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しもさんの「気になる一言」
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2015年03月24日(火)
外で食べると・・見えなくなっていたものが姿を現す

書籍「東京ピクニッケ」
(プロジェ・ド・ランディ著・白夜書房刊・111頁)から。
「ピクニッケ」とは「ピクニックする」という動詞らしい。
とにかく楽しく、手元において何度でも読みたくなるほど、
私にとっては、お気に入りの本の仲間入りの1冊となった。
ハイキングというと、どこか遠くの山へでも出かけて、
森林浴ではないが、自然の中を歩いてリフレッシュする、
そんなイメージがあるが、ピクニッケは、趣が違う。
東京都内でも、私たちの周りの近くの公園でも、楽しめる。
これから「気になる一言」に何度も登場しそうな予感さえするが、
まずは、冒頭に書かれていたこのフレーズを紹介したい。
ピクニックの基本である「外で食べると」で始まり、
「日常のなかに埋没して、見えなくなっていたものが姿を現す」。
それは「目にしているもの、肌で感じる風、匂い、光は、
最高の調味料となってゴハンをおいしくしてくれる」と著者は言う。
私も、思わず「これだ!!」と声を挙げてしまうほど、頷いた。
それは「母親の作った手料理のお弁当」でなくてもいいし、
目的地で見つけた、地元のおいしい料理のテイクアウトで充分。
とにかく、お気に入りのものに囲まれて、外で食べる、
それだけで「ピクニッケ」なのだと私は実感した。
アイデアがいっぱい浮かんでくるのは、ワクワクするからだね。



2015年03月23日(月)
お茶漬けにバターを入れるようなことはするな

先日紹介した沼津市出身の落語家「三遊亭橘也」の後援会会報から。
師匠・三遊亭圓橘さんからのアドバイスは、的を射ていた。
最近は有名な古典落語にも、さらっと現代ネタが挿入されたりし、
あれ?と思うこともあるが、そういうことか・・と納得した。
師匠は、真打間近の彼に、こう伝えたようだ。
「自分なりの工夫をする、変えていくのは良いが、
落語をぶち壊すようなことはするな、と。
バターを入れたら、もうお茶漬けではない。
入れるんなら、梅干しなんだ、と。」
ワンポイントでも自分らしさを演出する、その試みは良いが、
基本は伝統文化である「落語」であることを忘れるな、
奇をてらうことで、いくら観客に受けたとしても、
「落語」という域を超えたところの笑いではダメだ、ということ。
美味しければ(受ければ)何でもあり、という考え方は危険であり、
それは、いろいろな場面で判断の基準となり得る。
美味しいお茶漬けの追求は、梅干しやワサビなどの吟味であり、
バターなど、まったく異質なものを入れるといった試みではない。
生きている限り、変化を求めることは大切だが、
その変化は、違和感を感じるものであってはならない。
このアドバイス、仕事でもプライベートでも、活かせそうだ。



2015年03月22日(日)
原子力 郷土の発展 豊かな未来

映画「がんばっぺ フラガール! フクシマに生きる。
彼女たちのいま」(小林正樹監督)から。
映画「フラガール」の舞台となった、
福島県いわき市のレジャー施設「スパリゾートハワイアンズ」。
(私たちの世代は「常磐ハワイアンセンター」の方が懐かしい)
震災後、復興に向けて頑張る「フラガール」を追った
ドキュメントであるが、その一場面に映し出された
「双葉町入口の看板」まちづくりの標語が目に付いた。
大きな横看板の裏表に書かれたそのフレーズは、
「原子力 豊かな社会と まちづくり」
「原子力 郷土の発展 豊かな未来」
私は、まず最初にこの看板を壊してしまいたくなった。
原発事故が起きる前は、豊かな社会が与えられていたかもしれないが、
事故後は、郷土の発展も豊かな未来も、奪われてしまった。
「看板に偽りあり」そんなメッセージさえ、聞こえてきそうだ。
せっかく復興を目指したストーリーにも関わらず、
メモ魔の私にインパクトを与えたのは、原子力の標語。
被災された家のカレンダーは3月のままだったが、
双葉町の目指した町も、被災当時のままだった。



2015年03月21日(土)
カワセミは、本当に「翡翠」(ヒスイ)だった

久しぶりに「カワセミ」を視た。
(見る、観る、とは違う、じっと「視る」を使いたい)
土曜恒例の早朝ランニング、沼津の門池公園でのこと。
柿田川公園でも何度かみかけだが、
遠くから望遠鏡か、カメラのズームを最大にして。(汗)
それが、なんと今朝は、私のランニングコースのすぐ脇で、
青や緑色の鳥を見つけたので、もしかしたら、と走るのをやめ立ち止り、
注視したら、門池にいる小魚に狙いを付けている「カワセミ」だった。
その美しさに目を釘付けにされ、しばらく身動きができず、
じっと眺めていたら、突然、ホバーリングをしたかと思ったら、
ものすごい勢いで川面に顔を突っ込み、餌をゲット。
さらに、独特の青い羽を広げたかと思ったら、
次の瞬間、低空飛行で、私の目の前を横切り、飛び去った。
夢でも視ているのかと思うほどの、時間の流れがそこにあった。
きれいな水辺に住むということで、市町の「鳥」としている自治体は多いが、
果たして、どれだけの人が、本物の「カワセミ」を視たことがあるか、
考えさせられてしまった。
写真や映像では、カワセミの様子を目にすることがあっても、
本物を望遠鏡なしで目にする体験はなかなかできないからだ。
カワセミを「翡翠(ヒスイ)」と書き「渓流の宝石」と呼ばれる意味が、
実物の「カワセミ」を視て、納得させられたから、
「カワセミは、本当に『翡翠』(ヒスイ)だった」を残したい。
この被写体としての「カワセミ」を追いかけて、
水辺を渡り歩くウォッチャーがいるのも、わからなくない。
私が「ミニ皇居」と称して走っている「沼津・門池(かどいけ)公園」、
本当に、いい場所だよなぁ。



2015年03月20日(金)
(柿田川は)今来ても、ワクワクしますね

私の2歳上の先輩であり、公私にわたりお世話になっている、
地元清水町出身の絵本作家、宮西達也さんの作品展が、
今、横浜高島屋で開催しているというので、足を運んだ。
(実は、明日行くつもりだったけれど、急遽、予定変更して(笑))
その「宮西達也ワンダーランド展」(横浜高島屋ギャラリー8F)から。
私はけっこう先輩の作品は読んでるつもりでいたが、
あれ?この作品知らない・・初めてみた、という作品もあり、
まずは、その作品の多さには驚かされた。
私のお目当ては、取材協力という形で、一緒に柿田川を案内した時、
先輩がはしゃいでいた様子がビデオになっているというので、
撮影当時を思い出しながら、繰り返して観賞することだった。
アトリエインタビューの一部であったが、
「宮西達也の原点 想い出の柿田川」というクリップとともに、
(頭の毛はボサボサだけど)子どもに戻った先輩の笑顔があった。
柿田川は「感動を味わい、感性を磨いた場所」と言い切り、
私が案内した「眼鏡橋」では、ここでカブトムシを捕まえたり、
これ以上近づくの危ないという、ギリギリの場所で楽しんだんだ、など、
話を始めたら、止まらないくらいの勢いで、原風景を語ってくれた。
そして最後に「(柿田川は)今来ても、ワクワクしますね」と、
大喜びの声で、取材陣に紹介している姿が、何ともいえなく可愛いい。
平日にも関わらず、多くの来場者が詰めかけていた会場で、
先輩が私を見つけ「しもちゃん」と声を掛けてくれたのは、嬉しかったし、
展示されている絵の横の壁に、自宅の襖とか壁にイタズラ書きするように、
絵本作家本人がマジックで書いている姿は、来場者が驚き、楽しかった。
もう一度、作品を読み直さなくちゃなぁ、宮西達也ファンとしては・・。
そして、作品の原風景となった「柿田川」を大切にしなくちゃなぁ。

P.S.(展覧会の「サブタイトル」と「キャッチコピー」)
「ヘンテコリンな絵本の仲間たち」「ドキドキ ワクワク 涙もポロリ」



2015年03月19日(木)
他人に危険を振り分けて、自分は安全でいられる

書籍「十二国記(図南の翼)」
(小野不由美著・新潮文庫刊・419頁)から。
(ファンタジーの世界を説明するのは難しいので、
いつものように場面設定は、曖昧になってしまうが)
獰猛な獣に襲われて殺されるかもしれないという危険、
そんな危険地域を通って、ある場所に向かう多くの人々。
こんな会話がある。「何のために我々は、
こうして集団となって蓬山に向かっているのか」
「臆病だからだろう」・・
さらに、場面が進み、同じような会話。
「そばに人がいたほうが安全だからだ。
なぜなら、横にいる人間が襲われている間に、
自分が逃げられる可能性があるからだ。
人が・・人に限らず、力のない生き物が群れるのは、
そのほうが安全だからだ。他人に危険を振り分けて、
頭数のぶんだけ、自分は安全でいられる」「酷い話ね」
「酷い?だからお前は甘いんだ、
これは酷いことじゃない、自然の摂理だ」
学校でも職場でも社会でも、どんな場面でも、
人が群れる理由をこう考えていれば、怖いものなし。
虐めというのは、自分が安全でいたいから起こるのだから。



2015年03月18日(水)
強くあれ、誘惑に負けぬよう

映画「ナルニア国物語 第3章:アスラン王と魔法の島」
(マイケル・アプテッド監督)から。
欲望を満たす「誘惑」に対して、私たちは弱い。
それをどう克服して、真の幸せを掴んでいくか、
そんなテーマの作品だった気がする。
ある賢者が、主人公たちに諭す。
「お前たちは、みんな試される。剣が7本並ぶまでは、
『悪』が優位にあることを覚えておけ」と前置きして
「強くあれ、誘惑に負けぬよう」と。
「闇の力に勝つためには、心の闇に打ち勝て」
「自分の価値を疑うな、自分から逃げていかん」
「きっと何者かが、僕らの心を操っている」
同じような意味を持つ台詞が、私の心に引っかかった。
しかし、辞書によると、
「誘惑」とは「人を迷わせて、悪い道に誘い込むこと」。
「人を迷わせる」ことはわかるけれど、
「良い道へ誘い込む」ことは「誘惑」って言わないのかなぁ。



2015年03月17日(火)
自然をたたえ、生物をいつくしむ

今週土曜日、今年の「春分の日」を迎える。
こんな時でないと、目的や意味を考えることがないから
「国民の祝日に関する法律」(昭和23年法律第178号)
定められている15の祝日をじっくり眺めてみた。
生活の中では「春分の日」と「秋分の日」の意味は同じで、
お彼岸だから、祖先を敬い、墓参りをしなくちゃ、と
勘違いしがちであるが、実はそれぞれに意味が違うことを知った。
春分の日(春分日)は「自然をたたえ、生物をいつくしむ。」
それと対になっている、秋分の日(秋分日)は、
「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ。」
法の目的が「美しい風習を育てつつ、よりよき社会、
より豊かな生活を築きあげるため」なのだから、
「春分の日」は、気のあった仲間たちとピクニックにでも出かけ、
日本の四季を肌で感じながら、自然の中に生かされていることに
感謝する日、としたほうがいいようだ。(笑)
何十年も勘違いしていた「国民の祝日」の意味だけど、
どうして学校で教えないんだろうなぁ、と思う。(私が忘れている?)
今後も出来るだけ、当日ではなく、事前に紹介していきたい。

P.S.
「ぼた餅」を食べるのも、そんな意味があるのかなぁ。



2015年03月16日(月)
おまえたち、夫婦(めおと)になれ

NHK大河ドラマ「花燃ゆ」より。
「想い合う」・・というキーワードを取り上げようと、
今回のメモ整理したら、意外な漢字変換を発見してしまった。
吉田寅次郎(松陰)が、松下村塾の塾生、久坂玄瑞と、
自分の妹・文に、結婚するように勧めるシーン。
「久坂、文、お前たち、夫婦(めおと)になれ」
何気ない台詞だが、文字として入力して変換すると、
私にとっては、どうも違和感があったので、気になる一言。
「めおと」、もちろん夫婦のことであるが、
「妻夫」(つま・おっと)で「めおと」だと覚えていたので、
「めおと」と入力し「夫婦」と変換されることに納得できなかった。
どちらが先だっていいじゃないか、と思うかもしれないが、
当時は、むしろ「妻」の方が大切にされていた証ではないか、
そんな気持ちでいたので、言葉として「夫婦」では違うと感じている。
考えすぎだよ、と言われるのを覚悟で、取り挙げてみた。
本当に「めおと」=「夫婦」でいいのだろうか。(汗)



2015年03月15日(日)
その1割に、プロかアマチュアかの違いが出る

親友が後援会長をしているので、一緒に応援している
沼津市出身の落語家「三遊亭橘也」の会報「みかん」から。
(噺家って呼び捨てでいいのかな?)
この会報の一部、橘也本人が執筆しているのだろう、
師匠(三遊亭圓橘)との会話を楽しく、判りやすく紹介している。
その中で「落語は、聴くものか、観るものか?」と訊かれた話が
印象に残っている。
テレビっ子で育った私たちは、落語家の顔・容姿をはじめ、
寄席などにも「落語を見に行く」と言ってしまうが、
2人の会話から知ったことは、(圓橘師匠曰く)
「落語は9割は聴く、あとの1割が観る。
1割は、扇子や手拭の使い方、仕草や表情などであるが、
その1割を、ちゃんとやるかどうかで、
プロかアマチュアかの違いが出る」ということ。
基本的には落語は聴くもの、と言いつつ、耳にする声以外の部分を
大切にすることが出来るかできないか、にプロ意識を求めるところは
思わず、頷くしかなかった。
ラジオやテープなど、声しか聞こえない媒体でも、
高座に上がる時と同じように、扇子や手拭の使い方、仕草や表情まで、
しっかりやっていることが理解できた。
名人と呼ばれる人たちの落語は、雰囲気が違うんだな、きっと。