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2017年03月10日(金) ■ |
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「住民参加」より「行政参加」、「地産地消」より「地消地産」 |
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書籍「観光立国の正体」 (藻谷浩介・山田桂一郎共著・新潮新書刊・265頁)から。 行政がまちづくりのキーワードして「住民参加」を掲げ、 多くの住民の意見を訊きすぎて、身動きができなくなる、 そんなケースを何度もみてきたが、 彼は、住民主体のまちづくりに「行政参加」を推奨している。 (私も何度か、この「気になる一言」に書いてきたが・・) 住民が「面白そうなこと」「楽しそうなこと」をやっている、 だから「お願いだから、行政も仲間に入れて」という関係、 そんな立ち位置が、これからは欠かせないということだろう。 また「食育」のキーワードに「地産地消」という言葉があるが、 「地域で採れたものを、地域で消費しよう」ではなく、 「地域で消費されるものは、地域で作ろう」という視点で、 「食」(農業)だけでなく「産業」全般に言えることとして、 「地消地産」という言葉を使っているように感じた。 言葉としては似ているが、意味は大きく違う気がする。 「この町には、こんな人材が必要だから町を挙げて育てよう」 これも、彼の言う「地消地産」なのかもしれないなぁ。
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2017年03月09日(木) ■ |
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古ごろも ここに納めて 天翔けん |
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お世話になった沼津に住む伯母が他界したため、 昨日の通夜から、本日の本葬、告別式、火葬まで参列し、 亡骸に「お疲れ様でした」と声を掛けた。 さて今回の話題は、火葬を待つ間に斎場周辺を歩いていたら、 隣接する市営墓地に、作家であり、沼津市名誉市民でもある、 芹沢光治良先生の墓を見つけた。 「芹沢光治良・その家族の墓」と書かれた墓碑には、 「古ごろも ここに納めて 天翔けん 一九八二年 八十五翁 光治良」と彫られていて、写メに収めた。 帰宅後、ネットで調べたが、実はその解説は見つからない。 「古ごろも」は「古衣」だろうから、その人の辿った人生、 歴史みたいなものだろうと想像がつくので、 流れから考えると「人間として生きた歴史を、この墓に納骨し、 天に飛翔(飛び立つ)」というような意味だろうか。 実は、この「天翔」が気になっていたのは、ちょっぴり訳がある。 地元の「なんすん農協」が運営する葬祭ホール名が「天翔苑」、 この芹沢光治良氏の墓碑から、名前をいただいたとなれば、 粋な計らいだなぁ、と感じたから。 今度「天翔苑」の関係者に、名前の謂れ、尋ねてみようかな。
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2017年03月08日(水) ■ |
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う〜ん、書けないことばかりで困った(汗) |
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久しぶりに、私の独り言(呟き)が、今日の一言。 ずっと貯めてきた講演会や研修会、会議などのメモは、 産業振興・観光振興のヒントがいっぱい詰まっているけれど、 私のパソコンの中で、瞬間冷凍され、出番を待っている。 どうもこの時期、引き出して調理するタイミングが掴めない。 というのも年度末を控え、どの自治体も、定例議会の真っ最中。 私の日記を読む人なんて、ほんのひと握りの人だから、 気にすることないと思いたいが、やはり職業柄か、 周りに影響がないように、と考えたら、この台詞が飛び出した。 「う〜ん、書けないことばかりで困った(汗)」 楽しみにしてくれている人がいるのも知っているけれど、 地元新聞の投稿欄は、住所、職業、年齢、名前が掲載されるので、 書きたいことが思うように書けないことも増えた。 私本人にそのつもりがなくても、記事の感じ方は読み手が握り、 言葉尻を捉えて、いかようにも脚色されてしまう可能性もある。 だからこの季節、題材選びに慎重になってしまうのかもしれない。 こんなモヤモヤが、年に四度あるかと思うと・・・(笑)。 しばらくは、映画や読書からの一言が増えるけれど、 それも仕方がないかなぁ、立場が立場だけに。(汗)
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2017年03月07日(火) ■ |
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みんなで掃除すると楽しいねぇ |
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毎年、年に2〜3回開催される 「湧水保全の会」主催の柿田川公園ボランティア清掃活動。 今回は100人を超える町民が、約1時間半、公園を磨いた。 川に入って、オオカワヂシャなどの外来種駆除作業も好きだが、 こうして多くの町民が参加して、奉仕活動をするのも好きだ。 川の中の作業は、ほとんど1人で黙々と(淡々と)行なうが、 陸の作業は、参加者同士がそれぞれの会話を賑やかにしながら、 手だけは忘れずに動かし続けるところがまた楽しい。 この多くの町民が、柿田川の保護・柿田川公園の美化に携わること、 それ自体が、柿田川に愛着を感じることに繋がるからだ。 参加者は顔馴染みの人が多く「お疲れ様で〜す」と声を掛けると、 「みんなで掃除すると楽しいねぇ」という答えが返ってきた。 驚いたことに、私が期待していたフレーズだったのでメモ。 意識啓発に近道はなく、地道な作業をコツコツと続けることで、 自然と関わっている人々の意識が変わっていくのを待つしかない。 年々、参加者が増えていく、柿田川公園ボランティア清掃活動。 今後は、町民だけでなく、町外、県外、国外からも募集して、 自分たちが護っている、磨いていることに誇りを持ちたいと思う。
P.S. 2016年07月30日(土) (去年の夏も同じようなことを書いていた) ボランティアができる場所があるって、幸せだよね http://www.enpitu.ne.jp/usr4/bin/day?id=40832&pg=20160730
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2017年03月06日(月) ■ |
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神経症を「運命」と名付けるだけさ |
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映画「めぐり逢えたら」(ノーラ・エフロン監督)から。 私にとっての、ラブコメのゴールデンコンビである、 トム・ハンクスとメグ・ライアン主演の映画。 以前も観たのだが、その頃は台詞をメモするなんて 変わったことはしていなかったから、改めて観直した。 「人生って、本当につまらないことで変わるのね、 それが運命なのよ」 「運命なんて、人間がこじつけに考え出したのよ」 「運命じゃないわ、ただの偶然よ、マジック」等 「運命」という言葉が頻繁に出てくるのだが、 なかなか、自分の感性にぴったりする表現がなく、 諦めかけていた時、このフレーズが飛び込んできた。 しかし残念ながら、主役2人の台詞ではない。(汗) メグ・ライアンと誰かの会話だった。(気がする) 実は、このフレーズ、もう少し長い。 「誰かにひかれるという現象は、 無意識と無意識が無意識的に反応しあうんだ。 神経症を『運命』と名付けるだけさ」 なるほど・・上手いことを言う、とメモをした。 意識したら、それは「偶然」ではなく「運命」、 そう言い換えてもいい。これなら理解できる。 やっぱり「ラブコメ」はいいな、メモも溢れた。
P.S. 最後におまけのクイズ「MFEO」は何の略か? made for each other 「運命の2人」・・へぇ〜。
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2017年03月05日(日) ■ |
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イチゴはヘタの方から食べるといいよ |
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農業関係者との情報交換会、バイキング料理のイチゴの前で、 どれにしようかな?、と悩んでしたら、傍にいた農家の女性が 近寄ってきて、イチゴの食べ方を教えてくれた。 「まずは、真っ赤なのを選んで・・」と選別方法の伝授のあと、 「ヘタを取ったら・・」と前置きをしたかと思ったら 「イチゴはヘタの方から食べるといいよ」と言う。 「えっ、私は反対の方から食べてましたけど・・」と返すと、 ヘタと反対の方が甘いことには違いないけれど、 最後の一口が、ヘタに近いと甘みが弱い印象で終わる。 だから逆に、ヘタの方から食べはじめ、 最後に一番甘いところを口にすると、甘い印象が残る。(らしい) これって、いろいろな分野で応用が効くなぁ、メモをした。 直感的な第一印象も、それはそれで大切なんだろうけれど、 やはり最後の印象って、けっこう大事な気がしている。 言葉も同じ、という話は、この場で何度もした。 「楽しいけれど大変だよ」と「大変だけど楽しいよ」の違い。 やっぱり、後ろ(最後)の印象が強く残るんだろうなぁ。 と言うことは「年度始めよりも、年度末の成果」ってこと?(汗)
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2017年03月04日(土) ■ |
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「シモ」は「最高」という意味があります |
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「生涯学習フェスタ2017」のアトラクションは、 地元唯一の公立高校、私の大好きな「沼商吹奏楽部の演奏」。 今回は、ぐっと趣きを変えて、アンサンブル(小編成)、 また違った吹奏楽の楽しみ方を教えてもらった。 気になる一言は「パーカッションのアンサンブル」が演奏した 「サファリシモ」という曲紹介で、 音楽監督の川口先生が、説明してくれた「シモ」の意味。 「ピアニシモ・フォルティシモなど、音楽の用語がありますが、 『シモ』は『最高』という意味があります」 たぷん「非常に」とか「とても」「極めて」などを総称した、 そんな意味合いだと思うが、私のメモは自分に都合良く解釈。(笑) 周りにいた知人が、私の顔を覗き込んで 「シモは最高だってよ」と、ニヤニヤしながら笑っていた。 帰宅後「ピアニシモ」をネットで調べたら、 「ピアニッシモ(pianissimo)は『とてもソフト(very soft)』 という意味のイタリア語」と書かれていた。 ちなみに「フォルティッシモ」は「(イタリア語: fortissimo)」。 そうか・・綴りは「ssimo」なんだな。「shimo」とは違った。(汗) でもでも、雑談ネタとして「シモは、最高」と覚えておこうっと。
P.S. いつの日か、柿田川公園の木の下で、質の高いアンサンプルの演奏を。 なんだか、お洒落でしょ、そんな光景って・・。
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2017年03月03日(金) ■ |
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自然がくれた教訓よ。「思い上がるな」って |
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映画「X-ミッション」(エリクソン・コア監督)から。 「トップアスリートたちの生身のスタントによる 迫力のアクションシーン」解説どおり、ど肝を抜く展開に、 ストーリーとは違う視点で、見入ってしまった。(汗) 過激な「Xスポーツ」(エクストリームスポーツ)は、 「自然に敬意を表する」ことが、成功の秘訣なのだろう。 何度となく、そういった表現が出てくる。 「自然がくれた教訓よ。『思い上がるな』って」 「自然を敬っていない。だから波とつながれなかった」 「俺たちの流儀で人間が壊した自然に、償いをする」 「風の流れを読む。風と同化する。でないと崩れる」 「自分の力だけで進むと、限界にブチ当たる」 「命がけで何かを得るのではなく、 大いなる存在と一体になることが目的だ」 「地球は死にかけていて、奪った資源を戻して再生したい。 命の源を守るのは当然の行為だ」 「悟りなんか求めていない。自然と同化して地球を救うんだ」 「自然の恵みに返礼をする。貢ぎ物をやるんだ」 環境保護の活動家らしい「8つの修練」だと感心したし、 自然と同化することの素晴らしさは、なんとなくわかる。 いくら机上で、自然保護を訴えるよりも、自然の恐怖を克服し、 自然のもつ懐の広さ、偉大さ、素晴らしさを体験すること、 これがどれだけ、保護活動の原動力になるか、を、 「オザキ」という彼は知っていたのだと思う。 自然と同化したとき、それは映像としても美しいことを知った。
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2017年03月02日(木) ■ |
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今から「てくてく」貯筋が必要です(^^) |
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ひょんなことから、友達になった「チームてくてく」のメンバー、 数年前、筑波大学の学生さんからの協力依頼で知り合った人たち。 実験が終わった今でも、なぜか解散するのが惜しくなり、 定期的に情報交換しているのだが、この話題が面白い。 住んでいる場所も、職業も、家庭環境も違うから、 パソコンの画面に現れる文字に、一喜一憂している私がいる。 そんな中「高齢者の入院」の話をしたかと思ったら、 「筋肉がないと、あっという間に寝たきりになるかもしれない」と 心配しながらも、中年の私たちでも遅くないから、の意味も込めて 「今から『てくてく』貯筋が必要です(^^)」と纏めてくれた。 わざわざ、トレーニングジムに通わなくても、 「てくてく」と歩くことで、知らず知らずに「筋肉」がつく。 その筋肉が、高齢者になった時、ちょっとした事故や怪我を防ぐ。 だからこそ、これから高齢者に向かっている私たちは、 「貯金」より「貯筋」が大切ということを教えてもらった。 運動して筋肉をつけましょう、という呼びかけよりも、 「貯筋通帳」と称して、万歩計の数字を記録した方が面白そうだ。 この「貯筋通帳」は、数字が増えていくだけだから、 並んだ数字を眺めているだけでも、ニコニコしてしまうに違いない。 日本人って、何でも「貯める」のが好きだからになぁ。
P.S. 本屋さんで見つけた書籍にも同じようなことが書いてありました。 書籍「下半身に筋肉をつけると『太らない』「疲れない」」 (中野ジェームズ修一著)
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2017年03月01日(水) ■ |
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理由のない尾行とは、互いの人生、情熱、意思を知ること |
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映画「二重生活」(岸善幸監督)から。 「何カ月か前から,街なかで見知らぬ他人の後をつけるのが 習慣になった。後をつけるのが面白いからで、 相手に興味を持ったからではない」の一文で始まるこの作品、 作品全体が、哲学科の大学院生の論文らしい展開だった。 スタートは、リリー・フランキーさん演ずる教授の発する、 「100人にアンケートをとるというのは、 社会学や心理学の研究方法ですね」というアドバイス。 多くの人の意見をまとめるだけでは、哲学科の論文ではない。 この助言になるほどな、と頷きながら、では?と感じたところ、 「理由のない尾行」を提案され、主人公の奇怪な行動が始まる。 作品中、ハラハラドキドキしながらも、この「尾行」を、 彼女がどう論文に纏めるか、気になって仕方がなかった。 ラストで、完成した論文が一部紹介され、こう定義している。 「理由のない尾行とは、他人の場所と立場に身をおくこと、 自分を他人に置き換えること。 すなわち、互いの人生、情熱、意思を知ること。 それは人間が人間にとって、かけがえのない存在となる、 おそらく唯一の道ではないだろうか。哲学専攻 白石珠」 実は、私の興味関心はまだ続く。 この論文を仕上げた彼女の行動の変化が気になっている。 今頃、どんな生活をしているんだろうなぁ。
P.S.論文の題目は「現代日本における実存とは何か」
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