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しもさんの「気になる一言」
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2013年02月21日(木) ■
それにしても乗らな過ぎですね

愛車・クラウンの定期点検を終え、
車の鍵を渡された時、私の車の担当女性に叱られた。(笑)
「走らな過ぎですよ」
点検をしてくれた整備士に言われたのだろうか、
「(その為に)バッテリーが弱ってます」って伝言された。
「健康のために歩いてるってのは聞きましたけど・・」と
「それにしても乗らな過ぎですね」。
たしかに、平日の天気が雨でない限りは徒歩通勤。
土日などの休日も、渋滞を嫌って歩くのが基本。
隣の市・町にも、駐車場探しなどが面倒で、歩いてしまう。
それじゃ、いつ乗るんだ、と言うことになるけれど、
これもせっかく身についた生活のリズムだからなぁと思う。
私にとっては、数年前、ノーブレーキで追突された事故からも
頑丈なボティで守ってくれた車種だし、乗り心地は大満足、
休日に愛車で出かける前は、必ずボディ・タイヤは磨くほど。
だからこそ、悩んでしまう。
毎日、少しでも動かした方がいいのだろうか?
週末に、遠出をした方がいいのだろうか?
車に詳しい方、是非、アドバイスを。



2013年02月20日(水) ■
2人がどう出会うかは問題じゃないの

映画「ワンダーランド駅で」(ブラッド・アンダーソン監督)から。
すれ違い続けるふたりの男女が、出会うまでを描いたドラマ。
作品解説には、そう書かれていたけれど、
作品の中には、こんな台詞がある。
「2人がどう出会うかは問題じゃないの。
本当に大事なのは、その後の2人の関係をどうやって続けるかよ」
それにしては、2人が出会うまでの過程が長過ぎる。
あと残り数分というところで、やっと出会うから、
この後、2人がどうやって関係を続けていくのか、は語られていない。
キーワードとなるフレーズは「頑固さは、狭量なる心の表れ」。
それを「頑固さは、堅実さの表れだ」と言い替え、
本当は「愚かな頑固さは、狭量なる心の表れだ」(R・W・エマソン)
と「愚かな頑固さ」にスポットを当てたかったようだが、
私にはよく理解できなかった。
冒頭の「何も読まずに本を閉じるな。どんな言葉をひとつでも、
読めば心に響く。めまぐるしい世界から、はるか遠く離れ、
忙しさや、むなしい快楽を忘れ去る。
孤独とは、なんと優雅で穏やかだろう」という老紳士の助言の方が、
心に残ったシーンであった。
最近、なかなか理解できない作品ばかり観ている気がする。
これでいいのだろうか・・・(汗)



2013年02月19日(火) ■
大声援も誰かひとりの声から始まるんだ

正月・箱根駅伝の途中で流れた「野村證券」のCMのメモから。
当然といえば当然なのだが、意外と気付かない視点かも・・
とわかっていながらもメモをした。
「大声援も誰かひとりの声から始まるんだ」
言い換えれば「大河の一滴」をイメージすることもできる。
あるひとりが、勇気を出して声を出す。
それをみて、もうひとり、さらにもうひとり・・・。
いつしか小さな声が「声援」そして「大声援」に変わる。
大切なことは「はじめの一人」になる勇気なのかもしれない。
周りを気にせず、自分の心のままに行動できるか、
多くの人たちが賛同してからではなく、
自分が「大河の一滴」となれるかどうか、が試される。
最初の一滴になって、川として道筋をつけることが出来たら、
その流れがどんどん大きくなっていく姿を、そっと見送りたい。
そしてまた、新しい川の一滴になれたら・・と思う。
成果より、そのきっかけづくり・・私の好きな生き方だな。



2013年02月18日(月) ■
右手の商業施設『サンパーク』の灯り

書籍「本ボシ」(曽根圭介著・講談社文庫刊・481頁)から。
著者が静岡県出身、いや詳しくは近隣の「沼津市」出身。
「第53回江戸川乱歩賞」受賞後の作品は、地元を舞台に・・という
コメントを耳にしていたので、楽しみにしながら読んだ。
ぐいぐい引き込まれていく小説としての面白さもさることながら、
舞台となった地元の地名が、そのリアル感を倍加させている気がした。
「駿東郡清水町は、伊豆半島の付け根に位置し、旧東海道の宿場町、
三島と沼津の中ほどにある」と紹介してくれたかと思えば、
「都会と違って、娯楽が少ない地方都市では、週末や休日ともなれば、
遠出をする予定のない者が集るのは、郊外型ショッピングモールか、
パチンコ屋と相場が決まっている」と厳しい指摘。(汗)
「坂田さん。しばらく『見守り隊』は続けますから、
協力してもらえませんかね」という生活感溢れる表現や、
「対岸にある焼却炉の煙突が、青い空に、白い線を引いている」と
情景も的確に捉えられていて、ますます引き込まれる。
「左手に広がる柿田川公園のうっそうとした雑木林の暗がりとは対照的に、
右手の商業施設『サンパーク』の灯りは、煌々と周囲を照らしている」
もちろん、商業施設名は営業に関係するから変更したのだろうが、
近くに「サンパーク」というスナックが存在するから、苦笑いした。
(たぶん、著者はそこまで調べてないと思うけれど・・(笑))
最近では、全国的に、まちづくり・観光の活性化も兼ねて、
映画の撮影を支援しようと、フィルムコミッションが頑張っているが、
私は、作家を支援して、小説の舞台にしてもらう方が楽しい気がする。
これって、新しいまちづくりにならないかなぁ。



2013年02月17日(日) ■
幸せの「は・ひ・ふ・へ・ほ」

小学校時代の恩師が80歳になったというので、
傘寿のお祝いをしよう、と声を掛けたら、
県内をはじめ、横浜・東京・埼玉からも同級生が集った。
先生の話によれば、数年前に旦那さんが他界したこともあり、
「広い家にひとりで暮らすのは寂しいよ」と本音を語った後、
それでも、こうして教え子に80歳のお祝いをしてもらえるなんて、
私は幸せ者だよね、と感無量の様子。
そして挨拶の最後に、誰かに教えてもらったという、
「幸せの『は・ひ・ふ・へ・ほ』」を私たちに披露してくれた。
これを口にすると、周りに対する不平不満もなくなるようだ。
(は)・・半分でいい
(ひ)・・人並みでいい
(ふ)・・普通でいい
(へ)・・平凡でいい
(ほ)・・程々でいい
こう考えて生きると、幸せになるのよ、と弱気で涙ぐんだ声が、
いつもの明るい先生の声に戻った。
この「はひふへほ」、若い頃ならメモもしなかっただろうが、
年を重ねた今では、妙に納得できるし、心にストンと落ちた。
仕事は、まだまだ力を注ぎたいが、私生活はこの謙虚さを取り入れて、
何事にも欲張らず、ゆったりと過ごしたいと思う。
いくつになっても、親は親、先生は先生。
自分たちの「生きる力」を育んでもらったことは間違いない。
54歳で教わった、先生からのプレゼント、大切にしたいな。



2013年02月16日(土) ■
「原発」に隕石落下だったら大変だったな

今日の朝刊は、ロシア南部に隕石落下の記事がトップ記事。
関連記事も、紙面の数カ所に散りばめられていたが、
気になったのは、隕石の話に話題が集中し、
それから想定される「原発」への落下が語られていないこと。
いつもなら、夕食を終えのんびりしてから、PCを立ち上げ、
「気になる一言」を選びながら、書き始めるのだが、
今日ばかりは、朝だけど書いておこう、と思ったので失礼。
勿論、私の呟きだけど・・・。
「『原発』に隕石落下だったら大変だったな」
落ちた場所であるロシア南部の都市には申し訳ないが、
これが「原子力発電所」だったら、大惨事では済まされないから。
私は、2012年06月10日(日)「東京電力福島第1原発事故を教訓に・・」
と題して、気になる一言を書いている。
その中で「福島第一原発の教訓は、地震・津波に限らず、
あらゆる事態(外国からの攻撃・小惑星等の衝突・人工衛星の落下・
竜巻や雷などの異常気象)でも耐えられることが、安全の評価であり、
地震・津波以外で事故が起きたら、また『想定外』と言い訳をする。
それでは『教訓にした』と言えるのか、言葉として疑問である」と。
この想いが、今回の隕石落下で「確信」に変わった。
やはり、人類滅亡の危機がある「原発」は、日本だけでなく、
地球上のどこにも必要ないな、いや、作るべきではないな。
私たちは「前後左右」からの攻撃や変化には対応できても、
「上下」からの攻撃には、無防備であったり、反応が遅れる。
それは、人間の生活がほとんど「水平方向」だからであろう。
これからは「垂直方向」にも目を向ける必要がありそうだ。
そうそう「隕石」と決めつけることにも、まだ疑問が残る。(汗)

参考に
http://www.enpitu.ne.jp/usr4/bin/day?id=40832&pg=20120610



2013年02月15日(金) ■
「エコ」はいいけど「エコ贔屓」はいけない

リズムがあって面白かったので、メモをした。
本来「エコ贔屓」の「エコ」は「依怙」。
「依怙」とは「一方に偏って不公平なこと」
「贔屓」とは「自分の気に入った者を特に可愛がって
力を添えることで、もとは『ひき』と読んだ」との意味。
だから「依怙贔屓」とは、ある特定の者だけを取り立てたり、
味方にしたりすること」を意味する。
これは「セクハラ」や「いじめ」とは違い、受けた側ではなく、
「依怙贔屓」を受けなかった側からの言い分が多い。(汗)
結局は、自分を認めて欲しい、という感情の裏返し、
そんな感覚で私は受け止めている。
私たちも人間だから「公平」で接しているつもりでも、
誰かを「贔屓」しているように感じるだろうし、
普段からの行動や生活態度から、多少の違いは出ると思う。
そんなことを話題に「依怙贔屓だ」と陰で言うこと自体、
私としては納得がいかない。
だから「依怙贔屓される側」にはならないんだな。



2013年02月14日(木) ■
助け合って、お礼の言葉を増やしている組織は強い。

演題「未来に勝ち抜くチーム力」
(講師・(有)クロフネカンパニー・中村文昭氏)から。
何度聴いてもメモが溢れてしまう、中村氏の話。
オーソドックスに、演題に沿った一言を選んだ。
例えは、レストランの「調理場」と「サービス」の関係。
「調理場」の料理人が、一所懸命作っても、
味を褒められるのは、料理を運ぶ「サービス」のスタッフ。
だから「調理場」と「サービス」は仲が悪い所が多い。
理由は、お互いのために何かしようと考えていないからだ。
「現場最前線」(営業等)と「管理部門」には、
対立しあうように仕組まれているのではないか、と思うほど。
公務員だって、同じようなことは言える・・・(笑)
その解決策は簡単だ、と彼はサラッと話し始めた。
どちらかが、相手の部署のことを考え、
先回りして「手伝おうか」と声を掛けるところから始まる。
あとは、任された事を相手が驚くくらいに仕上げる。
それを受けて、相手からも手伝おうか、と声がかかる。
ほんのちょっとだけ、相手を気にしているだけなのに・・。
「お互いが、ありがどう、と思うことが大切」と彼は言う。
「助け合って、お礼の言葉を増やしている組織は強い」
これに尽きる気がする。



2013年02月13日(水) ■
まぐわったの

映画「神の子どもたちはみな踊る」(ロバート・ログバル監督)から。
村上春樹さんの短編小説をアメリカ人監督が映画化。
逆輸入なのか、と楽しみに観たが、正直、よくわからなかった。
冒頭に「5ドルあげるから、ポケットにおしっこさせて」の台詞、
それ以後、なかなかストーリーさえも理解できず・・落ち込んだ。
「『快感』の同義語って何?」の問いに対して、
「『楽しみ』『喜び』『満足』はどうですか?」と答えたフレーズが
やけに新鮮に感じ、メモした程度。
特に気になったのは「性行為」を「まぐわう」と表現したこと。
「彼とまぐわっていると、余計なことは何も考えないで済んだ」とか
「まぐわったの」などの和訳が飛び交い、違和感があった。
漢字で書くと「目合う」「目交う」らしい。
さらにネットで調べてみると、こう記されている。
「人が性的欲求に触発され、複数で行う一連の行為のことであり、
しばしば快楽や愛情表現を伴い、必ずしも生殖には結びつかない」
「まぐわう」イコール「性行為」ではないことがわかった。
原作には、何て書いてあるんだろうか・・う〜ん、気になる。



2013年02月12日(火) ■
王はもっとも重要ですが、守る者が必要なのです

映画「三銃士 王妃の首飾りとダ・ヴィンチの飛行船」
(ポール・W・S・アンダーソン監督)から。
フランスとイギリスの争いも、ピストルではなく
剣が中心だったためか、緊張感は柔らいた。
気になる一言は、物語とはあまり関係ないが、
まだまだ若いフランス王が、チェスをして惨敗。
気持ちのイライラを収めるところがなく、叫ぶ。
「くだらないゲームだ。王は最強であるべきだろう」
終いには、チェスの駒を滅茶苦茶にしてしまうほど。
なんとも我侭なフランス国王だね、と思っていたら、
お相手のリシュリュー枢機卿が、諭すように呟く。
「王はもっとも重要ですが、守る者が必要なのです」
チェスに限らず、日本の将棋にも同じことが言えるし、
ボードゲームに限らず、私たちの関わるどの組織にも、
この考え方は使えるな、とメモをした。
「王がもっとも重要で権力もある」ことを認めながら、
それを補佐する人たち(命を掛けて守ろう)とする人が
いるからこそ、王は守られていることを知らせる意味で、
面白いと思った。
「三銃士」といいながら「四銃士」じゃないか、という
突っ込みをしながらも、楽しく観終わった。
字幕で気になったのは、アルコール好きの三銃士が
「WINE(ワイン)」と大騒ぎしているのに、
「酒」と訳されている字幕かな。(笑)