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しもさんの「気になる一言」
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2015年07月01日(水) ■
毎年意識して「中間点」で軌道修正

7月1日は1年(12カ月)の中間点(6月30日)の翌日。
この日は私にとって、意外と大切な日となっている。
生活・行動目標をデータ化するのが大好きな私は、
正月に立てた目標が、どこまで達成できたかを知る日であり、
そのデータをもとに、残り6ヶ月の生活リズムの修正を図る、
とても楽しい作業ができる日としてワクワクしている。
この「中間点」を意識せず、年の初めに目標を立て、
年の終りにその結果をみるだけでは、なかなか満足のいく
充実した日々を過ごすことができないことを、
私は何度も何度も失敗した経験の中から、気が付いた。
それからは、毎年意識して「中間点」で軌道修正をする。
目標より足りなければ、これからの6ヶ月で頑張ればいいし、
多すぎたら、少しペースを落としてみる。
若い頃は、ここで目標の数字を修正することも必要だが、
歳を重ねてくると、いかに年の初めに立てた目標に近づけるか、
その調整作業が楽しくなっている。
今年(前期)は、読書が多くて、映画鑑賞は少ない。
講演会は予定どおりで、コンサートが少なく、美術館は多い。
万歩計は、今までで最高の数字を示している。
私の目指すところは、バランスのいい生活。
学生でいえば、2学期制の通信簿って感じかな



2015年06月30日(火) ■
恐怖とは、心が生む異常な状態だ

映画「アフター・アース」(M・ナイト・シャマラン監督)から。
「ウィル・スミス親子が共演のSFサバイバルサスペンス」
そんな情報に、期待し過ぎたのか、やや消化不良であった。
そんな中、特筆するとすれば「恐怖」に関する定義だろうか。
多くの人間にとって「恐怖」を感じた瞬間、どうなるか。
それは物語前半に、こう説明するシーンがある。
「多くは体が固まる。存在しない答えを脳が出すからだ。
脳が『ヤバい』と判断する」と。
さらに、物語が進み、父親が息子に伝えるシーン。
「恐怖は、現実には存在しない。
恐怖が存在するのは、未来を考える心の中だけだ。
恐怖は、想像の産物だ。
想像が恐怖を感じさせるだけで、何も起きないかもしれない。
恐怖とは、心が生む異常な状態だ。
誤解するな『危険』は、現実に存在する。だが、恐怖は自分次第だ」
この「恐怖」を消すことができれば、敵から存在感をなくし、
攻撃されずにすむ、それが唯一の倒せる手段、という設定は、
SFの世界でなくても、この私たちが生きている世界でも、
通用することではなかったのか、と再認識した。
原案を考えたウィル・スミスは、これを伝えたかったんだなぁ。



2015年06月29日(月) ■
一皿ずつ、口を漱ぎたくなる料理でした

昨日「RESTAURANT Bio-s」(レストラン・ビオス)を話題にしたら、
さっそく「一言で言うと、どんな料理でした?」というメールが届いた。
美食家でもない私が、料理の味を表現するのは難しく、
直感的に思い浮かんだのは「一皿ずつ、口を漱ぎたくなる料理でした」。
そしたら「え〜、あんまり美味しくなかったのですか?」との返信。(汗)
あっ、そうか、ちゃんと説明しないとそう勘違いされちゃうよなぁ・・と、
自分のボキャブラリー(語彙)の少なさが、情けなくなった。
実は、料理に合わせた飲み物も含め、一皿ずつが、とても新鮮な味がして、
このまま、一つ前に口に含んだ料理の味を、次の料理へ繋げたくなかった、
だから「一皿ずつ、口を漱(すす)ぎたくなる料理でした」という、
言葉足らずの表現になってしまった。
チェイサー(和らぎ水)を、こんなに頻繁に飲んだ料理は初めてかも・・。
自分の前に運ばれてから、目で楽しみ、匂いで楽しみ、口に含むまでに、
どんな味だろう・・と想像力を膨らませ、イメージどおりだと嬉しく、
予想外の味だと驚く瞬間を楽しんだ、というのが今回の私の感想である。
(ほとんど私の想像を超えて「美味し〜い」しか浮かばなかったが・・)
しかし、食後にコース全体を振り返ると「『夏至』って感じがした」。
梅雨の合間の快晴の中、いつもの見慣れた富士山とは違う山形と、
目の前の畑から摘んだばかりの季節感たっぷりの食材、
そして、数匹の山羊を眺めながらの長閑な食事タイムは、まさしく
このレストランののコンセプトである「見る・味る・観る」、
「里山の豊かな景色を見る。生まれたての野菜やその土地の食材を味る。
人や会話が生み出すドラマを観る」に相応しい空間だった。
美味しいものを「美味しい」以外に表現できるようにしなくちゃなぁ。



2015年06月28日(日) ■
今だけの季節、今だけの時間をじっくり味わう

1ヶ月ほど遅れてしまったが、今年の結婚記念の宴は、富士宮市の
「RESTAURANT Bio-s」(レストラン・ビオス)に決めていた。
数年前、オーナーの「松木一浩さん」の講演を聴き、
彼の生き方に魅力を感じていたので、いつかは、
活動の原点であるレストランへ、家族を連れて訪れてみたい、
その想いがやっと実現した、というところだろうか。
レストランのコンセプト「見る・味る・観る」を楽しみ、
「大地からのたくさんの贈り物を届けたい・・」という
レストラン側の熱い想いを、受け手の私たちがしっかりと受け取り、
「今だけの季節、今だけの時間をじっくり味わう」ことが、
作る側と食べる側双方の、大切なコミュニケーションとなっている。
彼らは自分たちが提供する料理に誇りを感じながらも、謙虚に、
運ばれてくる食材を丁寧に説明してくれ、私たちはそれを味わった。
料理の味わい方は、当然、舌(味覚)だけではない。
視覚・聴覚・嗅覚・触覚も加えた、人間の五感で感じることが、
料理を楽しむコツ・・と、何かの本で読んだが、まさしく
ここの料理は、五感で味わうことが出来るよ、とお薦めしたい。
そして、さらに美味しくいただく最後の隠し味は、
サービスをしてくれた、松木さんを始めスタッフさんとの会話や
テーブルを囲む家族の何気ない笑顔なんだろうな、きっと。
「訪れるたびに違う表情に出会えるレストラン」
今度は、どんな季節、どんな時間を味わってみようかな。



2015年06月27日(土) ■
あれから1000日も経ったのか・・

久しぶりに、私の呟きである。
この「気になる一言」は「WEB日記・エンピツ」で書きはじめ、
すでに15年を超えて、私のライフスタイルの基礎となっている。
さらに読者からの要望に応えて「メルマガ」という形で配信を始めたのが
5000日前の「2001年11月06日」。
それから毎日コツコツと、メルマガの配信を続け、今日5000号を迎えた。
1日1話だから、毎日1号しか増えないけれど、逆に考えれば、
確実に、毎日1号増えるから、楽しいとも言える。(笑)
こうして、5000号を迎えることが出来たのも、何度も書いているが、
読者あってのことと、あらためて、感謝したい。
今では、これまた「Facebook」の友達からのリクエストで、
同文をコピペしているので、メルマガで読んでくれている人は数少ないが、
それでも140人ほどの方が「読者登録」を残し、私の拙い日記を、
毎日、読んでくれている。(はず)
「メルマガ」というツールは、1世代前の情報発信ツールと感じていたし、
4000号達成(2012年09月30日(日))の時に「メルマガ」というシステムが
残っていれば・・を前提に「5,000号は「2015年6月27日」(予定)」と、
書いている自分がいた。
だから、あえて「あれから1000日も経ったのか・・」を残そうと思う。
以前の私なら「5000号」をケジメにして、メルマガ停止をするところだが、
今の私は、まぁ、のんびり続けてみようかな、という感覚である。
メルマガ読者の皆さん、もうしばらく、おつきあいのほどを・・。

http://www.enpitu.ne.jp/usr4/bin/day?id=40832&pg=20120930



2015年06月26日(金) ■
才能は一つあれば十分だ

映画「タイピスト!」(レジス・ロワンサル監督)から。
故郷の田舎町を飛び出した主人公、ローズは、
お店で販売していたタイプライターを、指1本で打ち、
驚くような速さで打つことが、特技だった。
その才能を見つけさらに磨きをかけたのが、
「ローズは、臆病な小娘。誰かが手をかければ、
才能が開花する」と言い切った、保険会社の若社長だった。
「私は無能だし・・」と尻込みする彼女に対して、
「タイプの才能がある。才能は一つあれば十分だ」と励ます。
その一言は、私の心に強く残った。
他人よりも少し知ってるくらいの中途半端な知識や、
少し上手くらいの才能がいくつもあるより、
これならだれにも負けない、というものが1つある方が、
魅力的だ・・と言いたげなフレーズだったから。
もちろん、世の中には皆が羨む飛び抜けた才能を、
いくつも持っている人もいるが、よく考えてみれば、
それさえも、初めは何か一つの才能が開花して、
それに呼応するように、どんどん他の才能が増えていった、
そう考える方が妥当だろう。
私たち小市民にとっては、まずは「一つの才能」を、
根気よく見つけることだな、きっと。



2015年06月25日(木) ■
充電機器の完備は、宿の選択条件のひとつ

先日の、石川県能登一泊ゴルフ2プレイパックを振り返って、
感じた宿泊施設のサービス。(参考になるか判りませんが・・)
参加者のほとんどがスマホを持参し、寝る前に充電をするが、
部屋のコンセントの数は、そんなに多くない。
すると、コンセントの確保が難しくなり、誰かに迷惑をかける。
特に愛用の「Apple Watch」の場合、毎日の充電が必要となるので、
どうしてもコンセントの数が気になるのだが・・。
解決策は2つ、宿泊施設側で用意するか、利用者が持参するか。
現状では、複数のコンセントがとれるタップがあれば、
なんとか対応できるのだが、利用者(観光客)からすれば、
いろいろな電源コードを持参しての旅行は、
荷物がかさばるから、出来る限り避けたい。
施設側もすべてに対応できないかもしれないが、
フロントにいくつかの充電器を用意してくれてあれば、
宿を選ぶ基準になるかも、と単純に思った。
これからも、ますます充電を必要となる電子機器が増えるだろう。
将来を予感して「充電機器の完備は、宿の選択条件のひとつ」を
フレーズとして残しておこうと思う。
それが、外国人を迎える「おもてなし」になるかもしれないなぁ。



2015年06月24日(水) ■
限りある命であればこそ、死によって輝き放つ

映画「憑神」(降旗康男監督)から。
主人公の下級武士・妻夫木聡さん扮する、別所彦四郎に、
貧乏神、疫病神、死神の3人の神が憑く。
それぞれの神が、面白いフレーズを残している。
貧乏神は「神は死にません、いや、神は死ねません」
疫病神は「そんな気まぐれ、神に許されるわけありません」
そして死神は「死ぬお膳立てを作るのが、あたいらの仕事で、
自分で手をくだしちゃいけないの」・・
そういえば、映画「死神の精度」((筧昌也監督)で、
「死神は『死に値する生き方をしたか』を判断するだけ」という
フレーズを取り上げたことを思い出した。
今回の「気になる一言」は、
可愛い子役の死神と、主人公・別所彦四郎との会話の一部から。
「死神のお前に出会って、初めてわしは自分が何をすべきか、
生きる意味を捜し求めるようになった。
神にできぬこと、人は出来るということ・・
それは『志のために死ぬこと』だ。死ぬことがあればこそ、
命を懸けて何事かを成し遂げようという意思を持つことが出来る。
限りある命がはかないのではない。
限りある命であればこそ、死によって輝き放つこともできるんだ」
そんな悟ったような台詞の後、子役の死神が呟く。
「ふ〜ん、そうなったら凄いね」
私も同じことを思った。「そうなったら凄いよなぁ」



2015年06月23日(火) ■
本人は「失態」と言っていたが、私たちには「ご愛嬌」

また訃報が届いた。今度は、職場の後輩。(涙)
こうたて続けに訃報が届くと、実は心が折れそうになる。
一緒に笑ったこと、一緒に飲んだこと、一緒に愚痴ったこと。
全てが、走馬灯のように甦り、それも鮮明に浮かび上がるのは、
どうしてなのか、私にも判らない。
ただ今までは、職員の「父親・母親」の訃報に触れていたのが、
いつしか、本人の訃報に変わってきたことに、
淋しさと切なさが入り乱れて、心が落ち着かないのは確かである。
こんな時、私は亡くなった彼らを思い出す場所に足を運ぶ。
それは職場の一角であったり、町内の公共施設であったりするが、
そこでしばらく、独り言のように、じっくり会話することにしている。
今回も、ふたりだけの想い出の場所があり、先日、昼休みに訪れた。
あの時は楽しかったなぁ、ということもあったし、
あの時は本当に頭にきたよな、ということもあった。
苦しかったことも、悩んだことも、彼は持ち前の明るさで、
「ひょうひょう」という表現が相応しいかどうか判らないが、
黙って、コツコツと仕事をこなしてくれた印象が強い。
今や職場の伝説となっている、ある結婚式での出来事も、
本人は「失態」と言っていたが、私たちには「ご愛嬌」。
町のイベントにも、子どもと一緒になって毎回顔を見せてくれたし、
子育ての分野では、彼の右に出る人はいないな、と思えるほど、
知識も豊富だったし、現場も知っていたので、残念でしょうがない。
そう言えば、あるパソコンのバスワード、彼の誕生日にしてある。(汗)
それだけ、みんなに慕われた証拠かもなぁ。
まだそのままだったら、ちょっと辛いな、近々確認してみようっと。
彼もまた、ご冥福をお祈りします。合掌。



2015年06月22日(月) ■
しも。ちょっと、ここに座れ

先日、職場でお世話になった先輩が他界したという訃報が届いた。
個性の強い方であったが、私に対しては、厳しい口調の中にも、
時には優しく、時には本気で叱ってくれた1人であった。
飲み会では「しも。ちょっと、ここに座れ」・・が口癖のように、
手招きされたかと思えば「お前がやらないで誰がやるんだよ」と
「叱咤・叱咤・叱咤・激励」の連続だったことが思い出される。(汗)
遠視独特の凹レンズから覗く大きな目も、酔っぱらうと座ってきて、
なおかつ、歳を重ねても私の腕をぐっと思いきり掴んだら離さない、
まさしく、強い握力が印象に残っている人だった。
晩年、私が課長で先輩が参事という、逆の立場でありながら、
課の運営や、町の目指す方向性について、よく相談にのってくれた。
実は体調が思わしくないんだ、と弱気の部分を見せたかと思えば、
飲み会では、一番最初に到着し、ひとりでチビリチビリ飲んでたりする、
本当に、無茶苦茶なことをしても、後輩から慕われる不思議な存在。
それでも、だんだん痩せていく先輩の姿に驚き、見るに見かねて
「仕事は何とかするから病院へ行ってください、これ課長命令です」
とお願いしたら「ば〜か、大丈夫だよ、お前は町のことを心配しろ」と、
怒鳴られたことが忘れられない。(涙)
ああ、また1人私を叱ってくれる先輩がいなくなってしまったな。
明日、告別式に参列し祭壇に向かって、こういってやろうと思う。
「先輩、ちょっと、ここに座ってください」って。
ご冥福をお祈りします。合掌。