かれながらも、歌い出すと、
その深みのある歌声で私たちに勇気を与えてくれた。
その日の夜、鑑賞した映画のDVDは、偶然だろうか、
木村拓哉さん主演の映画「武士の一分」。
彼は毒見の役で、赤貝の毒にあたり、失明してしまう。
しかし、ある目的のために武道の稽古に励み、
殺意や気配を研ぎ澄ましながら、その目的を果たす作品。
そして、日曜日の午後、楽しみにしていた
盲目のバイオリニスト「穴澤雄介」さんのコンサートが
富士宮市の猪之頭公園の近くのカフェ「ローズマリー」で開催され、
彼の明るさと優しさに包まれて、癒された。
「障害者は、社会からいろいろ手を差し伸べてもらっている。
しかし、私たち障害者が社会のために出来ることはないか」
そう自問自答して、被災地の復興に向けたチャリティコンサートを
続けているように見えた。
「障害者」は支援を受ける側ではない、出来る環境で出来ることを
社会にお礼をしていく、そんな姿勢が感じられ、胸が熱くなった。
こんな彼らが活動しやすい場所の提供こそ、我々、行政の役目かな、
そんなことを思いながら、帰路についた。
まちづくりの大きなヒントを与えてもらった気がしてならない。



2012年05月26日(土) ■
不器用は宝だ。・・・不器用を喜べ。

映画「火天の城」(田中光敏監督)から。
織田信長から「安土の山を丸ごと1つ、城にする。天守50じゃ」と
命じられた、戦国時代の名工・岡部又右衛。
その部下たちは、必死になって「安土城」建築に必死になるが、
若い大工は、時々失敗して、親や先輩に怒鳴られる日々。
仕事に自信がなくなりかけた時、励ましてくれた先輩の台詞は、
今の時代にも仕えるフレーズとなった。
実はメモした本文は、もう少し長い。
「不器用は宝だ。不器用なものはどうしたらよいか工夫して努力する。
毎日毎日やっていくうちに、いつのまにか心で計れるようになるんだ。
身体で感じられるようになるんだよ。だから、不器用を喜べ。」
その彼が、ラストシーンで大活躍するのだが、
現実は、なかなかこうはいかないものである。
こんな励ましをしてくれる先輩も減ったし、
不器用なものも、工夫も努力しないで、不器用のまま。(汗)
だから、失敗を繰り返し、周りに迷惑をかけることだってある。
いい話だけど、ちょっとなぁ、と苦笑いをした。
信長が、一所懸命働く女性を眺めて呟いた
「女が元気だと国も栄える。」の方が、現実的だなぁ。



2012年05月25日(金) ■
自由にやりたければ、補助金・委託料を受けないこと

講師「NPO法人グラウンドワーク三島・事務局長、渡辺豊博さん」
演題「「楽しいNPO活動で心豊かなくらし」から。
あるNPO法人の10周年記念式典の席で、彼の講演を聴いた。
静岡県下に「NPO」という名称を広めた第一人者として、
知らない人はいないだろう、と思われる彼の話は、
冗談を交え、聴講者に笑いをとりながらも、
実は真面目な話をサラッと言いのける話術が際立っている。
被災地における「NPOの光と影」を説明しながら、
ボランティアの名のもとに行なわれる「サービス過多」の現状も、
現地に赴き、自分の目で確かめ、しっかり私たちに伝えてくれた。
また「NPOは、心を支える組織」とし「NPOの特性は、
自由度・迅速性・行動力・独創性・先駆性(先見性)(試す・モニタリング)・
柔軟性・多彩性・汎用性・社会的波及効果・教育的波及効果」と
言い切った自信が眩しかった。
その中でも、一番納得したアドバイスは
「自由にやりたければ、補助金・委託料を受けないこと」
これが、どんな団体に対しても「対等」に発言し活動できる秘訣、
私はそんな意味に捉えて、メモをした、なるほどなぁ。



2012年05月24日(木) ■
人生の機微とでもいいますか

映画「阪急電車 片道15分の奇跡」(三宅喜重監督)から。
登場人物は、皆いろいろな想い・気持ちを抱えて生きている。
そんな彼、彼女らが「阪急電車」を仲介して出会い、
何か吹っ切れたように、元気になっていく。
「プロローグ」と「エピローグ」に映し出される顔を比べると、
その違いがはっきり確認できた。
今回の一言は物語のラストシーン。
婚約中の恋人を後輩社員に奪われたアラサーOL役・中谷美紀さんと
恋人のDVに悩む女子大生役・戸田恵梨香さんの会話。
存在は気になっていたものの、最後まで会話をしなかった2人が
会うべき場所、会うべきタイミングで交わす台詞こそ、
この作品の伝えたかったことなのかな、とメモをした。
「人生の機微とでもいいますか、そんなようなもの味わってまして」
「あら、実は私も電車降りたところで、人生の機微を味わっておりました」
わざわざ「機微」という単語が私のアンテナに引っ掛かるように。(笑)
「機微」とは「表面だけでは知ることのできない、微妙なおもむきや事情」
さらに「人生の機微」と「人情の機微」という使い方があるらしい。
ネットによると「人生の機微」とは
「何時とは知れづ訪れる、人生における微妙な成り行き」
それに対して「人情の機微」とは
「わざとらしくなく、後でそれと気づくような、かすかに表れる言動によって、
感じる優しさや人の情けが織りなす、心の触れ合い」
(そう考えると、今回の場合「人情の機微」の方が正しいのかも・・)
そして最後に、ふたりはこんな会話をする。
「なんていうかさぁ、悪くないよね、この世界も」「はい、悪くないです」
映画のキャッチコピー「終着駅は、きっと笑顔。」を実感するように。



2012年05月23日(水) ■
「平清盛」は「見る人を選ぶドラマ」

私のメル友の中でも、歴史大好きの1人が書いていた。
「平清盛」は「見る人を選ぶドラマ」
妙に納得したので、気になる一言。
視聴率が低い、と騒いでいるけれど、国営放送なのだから
そんなこと気にせず、質の良い作品を作って欲しい。
汚いと言われている場面だって「龍馬伝」の頃から、
変わらないと思っているし、他の作品と比較する必要もない気がする。
(つい昨年の「江」よりまし・・と口に出てしまうが・・(笑))
どんな人たちが今回の「平清盛」を観ているか、
そしてどんな感想を持っているか、その方が大切であろう。
「ドロドロの『陰謀劇』の面白さが分からないお子ちゃまや、
じっくり取り組んで見る心の余裕がない人には、無理なんでしょう」
そんなメル友の言葉が、ぐっと胸に沁みた。
私としては、大河ドラマとはいえ、日本全体で彼を盛り上げて、
「1人のリーダー」を育てる機運が欲しいと思う。
毎年、総理大臣が変わる我が国であるからこそ、
低視聴率を声高に叫ぶより、低視聴率でも1人の男を育てる、
そんな国民性を取り戻したい、と感じているのだが・・。



2012年05月22日(火) ■
「観光地」VS「東京スカイツリー」

最近、コラムニストになった気分だが・・
巷の話題で、気になる一言を書いている自分が楽しい。(笑)
さて、昨日の「金環日食」に続いて、今日は「東京スカイツリー」。
全国紙も地元紙も、朝刊一面は「開業」の話題で持ちきりだが、
来場見込みの人数を目にして、不安がよぎった。
初日20万人、年間で3200万人を見込む観光地が誕生したのだから、
全国の観光関係者は、好奇心などで浮かれていてはいけない。
特に、伊豆の温泉地は100キロちょっとの距離に、
とてつもない集客力を持つ、最新鋭の観光施設が出来たのだから、
千葉の「ディズニーランド」大阪の「ユニバーサルスタジオ」以上に、
「ライバル」と位置づけて、関係者一丸となって戦わなければ、
入り込み客が、じり貧になることは明白である。
しかし、全国からの観光客が「東京スカイツリー」に流れるのを想定し、
今後、どう対抗しようとしているのか、私にはみえてこない。
この建物は、ある日突然出来上がった施設ではないのだから、
数年前から、視野に入れているとは思うけれど・・。
P.F.ドラッカーの「マネジメント」流に言えば、
単なる「長期計画」ではなく「戦略計画」が必要だと思う。
全国の観光各地から「悲鳴」ではなく「巻き返しの雄叫び」を期待したい。



2012年05月21日(月) ■
観測のコツは「信じて待つ」

静岡県東部地域は、朝から厚い雲に覆われて、
期待された「金冠日食」は、見えなかった人が多い(ようだ)。
私は、おかげさまで、なんとか見ることができた。
完全な金冠状態は見えなかったが、雲間から8割〜9割欠けた
太陽が顔を出した時は、嬉しさに身体が震えた。
予定された時間に、見やすそうな場所へ人が集まってきたが、
厚い雲を見ただけで、諦めて帰る人たち。
しばらく空を眺めていたが、西の空を眺め、諦めた人たち。
それぞれが、それぞれの判断で、日食観測に向かったので、
ある意味では「人間ウォッチング」ができたイベントである。
直接、太陽を見ないように・・という注意や、
日食観測グラスの作り方は、何度も話題になったが、
どうしたら、少しでも観ることができるか、というアドバイスは
あまり目にしなかったように思う。
今回も、厚い雲がフィルター(観測グラスの代わり)となって、
月食を観るような雰囲気だったが、充分に楽しめた。
金冠だけが日食ではなく、欠けていく姿、戻っていく姿もまた
今回の「日食」であることがわかっていれば、
観測可能時間は、意外と(思ったより)長い、と気付くはずだ。
金冠状態の時、いつもなら「西から東へ」流れている雲も、
なぜか「東から西へ」流れていたのが幸いしたのだろうが、
まさしく「全体の流れを読む」訓練になった気がする。
私流にアドバイスするとすれば、観測のコツは「信じて待つ」。
「諦めずに待つ」「待てるだけ待つ」(仕事も同じかな?)
これが出来るかどうか・・なかなか難しいけどね。(汗)
これからも続く、今年の天体ショー、是非、参考にして欲しい。



2012年05月20日(日) ■
金環日食、部分月食、金星の日面通過、惑星直列

明日、5月21日は、巷で大騒ぎしている「金環日食」、
そして、5月21日に太陽を隠して「金環日食」を起こした月が、
およそ2週間後(6月4日)に地球の裏側へまわり、
今度は地球に太陽の光をさえぎられて「部分月食」。
日食と同じ原理で、金星が太陽の前を通過する時に起きる
6月6日「金星の日面通過」(日本では130年ぶり)
さらに、12月22日には「惑星直列」と楽しみな天体現象がある。
(12月21日、地球滅亡?なんて話まであるけれど・・(汗))
今回「日食」が起きる仕組みを教えるならば、
同じ現象の「月食」「日面通過」の話題も触れて欲しいのだが、
不思議なことに、全体的な話題としてはなかなか流れてこない。
自分たちの生きている地球も、太陽系の仲間であること、
その中でも地球は、驚くほど美しい惑星であること、
だからこそ、地球の環境をみんなで守ろう、という教育に繋げて欲しい。
たんなる、天体ショーというイベントで終わらないことを願いたい。
明日の金環日食の時間、雨や曇りで見えなくても、外に出て欲しい。
いつもと違う朝の明るさに、日食の雰囲気だけでも伝わるはずだから。
見えないからといって「日食」が中止になったわけではない、
雲の上では、必ず「日食」という現象が起きているのだから・・。

P.S.
2009年07月22日(水) 日食の雰囲気体験が大事だよね
http://www.enpitu.ne.jp/usr4/bin/day?id=40832&pg=20090722

2003年11月24日(月)  毛利さんの「うぁ〜」「お〜っ」
http://www.enpitu.ne.jp/usr4/bin/day?id=40832&pg=20031124



2012年05月19日(土) ■
自分は、どこで何の役を歌ってきたか

第150回泉のまちカレッジ、講師「バスソリスト・斎求(いつきもとむ)さん」
演題「世界の音楽よもやま話」から。
「ベルリン国立歌劇場専属バスソリスト」として、
世界中で歌ってきた彼の話は、私の知らないことばかりで楽しかった。
ステージ回数は1000回を超えるという、その経験に裏付けられた自信と
世界の国々と日本の比較、そして大好きな食べ物の話。
予定時間を30分も超過したのに、もっと聴きたい、と思わせる話術。
やはり芸術家の話は、なにか普通の講演会とは違う、と実感した。
今回の気になる一言は、世界で活躍した人らしい台詞。
国内なら、どこの大学を出て、誰に師事して・・と自己紹介するが、
世界では、そんなことは関係ない。
オペラのソリストとして、自分をアピールするには、
「自分は、どこで何の役を歌ってきたか」に尽きるという。
どこの国で、どこの歌劇場で、どんな作品の、どんな役を歌いました。
これほど、実力を示すのにはっきりとしたバロメーターはないのだろう。
一度、実力さえわかれば、世界のどこからでもお呼びが掛かる。
オペラ会場で「私の曲を歌って欲しい」「俺の曲を歌ってくれ」と
誘われることもあるという。
そんな超一流の音楽家なのに、とても穏やかで謙虚な生き方が
聴講者の私たちを魅了した。
来週は、その彼の声が聴ける。とても楽しみである。

P.S
斎求(いつきもとむ)「バスリサイタル」(第276回泉のまち音楽会)
5月26日(土) 14:00〜 (入場料300円) 清水町地域交流センター



2012年05月18日(金) ■
おばあちゃんは、息子さんを郷里に置き去りにしたんですよね

「映画「わが母の記」(原田眞人監督)から。
映画ファンとしては贅沢なことに、ロケ地があまりに身近すぎて、
「えっ? ここ、湯ヶ島じゃない、中伊豆のあそこかな」とか
「あっ、この場所、行ったことある」「この伊豆弁、変だろう?」・・
いつもと違った映画鑑賞の視点に、やや違和感を感じながら観終わった。
帰宅して、暗闇の中でメモした手帳を整理していたら、
主人公のほんの小さな心の変化(これも違和感)に気付いた。
役所広司さん演じる、主人公・伊上洪作が、
樹木希林さん演じる、母・八重に語りかける呼び方である。
冒頭「おふくろ」(「お母さん」)と呼んでいたのに、
作品のある場面から「おばあちゃん」に呼びかけるようになる。
私が、普段、何気なく母親に声を掛ける時、(特にふたりの時は・・)
「おふくろ」とか「お母さん」と口にしても「おばあちゃん」とは言わない。
それこそ、違和感があるから。(息子にしかわからない感覚かも)
だから「祖母」という意味の「おばあちゃん」ではなく、悲しいけれど
単なる「高齢者の女性」という意味の「おばあちゃん」として使い、
それでも一所懸命に話しかけている姿に、心が震え、涙腺が緩んだ。
自分の母親が記憶をなくしていき、息子のことも忘れてしまう現実、
それをどう受け止めて、周りの家族に悟られないように、
母への想いを持ち続けていくか、大きなテーマであった気がする。
孫が祖母を「おばあちゃん」と呼ぶ感覚とはちょっと違う、
息子が母を「おばあちゃん」と呼ぶ感覚は、心が痛む。
いつまでも「おふくろ」(「お母さん」)と声を掛けたいものである。