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しもさんの「気になる一言」
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2017年05月01日(月) ■
メールをみせてしまう人に、メールを送る人

私の周りには、時々驚くような人がいる。
「ほら、こんなメールが来てるから、
俺は奴を代弁して、文句を言っているんだ」と、
わざわざ、そのメールを他人に見せて回る人がいる。
それも、自分の行為を正当化するネタとして。(汗)
私としては、それ自体、言語道断の行為であるが、
そういう人に、不平不満のメールを送ってしまう人の方が、
信じられない気がする。
そのメールが元で大騒ぎになっていることも知らず、
相変わらず、誹謗中傷に近い発言をしているらしい。
プライベートで送ったつもりのメールが、
多く人に見せられているなんて、知らないのかもしれないが、
そういう人物と、メールで繋がっていることが、
自分の評価を下げていることに気付くべきなんだろうな。
「メールをみせてしまう人に、メールを送る人」だけには
なりたくないよなぁ。



2017年04月30日(日) ■
名札は「子ども」から「大人」へ

私の記憶では「名札」は、子どもが付けていた。
大人は名刺、子どもは名札が定番だった気がする。
しかし、今は大人が職場で「ネームタグ」を付けている。
これも時代の流れだな、とメモをした。
子どもの名前を知らせるのは、犯罪に繋がったり、
プライバシー保護の関係から、名札は付けない。
大人は逆に、今はどんな人間がわからないから、
「苗字」だけの簡易的なネームプレートから、
課名・役職・フルネームまで記載された名札を、
なぜか、皆が首から下げている。
スーツでも制服でも、色のバランスに関係なく、
これでもか、と派手な紐を何の疑問もなく、身につける。
逆に言うと、これを付けている間は仕事だから・・と、
割り切れるのかもしれない。
ちょっと気になったことだけど、世相として残しておきたい。
「名札は『子ども』から『大人』へ」でわかるかな。



2017年04月29日(土) ■
君は数学と無限に踊る

映画「奇蹟がくれた数式」(マシュー・ブラウン監督)から。
「アインシュタインと並ぶ無限の天才」とも称された
インドの数学者「ラマヌジャン」と、
彼を見出したイギリス人数学者ハーディの実話を映画化した作品。
文系のはずの私が、こんな解説に惹かれ、観始めた。
学生時代、数学の数式ほど頭を悩めたものはない。
それなのにここに登場する人々は、
「正しくみれば、数学は真理だけでなく、究極の美を併せ持つ」
数式を眺めて美しいと表現しているし、
「これ(公式)は何なの?」と訊かれれば
「絵のようなものだよ。見えない色で描かれていると想像して」と
サラッと答える。
「モーツァルトが脳内で全交響楽を聴いたように」と前置きをして
「君は数学と無限に踊る」とも・・。
「どこから着想を得るか?」の問いには「女神です」と返答し驚かす。
「眠る時や、祈る時、舌の上に、数式を置いていく」らしい。
「公式は創るものではなく、既に存在し・・ラマヌジャンのような
類い稀な知性が、発見し、証明するのを待っている」など、
一つひとつの表現が数学(公式)の話なのに、文学的で興味を惹いた。
でもやっぱり、記号がいっぱい書き込まれている「公式」を眺めて、
「(一緒に)踊る」という表現は、私には無理だなぁ。



2017年04月28日(金) ■
腐っても「千本」(せんぼん)

(ローカルネタですみません。(汗))
昨年7月からスタートし、いまだに夢中になっている
「ポケモンGO」ネタ。
ただ、以前お伝えしたように、課金は一切せず、
さらに、ジムで戦うこともせず、
ただただ、歩いてポケモンをゲットするのみ。
それで何が楽しいのか?って訊かれるけれど、
徒歩通勤を基本に、歩く生活をしていると、
万歩計の数が増えるのと同じように、
知らず知らずに、ポケモンが溜まっていく。
毎晩寝る前、その日ゲットしたポケモンを整理すると、
一日の成果が感じられて、なぜか嬉しい。(笑)
しかし、毎日同じルートを歩いているだけだと、
同じようなポケモンばかりに遭遇し、時々ストレスが溜まる。
そんな時は、沼津市の千本松原に行く。
当初は、レアなポケモンがゲットできるという情報で、
朝から深夜まで、多くの人が遠方から集まり、
異様な雰囲気さえ感じた場所であるが、
現在は、いまだに続けている高齢者を中心に、(汗)
スマホ片手の人が集まっているが、私には居心地がいい。
普段見かけないポケモンを数種類ゲットし、
満足感で、意外とストレスが発散できるので、
「腐っても「千本」(せんぼん)」のフレーズを残したい。



2017年04月27日(木) ■
「ロクヨン」は誓いの符牒(ふちょう)だ

映画「64 ロクヨン 後編」(瀬々敬久監督)から。
後編のメモを振り返ると、気になる単語が目についた。
平成の大合唱に消えた、たった7日間の昭和64年。
その昭和64年に発生し、犯人が捕まらないまま迷宮入りした
少女誘拐殺人事件・通称「ロクヨン」がこう説明されている。
「『ロクヨン』は誓いの符牒(ふちょう)だ」
辞書によると「符牒(ふちょう、符丁、符帳)」とは、
同業者内、仲間内でのみ通用する言葉、また売買の場や
顧客が近くにいる現場などで使われる、独特な言葉の事。
接客や作業をしている時に、価格・品質・指示などについて、
符牒を使用する事によって客に知られずに、
必要なコミュニケーションを行なうのが一般的」とある。
この符牒である「ロクヨン」は、あの事件の関係者同士が、
犯人を取り逃がした、あの時の悔しさを絶対忘れるな、
時効ギリギリまで諦めるな、という「誓い」だったに違いない。
各業界で使われている「符牒」に興味を持ち、
少しずつだけど、調べてみたい。(企業秘密かな?)

P.S.
6月4日生まれの私は「ロクヨン」と言えば、誕生日だけど(笑)。



2017年04月26日(水) ■
部屋の中からじゃ、この窓は開けられない。

映画「64 ロクヨン 前編」(瀬々敬久監督)から。
以前、原作を読んでいるからか、やや違和感を覚えた。
あの650頁近くに及ぶ文字が、どう映像に表現されるのか、
期待し過ぎたのかもしれない。
どんなに素晴らしい作品でも、映画として4時間は長過ぎる。
逆に、2時間前後に表現できないようなら、厳しい言い方だが、
映像化は諦めた方がいい、という感想を持った。
と言いつつも、作品レビューとしてメモは増えた。
前編は、記者クラブとの確執・不協和音を解決しようと、
孤軍奮闘する主役、佐藤浩一さん演じる、三上広報官の動きが
私のアンテナに引っかかった。
「部屋の中からじゃ、この窓は開けられない。
開けるには、自分が外に出て開くしかないんだ」
この考え方が、彼の全行動を支えている。
もうすぐ定年だから・・と及び腰の先輩警察官に対しても、
本来なら話すこともままならない上司に対しても、
同じ姿勢で臨むからこそ、部下の信頼が得られたのだろう。
仕事で大切なのは、危険を承知で、問題の火中に飛び込む勇気、
そんなことを感じながら、前編を観終わった。



2017年04月25日(火) ■
自然界の神秘を語る意味深長な事実である。

これから「緑」が瑞々しく、そして眩しい季節となるが、
書籍「詩集 故郷への水へのメッセージ」
(大岡信著・花神社刊・141頁)から。
「そのやうな女たちよ、どこにいるのか」の一節。
「一 緑の女 染色家たちは、
自然界いたる所にこれほど溢れている緑色が、
単一の『緑』という染料として、
けっしてそのまま取り出せないと知っている。
緑色を染料をして得るためには、
青と黄を混ぜ合わせねばならないのだ。
自然界の神秘を語る意味深長な事実である。
地球の広範に覆ふ色は緑。
その実体は、異質の色の物質の掛け合わせ。染まり合ひ。
『緑』といふ生命の色は、
はじめから純一ではない混ざりもの。だから深い。
そのやうな女たちよ、どこにいるのか。」
そう言えば、小学生の頃「柿田川の写生大会」に出かけ、
「緑」という絵の具がないことを知って驚いたことを、
僅かな記憶ながら思い出した。
不思議な色だな、周りにこんなに溢れているのに。



2017年04月24日(月) ■
その人が夢を託してくれたから俺は変われた

映画「カンフーダンク」(チュウ・イェンピン監督)から。
難しいことを考える必要もなく、
私の好きなバスケットとカンフーがミックスした映画。
実は、この作品、ほとんどストーリーもなく、
ダンクシュートが爆裂する程度の認識で見始めたら、大間違い。
最後には、ちょっとウルウルしてしまうほどの出来栄えだった。
ネタばれになると困るけど、
「その人が夢を託してくれたから俺は変われた」のワンフレーズで
私はこの作品を思い出せるような気がする。
カンフー映画を何本も観たが、どれも楽しかった。
もちろん、現実にはありえないような技の連続だけれど、
もしかしたら、こんな奴、一人くらいいるかもしれない、と
思わせてしまう、カンフーの魅力にはまっている気がする。
女優・仲間由紀恵さんのそっくりさん?と思わせるような女性には、
けっこう笑えた。(ゴクセンに登場する黒ぶちめがね姿)



2017年04月23日(日) ■
たちまち縮んで豆粒のピストルになった

書籍「詩集 故郷への水へのメッセージ」
(大岡信著・花神社刊・141頁)から。
先日他界した詩人、大岡信さんの作品を読み直していたら、
面白い視点を幾つか見つけた。
機会あれば、1つずつ紹介したい。
まずは「産卵せよ富士。」という詩、の一部。
「(5) 小浜池にも柿田川(かきだがわ)にも、
鮠(はや)・丸太・鮎のきらめき
きみの流れで泳ぐとき
ぼくらのふくらんだちんぽこも
たちまち縮んで豆粒のピストルになった」とある。
「ちんちん」ではなく「ちんぽこ」というのがいい。
それに、冷たい川に入り、たちまち縮む「ちんぽこ」の
表現がたまらなく可笑しいが、
こればかりは、体験した人でなくてはわからないな、と
大先生なのに、妙に親近感を覚えてしまった。(汗)
私たちも小さい頃、裸で柿田川に入ると、唇が紫色になったし、
ウィンナーソーゼージのように縮んだことを覚えている。(笑)
「きれい」より「冷たい」で思い出される柿田川である。

P.S.
何度も確認したが、ルビは「かきだがわ」だった。
いつから「かきたがわ」になったんだろうか。
調べてみよ〜っと。



2017年04月22日(土) ■
「行動」「目的」より「意味」を意識する

春になると、柿田川に入り、外来種駆除の楽しみが増える。
今日は、天候にも恵まれ肌寒くなく、絶好の作業日和。(笑)
私たちベテラン組みの作業場所は、舟付場の近くで、
観光客から何度も声を掛けられた。
質問は決まって「何をしているんですか?」。
その答え方によって、自分たちの作業に対する想いが伝わることを
一緒に作業していたメンバーから教わった。
それが「『行動』『目的』『意味』レベル」という指標。
単に「外来種駆除をしています」と答えるのは、行動レベル。
ボランティアである、ないに関わらず、
自分の行動を、文字にして説明しているに過ぎない。
次に「絶滅危惧種のミシマバイカモを護るために、
こういった外来種駆除をしています」と答えるのは、目的レベル。
この作業は、こんなことのためにやってるんですよ、と
目的意識をもっていると、観光客にも説明しやすいし、
自分の行動が、とても有意義に感じられることは間違いない。
しかし、一番意識しておいて欲しいのは、意味レベル。
「何十年、何百年先まで柿田川の多様性が続くように、
大勢の方々と、外来種駆除作業をしています」など、
こういった作業・活動は、どんな目的があるのかではなく、
この取り組みが、どういった意味をもっているのか、を意識する。
それによって、もっと自分の行動に誇りがもてるようになるから。
この考え方って、家庭や仕事でも通用するものなんだよなぁ。