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しもさんの「気になる一言」
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2012年12月13日(木) ■
青空高く・・「ミサイル」と「ふじの山」

久しぶりに、私の雑感である。
今日は偶然にも「青空高く・・」の映像をふたつ目にした。
1つは、青空高く発射された「北朝鮮の人工衛星」
(事実上の長距離弾道ミサイルらしいのだが・・・)
冬の青空に轟音を響かせて、自分の力を鼓舞するような勢いで、
昇っていた。
もう1つは、いつも見慣れた「ふじの山」であるが、
今日は雲1つない青空に、威風堂々と、高くそびえ立っていた。
この対照的な光景は、単なる偶然だろうか。
さらに偶然は続く。午後から、知人の母親の告別式に参列したが、
彼女が「明治45年生まれの100歳」だと知って驚くとともに、
生前好きだったという歌「ふじの山」を参列者全員で合唱した。
「あたまを雲の 上に出し 四方の山を 見おろして
かみなりさまを 下に聞く 富士は日本一の山
青空高く そびえ立ち からだに雪の 着物着て
霞のすそを 遠く曳く 富士は日本一の山」
歌い慣れているはずのこの曲に、なぜか胸が熱くなった。
告別式を終えて外に出たら、まだ「青空高く」そびえ立っている
「ふじの山」が雪化粧で真っ白だった。
やはり青空には、真っ白な「ふじの山」が似合うよなぁ。



2012年12月12日(水) ■
「ピン札にして」「はい、新券ですね」

娘の同級生が結婚するというので、御祝儀を準備することとなり、
私が金融機関に出向いて、窓口でこうお願いをした。
「(結婚式の祝儀にするので)ピン札にして」
返ってきた返事は「はい(かしこまりました)、新券ですね」
この違いが面白くて、その場でメモをした。
もちろん、正式の呼び名は「新券」。
しかし、私たちはシワのない、ピンと張ったお札をイメージして
「ピン札」と呼ぶ。「新品のピン」って意味かもしれないが。
さすがに教育されているなぁ、と感心させられたのは
「私が『ピン札』にして」とお願いしたら
「はい『ピン札』ですね」と返事があると思っていたら、
「新券」という単語がサッと出たから。
「ピン札」という単語は、業界用語ではないだろうが、
生活・友達同士では使う単語だと思うので、驚いた。
会話の基本は、オウム返しだけど、間違った単語は使わない、
そんな姿勢が感じられて、嬉しくなった出来事であった。



2012年12月11日(火) ■
死に方さえわかれば、生き方がわかる

映画「モリー先生との火曜日」(ミック・ジャクソン監督)から。
映画の話をしていると、この作品が話題に上ることがある。
えっ、この人も?と思うくらい多くの人たちが口にする。
モリス・シュワルツ教授の最後の講義というものらしい。
たしかに、大学の講義を受けているように、
私の残されたメモも多かったのは、事実だし面白かった。
その中で私が選んだフレーズは、意外にも
「死に方さえわかれば、生き方がわかる」
自分が年を重ねてきたからだろうか、
今までも何度も耳にした台詞のはずなのになぜか新鮮だった。
それはたぶん、自分自身の死に方として、
病気や老衰で死ぬことしか考えていなかったからだろう。
しかし、最近の事件・事故をふり返ると、
突然の事故や自然災害によって死ぬことも充分考えられる。
だから選択肢の多い「死に方」を意識すればするほど、
今の生き方を大切にしなければならないと再認識した。
「死ぬ覚悟ができていれば、人生は変わる」

P.S.
あっ、この映画の影響かな?と思われるシーンを紹介。
・大学の試合で(バスケット)「僕らがナンバー1」と応援したら、
モリーが立ち上がり言った。「ナンバー2だとダメなのか」
・「詩の朗読」
彼が死んだら、星の代わりになり、天を美しく飾るだろう。
きっと世界は夜を愛するようになる。



2012年12月10日(月) ■
「話し合う」も体験学習のひとつ

演題「教室を協室・響室に育てる指導」
(講師・教育ジャーナリスト 梶浦真氏)から。
これは、気がつかなかった・・という視点を紹介。
今の子どもたちに大切なのは「体験」、それは理解し、
いろいろな角度から、体験プログラムを計画してきた。
「非日常体験」「防災体験」「キャンプ体験」・・
これでもかっ、というくらいに「体験」を組み込むが、
子供同士で「話し合う」という時間が、今回の先生の講話と
「公開事業」を拝見して、どれほど大切かを知ることになった。
たしかに、子どもが複数でいてもゲームばかりやっていて、
「話し合う」ことができない子どもが増えた。
「東京赤門の大学生も、テストに対応する言葉は持っていても、
人に伝える言葉を持っていない」・・そんな話も参考になる。
大人の研修で「グループ討議」や「ワークショップ」が増えたのも、
それが原因かもしれないなぁ。



2012年12月09日(日) ■
「ブサイク」は、心の中に育つもの。

映画「ヘルプ 心がつなぐストーリー」(テイト・テイラー監督)から。
アメリカの黒人差別時代を採り上げた映画作品は多くある。
主人公が、男なのか女なのか、スポーツ選手なのか家事手伝いなのか、
そんな違いはあるが、最後は黒人が白人をやっつけるパターンや
お互い手を取り合い1つのものを作り上げるなど、さまざま。
私が今回注目したのは、黒人のHELP(お手伝い)が、
自分の子どものように愛し育てた白人の子どもに、
生き方のアドバイスするシーン。
「自分を憐れむのはおやめなさい、それこそ『ブサイク』ですよ。
『ブサイク』は、心の中に育つもの。
イジワルで人を傷つける男子そっくり」と励ましたり、
仲間外れにされていると悩む少女に
「自分に問いかけるのです。『私は信じるのか?』
『今日、あのバカどもが私に向かって言う悪口を?』と勇気を与える。
家事全般の家政婦としてでなく、一人の大人として助言をする姿は、
貧しさ・人種差別のため、自分の子どもを他人に預け、
白人の子どもを育てる、というだけではない、深い愛情を感じて、
私の心は大きく震えた。
ラストシーン、本来の母親に「あたしの子供、頼みます」と言って
行っちゃいや〜、と泣き叫ぶ子どもにも振り返らず去っていく。
「黒人家政婦のプライド」を教えていただいた映画だった。



2012年12月08日(土) ■
「嬉しい・楽しいの違いは?」「是非・絶対の使い分けは?」

書籍「日本人の知らない日本語2」
(蛇蔵&海野凪子著・メディアファクトリー刊・159頁)から。
ハッとさせられる、日本語・日本の習慣についての話題が溢れている。
エッチな映画のことを、日本では「ピンク映画」と言うが
アメリカでは「ブルーフィルム」中国では「黄色電影」
なんとスペインでは「(Cine Verde)」と言って「緑」らしい。
書店のレジで本にカバーをかけてもらえる国は、
基本的に「日本」だけ、という知識は、けっこう嬉しくなった。
日本語学校に通っている外国人の質問「嬉しい・楽しいの違いは?」に
著者は「『喜ばしい気持ち』が続く時間の長さです」と答えている。
また「『是非、きてください』と『絶対、きてください』の違いは?」に
「是非」は、強く願う時、勧める時。「絶対」は、依頼という形の命令。
断らないで欲しいという強い気持ちが伝わる、と説明している。
私たちが、普段、何気なく使っている単語も、
日本語を勉強している外国人には、不思議に感じることがある。
もっと「日本語」を大切に使わなくちゃなぁ。



2012年12月07日(金) ■
「再生エネルギー」より「省エネルギー」

忘れないうちに・・
日大国際関係学部主催の市民公開講座(平成24年度下期)
統一テーマ「日本はどこへ行くのか」
講師「日本大学国際関係学部教授 竪尾和夫」氏
演題「日本の環境政策の今後について」から。
私が感じていた疑問を、そのまま説明してくれたから、
気になる一言は、「再生エネルギー」より「省エネルギー」。
原子力発電の事故にともない、全国で展開されているのは
原子力に変わるエネルギーの開発。
メタンハイドレードや、太陽光・風力・地熱などの発電。
あの年、計画停電などで芽生えたはずの
国民の「省エネルギー」意識は、どこかへ飛んでしまった。
もっともっと「省エネ」に力を入れれば、原子力数基分の
エネルギーは、必要なくなるのに・・と思ったものだが、
また、元の生活に戻ってしまった気がする。
街には自動販売機が乱立し、歩いたり自転車通勤できる人も、
なぜか自動車通勤をして車が溢れている。
講師の先生は、世界最先端技術の「ヒートポンプの利用」を
訴えていた。
2012.8.1の日経新聞に掲載された「地中熱で省エネ工場」 
「『水を媒体に』京セラ 15%節電狙う」の見出し。
私の考えるエネルギー問題も、まずは「省エネ」。
どれだけ「省エネ」ができるか、挑戦してみればいい。
寒ければ、暖房器具をつけるより、まず厚着で。
それでも寒ければ、思い切って「歩く」といい。
きっと体の中から温かくなるはずだから。



2012年12月06日(木) ■
100年後の日本を想像してみろ

大切な選挙が始まったから、と言うわけではありませんが、
映画「ローレライ」(樋口真嗣監督)から。
終戦直前の指導者たちの葛藤が上手く表現されていて、
日米、仲間同士の殺し合うシーンがあるにもかかわらず、
鑑賞後に爽やか感が残り、他の戦争映画とは異なる感覚を感じた。
特に、役所広司さん扮する「潜水艦伊507艦長・絹見真一少佐」と、
堤真一さん扮する「海軍軍令部・浅倉大佐」との緊迫した会話は、
男の野望と正義がぶつかりあい、激しい言い争いになる。
「わからんか、絹見。100年後の日本を想像してみろ、
大人たちは誰も責任を取らず、行動もしない。
子どもたちは、自国に誇りを見いだせず、希望も持てない。
このままでは、日本は米国に従属する奴隷になりさがるぞ。
そんな国に、何の価値があるというのか」と一気にまくしたてる大佐。
それに答えて「私は信じる。たとえ国が焼き尽くされようが、
日本人は自分で絶望から立ち上がる。だからそんな考えには同調できない」
と言い返す艦長。行き詰まる会話に、私のメモは増え続けた。
戦争映画は、とかくメッセージ性が強いため、
時として、間違った方向へ洗脳してしまう可能性を秘めているが、
この映画は、国と国との戦いである戦争を題材にしているが、
ちょっと視点を変えれば、会社同士の争い、団体同士の争いにも通じる
大きな判断をしなければならない、指導者の葛藤が重なってみえる。
子どもたちのために「誇りや希望が持てる価値ある国・会社」にしたい。



2012年12月05日(水) ■
重ねるとは下のものをつぶしてはいけない

誕生日と携帯のメールアドレスを教えてもらっている人には、
気がついた時に、バースディメールを送っているが、
今年のメッセージは「歳は取るものではなく重ねるもの」。
「取る」はマイナス思考、「重ねる」はプラス思考・・
なんてことも伝えたいことの1つである。
(大忙しで忘れたり、相手のメールアドレス変更がされていたり、
届かないこともしばしばですが・・(笑))
そんな中「私の祖母も・・」で始まる返信が届いた。
「重ねるとは下のものをつぶしてはいけないものだからね。
乗せるのではなく、厚みが増えることを言うのだと教えてくれました」
この発想に、思わず拍手したくなった。
年を重ねると、ついつい自分が偉くなった気になるが、
実は反対で、下のものを潰さず、育てる意識が必要だ、と理解した。
また、以前のものに一段乗せるのではなく、経験の分だけ人間としての
魅力(厚み)が増えるということなのかもしれない。
また1つ、年齢の話になった時に使える引き出しが加わったな。(汗)



2012年12月04日(火) ■
「おい、ぼうず」から「坊や、ありがとな」

映画「菊次郎の夏」(北野武監督)から。
「ばかやろう」とか「てめぇ」とか、乱暴な言葉で
相手を威嚇してきた遊び人の主人公と、母親を探す小学生、
不釣り合いなふたりが繰り広げる一夏の冒険に違いないが、
気になる台詞をメモしていて気がついたのは、
北野武さん扮する菊次郎が口にする、子どもに対する呼び方。
旅の最初から途中までは、ずっと「おい、ぼうず」。(坊主)
それが、辛く哀しい経験をしていくにつれて「坊や」に変わる。
小学生が探していた母親が、あまりに幸せそうだった場面、
「人違いだった」と嘘をつきながら、引き返すシーンや
浜辺を手をしっかり握りゆっくり歩くシーンに、涙腺は緩んだ。
そして、お祭りで悪いことをして殴られ血だらけになった主人公の顔を、
小学生が、走り回って見つけた薬屋で買ったガーゼ等で、
丁寧に拭き取るシーンでの台詞「坊や、ありがとな」で最高潮に達し、
これ以後「坊や」と呼ぶシーンが増えた気がする。
この変化、きっと意識的だろう。
主人公・菊次郎の心の変化が、こんなところに表現されているとすれば、
メモが役にたったこと喜びたい。
「おじいちゃんの名前なんていうの?」という問いに
「菊次郎だよ」の会話で「ぷっ」と吹き出し笑いするラストシーン。
何か意味がありそうだなぁ。

P.S.
少年の予想で「競輪で6-3配当17,660円」を当てた時だけは
「坊や」だったかも。(笑)