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しもさんの「気になる一言」
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2014年11月03日(月) ■
地元新聞の投稿欄は、私の生存報告欄

先勝末に開催された「秋のみどりまつり」会場でのこと。
久しぶりに会う人たち数人から同じことを言われて、ドキッとした。
「元気でしたか?、最近、投稿がないから心配していたんですよ」。
ネットの世界とはかけ離れた生活をしている高齢者たちが、
会場内で私をみつけ、わざわざ近寄ってきて「元気でしたか?」。
これには、正直、驚いた。
毎朝、地元新聞の投稿欄で、私の名前がないか、を探すと言う。
そう言えば、最近、旅行先の新聞紙に投稿したりしていて、
地元紙には投稿してなかったな、と反省しながらも、
「私の新聞ではないので・・」と言い訳をしたら、
「あの投稿欄に、自分の知り合いの名前が掲載されるだけで、
私(俺)、この人と仲いいよ」と自慢できるらしい。(汗)
「まぁ、皆さんに忘れられない程度に投稿しますから、
掲載されたら、その時は、この人とすご〜く仲がいいんだと、
自慢してください。(笑)」と言って別れた。
前回の掲載から、たった数ヶ月のことなのに、
病気になったとでも思っていたのだろうか。
でも、こんなにも私の拙い文章を楽しみにしている方がいることを知り、
「私は生きてます」という近況報告のつもりで、続けようと思った。
新聞社の方には、そんな使い方で申し訳ないけど、
「地元新聞の投稿欄は、私の生存報告欄」を一言にしたい。

P.S.
10月31日、神戸旅行に出かける朝、数日前に投稿した内容が掲載された。
きっと「あの時、私(俺)が言ったからだ・・」と思うんだろうな。
そう言えば、今日も歩いていたら別の人から「見たよ」と声を掛けられた。
恐るべし、地元新聞社の投稿欄。(笑)



2014年11月02日(日) ■
(手帳は)自分にとっての精神的安定剤

(三島・新神戸間のひかり号往復で読み終えたが、メモが多かったので)
書籍「人生を変える『習慣』の力」(齋藤孝著・成美文庫刊・237頁)から。
なんでも「習慣」にすることで、知らず知らずに
自分の体の中の意識が変わっていくことを、
いろいろな例えで紹介してあり、とても参考になった。
時間に追われないようにするために「ストップウォッチ」を
持ち歩き、時間という単位を体に叩き込むことや、
ダイエットのために何かをするというのではなく、
「1日1回 体重計に乗るだけ」という行動の繰り返しが、
「食べ過ぎないように」とか「ちょっと身体を動かそう」と
意識が変わり、結果として自然にカロリー摂取が抑えられる。
そんな説明が、私の生活と重なってメモをした。
その中で、私が選んだのは「1日手帳を10回見る」という習慣。
1日に何回も開くことは、意識を変えることを目標としている。
「日1日、今週1週間の自分の予定のすべてが、
パッとひと目見ただけでわかります。必然的に、どのように
この1週間を乗り切るか、ある程度の目算も立ってきます」
そして「持っているだけ、見ているだけで、落ち着ける
『自分にとっての精神的安定剤』のようなアイテムを持っていると、
日常のストレスを減らしてくれます」
私が手帳にこだわっている理由を、的確に表現していて嬉しかった。
彼は「手帳2年分を持ち歩く」と言うが、私はそこまでは(汗)。
まだまだ、上がいるなぁ、本当に勉強になりました。



2014年11月01日(土) ■
私はあれが、一番不思議でしょうがない

母親80歳(傘寿)のお祝い家族旅行。(妹家族も含め2家族合同企画)
行き先は、旅行好きの母親が「まだ行った事がない」という神戸。
孫が作ったオリジナルパンフレットのテーマは、
「おばあちゃんと行く! 『神戸タウンと六甲山』」
随所随所にサプライズ企画を配し、母が驚き、喜ぶ顔が溢れたが、
帰りの新幹線で横に座り「何が一番印象に残った?」と訊いたら、
「家族みんなにお祝いされて嬉しかった」と真っ先に口にした後、
「私はあれが、一番不思議でしょうがない」と付け加えた。
詳しく話を聴けば「六甲山ホテル」から眺めた「神戸の夜景」が、
靄・霧・雲などの自然現象で隠れ、見えたり、見えなかったりしたこと。
何度も繰り返されるその光景は、母の好奇心をくすぐったらしく、
「誰かが、操作しているのかね?」と最後まで驚きを隠さなかった。(笑)
いくら説明しても「そんなものかね、不思議だねぇ」と疑っているので
「ホテルの人がお祝いに企画してくれたんじゃないの?」と答えたり、
「神戸市民に、何時になったら電気を消してと頼んでおいたんだよ」と
ふざけて答えていたら、本気にしそうになったので、取消した。
80歳になったというのに、神戸の街をスタスタと歩く母の元気は、
たぶん、私以上の好奇心の旺盛さだと実感。
久しぶりに、母と一緒に過ごした2日間は、想い出に残る旅となった。
心配された天気も、傘をさす機会もほとんどなく快適に過ごせたのは、
天国から父親が見守っていてくれたから・・と本気に考えている母。
う〜ん、歳を重ねて、可愛くなったな・・



2014年10月31日(金) ■
トラ日本一ならず

プロ野球日本シリーズ2014は、パリーグの「ソフトバンク」が
セリーグの「阪神タイガース」を4勝1敗で破り優勝した。
そんな翌日、母親80歳のお祝いで、神戸の地を訪れたからか、
昼食で暖簾をくぐった「蕎麦屋」で目にした、
地元・神戸新聞の見出しが可笑しくて、メモをした。
「トラ日本一ならず」見出しに続いて「ソフトバンクに1勝4敗」。
どんな結果になろうとも、主役は「トラ(阪神タイガース)」で、
「ソフトバンク日本一」ではなく「トラ日本一ならず」。
なんと宿泊先は「六甲山ホテル」だったから、
これがあの有名な「六甲おろし」の「六甲」か、と
偶然の巡り合わせに、またまた、嬉しくなってメモをした。
全てがこんな具合だから、逆に「優勝した翌日」だったら、
どんな凄いことになっていたのか、気になってしまった。
更に記事を読み進めると、あくまで阪神中心の話題で、
「阪神は29年ぶりの日本シリーズ制覇はならなかった」。
ここまで徹底していれば、天晴れ(あっぱれ)、というしかない。
地元ファンは心から「トラ日本一」を待ち望んでいるんだなぁ。

P.S.
神戸旅行の話は、メモを整理してからじっくりと書きます。
乞うご期待。(笑)



2014年10月30日(木) ■
最後に私がおたずねしたかったのは・・

映画「利休にたずねよ」(田中光敏監督)から。
原作の作家・山本兼一さんからは、OKが出たのだろうか、
利休切腹の日から順に遡っていく展開に、新鮮さを感じて
小説を読み切ったので、この変わりようにやや戸惑った、が
鑑賞後の印象であった。
そんな中でも、原作にない素敵な台詞もありメモは増えた。
「私が選んだ品に伝説が生まれます」
「全ての重荷を一度下ろされたらよろしいのです」
「今生きてる喜びをこの一服の茶で味わいなさいませ」
「(茶には)人を殺してもなお手にしたいだけの美しさがございます」
「世の中が美しいもので動いているのでございます」
「私が額ずく(ぬかずく)ものは、美しいものだけでございます」
言葉は丁寧だが「美」に対する執念は強く、秀吉の命でも従わない、
利休らしい生き方を随所に見ることが出来た。
せっかく「鋭利な刃物(錐)もいいが、少しは休んだらどうか」
と言う意味の「利休」の号を戴いたのに、
最後の最後まで「鋭利な刃物」(尖った錐)のままだったことが、
惜しまれて仕方がない。
「才能におぼれずに『老古錐』の境地を目指せ」という意味が
込められていたという。
(「老古錐」とは、使い古して先の丸くなった錐のこと)
作品ラストに流れる、妻・宗恩の意味深なナレーション、
「最後に私がおたずねしたかったのは・・」を残しておこう。
(映画だけで、この意味が分かりにくいと思うので・・)



2014年10月29日(水) ■
秀吉のことばに、利休がだまって(深々と)うなずいた。

書籍「利休にたずねよ」
(山本兼一著・PHP研究所刊・418頁)から。
ストーリーが、利休切腹当日から遡る展開からか、
これからどうなるんだろう、というような、
ワクワクしたり、手に汗握る展開というよりも、
「どうして?」を静かに確かめていく感覚が残る作品。
冒頭、秀吉から「死を賜った」利休の呟きは、
「女と黄金にしか興味のない下司で高慢な男が、天下人になった。
そんな時代に生まれあわせた我が身こそ、不運である」。
それなのに、利休は秀吉の何気ない台詞に対し、
「侘び・寂び」に対する理解者として、頷くシーンが何度かある。
「『瓜はもぎたて、むきたてが馳走か』・・・
秀吉のことばに、利休がだまってうなずいた。
『四季折々の風物にこころを砕き、なにに命の芽吹きがあるかを
見つめておるつもりでございます』」とか
「『茶を飲むのに外道も王道もあるまい。
その日、その時のこころに適うのがなによりであろう。』
秀吉のことばに、利休が深々とうなずいた」
他の者に対して、利休が「だまって」とか「深々」と
頷くことは少ないからこそ、私にはそのシーンが鮮明に残った。
結末は悲劇に近かったけれど、利休の茶に対する秀吉の理解は、
どの武将よりあったのではないか、と推測される。
この二人の関係、微妙だったんだよなぁ、きっと。
どちらも引くに引けない立場って、難しいな。



2014年10月28日(火) ■
より積極的に行動できる「水の如く生きたい」(如水)

NHK大河ドラマ「軍師 官兵衛」から。
やっと「黒田如水」に名を変えた。(笑)
実は私、軍師としての「黒田官兵衛」には、あまり興味がない。
「如水」になってからの動きがとても気になっている。
名を変えた「如水円清」の意味として、
1つ目は、隠居の身になり「水の如くのんびり生きる」と考える。
また、もう一つの意味として「水従方円之器」、
(水は方円の器に従い、四角にも丸くもなるのだから、
秀吉殿の使い方次第で、私はどのようにも対応します)と考えた。
しかし、私はそんな単純な意味ではない気がしている。
この「気になる一言」では、何度も取り上げているが、
「水本来の性質」を表現している「水五訓」が相応しいと思う。
一 自ら活動して他を動かすは「水」なり
一 障害に逢ひて激しくその勢力を倍加するは「水」なり
一 常に己の進路を求めてやまざるは「水」なり
一 自ら潔くして、他の汚濁を洗い、
  而して清濁併せ容るるは「水」なり
一 洋々として大海を充たし、発して雲となり、雨と変じ、
  凍りては玲瓏たる氷雲と化して、その性を失わざるは「水」なり
このように「水」は決して「隠居」とか「言うとおりに従います」ではなく、
より積極的に行動できる「水の如く生きたい」(如水)だと私は理解している。
残り回数が少なくなってきた、NHK大河ドラマ「軍師 官兵衛」であるが、
「如水」となった、これからが「本番」と言えそうだ、楽しみである。



2014年10月27日(月) ■
「ジャズってなに?」「生き続けること」

映画「ふたたび swing me again」(塩屋俊監督)から。
「ハンセン病」について理解を深めるには最適の映画、
そんな気もするが、それはスナックでの一場面、
「いいなぁ、俺もハンセン病になりてぇよ」と
飲みながら絡む酔っ払いに向けた一言だけで充分だった。
「自分の名前も奪われ、人間の尊厳も奪われ、
産んだ子どもを目の前で殺された女性だっているんです。
お金なんかで解決できることじゃないんです」
それよりも、66年も離れていた時間が、ジャズを通して
埋まっていく、そんな場面設定になぜか涙腺が緩み、
その答えが、孫と祖父の会話だった。
「ジャズってなに?」「生き続けること」
何気ない、それもとても短い会話だったけれど、
重い会話だった気がする。
「貴島さんにとって、時間をとり戻すことは
『絆』をとり戻すことなんじゃないかな。
ずっと孤独だったからその大切さを知っていたんだと思う」
しかし、急いでとり戻すことはしない、
「会えん時には想えばいいんだ」という言葉が響いた。
同じ映画をどう観るかで、感想が違ってくる作品であった。



2014年10月26日(日) ■
根拠なんてないけど「私、晴れ男なんです」

今週末の土日は、恒例の「秋のみどりまつり」だった。
イベントに欠かせないものはなに?と訊かれたら、
私は迷わず「晴れ男・晴れ女」と言い切る。(笑)
屋外のイベントでは、企画や予算より大切なことで、
天候が「晴れ」というだけで、来場者も運営スタッフも、
笑顔になることは、現場主義の私が一番知っている。
今回も、あとわずかで「しもちゃん、さすが晴れ男だね」と
誉められるはずだったのに、最後の最後で、雨。(汗)
自分で言うのも変だけれど、これって「運」だけじゃない、
「根拠なんてないけど『私、晴れ男なんです』」と言える、
超天然プラス思考こそが、天を味方につけるコツである。
何日も前から、天気予報とニラメッコするより、
「自称・晴れ男(晴れ女)」をスタッフに入れることの方が大事、
そんなことを言っても、誰も信じてもらえないだろうけれど、
来年こそ、2日間、天気にしてみせるぞ、と真剣に思う。
以前「俺、ジャンケン強いんです」と言い切る男に憧れた。
そんな感覚なんだけど、わかるかなぁ。

P.S.
2004年11月27日(土) の一言に、こんなフレーズが・・。
私「いい男」じゃないけど「晴れ男」なんです



2014年10月25日(土) ■
私、美智子さんと同じ歳

母、80歳の誕生日(傘寿)だった。
42歳で突然夫(私の父)と死に別れてから、ずっと女手一つで、
私と妹を育ててくれたから、もちろん感謝の気持ちは忘れていない。
今朝は、私が朝早くから「みどりまつり」というイベントで
「おめでとう」を言いそびれたから、帰宅後、家族で外食に出た。
選んだお店は、私たち家族のお気に入り「ごはん食堂・桐家」さん、
いつもなら私が早く食べ終わり、じっと待っているのだが、
今回は、話し好きの母の80年の歴史に耳を傾けていたら、
ほとんど同時に食べ終わった。
「桐家」は、家族四人が歩いていくには程よい距離にあるので、
その行き帰り、息子、嫁、孫が、それぞれ母の話し相手になって歩く。
他の2人は、どんな話をしたのか知らないが、私の場合は、
「お父さんには早く死なれたけど、こうしてみんなで食事に行けて、
私は幸せだねぇ〜」だった。
娘(私の妹)も近くに嫁ぎ、今日もご主人と一緒に、母の80歳のお祝いに
サプライズ・ボードを持って駆けつけてくれた。
同居する家族も減っている中、こうしてみんなで楽しい時間が持てる。
「私は、それだけでも幸せだね」、横を歩く私に何度も告げた。
特に歳を重ねてから「感謝」という言葉を、よく口にする気がする。
「私、美智子さんと同じ歳」が口癖の母だけど、
「お母さん、美智子さんって、友達のように言うけど、
もしかしたら、皇后陛下のこと?」と突っ込みを入れる私がいる。(笑)
まだまだ元気な80歳、来週は妹の家族と私たちの家族と一緒に、
神戸に旅行する。どんな思い出が出来るのか、これまた楽しみである。