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しもさんの「気になる一言」
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2015年10月30日(金)
そんなこと言ってないで、お前が拾え

講演「地域で活躍するリーダーのあり方」
講師(NPOサプライズ 代表理事)「飯倉清太」氏から。
「内閣官房・地域活性化伝道師」の肩書を持つ彼は、
起業当時の苦労話から現在の状況まで、テンポ良く、
キーワードとなるフレーズをいくつも残してくれた。
たった一時間半の講演で、A4用紙の裏表がメモで溢れた。
その中でも、特に私の心に残ったのは、
本人も人生の転機となったと話してくれた友人の叱咤。
「時は2008年1月3日 この3枚の写真が人生を変えた」と
スクリーンに映し出された映像は、彼が投稿した写真。
正月から、ごみを捨てるなんて・・と呟いたコメントに、
彼の友人は、こう指摘した。
「そんなこと言ってないで、お前が拾え」
不平不満を世界に向けて、愚痴る時間があったら、
お前が拾えばいいじゃないか・・そう諭されたようだ。
自分が拾うだけで、問題が解決することに気付いた彼は、
この台詞の意味を深く理解し、行動に移した。
ここで「どうして俺が拾わなければならないんだ」と考えず、
その「ごみ拾い活動」を始めたところがポイント。
意外と簡単なようで難しいのが、一人で始めること。
いいヒントをいただいた、私も真似してみたい。



2015年10月29日(木)
暗号が解けたことを知らせるわけにはいかない

映画「イミテーション・ゲーム エニグマと天才数学者の秘密」
(モルテン・ティルドゥム監督)から。
「第2次世界大戦時、ドイツ軍が世界に誇った暗号機エニグマによる
暗号の解読に成功し、連合国軍に勝機をもたらした
イギリスの数学者アラン・チューリングの人生を描いたドラマ」
この説明が、私の好奇心をくすぐり、夢中でメモをし続けた。(汗)
ただ、私が面白かったのは、難解な暗号を解読したことではなく、
解読したことを相手に知らせないで、戦いに勝つことだった。
「ドイツの暗号はパズルです、ゲームと同じだ」と言い切り、
苦労しながらも「マシンに対抗できるのは、マシンしかないのでは?」と
いう発想で暗号を解いたときは、さすが・・という言葉が浮かんだ。
しかし、もっとすごいな、と思ったのは、暗号解読に満足せず、
自分が与えられた使命は、暗号を解いて、最後にはドイツに勝つこと、
と理解していたことである。
だから「暗号が解けたことを知らせるわけにはいかない」の台詞が光った。
相手の攻撃を防ぎ、逆に攻撃することでダメージを与える戦い方は、
一時的に効果はあるが、相手に解読されたことを知ったら、
また、今まで以上に難解な暗号を作る。
そこまで先を読み、対策を練ることの必要性を訴えたところに、
今回の勝利があると、私は思う。
だが、そんな大きな仕事を成し遂げた彼からの
「秘密に関するアドバイス」は「秘密は持たないのが一番だ」(汗)。
思わず、笑みがこぼれてしまった、なるほど・・・。

P.S.
「時として、誰も想像できないような人物が、想像できない偉業を成し遂げる」
このフレーズは、3回も登場するから、本当のキーワードはこれだろうな。



2015年10月28日(水)
イベント・写真撮影だけが「ゆるキャラ」の仕事ではない

わが町のゆるキャラは、絵本作家、宮西達也さんが生みの親だけど、
「ゆうすいくんの職業」は、私たちが決めた。
「柿田川を守り、自然を愛し、みんなの夢を叶える、可愛いヒーロー」
(誕生日は、平成25年5月11日生まれ)
ここまで決めているのだから、彼にその仕事をさせないと、
「給料泥棒」といわれかねない。(笑)
イベント会場に出向き、子どもたちの人気の的になるのも悪くない。
しかし彼は、人間の私たちと違って、目的をもって生まれてきた。
言い換えれば、産まれた時から「天職」が与えられ、
この世に生まれてきた意味がハッキリしているのだから、そろそろ
「みんなの夢を叶える仕事」をさせなくては、といつも考えている。
彼を単なる「ゆるキャラ」と考えず、わが課に配属された職員として、
人格を持たせ、面談や人事考課もしながら、彼が働きやすい現場を
与えているのが、私の仕事かもしれない。
首長の代わりに「シティプロモーション」の主役を演じ、
町の宣伝部長役をしなければならないこともあるだろう。
「柿田川を守り、自然を愛する心」を持った彼の優しさを、
行動で示していくのは難しいけれど、それも彼の「性格」として、
全国のみんなに伝えていきたいな、と思う。
そして、そんな彼が住んでいる「清水町」に住んでみたい、と
多くの人たちが感じてくれたら、彼は幸せなんだと感じている。
単なるキャラクターで終わらせない、そんな支援をしていきたいな。



2015年10月27日(火)
突然「点」から「線」「線」から「面」に繋がった日

朝から、町観光協会主催「国会見学・観光施策レクチャー」に参加、
国会見学のあと、国土交通省(観光庁)、経済産業省、総務省の職員に
「産業・観光」を切り口としてに説明を受けた。
「沢山の補助メニューを用意して、活用してくれるのを待ってます、
是非、ご利用下さい」、そんな風に聞こえたのは、私だけだろうか。
省庁の施策なので、行政の積極的な関与が大切であるが、
それを実行に移す、市民団体、人材の育成が急務とも感じ、
行政・議会・商工会・観光協会、そして自治会が、同じ方向を目指し、
町民が「一丸となって」地域を元気にすることの大切さを再認識した。
さらに午後7時頃に地元に到着した私を待っていたのは、
町商工会の青年部・女性部主催の「合同講習会」であり、
講演会「地域で活躍するリーダーのあり方」であった。
特に「情報発信の仕方」などを学び、すぐに実践できそうな事例を、
丁寧に教えていただいた。
さらにさらに(汗)、午後9時過ぎに帰宅し、遅い夕食をとりながら、
食卓に広げた地元紙の記事の中に、私の想いが2件掲載されていた。
今までじっくり溜め込んできた、バラバラだった企画の数々(点)が、
タイミングよく繋がり「線」になり、最後には「面」となった。
この日を待っていたかのように、カオス状態だった素材が、
1つのシステムとして形になったことに、当の私が一番驚いたので、
「突然『点』から『線』『線』から『面』に繋がった日」を、
気になる一言として残したいと思う。
あとは「いい話を聴いた、で終わらせない行動」だな、きっと。



2015年10月26日(月)
意識がなくなっても、子守唄を歌って欲しいんです

映画「終の信託」(周防正行監督)から。
役所広司さんが演じる「重度の喘息患者の江木」さんが、
近づいた死に対して、草刈民代さん演じる担当医師の折井先生に
切実にお願いするシーンがある。
「人間が死ぬ時、まずダメになるのは、視覚だそうだそうです。
ものが言えなくなっても、見えなくなっても、
声だけは聞こえているとか・・。僕の意識が完全になくなるまで、
先生、言葉を掛けていただけないでしょうか。
できたら、意識がなくなっても、子守唄を歌って欲しいんです」
何気ない場面なのだが、とても印象に残った。
映画鑑賞や読書など「視覚」を中心とした生活を送っているからか、
「聴覚」に意識を向けたことは少なかった気がする。
しかし、この作品通じて「聴覚」を意識することが増えた。
目をつぶっていても、聞こえてくる音や会話は、
どんな微かな音も聞き逃さないように働いてくれている耳があるから。
そして本人の意識がなくなっても、聴覚だけは働き続け、
外からの音(声)を、体の中の細胞に伝えているようだ。
これからは、もっと意識して「耳」を大切にしたいなと思う。



2015年10月25日(日)
「ロミオとジュリエット」と「ジュリエットとロミオ」

映画「もうひとりのシェイクスピア」(ローランド・エメリッヒ監督)から。
「戯曲37曲 ソネット154篇 物語詩 数編
それらは全て人類と英語における究極の表現として、知られる。
それなのに、それなのに、
シャイクスピアの自筆の原稿はいかなるものであれ、見つかっていない。
400年もの間、何ひとつない。我らのシェイクスピアは謎の存在だ。実体がない」
この台詞で始まる物語は、シェイクスビア別人説を私に信じ込ませた。
日本でも「織田信長」や「上杉謙信」の女性説などがあるように、
まったく否定できないところに、この推理の面白さがある。
実は、原題の「Anonymous」は「匿名の」の意。
(書物では)作者不明の、(歌では)読み人知らずの、という使われ方をする。
しかし「作者不明」よりも、仮説を立てて立証していく方が、ワクワクするし、
真実味が増すのは、言うまでもない。
日本的に言えば「影武者」の要素が強いかもしれない。
メモしていて気付いたことだが、1か所だけ首を捻るシーンがあった。
オックスフォード伯は「(ロミオとジュリエット) ロマンス悲劇だ、
『弱強五歩格』で」と作品名を告げたにもかかわらず、
影武者の劇作家は「ジュリエットとロミオ」と作品名を間違える。
単なる和訳の間違いなのか、意識的に間違えたのか、気になっている。
こうなったら、もう一度、原語で確かめるしかないかなぁ。(汗)

P.S.(ラストシーンの台詞を・・)
「奥さま、あなたやご一族や、この私やエリザベス女王でさえ、
ご主人と同じ時代に生きることができて光栄です。
見事な言葉が書かれたその時代に。
石ではなく、詩で形づくられた記念碑は、永遠に人々の記憶に残る。
言葉は息から生まれる、息が命から生まれる限り」



2015年10月24日(土)
戦国群雄の戦いは、それぞれの人生哲学の戦いでもある。

書籍「天下(家康伝)」(火坂雅志著・日本経済新聞出版社刊・
上巻366頁、下巻390頁、計756頁)から。
こんなにすっと読めた文庫本(上下巻)は、久しぶりだった。
物語の最初と最後に、徳川家康が「柿田川」を眺めるシーンがあり、
この柿田川の近くで、残された余生を送りたいと、
一度は、隠居所を造営しようとした史実と重なり、妙に心に残った。
さて、気になる一言は、ちょっと面白い視点。
「戦国群雄の戦いは、それぞれの人生哲学の戦いでもある」を選んだ。
戦国時代の有名な戦いが網羅されているような内容であるが、
その勝ち負けは、兵の数でもなければ、軍師が授ける戦略でもない。
大将となる武将の「人生哲学」の戦いだ、というものだった。
「哲学なき者は敗れ去る」ということであろう。
武田信玄は「勝負というものは、六、七程度の勝ちで十分である」、
敵を全滅させるほど勝ってはいけない、というものらしい。
そこには、敵軍の復讐心よりも、自軍の驕りによる油断のほうが、
次の戦いに影響を及ぼすことを知っているからに違いない。
豊臣秀吉の哲学は「飯を腹いっぱい食わせてくれる男のもとには、
おのずと人が集ってくる」というもののようだ、秀吉らしい。(笑)
では、徳川家康の哲学は?とメモを整理してみると、
「行動を起こすには、何よりもまず大義というものが必要」という
哲学が浮かび上がってきた。
「大義なきところに、人が集ることはない」という哲学である。
「水はおのずと流れるべきところへ流れるものだ」という台詞も、
若い頃に、何度も負け戦を経験している家康らしい考え方だし、
自分の戦いには「大義」を求めたのも頷ける。
国の進めている「地方創生」という戦いは、全国の県知事を始め、
各市町村の首長らが掲げる「哲学」の戦いなのかもしれないな。



2015年10月23日(金)
なんだい、この静けさは。うちは喫茶店じゃないよ

最近は、とんと顔を出す機会がないが、
以前は(時々であるが)足を運んだスナックのママさんの一言。
普段はカラオケで大騒ぎする店内なのに、
その日に限って、意外とみんな静かに飲んでいた。
たまには、こんなアルコールの飲み方もいいなぁ、と
ひとりチビチビ飲んでいたら、案の定、
元気なママさんの一言が飛び出した。
「なんだい、この静けさは。うちは喫茶店じゃないよ」
この一言をきっかけに、お客はいつものペースに戻り、
カラオケ大会に早変わり。
周りの雰囲気を一気に変えてしまうフレーズって、
なかなか見つけることが難しいから、
店内大笑いだったけれど、私は「いただき」とメモをした。
こんな台詞に出会えるのなら、カウンター内で働きたい、
そんなことを思いながら、酔っ払った時にメモした台詞をご紹介。
それにしても「喫茶店=静かなところ」という発想が面白い。
私だったら「静かなところ」と言えば「図書館」だから
「なんだい、この静けさは。ここは図書館じゃないよ」かな。



2015年10月22日(木)
どんなことで人に感謝されていたか、私は覚えておきます。

映画「悼む人」(堤幸彦監督)から。
事件や事故に巻き込まれて亡くなった人々を「悼む」ため
全国を放浪する青年の決め台詞である。
やや省略してしまったが、突然ある出来事で亡くなってしまった、
誰にも別れを告げず亡くなってしまった人たちの無念さを、
親友の突然の死を受け止められなかった自分が
「悼む」という行為でなんとか償いたい、そんな想いだろうか。
まず、亡くなった人の肉親や友人、知人に
「誰に愛され誰を愛し、どんなことで人に感謝されていましたか?」
と訊ね歩き「そんなあなたが確かに生きていたということを、
私は覚えておきます」と追悼の行為を繰り返す。
誰だって、人に迷惑をかけたまま死にたくないし、
誰かに感謝されることで、自分がこの世に生きていた意味を知る。
それは多くの人たちではなくても、たった一人にでも感謝される、
それが私がこの世に生を受け、生き続けてきた証、ということ。
どんなに偉い人でも、死んだら忘れられてしまうのも常。
だから、私が生きている限り「あなたを忘れません」という言葉が
とても輝いてくるに違いない。
偶然にも、映画「まほろ駅前狂騒曲」で同じようなシーンがある。
「死ぬのが怖い」というより「忘れられるのが辛い」、
そんな感覚なのだろうか。
私も出来る限り、この世で縁あって出会って他界した人たちは、
墓参りが出来なくても、思い出すようにしたいな。



2015年10月21日(水)
いつも私のメールボックスで待ってくれていて

メルマガの読者から、とても嬉しいメールが届いたのでご紹介。
長年、私とのおつきあいがある方は、ご存知の通り、
私の文章の基本は「エンピツ」と呼ばれる「WEB日記」で、
2001年01月18日(木)から毎日、15年以上毎日書いている。
その後、PCを持っていないとか、わざわざネットにつながなくても、
配信して欲しい、という人の要望に応えて「メルマガ」にし、
おかげ様で、一日一話にも関わらず「5000号」を超えている。
さらに、最近では同じ内容を「Facebook」でも、投稿しているが、
今回は、メルマガの読者で「神奈川県に住む、高校3年生の女性」から。
私の「気になる一言」に出会ったきっかけや、その感想など、
ずっと書き続けていてよかったなぁ、と思わせてくれたメールだった。
特に受験生の彼女から発せられたメッセージは、こんな私の日記でも、
誰かの役に立っているんだなと、心が温かくなるのを感じた。
「受験前で状況の変化や気持ちのアップダウンがある中で、
しもさんのメルマガはいつも私のメールボックスで待ってくれていて、
それがとっても励みになります。本当にありがとうございます。」
定年をあと数年後に控え、最近、こんな内容でいいのかな?、
文字だけの日記は流行遅れだし、そろそろ潮時かな?なんて、
ちょっと弱気になっていた私にとって、とても嬉しい内容だった。
一度も会ったことのない読者からのメールだからこそ、
伝えられるメッセージというものが、ある気がする。
彼女の何気ない一言が私を喜ばせ、こういった読者がいる限り、
私は書き続けていこう、と思わせてくれた彼女に感謝したい。

P.S.
先日まで何の面識もない高校三年生であるが、希望の大学に合格し、
「言葉の力」について、ゆっくり話す機会が訪れることを期待したい。