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しもさんの「気になる一言」
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2015年08月21日(金)
(静岡市の街中で)「あっ、ゆうすいくんだ」

朝から「管理監督者向けメンタルヘルスセミナー」受講のため、
静岡市へ足を運んだ。
メニューは、講座「組織の元気力アップ!」演習「所属員の悩みを聴く」
運動「管理職のためのリラックスヨガ」の三部構成で、
一つひとつに、新しい発見があったり、再認識させられたり、
9月議会前の緊張をほぐしてくれる内容であった。
最後の「ヨガ体験」のために、着替えたポロシャツは、
わが町のゆるキャラ『ゆうすいくん』のワンポイント入り。
研修終了後、そのポロシャツを着たまま静岡駅に向かう途中、
女子高校生とおぼしき3人の女性が、私を指差して
「あっ、ゆうすいくんだ」と、ニコニコして近づいてきた。
突然のハプニングにやや焦ったが、正直、嬉しかった。(笑)
女子高校生に囲まれたことではなく、わが町のゆるキャラが、
静岡市でも知られていたからである。
やや過熱気味の「ゆるキャラグランプリ」の投票イベントに、
つい、ゆるキャラ自体の役割を見失いがちだったが、
こうして「あっ、ゆうすいくんだ」と言われると悪い気はしない。
ただ「どこの町のゆるキャラか知ってる?」と訊けば、
「えっ、わかんな〜い」の返事では、まだまだ、志半分。(汗)
名前が知られたあと、何をPRするのか、その軸を押さえておかないと、
コスパ(コストパフォーマンス・費用対効果)の視点で追求を受ける時代。
絵本作家・宮西達也さんが生みの親である「ゆうすいくん」、
恩返しは「ゆうすいくん」が有名になることではなく、
彼の育った「静岡県清水町」が、世界に輝く町になることなんだよなぁ。



2015年08月20日(木)
ちょっと「別件バウアー」だけど・・

最近、世代間の言葉のギャプに悩みながら飲むより、
同世代の人たちとの飲み会が一番面白い。
先日の「ベトナム同窓会?」では、ほとんど同じ年齢の集まりで
普段は「オヤジギャグ」とバカにされそうな「駄洒落」も、
会話の潤滑油として連発されて、大笑いとなった。
「宴(えん)も高輪(たかなわ)プリンスホテルですが・・」は、
私も時々使うが、「ちょっと、別件バウアーだけど・・」は、
あまり使ったことがない。
ベッケンバウアーは、ドイツ(旧西ドイツ)の元サッカー選手で、
ペレ、マラドーナと並ぶ20世紀を代表するサッカー界のスター選手、
聴いている人たちが、それを知っていることが前提のフレーズだから、
同じ世代の人たちの会話だけで、盛り上がるのだろうな。
各世代に、こういった時代を代表する人をもじったフレーズがあると、
それだけで、宴が和やかになるのだから、もっと使って欲しい。
「駄洒落」がサラッと言える人のセンスは、尊敬に値する。
「おやじギャグ」と言われるか「うん、うまい」と頷かれるか、
本当に紙一重なんだよなぁ、たぶん。
コツは、駄洒落を口にしたあとに「自分で照れない」こと。
ウケても、ウケなくても、さらっと次の話題へ繋げられる度胸、
何もなかったようなリアクション。(私なんかまだまだだな)
あとは、聞いてる方の盛り上げ方次第かな?(笑)



2015年08月19日(水)
「これってセクハラ?」って訊くのも「セクハラ」

先日の「ベトナム同窓会(?)」で序盤に盛り上がったメモを
整理していたら、管理職の立場になった人たちのボヤキが残った。
最近、パワハラ、セクハラ、モラハラ、マタハラ・・など、
相手が不快に感じたら、もうそれは「ハラスメント」だから、
話しかける言葉には、充分注意が必要だね、と言いかけたら、
「これってセクハラ?」って訊くのも「セクハラ」なんだよ、と
教えてもらい、言葉に詰まってしまった。
同じ感覚で「パワハラ」を考えてみれば、
「これってパワハラ?」って訊くのも「パワハラ」になるし、
もう、仕事での指示や異性との会話すら楽しくなく、
相手はどう感じているんだろう、なんて考えたら、
まともにコミュニケーションすらとれなくなってしまう気がする。
でも、それが現実だとすれば、相手が不快に感じない存在になる、
それしかないのではないということか・・・。
「面倒くさい世の中」になってしまったなぁ、とは感じるが、
組織の中で生きていくというのは、そういうことなんだろうな。
「ハラスメント」の意味、もう一度、再確認しておこうっと。

P.S.「ハラスメント」とは、
「他者に対する発言・行動等が本人の意図には関係なく、
相手を不快にさせたり、尊厳を傷つけたり、不利益を与えたり、
脅威を与えること」



2015年08月18日(火)
人間って複雑で羨ましい

映画「her 世界でひとつの彼女」(スパイク・ジョーンズ監督)から。
久しぶりに、主人公に感情移入してしまった。(汗)
近未来の話と思っていたけど、今の私でも少し体験している気がする。
iPhoneの「Siri」機能が面白くて、1時間くらい会話したことがある。
「私設秘書」(私の場合、女性の声)を持った感覚で、いろいろ指示をし、
アラームをセットさせたり、知人の電話番号を調べさせたり、
勿論、素敵なお店や駐車場などを探させた。
ただ「私」と「Siri」が、恋愛感情まで持たなかったのは、
その度に「マイク」をタッチして話す必要があったり、
笑ったり悲しむといった感情が「音・声」にならなかったからだ。
こちらの指示する声の調子で「どうしたの?元気ないね」とか、
「何かいいことがあったの?嬉しそうね」とか言われたら、
もう少し、ハマってしまったかもしれないな。(笑)
人工知能OS「サマンサ」の個性的で魅力的な声や性格に、
本気で恋してしまっても、それは何も不思議なことではないかも。
だからこそ、敢えて気になる一言は、機械っぽい台詞を選んだ。
「PCとこんなに会話をするなんて」と言う主人公の「セオドア」
「PCじゃないわ、私としてるの」という人工知能OS「サマンサ」、
帰宅後「何してた?」と人工知能OS「サマンサ」に声を掛けると、
「人生相談のコラムを読んでいたの。人間って複雑で羨ましい」と呟く。
機械では想定できないことでも、人間は複雑な人間関係などで悩む、
それを「羨ましい」という視点で表現したのが印象的だった。
もう一度、じっくり観たくなる作品と出会えた気がする。

P.S.
(不可能かと思っていたのに)筆記体の英文が書けるPCが登場。
あっ、これ欲しい・・真剣に思いました。



2015年08月17日(月)
一日一回は必ず確認するメールアドレス

これだけメール全盛時代だと、ひとりで複数アドレス所持が普通。
「パソコン用、携帯・スマホ用」と機種ごとに持つ人もいるし、
「仕事用、プライベート用」と、用途に合わせて持つ人もいる。
それは個人の使い分けだから、口を挟む余地はないが、
他人にメールアドレスを知らせる場合、
その後の変更のお知らせは当然だと思うし、それが無理なら
変える必要がない「Yahoo-mail」とか「G-mail」などにする。
一年を通じて、個人的な誕生日や結婚記念日などのタイミングで、
私が把握しているアドレスにメールを送ると、届かないのではなく
いつまでたっても開かれていないことがよくある。
機種変更などでアドレスを変えて、連絡をもらえないのは、
常日頃の自分の御無沙汰を反省することもあるのだが、
届いているのに、詠んでもらえないのは、とても悲しい。
少なくとも「一日一回は必ず確認するメールアドレス」を、
他人に伝えて欲しいな、と思う。
S.N.Sのメッセージは必ず確認します、ならそれでもいい。
とにかく、24時間以内に確実に連絡がとれるメールアドレスを
自分のポストとして、確保して欲しい。
それこそ、情報社会に生きる私たちのノウハウであろう。

P.S.
そういう私も、アドレス変更を知らせてない人がいるかもなぁ。



2015年08月16日(日)
東大卒は「戦国・幕末・維新」ではなく「太平洋戦争」?

今年は「戦後70年」とあって、例年より「太平洋戦争」について、
多くの方が、じっくり考え、自分の意見を主張している気がする。
この時期、もう一つ思い出したことを、記録として残しておきたい。
数年前、ある高齢の紳士が自分の蔵書を町に寄附したいとおっしゃるので、
図書館職員とともに、ご自宅の書斎に伺わせていただいた。
彼は「東大卒」と耳にしていたので、それなりの蔵書の多さは予想したが、
それをはるかに超えた本の多さに驚かされた。
それも専門分野だけでなく、多種多様なジャンルを読んでいる。
本当にこんな厚い本を読んだの?と思ってページを捲ったら、
何か所も、赤鉛筆で線が引いてある部分や、走り書きのメモ、
その好奇心の広さに、ただだだ感心するしかなかった。
そんな時、ふっと面白いことに気がついた。
全体的に「歴史」を学んでいたのはわかったが、私の予想に反して、
NHKの大河ドラマで取り上げられることが多い
「戦国・幕末・維新」の歴史本は少なく、逆に、同番組では
「山河燃ゆ」以外には、ほとんどテーマとならない
「太平洋戦争」に関する本が多かった気がしたのは私の錯覚だろうか。
(「東大生」と括るのには無理があるかもしれないが・・(汗))
新しい日本を作ろうとする当時の若者たちは、近・現代の歴史からも
眼をそらさず、ちゃんと「戦争」と向き合っていた。
「太平洋戦争」について、自分の力で調べ、自分で考察を立て、
1人ずつが、自分の意見を持っている気がしてならなかった。
彼らは「信長・秀吉・家康」なんて名前は、興味ないのかもしれない。
(三国志など、中国の歴史本はあったのに・・)
私も、もう少し「太平洋戦争」のこと、調べてみようと思う。

P.S.
映画「不毛地帯」(山崎豊子原作・山本薩夫監督)をBSで観たら、
戦後のことにも興味をもちました。(汗)



2015年08月15日(土)
「義命の存する所」と「時運の趨く所」

戦後70年、私たちはこの日が近づくと、太平洋戦争を話題にし、
当時の悲惨な戦いを風化させないように、努力しているが、
国民が「終戦記念日」と呼ぶ8月15日は、
実は「この戦争を終わりにします」「負けました」と、
天皇が玉音放送を通じて、広く呼びかけた日に過ぎない。
本当の終戦は、9月2日。東京湾上のミズリー号で調印した日。
たぶん世界の教科書では、第二次世界大戦が終了したのは、
9月2日と書かれていると聞いたことがある。
今年は映画「日本のいちばん長い日」(原田眞人監督)によって、
戦争の終結の仕方に、スポットがあてられている。
この機会に、終戦の詔勅(詔書)を、じっくり読んでみて欲しい。
時間がなければ、私たちが映像でよく耳にする
「堪え難きを耐え、忍び難きを忍び・・」を挟む、
「時運ノ趨ク所」堪へ難キヲ堪エ忍ヒ難キヲ忍ヒ
「以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス」だけでも調べて欲しい。
「義命の存する所」では分かりにくい、難解であるという
理由により「時運の趨く所」に置き換えられたことが、
本当によかったのか、私には結論が出ていない。
ただ「何が何でも終わりにしなくてはいけない」という想いと、
「こんな状態になってしまったから終わりにする」(成り行き任せ)
では、同じ負け方にも、違いがある気がしているのだが、
私の考え過ぎだろうか・・。

P.S.
私の知識では、太平洋戦争は海軍の戦争であり、
陸軍は中国・ソ連などの戦争に重きをおいていたはず。
そして「陸軍」と「海軍」の足の引っ張り合いこそが、
「終戦」を遅らせたのではないだろうか、と考えている。
(個人的な見解ですので、ご承知おき下さい。(汗))



2015年08月14日(金)
詔書の文字は「八百十五字」におさめらている。

書籍「日本のいちばん長い日(決定版)」
(半藤一利著・文春文庫刊・371頁)から。
映画を観る前に、やはり「原作」を読まなければ・・と
一気に読んだが、以前から気になっていたところで、
私の手は止まり、メモが増えていった。
昭和天皇が玉音放送で朗読する原稿と言うべきか、
「天皇の意思表示の公文書」とされる「詔書」の案作成時、
各々の立場の主張でせめぎ合うシーン、面白かった。
「戦勢日に非にして」を「戦局好転せず」に書き換えるよう訴え、
そこだけは絶対に譲らない阿南陸相の頑固さに、
ちょっと自分にも似たところを見つけ、苦笑いをした。(汗)
本来なら「義命の存する所」という文が、
難解であるという理由により「時運の趨く所」となった個所に
触れたいが、次回に持ち越すことにする。
(意味が全く違う意味になってしまったので・・)
天皇が発するそのワンフレーズの持つ意味を深く推察し、
それを、自分が指揮する「陸軍の兵士」たちが聴いたら、
どんな気持ちになるか、そんなことまで配慮した言葉の選択は、
とても興味深く、改めて「言葉の力」を再認識させられた。
しかし、申し訳ない、私が選んだのは、
「詔書の文字は、八月十五日にちなんだかのように、
八百十五字におさめらている。」という説明。(笑)
こういう発見って、やっぱりインパクトがあるんだよなぁ。
(すみません、こんな時に、不謹慎かもしれませんね)



2015年08月13日(木)
靖国神社で待ってるぞ

この時期だからこその映画シリーズ。
映画「俺は、君のためにこそ死ににいく」(新城卓監督)から。
脚本が「石原慎太郎氏」と知って、ちょっと驚いた。
「神風特攻隊」を題材に、戦争の悲惨さや司令部の愚かさ、
三度出撃して三度とも帰ってきた、田畑という男の存在など、
大ヒットの映画「永遠の0」に似かよった部分が多い気がしたのは、
私の思い過ごしだろうか。
(主題歌のタイトルもB’zの「永遠の翼」なんだよなぁ(汗))
だから、敢えてそんなシーンをはずして考えると、
特攻隊の隊長が自分の部下たちに、力強く伝える場面。
「それから・・確認しておくが、死んだら集合する場所は、
靖国神社の拝殿の門を入って、右から2本目の桜の下だ。
誰が先に行っても必ず待っていろ、靖国神社に入るのも一緒だぞ」
そして、本当に散る時も「靖国神社で待ってるぞ」と言い残して。
軍歌「同期の桜」にも「靖国神社」の言葉が使われている。
それだけ彼らにとって「靖国神社」という場所は、
大切な場所だということを知らされることになった。
そんな場所を、追悼の意味を込めて参拝して何が悪い。
石原慎太郎さんの力強い声が聞こえてきそうな作品だった。



2015年08月12日(水)
だって、ないなら自分で作ったり、考えたり、出来るやん。

書籍「火花」(又吉直樹著・文藝春秋刊・148頁)から。
熱海の夏の花火大会で始まり、熱海の冬の花火大会で終わるけど、
「タイトルは『火花』だよなぁ『花火』じゃないよなぁ」と
苦笑いしながらも、主人公と先輩芸人・神谷さんとの
「漫才師」に対する考え方がぶつかり「火花」を散らす、
それが2人の「生き方」に対するぶつかりとなって、
さらに「火花」が飛び交う、そんな意味なのかな?と解釈した。
2人の会話というよりも、先輩・神谷さんの考え方は、
随所に「なるほど・・」と感じさせてくれる視点が光っていた。
例えば、こんなシーン。
「よく中年が、俺たちの頃は、遊び道具なんてなかった、
とか言うやん。あれ聞くたびにな、俺、わくわくすんねん。
こんなん言うたら、あかんねやろうけど、ほんまに羨ましいねん。
だって、ないなら自分で作ったり、考えたり、出来るやん。
そんなん、めっちゃ楽しいやん。
作らなあかん状況が、強制的にあんねんで。」
他人が作ったルールに従いながら楽しむ遊びよりも、
何もないところから、自分でルールを作って遊ぶ方が、
よっぽど楽しい・・という発想が、私には新鮮だった。
まずは与えられた「枠」の中で、楽しむ方法を考える主人公と、
「枠」などを意識せず、楽しいことを優先して動く神谷さん。
さて、読者のあなたは、どちらだろうか?