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しもさんの「気になる一言」
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2014年03月08日(土) ■
ますます貪欲に、そして、ますます謙虚に

わが町の小学校六年生が、第4回白鵬杯(相撲大会)に優勝した。
もちろん、第69代横綱「白鵬翔」が名誉会長を務める全国大会。
(日本・モンゴル・中国・韓国親善交流少年相撲大会)
会場も当然「両国国技館(東京)」、
名実共に少年相撲の最高峰とも言える大会での優勝である。
そんな彼の頑張りを、町民有志が手作りでお祝いしようという会が催され、
スポーツの主管課長である私も、参加させていただいた。
体を比較すれば、参加された大人の誰よりも大きく、(足は29センチだとか)
今後の活躍が期待される逸材と言っても過言ではないだろう。
彼を応援する多くの方が、彼に向けて激励の言葉を掛けた中、
私が一番印象に残ったのは、彼が通っている小学校校長の挨拶。
この素晴らしい成績は、町にとっても、彼が通う小学校にとっても、
そして彼を囲む友達にとっても、大変嬉しいことと、
素直に喜びを伝えてくれたあと、彼に向けて発したフレーズが、
「ますます貪欲に、そして、ますます謙虚に」。
言葉としては短いけれど、1年間ずっと観続けてきた校長先生らしい、
とても温かみのある激励だったな、とメモをした。
一つの頂を極めても、もっと違う頂があるはず、貪欲に挑戦して欲しい、
しかし優勝したからと驕らず、もっともっと謙虚に練習に励んで欲しい。
そんな意味を考えながら、このスピーチを聴いた。
小学校の人気者だった彼が、この春卒業して、中学校へ進学する。
これから、いろいろな壁にぶつかることだろう。
そんな時「ますます貪欲に、そして、ますます謙虚に」を思い出して、
一歩ずつ、階段を昇っていく姿が目に浮かぶ。
私たちだって、この姿勢を仕事に生かしていけるはずだなぁ。



2014年03月07日(金) ■
「よう」になるなら「ら」は必要、「ろう」は不要

書籍「日本人の知らない日本語4」(蛇蔵&海野凪子著・
メディアファクトリー刊・143頁)(番外編・外国編)から。
日本語を学びたければ、外国人相手の日本語教師に学べ!!
そう言いたくなるような、新しい発見がある。
以前、話題になった「ら抜き言葉」。
言葉は時代によって変化する、そんな考え方もあるが、
若者の言葉の乱れを声高に叫んだ人も多かった気がする。
ではその「ら抜き言葉のチェック方法は?」と訊かれると、
すっと説明が出来ないのも事実であるが、その見分け方が
この本に書かれていた。
例えば「投げれた」「走れた」をチェックしたい場合、
「〜しよう」の形に変えてみて、とアドバイスが掲載されている。
「投げる→投げよう」「走る→走ろう」・・そんな形に変えてみる。
そして「『よう』になるなら『ら』は必要。『ろう』は不要です」
そう書いてある。
だから「投げれた」は「投げられた」、「走れた」は「走れた」が正しい。
この法則に従って「開けれる」「座れる」をチェックしたら、
「開ける→開けよう」だから「ら」は必要で「開けられる」、
「座る→座ろう」だから、「ら」は不要。
国語の先生より、外国人相手に日本語を教えている先生のほうが、
わかり易い説明が出来るのかもしれないな。



2014年03月06日(木) ■
その頃の僕の典型的な1日はこんな感じです

講師「鈴木光司」氏(作家)
講演「新しい家族のあり方(パートナーシップと子育て)」から。
隣町で開催された「男女共同参画啓発講演会」の一コマ。
2月開催にもかかわらず、Tシャツで登場した時に、
これは面白そうな話が聞けそうだな、という予感がした。(笑)
奥さんが学校の先生だったこともあり、子育ては夫の仕事。
冒頭、自分の(自分に関わる人の)運の良さを話しながら、
「最大の運の良さは、子育てに関われたこと」と口火を切った。
一日の中でも、子育て中は一切仕事をしないと決め、
生後4カ月から保育所に入れた話からはじまり、
朝起きた時から寝るまでのエピソードは、説得力があった。
話し始めは「その頃の僕の典型的な1日はこんな感じです」。
知識で得た「子育て論」よりも、一日の様子を聞くだけで、
「あぁ、この人は本当に楽しんで子育てをしたんだな」とわかる。
「お父さんが一人で子育てをしていると、世の中のおばさんたちが
なぜか親切にしてくれる」話は、メモも笑い転げていた。
「お父さん、頑張るんだよ」と励まされるまではいい、
そのあと、おもむろに、ちっちゃな子供に向かって
「ところで、あなたのお母さん、どこへ行っちゃったの?」(汗)。
男性が必死に子育てをしていると、こちらが説明もしないのに、
「哀れみをもってみられる」のは、メリットなのかもしれない。
その他、妻との家事の分担方法、子どもの教育方針など、
彼らしい発想と視点は、新しい子育ての幕開けの予感がした。



2014年03月05日(水) ■
せきとうおうりょくせいらんし(赤橙黄緑青藍紫)

「まだ小雨が降っているので気を付けて帰って下さい」と
終礼の挨拶をして、しばらく机上の整理をしていたら、
「お疲れ様でした」と帰ったはずのスタッフが、
「ものすごく大きな虹が出ています」と嬉しそうに戻ってきた。
急いで屋外に飛び出したら、見事な虹が目の前に広がっていた。
端から端まで、約180度の虹が大きな半円カーブを描いている。
これは誰かに教えてあげよう、という気持ちになるのもわかる。
それも大声をあけで喜ぶのは、子どもだけでなく、
最近、空を見上げることの少なくなった大人たちのほうが、
無邪気にはしゃいでいる姿は、なんとも微笑ましい。
さらに「虹の色も全部言える?と訊かれて、
昔、覚えたよなぁ、と記憶を遡ってみたが、思い出せない。
そんな時「せきとうおうりょくせいらんし」とリズムを付けて、
教えてくれた人がいる。
「せきとうおうりょくせいらんし」
何遍も口の中で呟いてみると、意外と記憶に残った。
もちろん「赤・橙・黄・緑・青・藍・紫」の意味。
「九九」「春の七草」「いろは文字」の覚え方と同じで、
普段は忘れているけれど、最初の単語が浮かべば、
芋づる式に単語が続くから、人間の記憶は不思議だ。
そう言えば、もう一つ思い出したことがある。
日本では「7色」だけど「フランスでは、虹は5色」という話を
2002年12月19日(木)に書いていた。(笑)
せきとうおうりょくせいらんし・セキトウオウリョクセイランシ
赤・橙・黄・緑・青・藍・紫
3回も繰り返せば、もう忘れないだろうな、きっと。(汗)



2014年03月04日(火) ■
「太平洋戦争」って不思議なことばかりだなぁ

映画「永遠の0」を契機に「太平洋戦争」のことがもっと知りたくなり、
関連映画・関連書籍を、片っ端から鑑賞・読み漁った。
映画は「永遠の0」「終戦のエンペラー」「凛として愛」「日輪の遺産」
「聯合艦隊司令長官 山本五十六 太平洋戦争70年目の真実」「出口のない海」
「226」「真夏のオリオン」「太平洋の奇跡・フォックスと呼ばれた男」
「男たちの大和 YAMATO」「俺は君のためにこそ死ににいく」
書籍は「永遠の0」「日本史の七つの謎」「あの戦争は何だったのか」・・
史実に基づいた作品もあれば、フィクションもあるようだ。
いろいろな立場から「太平洋戦争」を語っているが、深めれば深めるほど
まだ戦争体験者が生きているというのに、わからないことばかりだ。
どうして始まったのか、どうしてなかなか終わられなかったのか、
そして一番不思議なのは、どうして「8月15日が終戦記念日」なのか。
降伏文書に調印したのは「9月2日」(ミズーリ号船上)なのに・・。
私たちにとって、一番近い日本の歴史なのに、知らないことが多い。
そういえば、歴史の授業って「昭和・太平洋戦争」まで勉強したのかな、
それさえも記憶がない。(汗)
だから「『太平洋戦争』って不思議なことばかりだなぁ」を残そうと思う。
正直、もう少し、調べてみたくなった「太平洋戦争」である。

P.S.(その他にも以前に鑑賞した映画は・・)
「明日への遺言」「私は貝になりたい」「硫黄島からの手紙」
「父親たちの星条旗」「最後の早慶戦」
「エクレール・お菓子放浪記」「戦場にかける橋」
「戦場のメリークリスマス」など。



2014年03月03日(月) ■
葉っぱがあるとないんでは、料理が違うて見えるな

映画「人生、いろどり」(御法川修監督)から。
「徳島県上勝町」で実際にあった話に基づいて、製作された。
全国各地で、自然しか資源のないまちでは、過疎が進み、
残るのは高齢者ばかり、そんな話を耳にするが、
ちょびり参考になる「まちおこし」と言えそうだ。
山に行けばいくらでも手に入る「葉っぱ」を売るビジネスが、
生き甲斐のなかった高齢者の女性によって花開いたから。
いろいろな料理に添えられた葉っぱを称して「つま」と呼び、
「まぁ、ないより、あったほうがまし」と冷やかすが、
その「つま」は、実は主役の料理を大いに引き立たせている。
その雰囲気に驚かされた男性がぼそっと呟く。
「葉っぱがあるとないんでは、料理が違うて見えるな」。
そんな呟きを聞いて、女性はしやきっと答えた。
「脇役だけど、主役を引きたてる役目を果たしとんのよ」
(徳島の方言が、ちゃんと文字になっているか不安ですが・・)
「主役の料理と葉っぱのつま」の関係は、
切っても切れない夫婦を関係に似ているな、とメモをした。
「(葉っぱビジネスを続けることで)、誰に何を言われてもいいん、
ほなけん、お父ちゃんだけは嫌いにならんといて」と妻、
「みそこなうな、何十年、夫婦やってきたと思うんじゃ」と夫。
この喧嘩みたいな会話が、さらに夫婦の関係を輝かせる。
この光景を見ていた若い人恋人たちは、
「夫婦って、ようわからんもんやな」と男性が呟き、
「私も、あんな夫婦になりたいな」と女性が笑顔で返す。
まちおこしの話だと思っていたら、夫婦の話だったなぁ、この作品。



2014年03月02日(日) ■
「目次」を押してみてください

先日、私がネットで書き続けている日記について質問があった。
最近流行の「ブログ」ではなさそうですが・・と前置きしながらも、
「日記の内容は『カテゴリー』に分かれていないのですか?」。
私の返信は「申し訳ないです、そんな機能はないんです」と説明し、
「そのかわり日記の上段にある、『目次』を押してみてください、
月別に以前書いた日記は、簡単に読み直せるし、
気になる単語やフレーズを『検索機能』一発で探せますから」。
実はこの機能、私が一番利用している。
以前に書いたことがある内容かどうかの確認や、
ちょっとした挨拶文の参考に「夫婦」「人生」等の単語を入れて、
以前の日記を呼び出すことに使っているけど、カテゴリーでなく
書いたことを、タイミングよく、それも素早く呼び出すには、
この機能に勝るブログを私は知らない。
(実は、人前での「挨拶」の資料に、一番役に立っています)
映画・テレビの「観っぱなし」、書籍の「読みっぱなし」、
講演会やコンサート・ラジオの「聴きっぱなし」などをなくしたい、
さらに、日記の「書きっぱなし」もしたくない・・
そんな私の生き方にピッタリの「WEB日記」といったところだろうか。
情報源は出来るだけ正確に記録する、自分の感想も入れる、
そんなルールを自分で決めて、マイペースで書いているからか、
後で整理し易いし、自分にとって使い勝手がとてもいい。
後は、ブログでもない「WEB日記」がいつまで続くやら・・が、
私の一番の不安材料かな。



2014年03月01日(土) ■
全員を好きだってことは、誰も好きじゃねぇってことだ。

書籍「十二国記(魔性の子)」
(小野不由美著・新潮文庫刊・491頁)から。
「十二国記」の物語がはじめて読者に提示された作品だが、
その世界観・スケールの大きさに、驚くばかりである。
しかし、読んでない人にはまったくわからず、意味不明。
だからこそ、未読者にもわかる一言を選んでみた。
自分が存在すること原因で、同じ中学校の生徒が、
次々と殺されていくのを悩む、主人公。
同級生みんなに助かって欲しい、と呟く彼に、
担任の先生は、やや興奮気味に諭す。
「誰だって全部の人間に良くしてやれるもんならそうしたいさ。
しかし、順番を決めなきゃいけないときもあるんだよ。
全員を好きだってことは、誰も好きじゃねぇってことだ」
みんなに愛されたいって願望は、人間なら誰にでもある。
しかし、そんなことは不可能だから、こう言ったのだろう。
言い方を変えれは、いろいろな場面で応用できる。
「どこ行きたい?」「どこでも」という会話があったら、
「どこでもいいってことは、どこにも行きたくないってことだ」
「なにを食べたい?」「なんでも」という会話があったら、
「なんでもいいってことは、何も食べたくないってことだ」
こんな会話してませんか?



2014年02月28日(金) ■
「のび太」から「映画『風立ちぬ』の主人公」へ変身

何年振りかに、眼鏡を換えた。
プラスチック・レンズの傷が目立ってきたのが大きな原因だけれど。
丸い縁のメガネ(アン・バレンタインのデザイン)は、
丸顔の私には絶対に似合わないと思い、かけてこなかったが、
妻や娘のアドバイスもあり、思い切ってチャレンジすることにした。
丸い縁のメガネは「ジョン・レノン」や「大江健三郎」さん、
宮崎駿監督の映画「風立ちぬ」の主人公「堀越二郎」さんなど
個性的で、ちょっぴりオシャレな感じがするけれど、
丸顔に丸いメガネは、ドラえもんの「のび太くん」や、
サザエさんのお父さん「磯野波平さん」が代表的。(笑)
私たちの世代は「丸出だめ夫」や「大村崑」さんも、その仲間。
案の定、評価は真っ二つに割れている。
顔を合わせて「あれ、眼鏡、換えた?」までは同じだが、
「へぇ、今回は、オシャレだね」から「なんか、変!」まで、
様々な意見をいただき、恥ずかしいというのが本音。
今まで、眼鏡を換えても、誰も気付かれなかったのに、
面白いものだなぁ、と思う。
私にとって眼鏡は、小学校の頃からのお付き合いだけど、
こんなに形やデザインを意識したことはなかったなぁ。
記録に残したいから、一言にしてみた。
「のび太」から「映画『風立ちぬ』の主人公」へ変身



2014年02月27日(木) ■
おじさん、僕たちのほうが上手いよ

先日、静岡市出張のついでに(笑)、市内の美術館巡りをした。
駿府博物館「第3の男 下村観山」(日本画)
静岡市美術館「シャガール展」
静岡県立美術館「『幻触』と石子順造」
 同所蔵展「大地から(日本画の情景)」
 同県民ギャラリー「26回特別支援学校高等部合同作品」
昨年、なかなか足を運べなかった美術館だけに、大満足だった。
しかし・・私の感性にピッタリした作品が少なかった気がする。
1つ挙げるとすれば「寿老」(作・下村観山)。
いつまで観ていても飽きがこない、静かな日本画だった。
ネームバリューから言えば間違いなく「シャガール」なのだが、
彼の精神性がうまく理解できないのか、パリ・オペラ座天井画、
ステンドグラス、版画、その他の造形にも、心は動かなかった。
そんな時、地元の小学生たちだろうか、どどっと入ってきて、
静かな美術鑑賞は無理になったが、子どもたちは素直である。
シャガールの絵をじっと観た後、なぜか私に話しかけてきた。
「おじさん、僕たちのほうが上手いよ」
「うん、そうかもしれないね」と返したものの、
絵だけを単純に比べたら、正しいかも・・と感じてしまう私は、
絵の鑑賞センスがないんだろうな、と苦笑いした。(笑)
逆に、ちょっと心が揺れたのは、特別支援の子どもたちの作品。
この子たちの作品に、スポットを当ててあげたいな、と思う。
それが、行政の役割だと考えているから。