初日 最新 目次 MAIL HOME


しもさんの「気になる一言」
しもさん
MAIL
HOME

My追加

2017年05月02日(火)
本物とかニセモノって、何か意味あんの?

映画「嫌な女」(黒木瞳監督)から。
友達のいない真面目一徹な弁護士・石田徹子と、
派手好きで社交的な天才詐欺師・小谷夏子。
どちらが「嫌な女」か分からないけれど、
タイトルの「嫌な女」のフレーズが会話に出てくる。
「あんたと一緒にいると、私、どんどん嫌な女になる」
「何言ってんの、あんた昔から嫌な女だよ」
これには、けっこう反応してメモしてしまった。(笑)
さらに、作品中に登場する「太陽」と「ひまわり」の例えが、
この2人の関係をうまく表現している気がした。
「ひまわりは太陽のお陰で、きれいに咲き誇るでしょ?
人は太陽をみて頑張ってると思わないけど、
太陽に向かって必死に顔を上げるひまわりをみてると、
頑張ってるなぁって思えるものよ」
同じく「ブリン」と「カラメルソース」との関係も面白い。
「プリンってね、カラメルソースが苦いから、
その甘みが引き立つのね」「おいしい・・」
「ねっ。人はね、プリンを食べながら怒れないものですよ」
こんな視点で「プリン」を食べたことがなかったのでメモ。
ドキッとしたのは、明らかにニセモノの絵画「ひまわり」を、
200万円で売って、サギだって問いつめられた時、こう言い返す。
「本物とかニセモノって、何か意味あんの?、だってさ、
それを200万円で買う人間がいる限り、ホンモンだろうが、
ニセモンだろうが、200万円の価値があるってことでしょ?」と
言い返すことができなかったシーン。
価値は、需要と供給のバランスで決まるんだねぇ、やっぱり。

P.S.エンドロールで見つけ、妙に嬉しかった。
「ウェディングデザイナー 神田うの」・・頑張ってるなぁ。



2017年05月01日(月)
メールをみせてしまう人に、メールを送る人

私の周りには、時々驚くような人がいる。
「ほら、こんなメールが来てるから、
俺は奴を代弁して、文句を言っているんだ」と、
わざわざ、そのメールを他人に見せて回る人がいる。
それも、自分の行為を正当化するネタとして。(汗)
私としては、それ自体、言語道断の行為であるが、
そういう人に、不平不満のメールを送ってしまう人の方が、
信じられない気がする。
そのメールが元で大騒ぎになっていることも知らず、
相変わらず、誹謗中傷に近い発言をしているらしい。
プライベートで送ったつもりのメールが、
多く人に見せられているなんて、知らないのかもしれないが、
そういう人物と、メールで繋がっていることが、
自分の評価を下げていることに気付くべきなんだろうな。
「メールをみせてしまう人に、メールを送る人」だけには
なりたくないよなぁ。



2017年04月30日(日)
名札は「子ども」から「大人」へ

私の記憶では「名札」は、子どもが付けていた。
大人は名刺、子どもは名札が定番だった気がする。
しかし、今は大人が職場で「ネームタグ」を付けている。
これも時代の流れだな、とメモをした。
子どもの名前を知らせるのは、犯罪に繋がったり、
プライバシー保護の関係から、名札は付けない。
大人は逆に、今はどんな人間がわからないから、
「苗字」だけの簡易的なネームプレートから、
課名・役職・フルネームまで記載された名札を、
なぜか、皆が首から下げている。
スーツでも制服でも、色のバランスに関係なく、
これでもか、と派手な紐を何の疑問もなく、身につける。
逆に言うと、これを付けている間は仕事だから・・と、
割り切れるのかもしれない。
ちょっと気になったことだけど、世相として残しておきたい。
「名札は『子ども』から『大人』へ」でわかるかな。



2017年04月29日(土)
君は数学と無限に踊る

映画「奇蹟がくれた数式」(マシュー・ブラウン監督)から。
「アインシュタインと並ぶ無限の天才」とも称された
インドの数学者「ラマヌジャン」と、
彼を見出したイギリス人数学者ハーディの実話を映画化した作品。
文系のはずの私が、こんな解説に惹かれ、観始めた。
学生時代、数学の数式ほど頭を悩めたものはない。
それなのにここに登場する人々は、
「正しくみれば、数学は真理だけでなく、究極の美を併せ持つ」
数式を眺めて美しいと表現しているし、
「これ(公式)は何なの?」と訊かれれば
「絵のようなものだよ。見えない色で描かれていると想像して」と
サラッと答える。
「モーツァルトが脳内で全交響楽を聴いたように」と前置きをして
「君は数学と無限に踊る」とも・・。
「どこから着想を得るか?」の問いには「女神です」と返答し驚かす。
「眠る時や、祈る時、舌の上に、数式を置いていく」らしい。
「公式は創るものではなく、既に存在し・・ラマヌジャンのような
類い稀な知性が、発見し、証明するのを待っている」など、
一つひとつの表現が数学(公式)の話なのに、文学的で興味を惹いた。
でもやっぱり、記号がいっぱい書き込まれている「公式」を眺めて、
「(一緒に)踊る」という表現は、私には無理だなぁ。



2017年04月28日(金)
腐っても「千本」(せんぼん)

(ローカルネタですみません。(汗))
昨年7月からスタートし、いまだに夢中になっている
「ポケモンGO」ネタ。
ただ、以前お伝えしたように、課金は一切せず、
さらに、ジムで戦うこともせず、
ただただ、歩いてポケモンをゲットするのみ。
それで何が楽しいのか?って訊かれるけれど、
徒歩通勤を基本に、歩く生活をしていると、
万歩計の数が増えるのと同じように、
知らず知らずに、ポケモンが溜まっていく。
毎晩寝る前、その日ゲットしたポケモンを整理すると、
一日の成果が感じられて、なぜか嬉しい。(笑)
しかし、毎日同じルートを歩いているだけだと、
同じようなポケモンばかりに遭遇し、時々ストレスが溜まる。
そんな時は、沼津市の千本松原に行く。
当初は、レアなポケモンがゲットできるという情報で、
朝から深夜まで、多くの人が遠方から集まり、
異様な雰囲気さえ感じた場所であるが、
現在は、いまだに続けている高齢者を中心に、(汗)
スマホ片手の人が集まっているが、私には居心地がいい。
普段見かけないポケモンを数種類ゲットし、
満足感で、意外とストレスが発散できるので、
「腐っても「千本」(せんぼん)」のフレーズを残したい。



2017年04月27日(木)
「ロクヨン」は誓いの符牒(ふちょう)だ

映画「64 ロクヨン 後編」(瀬々敬久監督)から。
後編のメモを振り返ると、気になる単語が目についた。
平成の大合唱に消えた、たった7日間の昭和64年。
その昭和64年に発生し、犯人が捕まらないまま迷宮入りした
少女誘拐殺人事件・通称「ロクヨン」がこう説明されている。
「『ロクヨン』は誓いの符牒(ふちょう)だ」
辞書によると「符牒(ふちょう、符丁、符帳)」とは、
同業者内、仲間内でのみ通用する言葉、また売買の場や
顧客が近くにいる現場などで使われる、独特な言葉の事。
接客や作業をしている時に、価格・品質・指示などについて、
符牒を使用する事によって客に知られずに、
必要なコミュニケーションを行なうのが一般的」とある。
この符牒である「ロクヨン」は、あの事件の関係者同士が、
犯人を取り逃がした、あの時の悔しさを絶対忘れるな、
時効ギリギリまで諦めるな、という「誓い」だったに違いない。
各業界で使われている「符牒」に興味を持ち、
少しずつだけど、調べてみたい。(企業秘密かな?)

P.S.
6月4日生まれの私は「ロクヨン」と言えば、誕生日だけど(笑)。



2017年04月26日(水)
部屋の中からじゃ、この窓は開けられない。

映画「64 ロクヨン 前編」(瀬々敬久監督)から。
以前、原作を読んでいるからか、やや違和感を覚えた。
あの650頁近くに及ぶ文字が、どう映像に表現されるのか、
期待し過ぎたのかもしれない。
どんなに素晴らしい作品でも、映画として4時間は長過ぎる。
逆に、2時間前後に表現できないようなら、厳しい言い方だが、
映像化は諦めた方がいい、という感想を持った。
と言いつつも、作品レビューとしてメモは増えた。
前編は、記者クラブとの確執・不協和音を解決しようと、
孤軍奮闘する主役、佐藤浩一さん演じる、三上広報官の動きが
私のアンテナに引っかかった。
「部屋の中からじゃ、この窓は開けられない。
開けるには、自分が外に出て開くしかないんだ」
この考え方が、彼の全行動を支えている。
もうすぐ定年だから・・と及び腰の先輩警察官に対しても、
本来なら話すこともままならない上司に対しても、
同じ姿勢で臨むからこそ、部下の信頼が得られたのだろう。
仕事で大切なのは、危険を承知で、問題の火中に飛び込む勇気、
そんなことを感じながら、前編を観終わった。



2017年04月25日(火)
自然界の神秘を語る意味深長な事実である。

これから「緑」が瑞々しく、そして眩しい季節となるが、
書籍「詩集 故郷への水へのメッセージ」
(大岡信著・花神社刊・141頁)から。
「そのやうな女たちよ、どこにいるのか」の一節。
「一 緑の女 染色家たちは、
自然界いたる所にこれほど溢れている緑色が、
単一の『緑』という染料として、
けっしてそのまま取り出せないと知っている。
緑色を染料をして得るためには、
青と黄を混ぜ合わせねばならないのだ。
自然界の神秘を語る意味深長な事実である。
地球の広範に覆ふ色は緑。
その実体は、異質の色の物質の掛け合わせ。染まり合ひ。
『緑』といふ生命の色は、
はじめから純一ではない混ざりもの。だから深い。
そのやうな女たちよ、どこにいるのか。」
そう言えば、小学生の頃「柿田川の写生大会」に出かけ、
「緑」という絵の具がないことを知って驚いたことを、
僅かな記憶ながら思い出した。
不思議な色だな、周りにこんなに溢れているのに。



2017年04月24日(月)
その人が夢を託してくれたから俺は変われた

映画「カンフーダンク」(チュウ・イェンピン監督)から。
難しいことを考える必要もなく、
私の好きなバスケットとカンフーがミックスした映画。
実は、この作品、ほとんどストーリーもなく、
ダンクシュートが爆裂する程度の認識で見始めたら、大間違い。
最後には、ちょっとウルウルしてしまうほどの出来栄えだった。
ネタばれになると困るけど、
「その人が夢を託してくれたから俺は変われた」のワンフレーズで
私はこの作品を思い出せるような気がする。
カンフー映画を何本も観たが、どれも楽しかった。
もちろん、現実にはありえないような技の連続だけれど、
もしかしたら、こんな奴、一人くらいいるかもしれない、と
思わせてしまう、カンフーの魅力にはまっている気がする。
女優・仲間由紀恵さんのそっくりさん?と思わせるような女性には、
けっこう笑えた。(ゴクセンに登場する黒ぶちめがね姿)



2017年04月23日(日)
たちまち縮んで豆粒のピストルになった

書籍「詩集 故郷への水へのメッセージ」
(大岡信著・花神社刊・141頁)から。
先日他界した詩人、大岡信さんの作品を読み直していたら、
面白い視点を幾つか見つけた。
機会あれば、1つずつ紹介したい。
まずは「産卵せよ富士。」という詩、の一部。
「(5) 小浜池にも柿田川(かきだがわ)にも、
鮠(はや)・丸太・鮎のきらめき
きみの流れで泳ぐとき
ぼくらのふくらんだちんぽこも
たちまち縮んで豆粒のピストルになった」とある。
「ちんちん」ではなく「ちんぽこ」というのがいい。
それに、冷たい川に入り、たちまち縮む「ちんぽこ」の
表現がたまらなく可笑しいが、
こればかりは、体験した人でなくてはわからないな、と
大先生なのに、妙に親近感を覚えてしまった。(汗)
私たちも小さい頃、裸で柿田川に入ると、唇が紫色になったし、
ウィンナーソーゼージのように縮んだことを覚えている。(笑)
「きれい」より「冷たい」で思い出される柿田川である。

P.S.
何度も確認したが、ルビは「かきだがわ」だった。
いつから「かきたがわ」になったんだろうか。
調べてみよ〜っと。