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| 2016年03月28日(月) ■ |
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| いつもの大河らしくないメモばっかりで・・ |
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例年のような「大河ドラマ」と「ジャイアンツ」ネタが少ないですね、 そんなメールが届いたので、振り返ってみたら、御指摘のとおり。(汗) ただ、どちらも関心がなくなったわけではなく、 大河ドラマ「真田丸」は欠かさず視聴しメモしているし、 野球も、ハイライトシーンながら、毎試合、結果を確認している。 ジャイアンツの「高橋由伸」監督は、原監督と同じく思い入れがあるから。 (この話をすると長くなるので、今回は大河ドラマネタで・・) 三谷幸喜さんのオチを狙った?脚本が、毎回私のアンテナが引っかかる。 第1回「船出」・・「浅間山が噴火でもしない限り、武田家は安泰です」 と言ったあとすぐ「2.14 48年振りに浅間山が噴火」する歴史をからめ、 第2回「決断」・・「このような大事なことをくじで決めてよいのか?」 の疑問に対して「兄上、大事なことだからくじで決めるのです」。 第3回「策略」・・「のるかそるかは、当家の家風である」と真面目に言い、 「世の中は何があるかわからん。打てる手は、打っておかなくてはならない」 といったあとに「囲碁のシーン」が続く。 第4回「挑戦」・・「織田は許してくれるでしょうか?」の不安そうな息子に 「俺が思うような男ならな」と、さらっと言い返す。 第5回「窮地」・・「父上の本心をお聞かせ下さい・・」と迫れば、 「では、本心を言おう・・まったくわからん・・教えてくれ」と答える。 人質を連れて敵城から逃げながら「抜け穴を探しましょう」と言えば、 「探して見つかるところに、抜け穴があるわけないでしょ」「あっ、あそこに」。 第6回「迷走」・・「大丈夫なんですか?」「わからん、まぁ、そう焦るな」 と言いつつ「敵を油断させるのも、立派な兵法」と自信たっぷりに諭す。 第7回「奪還」・・「お前がなぜ失敗するか、わかるか?」と前置きをして、 「勘だけに頼っているからだ。面白くなくては、人は動かん」。 第8回「調略」・・「これだけは言っておく」と言ったあと、 しばらく時間を置いて「わしのようにはなるな」。 第9回「駆引」・・「お前は、策とは何かを知らんようだな」と嗜めれば 「知りたくもありません」と軽く返す。 第10回「妙手」・・この回だけは、少し真面目に 「こたびも騙されるなら、わしの器がそれまでじゃ」と上杉の台詞。 第11回「祝言」・・好きな娘が妊娠したと父上に報告すれば、 「そんな顔して、やることはやっておるんだな」「はい」という会話。 そして昨晩の、第12回「人質」・・戦国時代の主に向かって 「近頃、ちと、お太り気味で」とか「爪を噛まない」など癖を指摘する妻。 だから「いつもの大河らしくないメモばっかりで・・」を残しておきたい。 年末まで、こんなメモばっかりだったら、どうしよう。(汗)
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| 2016年03月27日(日) ■ |
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| 香水の匂いがプンプン、何種類も混ぜるのは悪趣味よ |
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映画「クロワッサンで朝食を」(イルマル・ラーグ監督)から。 原題は「Une Estonienne a Paris」 直訳は「エストニア人は、パリを持っています」 これが、どう翻訳したら「クロワッサンで朝食を」になるのか、 映画「ティファニーで朝食を」と比較してしまった自分が、 ちょっぴり可笑しかったが、観たくなる邦題だと感心した。 気難しい老女フリーダ役を、大女優・ジャンヌ・モローが演じ、 その存在感は、やはり他を圧倒していた。 何気ないシーンだが、香りに関することはなるほど・・だった。 物語前半、家政婦のアンヌがサンプルの香水を何種類か試し帰宅、 その彼女とすれ違いざまに、サラッと指摘する。 「香水の匂いがプンプン、何種類も混ぜるのは悪趣味よ」。 さらに、ラストシーン。 愛人、ステファンが、フリーダを心配して軽く抱きしめたら、 かすかな残り香から、ステファンとアンヌの関係に気付き、 「アンヌと寝たわね。でもいいの、なぜ行かせたの?」と呟く。 この2つの香りのメモは、単なる金持ちの気難しい女性ではなく、 節々に、心優しい場面を発見し、嬉しくなった。 「本物のクロワッサンは、スーパーじゃなくパン屋で買うのよ。 美味しいクロワッサンと紅茶。朝目覚めるにはこの二つが必要なの」 この表現がフランスらしいなぁ、と思いながらメモを眺めた。 邦画「小さいおうち」でも感じた「家政婦」(女中)の役割って、 私が考えていた以上だなぁ、きっと。
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| 2016年03月26日(土) ■ |
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| そうそう、この感じ、この感じ |
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半年ぶりに、外来種駆除のため「柿田川」に入った。 遠足の前日、嬉しくて寝られない子どものように、または 恋人に会うのを待ち焦がれているかのごとく、興奮していた。 午前9時集合なのに、早く目が覚めて落ち着かず、 結局、1時間前には到着して、公園内をゆっくり散策して過ごした。 スマホや時計を外し、胴長を履き、長い手袋をはめる頃には、 柿田川の水圧、水流、水温などが甦ってきて、待ち切れなくなった。 ただ、今日の作業は、川の中にはほとんど入らず、 土手沿いに繁茂している、ノハカタカラクサ(常盤露草)を駆除した。 終始、ウグイスの鳴き声を耳にしながら、サワガニの出現に喜ぶなど、 大満足だった今年最初の「外来種駆除作業」を終えた後、 作業した人にだけ与えられる、自由時間の撮影タイムを満喫した。 この時間のために準備した「防水カメラ」を胸ポケットから取り出し、 流れのある「柿田川」に入った時の感覚は、昨晩からワクワクしていた、 「柿田川」のイメージどおりで、つい口から出た台詞が 「そうそう、この感じ、この感じ」だった。 どうして、二度繰り返したのか、私にもわからないけれど、 「そう、この感じ」ではなく、「そうそう、この感じ、この感じ」。 来月からまた「第2・第4土曜日の午前中」は、楽しみが増えた。 (すみません、感覚的な「気になる一言」になってしまって・・(汗))
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| 2016年03月25日(金) ■ |
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| 外来種 待ってろ! 春には 抜いてやる |
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昨年の大晦日から、なぜか突然のように始めてしまった Facebookページ「柿田川evol.」での「575調」の紹介文も、 昨日であっという間に「100句」(俳句でも川柳でもないが) その日の投稿する写真・動画を決めて「即興」で作るから、 あまり技巧に溺れることはないし、撮影場所や時間帯など、 撮影データを記録していた時よりも、とっても楽しい。 酔っぱライターの私が思いつきで書いた、駄作ばかりだが、 時々「これは秀作」と、自分でも満足のいくものができる。 その中の一つが、水中に目立ってきた「外来種」を撮影し、 「外来種 待ってろ! 春には 抜いてやる」と記した作。 その一行で、どんな光景だったか思い出せる時もあるので、 しばらくは、このパターンを続けたいと思う。 日本人は、この「575調」が、なぜか好きだ。 小さい頃から「標語」と呼ばれる文字遊びに慣れ、 指を「5・7・5」と折りながら作るのが自然な動きである。 57歳を重ねた今でも「5・7・5」を数えながら作るのだから、 いかに、このパターンが条件反射になっているのかがわかる。 それも「字足らず」「字余り」にならないよう意識するから、 余計に変な句になるのだが、それもまた、ご愛嬌宜しく楽しい。 と言いつつ、明日半年ぶりに「外来種駆除」で柿田川に入る。 「外来種 待ってろ! 春には 抜いてやる」を実践するぞ。
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| 2016年03月24日(木) ■ |
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| ちょっとそこまで |
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夕方、仕事を終えて帰宅したら、玄関先で娘にあった。 自転車で、どこかへ行くところだったようで、 「ただいま」と声をかけたあと「今から、どこへ行くの?」と訊いた。 その答えが「ちょっとそこまで」(笑) 久しぶりに、このフレーズを耳にして新鮮だったので、メモをした。 ついつい仕事柄、相手に対して正確な答えを求めてしまいがちだが、 この「アナログ感覚」の「ちょっとそこまで」もいいな、と苦笑い。 急いでいたのか、説明するのが面倒くさいのか、それさえも分からないが、 その返事を耳にした父親の私は「こんな時間にどこへ行くんだ」ではなく 「そうか、気をつけて行ってこいよ」という台詞を口にしていた。 一連の流れの中で「どこへ行くの?」「ちょっとそこまで」「気をつけて」、 そんな短い会話だけど、くどくど説明を受けるより楽しかった。 「デジダル全盛」の時代だからこそ「アナログ」の言葉に惹かれる。 「儲かってる?」「う〜ん、ぼちぼちかな」 「どこいくの?」「ちょっとそこまで」 「出来ぐあいは?」「まあまあかな」 「いつ頃になりそう?」「もうちょっと」 「YES」「NO」を求めることが優先される仕事では使えないような、 曖昧な会話・単語も、家庭に戻ると、このゆるい感覚が妙に心地よい。 仕事と家庭の「ON」「OFF」の切り替えは、 服装だけでなく「会話」も大きな要素なんだな、と気がついた。 この会話のあと、しばらくして、娘が帰宅した。 「あぁ、本当に『ちょっとそこまで』の距離だったんだ」と感じた私は、 まだまだ「切り替え」ができていないな、と反省した。(汗)
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| 2016年03月23日(水) ■ |
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| 死因は「同性愛」、だから「死刑」 |
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映画「中国の植物学者の娘たち」(ダイ・シージエ監督)から。 「中国ではタブーとされる“同性愛”というテーマに挑んだ意欲作」 というフレーズが私のアンテナに引っ掛かり観たが、 結局は、心臓発作を起こした中国の植物学者の直接的な死因が、 2人の美しい女性たちの同性愛ということで、判決は死刑。(汗) 主人公2人の裸体と、アジアっぽい音楽と風景には満足したが、 この映画を通して、監督は何を訴えたかったのか、わからなかった。 まだまだ中国は、男女差別が横行している国なのか。 新婚での初夜、新郎が突然怒りだすシーンがある。 「なぜ処女じゃない、誰と寝たんだ」と暴力をふりながら。 父親の足を、毎日、娘たちがていねいに洗うシーンも出てくる。 映画とはいえ、馴染めないシーンの連続に、ちょっと戸惑った。 この映画を思い出すためのワンフレーズは、 「死因は『同性愛』、だから『死刑』」としてみた。 どうして中国では同性愛がタブーなのか、そんなことが気になった。 民主化が進む中国で、この考え方はこれからの課題となるに違いない。 じっくり見守っていきたい。
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| 2016年03月22日(火) ■ |
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| フォースとは、人間誰もが待っている「潜在能力」 |
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映画「スター・ウォーズ ジェダイの復讐」 (リチャード・マーカンド監督)から。 スター・ウォーズのキーワードは「フォースの使い方」だと思うが、 そもそも「フォース」って言葉が、上手く説明できないでいる。 ヨーダの台詞にヒントがあるかな、とメモしてるのだが、 「わしは、もう黄昏時(たそがれどき)だ。 すぐに、夜が来る。それが人生だ。フォースの定めだ」 「忘れるな、ジェダイの力の根源は、フォースにある」 「だが、気をつけろ。怒りや恐れが、フォースの暗黒面にお前を誘う」 どれも感覚的な表現で、定義が難しい気がするのは、私だけだろうか。 以前「理力」とも訳された「神秘的な力」とか、 特別な人しか持っていない「超能力」と考えればいいのかもしれないが、 私は、人間、誰もが持っている「潜在能力」と考えてみた。 顕在能力は、水面上に見えている氷山の一角であり、 本来人間には、産まれた時からものすごい力が備わっている。(はず?) その、水面下に隠れている「潜在能力」をちょっと使うことにより、 大きな成果が得られる、という話は、今までに何度も耳にした。 その「潜在能力」を、正義を行うことに利用すれば「ライトサイド、光明面」 悪に用いたものは「ダークサイド、暗黒面」と考えれば分かりやすい。 「人は生まれつきは善だが、成長すると悪行を学ぶ」という「性善説」、 「人は生まれつきは悪だが、成長すると善行を学ぶ」という「性悪説」も、 この「潜在能力」の使い方次第なのかな、と思ってみたり・・・。 「フォースとは、人間誰もが待っている『潜在能力』」であり、 特別な人が持っている「超能力」ではない、と思いたい。
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| 2016年03月21日(月) ■ |
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| 声優による読みきかせは、現代版の「落語」 |
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今月、楽しみにしていたイベントのひとつに、アニメでお馴染みの 「人気声優が集合!絵本のサプリおはなし会」があった。 「いつもの絵本が、いつもの人形劇が、魔法にかかったように大変身!!」の キャッチコピーに誘われて、地域交流センターに足を運んだ。 出演は、愛河里花子さん(「かいけつゾロリ」イシシ役など多数) 大谷育江さん(「ポケットモンスター」ピカチュウ役など多数) かかずゆみさん(「ドラえもん」しずかちゃん役など多数)の3人。 子どもたちにとっては、大好きなアニメの声が、 なぜか近くから聴こえてきたとあって、会場内の盛り上がりは、最高潮。 そんな様子を会場の一番後ろから眺めていたら、あることに気付いた。 彼女らの読みきかせが始まると、子どもたちが静かに聴いている。 それも「アニメ」を観るように真剣に・・(汗)。 読みきかせは、あまり抑揚をつけずに、淡々と読む方がいい、なんて、 以前、読んだ本に書いてあったのを覚えていたので、彼女らが 一人で何役も声を変えて、紙芝居のように流れる「読みきかせ」に驚いたが、 こんなに夢中になって、子どもたちが聴いている姿を見ると、 これが、現代風の「読みきかせ」なんだな、と妙に腑に落ちた。 声だけで、観客を惹き付ける能力は「落語家」に匹敵するし、 母と子ども、可愛い動物などの題材が多い「絵本の読みきかせ」は、 1人で老若男女、何役もの声を使い分ける、女性の声優にはピッタリだった。 彼女らの技術は、新しいジャンルの「話芸」といっても過言ではない。 だからこそ「声優による読みきかせは、現代版の『落語』」という表現で、 今日の驚きと新鮮な発見を「気になる一言」に残したいと思う。 今日のイベントをきっかけに「声優」を目指す子どもがいたら、素敵だな。
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| 2016年03月20日(日) ■ |
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| N.B.F定期演奏会は、大人バンド体験の機会 |
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タイトルだけでは分からないので、ちょっと解説。(汗) 「N.B.F」とは「沼津プラス・フロンティア」の略。 学生時代に部活などで吹奏楽(ブラスバンド)の楽しさを知ったのに、 社会に出るとなかなか、吹奏楽を楽しむ機会がなくなる、 そんな人たちに、細く長く「楽器演奏」を続けて欲しいなぁ、 そんな想いが込められている「大人の吹奏楽部(部活)」って感じで、 プロではないけれど、これからも観客の前で演奏したい、 またみんなと一緒に、楽しく音楽を創っていきたい、 そんな感じの人には、貴重な「大人バンド」はないだろうか。 今日はその「N.B.F 第17回定期演奏会」だったので、妻と2人で、 彼ら、彼女らの元気をいただきに、沼津文化センターへ足を運んだ。 「どうしてこんな時期に定期演奏会?」と思うが、それには理由がある。 もちろん、社会人らの都合もあるだろうが、今年の3月に高校を卒業し、 これから大学、社会人となる若者に「大人の吹奏楽部」の中に混じって 演奏をしてもらい、音楽の素晴らしさ、みんなで演奏する楽しさを、 これからも忘れないで欲しい、という気持ちが伝わってきた。 大学受験や就職活動などで「部活」を卒業していた、高校生たちは、 ちょっと上(?)の先輩たちと演奏することが、とても嬉しそうだった。 (一緒に演奏していた先輩たちの方が緊張していた気がする。(笑)) 吹奏楽に限らず、中学、高校で楽しさを知った、いろいろな活動を、 大学、社会人になっても、趣味として続けていける環境づくりって、 私たち、歳を重ねた大人たちの役割なのかもしれない。 そんな活動が楽しみで、静岡県東部を選んで住んでくれたら、 こんなに嬉しいことはないのだから・・・。
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| 2016年03月19日(土) ■ |
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| 「映画館」に「映画美術館」 |
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静岡市立美術館で開催されている「スター・ウォーズ展」 (未来へつづく 創造のビジョン)へ、ぎりぎりになって足を運んだ。 「スター・ウォーズ」という映画から派生し、その作品にヒントを得て、 アーティストたちが想像力を膨らませて、どんな芸術作品に仕上げるのか、 また、実際に映画に使われたコスチュームや小道具たちが、 鑑賞に値する芸術品として、どのように展示されているのか、 私の興味は尽きなかった。 当然の結果、いつもより鑑賞時間が長くなってしまった。(汗) こうした撮影現場の様子が伝わってくる小道具は、何気なく見過ごしているが、 実は、一つひとつが丁寧に作られていることに気付くだけでも、 また違った意味で、映画の見方がひとつ増えること、間違いない。 きっと、美術や歴史と肩を並べて、映画という分野の「学芸員」が誕生する、 そんな予感さえする、企画展だった。 映画館に付帯する「上映映画のグッズ販売所」ではなく、 「映画」という「文化」に使われている「芸術品」を展示する美術館、 それが「映画館」内にあれば、時間調整にはもってこいだな、と思う。 「東京ドーム」に「野球博物館」があるように、 「映画館」に「映画美術館」があれば、もっと楽しめるのになぁ。 「東京国立近代美術館・フィルムセンター」とは違う視点で・・。
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