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しもさんの「気になる一言」
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2015年06月11日(木) ■
医者と坊主と弁護士は、お金儲けに走るなということ

映画「13階段」(長澤雅彦監督)から。
原作を読んだ後なので、どうしても不完全燃焼になる。
いろいろな部分で省略があり、ストーリーが単純になってしまう。
えっ、ここへ話が飛んでしまうの?という驚きも多く、
それは仕方ないことだと思うが、江戸川乱歩賞受賞作の映画化は、
やめたほうがいいな、とつくづく感じた。
しかし、原作にない台詞や場面を見つける楽しみもある。
読書後のメモと、映画鑑賞後のメモを比較すると、一目瞭然で、
新たな楽しみが増えた気もしている。
その中の1つを紹介。(原作にあったか確認していないが・・)
「医者と坊主と弁護士は、お金がのうても人を助けろと、よう言いますわ。
3つとも、人の不幸をメシのタネにする職業でしてな、
お金儲けに走るな、ということでしょう」というような会話が登場する。
この視点で、3つの職業をくくるのは大変面白いな、と思う。
以前「弁護士は関わった人の半分は必ず『敵』」という話を耳にして、
なるほどなぁ、と思ったけれど、今回のはもっと好奇心がくすぐられた。
この3つの職業だけでなく、最近では、もっと多くの職業が
「人の不幸をメシのタネ」にしている気がしているからだ。
ちょっとイジワルな趣味だが、これを機にそんな職業を探してみて、
「お金儲けに走ってはいけない職業なんだよ」と言いたいな。(汗)



2015年06月10日(水) ■
(コレステロールの)薬、中断してみますか・・

数年前、体重が70キロを裕に超えていた頃、
健康診断でも、人間ドックでも、コレステロール値が高く、
仕方なく投薬を始めたが、とうとう、数年かかって
コレステロールを下げるための投薬が中断となった。
医者へ行くたびに、もう少し痩せた方が・・と言われ続け、
中途半端なダイエットをしてはリバウンドした頃が懐かしい。
このまま、血圧とコレステロールの薬を一生飲み続けるのか、
そんな不安が頭をよぎったが、まだ間に合うかなと始めたのが、
自分自身の頑張りが全ての「ランニング」と
どうしても家族の協力を必要となる「食事療法」を重ね、
一年間続けた成果が「投薬の中断」となった。
実は、今回痩せたのも、ダイエットしようと思ってとか
「伊豆ハーフマラソン」を走りきりたいと思ってなど、
そんなカッコいい理由ではない。
できるだけ「薬」を体に入れたくない、と思ったからだ。
そして、何度目かの血液検査結果を診ながら、先生が
「(コレステロールの)薬、中断してみますか・・」と呟いた。
痩せるということが、こんなにいい影響を与えるのか、と
今さらながら、驚いている私がいる。
たかが「ダイエット」、されど「ダイエット」、
次は、高血圧の薬がターゲット、実体実験の成果として、
降下剤の薬がやめられたら、自信をもって勧められるのになぁ、
私流の健康法を・・。(笑)



2015年06月09日(火) ■
「シュチエーション」ではなく「シチュエーション」

私の拙い「気になる一言」を読んでくれた読者から、メールをいただいた。
それも話題にした、映画「超高速!参勤交代」の内容についてではなく
「各々のシチュエーション」と書いた「situation」は、
日本語にすると「シュチエーション」ではないですか?というもの。
私もあまり深く考えず「場面設定」程度の認識で使ったので、
そう言えば「シュチエーション」という言い方をするなあ、と気になり、
ネットで調べたら、どうやら「シチュエーション」で良かったらしい。
ただし、スペルから考えると正しいが、普段耳にする「音」としては
私は「シュチエーション」を使っているような気がする。(汗)
次回からは、気をつけて使いたいと思う。
では、ついでに「simulation」は、どうだろう?
「模擬実験」のような意味で使われる「シミュレーシュン」も、
私はたぶん「シュミレーション」という「音」を使っている。
滑舌の悪い私としては「シュミレーション」の方が言いやすいし、
パイロットが何度も何度も繰り返して行なっているとされる、
「フライト・シュミレーション」も、
本当は「フライト・シミュレーシュン」なんだよなぁ。
私の場合、口がうまく開かないから、言いにくいな・・とほほ。



2015年06月08日(月) ■
この赤い実は、命の実。しあわせの実

映画「あなたをずっとあいしてる」(野中和実総監督)から。
最近、日本列島の各地で、火山の噴火が話題になっているこの時、
「この頃の地面の揺れは尋常じゃない」そんな台詞まで飛びたして、
この作品に「火山の噴火」シーンが続いたことに驚いた。(汗)
ところで、宮西作品のキーワードと言うか、幸せのアイテムとして、
「赤い実」が登場する事が多い。
視点を変えると、宮西さんの代表する絵本で登場する、
「おとうさんはウルトラマン」「パパはウルトラセブン」なども、
胸に輝くのは「赤のランプ」(タイマー)だし、きっと何かある。(汗)
それは「イチゴ」なのか「リンゴ」なのか、とにかく、
それを食べると、心が温かくなって幸せになるもののようだ。
作品の中でも「この赤い実は、命の実。しあわせの実」という台詞が
繰り返し使われている。
「本当の強さってなんだろう?」「本当に大切なものはなんだろう?」
その答えを導き出すヒントが「赤い実」である気がしている。
色から想像すれば、サンタクロースだな、幸せを届けてくれるから。

P.S.
アニメとはいえ、池や川の水が透明で驚いた。
原作・脚本の宮西達也さんの出身地・静岡県清水町の「柿田川」を、
イメージしていることが、よくわかってメモをしてしまった。



2015年06月07日(日) ■
まだやることが残っています。

昨日、柿田川で溺れて死にそうになった話を取り上げたが、
そんな日記に「無事でよかったね」の気持ちと一緒に、
「まだやることが残っています」とコメントをしてくれた方がいる。
神様が「まだまだ、この人を死なせるわけにはいかない」と判断し、
「生きて、やってもらいたいことが残っています」と言っているのよ、
そんな意味に、メッセージを解釈してみた。
その何かは、今の私には分からないが、自分の気持ちの赴くまま、
行動してみよう、と昨日から感じている。
例えば、今日は朝から「柿田川公園」の清掃作業だったが、
なぜか、与えられた作業だけでなく、目につく汚れたところを
時間の許す限り、きれいに磨きたくなった。
よく自己啓発で行なわれる「トイレの便器磨き」と同じように、
方向を示すサイン看板を始め、園内の石碑などを夢中で磨くことにより、
自分の気持ちが、どんどん落ち着いてくるのがわかった。
どうせまた、梅雨に入り雨風で汚れるものであるが、
作業中に観光客から「きれいになりますね」と声を掛けられたり、
公園内の案内でお礼を言われたり、予想外に嬉しいことが続いた。
2時間半ほどかけて汚れを落とした看板たちを、ベンチに腰掛け、
じっくり眺めていたら、その看板を目印に行く先を決めている
多くの観光客が目に入り、ますます心が弾んでいるのがわかる。
これからも「まだやることが残っている」ことを私なりに模索しながら、
まずは「柿田川公園を磨く」ことに、時間をかけてみようと思う。
そのうちに、私がこの世に残されている意味がわかるだろうから・・。



2015年06月06日(土) ■
やばい、やばい、やばい・・(汗)

柿田川の深みにはまって、溺れそうになった私の心の叫び。
「やばい、やばい、やばい・・(汗)」
最近、柿田川を観光資源に・・という人たちが多くあらわれて、
やれ、遊歩道だ、吊り橋だ、と提案してくれるのはありがたいが、
現実問題として、どの場所にどんな施設が欲しいのか、については、
誰からも具体的な意見は出てこない。
では休日を利用して「現場第一主義」の私が調べようと思い立ち、
「明日、柿田川に入るからウェダー(胴長)借りるよ」と、
前日、担当係に声を掛けて、朝早くから「1人」で、川に入った。
「どんな遊歩道をイメージしているのだろうか?」
「どこからどこまでを想定しているんだろうか?」など、
ポイント、ポイントで写真を撮りながら、慎重に歩いていたが、
突然、ずぼっと湧き間にハマったかと思ったら、バランスを崩した。
その後は水がウェダーの中に入り込み、思うように身動きが出来ない、
私の体力は無視され、もの凄い勢いで下流の深いところへ流されていく。
柿田川の水圧を強く感じ、首まで水面が到達して、体は冷えた。
本当に冗談ではなく「このままでは死ぬ」と思った瞬間があり、
心の中で「やばい、やばい、やばい・・(汗)」と叫んでいた。
幸いにして流れに沿っていたからか対岸に辿り着き、事なきを得たが、
それでも必死に岸に這い上がり、ウェダーを脱ぎひっくり返したら、
大量の透明な、私の大好きな柿田川の水がこぼれ落ちた。
いくら柿田川が、天然記念物になったり、名水100選に選ばれて、
全国に誇れる透明さとはいえ、川は川、やはり「危険」だと感じた。
これは、私の五感がフル活動して記憶に留めたことでもある。
「護る場所は護る、学ぶ場所は学ぶ、見せる場所は見せる」
「自然・教育・観光(ツーリズム)」を一括りにすることなく、
この棲み分けをしっかりしないと、事故が起きてからでは遅い。
「柿田川をまちづくりに活かす」ことに異論はないが、
その方法は、もっともっと検討する必要があるんだろうなぁ。



2015年06月05日(金) ■
泣いてても、笑ってても、時間は同じだけ過ぎていくねん。

映画「オカンの嫁入り」(呉美保監督)から。
気になるフレーズはいっぱいメモしたのに、選んだのは
主人公の2人が住む家の大家さんの台詞だった。(笑)
あることが原因で出社拒否となった、宮崎あおいさん扮する
「森井月子」に向かって、諭すように話しかける。
「月子ももう一年ちゃうか? そろそろ働かな、どんどんしんどなるで。
泣いてても、笑ってても、時間は同じだけ過ぎていくねん。
面倒くさいことは、全部、流してしまえ、楽やでぇ」
その場の雰囲気が伝わるかな?と考え、関西弁をあえて文字にしてみた。
登校拒否も出社拒否にも通じる台詞かな、とメモをしたが、
学校へ行きなさい、会社へ行きなさい、という説得ではなく、
限りある時間、楽しいことに使おうよ、と語りかけている気がした。
物語後半「月ちゃん、あんた、ずっとこのままでええのん?」と母、
「わかってる」と娘、
「わかってるだけやったら、何も変わらへんやろ?」と母。
そして、少し間を置いて、もう一度、母がこう呟く。
「優しいだけじゃなくて、いろんな人と外の世界で混じり合って、
そん中でもシャンと生きていける強い人になって欲しいねん」
このあたりでちょっと涙腺が緩んだ。
大切な娘を残して死んでいく母親の想いが、表現されている。
私には入る隙間がない、母と娘にしかわからない関係だな。
大竹しのぶさんと宮崎あおいさんの母子役、ピッタリでした。



2015年06月04日(木) ■
おかげさまで「57歳」になりました

誕生日の今朝、起きて一番最初に「母」に発した言葉である。
「おかげさまで『57歳』になりました」
自分でも、なぜか不思議な感覚に包まれた朝を迎えた。
昨年までは周りから「誕生日おめでとう」と言われてから、
「ありがとう」とお礼の言葉を返すパターンであったが、
今回は、自分から「母」に対して「おかげさまで・・」の
フレーズが口から出たので、正直、驚いた。(汗)
悟ったわけではないが、誕生日は「祝ってもらう日」ではなく、
周りの人に「感謝する日」だと実感したシーンとも言える。
今の自分があるのは、家族をはじめ知人・友人がいたから、と、
心から思えたからこそ、このフレーズにつながったのだと思う。
小さい頃から、私と一緒の時を過ごしてきた人から、
最近、SNSなどのネットで知り合った人まで、
朝から今まで多くの方から「お祝いメッセージ」をいただいたが、
今日の気分では、自分から、みなさんに対して、
感謝のメッセージを発することが、誕生日の過ごし方だな、
そんなことを感じた57回目の誕生日であった。
どうしてそんな気分になったのかは、自分でもわからない。
ただ「皆さんと知り合ったおかげで、今の私がある」という
感覚だけは、明日からも大切に持ち続けたいと思う。
そんなわけで改めて、お祝いメールをいただいた方にも。
メールではなく、直接、声を掛けてくれたて方にも、
「おかげさまで『57歳』になりました」を伝えたい。



2015年06月03日(水) ■
「恩」は施したら忘れるもの

公私ともにお世話になっている方の母親が他界したとの報を受け、
予定していた「市民公開講座」をキャンセルして、お通夜に参列した。
菩提寺の住職(お上人)は、戒名に「恩」という文字を入れたので、
たぶん、故人はこんな女性でした・・と思い出しながら、
今晩は「恩」についての話を・・・と口を開いた。
細かい内容について、ここで「説法」みたいに説明するつもりはないが、
「恩」というものは、施すものであり、恩に報いてもらいたいとか
恩を感じて何かを期待するものではないだろうし、誰に対しても、
慈悲の心を施していくことの大切さを気付かせていただいた気がする。
「親切にしてあげたのに、助けてあげたのに・・」と考えるのは
相田みつをさんの名言(我が家では「日めくりカレンダー」)
「あんなにしてやったのに 『のに』がつくとぐちがでる。」と同様、
恩着せがましい部分がまとわりつく感じがしていたし、
「恩」に対して、何かを求めている感じがするから、
「恩」を与えた側の心構えとしては、ちょっと違う気がしていた。
そんな私の違和感を払拭するように、お上人は、呟くように
「『恩』は施したら忘れるもの」と、諭してくれた。
誰かに親切にしたことも、社会に対してボランティア活動したことも、
高齢者に席を譲ることも、落とし物を届けたことも、すべてその場で忘れる。
「与えた側・受けた側」などという上下関係を持たないためにも、
施す側が、その行為すらまったく忘れる。
それこそが「『恩』は施したら忘れるもの」の意味だと理解した。
今晩は「経済」ではなく「仏教」や「哲学」を学んだと思いたい。
まさしく「我以外皆我師」だなぁ。



2015年06月02日(火) ■
犬のフン持ってけ!

久しぶりに静岡市へ出張だったため、寄り道をした。(汗)
「川瀬巴水展 生誕130年〜郷愁の日本風景〜」(駿府博物館)
静岡駅南口から静岡新聞社本社まで、どれくらい歩いただろうか。
駅近くにあった都市公園をつっきり、高校を横目に、テクテクと・・。
道すがら「歩行」「自転車」と書かれた歩道と、
一方通行の自動車道の間に設置されている花壇に目がいった。
たぶん、地域の人たちが管理している花壇だろうと想像がついたが、
そこに書かれていた注意看板に驚き、思わずメモをした。
白地の板に黒と赤の文字で「犬のフン持ってけ!」
よほど怒っていることが、このフレーズだけでもわかった。
その横には「静岡市動物指導センター」の設置した看板もある。
「ふんの放置は禁止です!!」
「ふんを持ち帰ることは、最低限のマナーです」
「ふんは必ず持ち帰ってください。
自宅の前や裏に毎日ふんが放置されていたら、あなたはどう思いますか?」
「マナーは守りましょう。犬や猫のフンで迷惑しています」
何種類かの注意看板のメッセージが、とても優しく感じられた。
こんなことを書かれても、ペットの散歩をする人たちは、
何も感じずに、ふんを放置したまま、歩き続けるのだろうか。
そんなルールやマナーも守れない心を待ったご主人に、
飼われているペットたちがかわいそうだな、と悲しくなった。
初めて歩いた歩道であったが、あまりにこの看板が多くて目立ち、
心が痛くなったので、帰りは別の道を選択して駅に向かった。
「道徳」が子どもたちの教科になる時代だけど、
まずは手本を示す「大人たちの道徳」をなんとかしなくちゃな。